3-2-1 陰陽師大家・賀茂の実力
LHRにて。
四限目。もう辺りは暗くなり、外では魑魅魍魎に対する準備を始めている頃だ。本格的に現れるまではもう少しだけ猶予がある。そんな中俺たちの学年はLHRで各クラスごとに授業をやっていた。
ウチのクラスは八神先生が講義をしている。配られたレジュメは狐についてというもの。
「さて。お前たちに配った資料は俺が大学生の時に研究した卒論の内容だ。俺の紹介としてこれ以上ないものだと思ってな。質問は最後に受け付ける。これは講義式の授業だ。これから様々な講演会が開かれるだろうから、その予行だと思ってくれればいい」
パワーポイントまで用いられての授業。たしかにこれなら講演会と呼んでもいいものだろう。入学して二週間経つが、八神先生のことは自己紹介以外のことはあまり知らないのかもしれない。
この内容もおそらくは偶然じゃない。ミクのクラスの担任をやることになったのはこういう卒論をやってきたという結果があったからだろう。
「お前たちはどういう印象を抱いてるのかわからないが、結論を言うと狐はなんてことないただの動物だ。霊狐って言葉があるように式神などに向いている、陰陽師向けの動物だ。そこそこの霊狐なら元々の金の属性と一緒に狐火を主とする火の属性も持っている。優秀な動物だよ」
へえ、と言ったような感嘆がぽつぽつと出る。基本的に式神になるような動物は種族によって五行の属する性質が決まっていて、得意な攻撃方法もその属性に則していることがほとんどだ。
そういう意味では二属性を持っている狐という存在は希少だ。レジュメの該当ページを見てもそこまで種類は多くない。天狗やら鬼やら、式神にするなら上位の生き物たちばかり。
で、この中で狐だけ迫害されていると。鬼は嫌われていないのに、この差別は本当に受け入れられない。いや、鬼も暴走したら面倒ということで敬遠されがちな存在だけど。その分強さが格別だから許されているんだろうか。昔の話の中にも有名な悪い鬼なんていくらでもいるけど。
それでもやっぱりゴンは特別だろう。陰陽術を使える式神なんて他に知らないし、五行の五属性全て使えるなんて反則も良い所だろう。天狐ならばゴンのように様々なことができるのだろうか。分け御霊、というだけで権能があるから色々できるんだろうけど。
「では、狐について陰陽師的観点から説明していこう。狐というのは遥か昔から妖怪とみなされたり、神の使徒と思われたり、精霊とみなされていた。陰陽師の前身である巫女や祈祷師、呪い師などには重宝される存在だった。狐が不幸の前兆を知らせてくれるとする民族も北海道にいたとされている。人を化かして騙し悪戯を繰り返す性質もあるという。これが平安以前の狐の認識だ」
卒業論文、ということで様々な出典先が載っている。そうか、国立図書館蔵書の一般書。陰陽師に関係ない書物ならたくさん蔵書されていて、全ての日本の書物は蔵書するという国立図書館ならたとえ狐に関する書物でも残されているのか。
国立図書館となると東京か。人口が一番多いのは京都だけど日本の首都は江戸時代からあの場所だ。取り寄せるとなると時間がかかるかもしれない。
「平安の頃もその認識は変わらなかった。しいて言うなら九尾の存在が確認され、一体だけ討伐を確認されている程度。それ以外の狐に関することは末期以外に存在しない。で、狐評に関する変換期だ。玉藻の前、そう自称した九尾の狐の天皇殺害未遂事件。この事件をもって、狐は人類から見放されるようになる。天皇という存在は現在でも日本の象徴の存在として法にも記載されていらっしゃるが、それは当時の都でも変わらなかったようだ」
鳥羽洛陽。大体の概要は知られているけど謎の事件。玉藻の前はどこから現れたのか。その名前はどうやって知ったのか。皇居にはどうやって現れたのか。何故姿を、正体を見せてしまったのか。
皇居から追い出して討伐隊が組まれて、日本各地へ追い回されるような何かをしでかした。その内容は言及されておらず、一つの説として天皇を洗脳しようとしたとか。
安倍晴明が玉藻の前をウチの土地へ封印したことは事実で、その結果命を落としたのも変わらない。陰陽師の祖を殺してしまった存在というのは正しいのかもしれない。でも過去視を視る限りお互い幸せに暮らしてたと思うんだけど。
八神先生がスライドを次へ移す。そこに現れたのは古い絵で、玉藻の前らしき九尾が天皇らしき存在に呪術をかけているような絵。玉藻の前の顔が狐で、人型の大きさに着物を着ているという、なんというか頓珍漢な姿をしていた。出典を見る限り書かれたのは江戸時代。推測で描かれたものだとしてもあの玉藻の前はない。
もっと美人だったし、そもそも狐顔じゃない。正真正銘の神様をこうして悪として描くなんて。悪神じゃなかったはずなのにな。やるせない。
「皆も知っていると思うが、鳥羽洛陽だ。資料提供などがないために鳥羽洛陽については詳しく説明できない。情報がほぼ推測の根拠がない資料しかないからだ。陰陽師大学に行っても、一学生の俺程度には鳥羽洛陽の詳細な情報など入手できなかった。だから推測になるため口にするのは憚るが、この頃から狐は迫害され始めた。狐が虐殺され始め、一時的に姿を見せることがなくなった。狐は頭の良い生き物だからな。人間に近寄ることを避けたんだろう。狐の知能指数を表す実験が外国で盛んに行われている。正確には日本にそんな資料がなかっただけだが」
狐はイヌ科ということもあり、犬と同等の知能はあり外国の研究チームは賢い動物だと結論を出したようだ。日本では毛嫌いされているからか狐を研究しようとする流れ自体が少ない。
だから八神先生はかなりの少数派だ。公平な資料も少なかっただろうによくここまでの卒論を作ったものだ。これを作ることに許可した教授も、これを卒論として認めた大学側も、プロのライセンス取得の材料にしたライセンス協会もすごいな。
「俺は過去視なんてできないし、過去視を使える知人も知らないために詳細な情報は知らん。だから鳥羽洛陽については一切合切説明できないが、この事件で重要なのは玉藻の前の凶行ではなく、当時最高の陰陽師を二人とも同時に失ったこと。狐を恨むのが人情ってもんかもしれないが、安倍晴明だっていつかは死んだ。それに混乱しすぎた結果が都の衰退だ。その醜態に耐え切れずにもう一人の芦屋道満は都を去ったそうだが」
「先生。まるで狐は悪くなく、今の呪術省の前身である陰陽寮を否定するかのような発言は控えるべきでは?事実、安倍晴明様が殺されたのは玉藻の前のせいですわ」
挙手をして発言をした賀茂。教室中の視線が賀茂に集まった。呪術省を敵に回すのが何だって言うんだ。いや、ここは呪術省のお膝元だからマズいのかもしれない。
その発言に八神先生の動きも止まる。そして一気に眉が跳ね上がり、頬の筋肉がピクピクと引きつっていた。
「……賀茂ぉ。誰が発言を許可した?こういう講演会式の発表は挙手しようが司会の人間が指名しなければ発言できない。今回は司会がいないから発表者の俺が司会も兼ねている。指摘の前に常識を疑われる言動はよせ」
「あら?これは忠告ですわ。教師の立場から不適切な発言が出ましたので。それに鳥羽洛陽について呪術省では公式見解を発表しております。玉藻の前が天皇に呪術をかけようとしたところ、安倍晴明様の高弟によって防がれたと。ご存知なくて?」
「ああ。知ってるよ。星見の方々が否定した公式見解とやらは。土御門に残された古文書に書かれていただっけか?その古文書も公表せず、星見の方々が一斉に否定されたことを、教師として正式なものとしてお前ら生徒に教えることはできない。不鮮明だから発言を避けたんだ。都の衰退と蘆屋道満の退去は事実なんだろう?呪術省も文書で発表して星見の方々が認めている」
過去のことについて、星見の人間の発言はかなり重きが置かれる。違う視点から、様々な角度から見られる過去の共通点を纏めているのが今の歴史だ。そういった物の編纂のために父さんもよく呼ばれるようだが、話が合わずに不貞腐れて帰ってくることが多かった。
人によって視られる過去はまちまちだ。俺なんてほとんど平安時代の安倍晴明絡みしか視ないし。第二次世界大戦の頃しか視えない人もいれば、縄文時代しか視えない人もいる。
数年前に発表された鳥羽洛陽については、当代一の星見である父さんが否定したことが世間ではかなり話題になったほどだ。新聞で読んだ程度だけど。
では父さんの話した鳥羽洛陽の真実とは何か。そこには検閲でもされたのかほとんど何も語っていなかったが、一つだけ。玉藻の前は呪術なんて使わなかったと。それだけは明確に呪術省の発表を真っ向から否定していた。
「歴史がどう正しくて、何が本当に起きたことなのか。それは過去視という特別な力があってもはっきりしない。呪術省の発表しているものが正しいのかさえわからない。星見の方々が伝えてくれる情報を信じたいが、それを呪術省が否定する。さて、教師の立場としてどうするべきか。たとえ呪術省の管轄であっても俺はこう言うぞ。わからないから明言は避ける。ただしテストで出る際には呪術省の発表通りに書け、ってな。まあ、こんな問題は高校生になったお前たちには出されない問いだろうが」
歴史の変換点ではあるのだろうが、大雑把に玉藻の前のせいで天皇が苦しみ、安倍晴明が死んだという事件ということがわかればいい。これは歴史というよりは陰陽師が台頭している世の中では一般常識。陰陽師でなくても知っていること。だからこんな出題は精々小学校でしかされない。
「賀茂。俺が言いたいのは、鳥羽洛陽という事件の本質についてだ。狐に対する見解が変わった事件であり、重要視されるべきは玉藻の前の悪行についてだったのかってことだ。安倍晴明が死んで、蘆屋道満がいなくなって。偉大な人がいきなりいなくなってもみんなで力を合わせて頑張っていきましょう。そういう教訓にするために語り継がれた事件だろう?犯人の身内を炙り出して虐殺しましょうって話じゃないだろう?教師として、重きを置く場所を考えてこの場で話している。呪術省の言いなりになるのが教師じゃないんだよ」
ヤバイ。八神先生のことをかなり見直した。適当な人かと思ってたけど、ここまで紳士的な人だったなんて。生徒のことかなり思っていて、選択の余地を与えている。
どこを話すべきか。情報の取捨選択を行い、一つの説に囚われることがないように、多角面からアプローチする。食い違う意見が出ているから疑う。何かの情報を鵜呑みにしない。それを自身の卒論を題材に伝えている。
だが、呪術省に盲目な賀茂相手にはマズイ。
「では何を信じろと⁉長らく日本を支えてきた呪術省と、ちょっと特別な力を持つ星見の集団!どちらの言葉を信じるかなどわかりきっているではありませんか!」
「誰の言葉を信じるかは自由だ。お前が呪術省に入りたいのなら呪術省の言うことを信じろ。研究者になりたい人間は今の事実を疑え。俺の言葉なんぞ信じなくていいぞ。陰陽師とは裏表のある存在だ。嘘も平気で言うし、真実を隠すこともざらだ。で、だ。賀茂。今のお前の行いは受講者として失格だ。別に寝る、話を聞かないくらいなら俺の話し方や内容に興味がないんだなって思うだけだから気にしない。そいつ個人にしか影響がないからな。だが講義を途中で止められて、こんな莫迦らしい口論をやってたら授業が進まないだろうが。他の聴講者に迷惑が掛かっている。それを全校生徒がいる場でやるつもりか?呪術省とは違う新発見をわざわざこの学校にまで出向いてくれて発表してくれる先生もいらっしゃる。その方に向かってお前は呪術省が認知していないので認められませんと言うつもりか?呪術省の職員でもない一学生のお前が、呪術省の情報全て知っているのか?」
「わたくしは賀茂の家を継ぐために様々なことを学んできましたわ!呪術省のことも詳しく存じております!」
そういう問題ではないだろう。結局は個人の思想に反したから言いがかりをつけているだけ。
要するに俺の狐好きとあいつにとっての呪術省好きが全くの一緒だということだろう。かなり不本意だが。俺だって狐が意味もなく貶されたら怒る。
あと、全てと詳しく。それは等号じゃない。呪術省はそれこそ日本全国の陰陽術に関することを全て統計している。その全てを知っているかと言われたら無理だろう。完全記憶能力でも持ってないと。
人間の脳には限界がある。浅く広く知識をつけることはできるだろうが、深く正しく細かく全てのことを知ることができるかと言われたら無理だろう。千里眼と完全記憶能力と過去視ができればいけるかもだが。賀茂の家系は星見の一族だけど、ここのところ星見なんて一人も輩出してなかったはず。
次も三日後に投稿します。
感想などお待ちしております。
今さらですが、明たちは呪術省と敵対しますので、呪術省シンパの賀茂や土御門とは意見が全く合いません。
呪術省には呪術省なりの正義があります。それが万人にとっての正義ということではないというだけで。
あとは明たちにしろ八神先生にしろ、彼らは世間一般からしても相当特殊な立ち位置というか思想の持ち主なので、むしろ彼らの方が異常かもしれません。
彼らの目線から描く物語なので、そうは見えないかもしれませんが。




