2-0-2 愛弟子との出会い
連れて来られた家で。
「んっ……?」
少女が目を覚ました時に目に映り込んだのは誰かの膝。身体全体が誰かの膝の上に収まっていたようだ。頭は誰かに撫でられている。
「ようやくお目覚めかな?お嬢さん」
荷台の中にいたのは先程の男だけ。簾の外を見てみれば荷台を引く牛を牽引している高弟たちや、ほかの牛と荷台があるばかり。外は日が沈みかけて、茜の空を夜の闇が浸食し始めていた。
「簡単に説明すると都へ帰る途中だ。生きていくために必要な物は都で揃えればいい。私の家で過ごせば困ることはないだろう」
「……」
「あの村で一人で生きていくのは無理だ。都に行けば私の妻もいる。それとその力は都でも珍しい変わり種だ。どこかでひっそりと暮らすというのも難儀だろう。人の輪からはつまはじきにされるのが目に見えている。処世術をいくつか覚えないとな。君の心は人のままのはずだ。……人のまま生きていたいだろう?」
「──あなたは、誰ですか?」
「名前の紹介がまだだったな。私の名前は安倍晴明。宮仕えをしている陰陽師だ」
・
京の都は、華やかとは言えなかった。建物は村と比べればもちろん煌びやかで華のあるものだろう。だが、それも一側面。豪勢な住まいは一区画だけ。区画整理されている中で、しっかりとした建物と崩れかけている建物も多い。
人々の表情もそうだ。楽しそうな表情を浮かべている人々もいれば、沈んでいる人々もいる。服装も顕著だ。この差は何なのかと少女は考えるが、田舎者にはわからない。
「ここが私の家だ」
荷台が動きを止めて、二人して降りる。荷台を見直してみると、荷台を引いていたのは牛ではなく人型の真っ白な存在だった。その珍妙な存在が傍にいて気付かないとは。ずっと牛が引いていると思っていた。
家もかなり裕福なようで、周りの家にも負けないくらい端正な家だった。そこをくぐる時に変な感覚を覚えたが、そのまま中に入る。
入ってすぐ、音もなく首元に刀が突きつけられていた。隣にかの陰陽師がいるために寸前で止めたようだったが、刃先にははっきりとわかる殺意が込められていた。
「吟、この子は客人だ。刀を向けるな。君のように拾ってきた」
「……晴明様がそう言うなら」
「お父さんで構わないんだがな」
「いいえ。おれはあなたの刃です。あなたのためなら何もかもを斬り裂きましょう。そこに、人としての立場は要りませぬ」
「それを辞めてほしいんだがな……。私も法師も妻も、君を家族だと思っている。名目上は小間使いの式神だが」
晴明が吟と呼ばれた少年の澄んだ銀色の髪を撫でると、少女に向けられていた刀を鞘に戻してくれた。そのまま睨んできたが、晴明の三歩後をついて回った。少女は晴明の隣にいたが。
家の奥へ向かうと、一人の女性が部屋の中央に座していた。耳には柔らかそうな狐の耳、お尻の方には九本の、肉感のある太めの尻尾が生えていた。身体は存外小さかったが、目にしただけで少女は圧倒された。
神々しい。その言葉がこれ以上似合う方はいないと。頭を下げようとしていたようだが、隣の晴明に優しく微笑まれてその動作は止められていた。
「ただいま、玉藻。土蜘蛛はいなかったが、この子を見つけた。彼女を私の弟子にしようと思うのだが、構わないかな?」
「もちろんです。それよりも首元の治療を。応急処置程度では血が足りないでしょう?」
「私とてただの人間ほどやわになった覚えはないのだが……」
「いけません。あなたはわたしよりもずっとか弱い存在なのです。血がなくなれば死んでしまう。その当たり前を忘れないでください」
玉藻と呼ばれた女性は晴明の首元、つまりは少女が噛みついた場所へ手を当てて光を当て始める。それによって少しは痕が残ったが、見た限り傷は塞がりきっていた。
その光景を見て少女は玉藻という女性がこうも神秘的な女性だから、神様のような傷をすぐに治療できる、不思議な力を持っているのだと思った。それと同時に、傷をつけて血を吸ってしまったことに対して罪悪感──という言葉を知らなかったが、まさしくそう言い表すのが正しい感情──を抱いていた。
「これで大丈夫でしょう。この傷はどうして?」
「そこの少女にちょっとな。死にかけだったから仕方がないだろう」
その言葉にまた吟が刀を抜きそうになるが、玉藻が目だけで制した。吟という少年は晴明と玉藻には逆らえないらしい。
「わかりました。そのことについては咎めません。それで、その子の名前は?」
「聞いてなかったな。君、名前は?」
「──覚えていません。だから、つけてほしいです」
「では、金蘭と。金は君のその髪の色だ。蘭というのは他の生き物と一緒でないと綺麗に咲けない花の名でね。たとえそのような凶暴な爪と牙を持っていても、君は誰かがいないと生きていない。異形であっても人間であることに変わりはないのだから。それにきちんと着飾れば玉藻に匹敵する美女になるだろう。名は体を表すという。見たままだが、いかがかな?」
即答、の割には考えられていた。晴明は言霊を扱う関係で花や生き物など、様々な文化に触れていた。宮仕えをする以上文化人であらねばならない。晴明は千里眼を持っているために船を用いて別大陸に行くという危険を冒す必要がないというのは大きな利点だ。
少女はその言葉を自分の内へ反芻していく。数秒だったか、それとも数分だったか。少女は小さく首を縦に振る。
「はい。私は言葉をあまり知りませんが、とても良い響きだと思います」
「それは良かった。玉藻、金蘭を浴場へ。後天的な憑依は私にも専門外だ」
「じゃあ金蘭ちゃん。まずは身体を洗いましょう?それから少しずつ、わたしたちのことを知っていってほしいかな」
「わかりました。玉藻サマ」
「あ、わたしのことは秘密ね?この家は晴明と吟以外、住んでいないことになってるの」
金蘭はその言葉の意味を知るのはもう少し先になってから。
そもそもとして、辺境の村娘にそこまでの語彙がなく正直何を言われているのかわからなかったほどだ。
それでも彼女は、この時のことを今でも鮮明に思い出す──。
次も三日後に投稿します。
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