2-0-1 愛弟子との出会い
とある少女の邂逅譚。
その日は、嵐の前触れかと思うほどの曇天だった。男は宮中の役人を連れてその村へ来ていた。
牛に荷車をつけて徒歩で半月。海に出たところで船で三日。それからさらに徒歩で十日ほど。そうして着いた村は、もはや村とも呼べない程廃れていた。家もほとんどが壊れていたり、燃えていた。木々も何者かに叩き折られたのか、それとも雷でも落ちたのか、自然的な成長では見られない経過だった。
歩くこと数分。それぐらいで村全体を見て取れるくらいに大きくない村。役人と弟子たちがくまなく村を見て回るが、生存者がいない。というより、すでに腐臭を放っている様々な死体を検分し始める。
「見た限り、生存者は……」
「間抜けだな。お前たちの探索能力はその程度か。いくら魑魅魍魎の残滓が残っているからといって、あれほどの霊気を見逃すとはな……」
男は弟子の言葉に失望する。そこまでの高弟は連れて来ていなかったとはいえ、丸わかりの霊気に誰一人気付かない。役人は仕方がないとして、仮にも陰陽師だというのに気付かないのはどうなのか。
男は一つの若干形を残している小屋へ行く。他に脅威はいないので悠然と歩む。
この村というより、この一帯は土蜘蛛という妖によって蹂躙された土地。土蜘蛛は神とは違って純粋に暴力の具現という、妖だった。その暴力が暴れるだけ暴れて、陰陽師か力のある武士ではなくては太刀打ちできない存在。
そういった力を持つ妖は陰陽師と武士が一緒になって討伐することが多い。今回は討伐ではなく調査ではあるが。
どういった被害があるのか、土蜘蛛はどうしているか、そのためにまずは調査をして生き残りがいないかを確認して、京に被害が出ないか。それが一番重要視されているが、男としては京なんてある程度残っていればいいと思っている。
今回の目的としては、土蜘蛛の調査。土蜘蛛が脅威になり得るかが男としては最重要。その土蜘蛛はすでにいないようなので少々気落ちしたのだが、それ以上の収穫がありそうで口角が上がっていた。
崩れかけている小屋の扉をこじ開けて、男と高弟の二人が中に入る。その中を見ても、高弟は生き物の存在を把握できなかった。だが、男は一点を見つめていた。
「……ふむ、独学の術式が多いな。だからこそ、か?まあ、土蜘蛛から逃れるために必要な措置だったのだろう」
「あの、どこに話しかけて……?」
「私が介入しているのにまだダメなのか?……師の高弟でも無理か。師でも厳しいな。専門外にすぎる。法師でないと無理だな」
「法師でないと、ですか……?」
高弟はその言葉に訝しむ。男の師というのは天文学を専攻する学者であり、武士をサポートするような存在ではなかった。そも、陰陽師というのはそういう学者が本分であり、陰陽師として様々な術を産み出したのは男であり、その男の派閥が色々と産み出した結果万能とはいえずとも用途は増えた。
少しでも生活を良くしたいと、それだけのために本来あった陰陽術を歪めて本質を変えた。師はその変化に対応できず、その結果男と法師と呼ばれる二人がトップに君臨した。
それはおいておいて。
「では、少女。君の姿を他の者に見せてくれ。私は君へ危害を加えるつもりはない」
「──」
「うん?言葉が話せないのか?……違うな。私のことを理解したくないという感じか。その目に何を映している?」
高弟は未だに少女の姿が見えていない。口も開いていないし、音も発していない。だが男には全て見えている。ボロボロの布で出来た衣服に、泥が付いた肌。少し煤のついた金色の髪に、一切濁りのない琥珀の瞳。
そして少し、人間とは異なる異形。頭の上に虎柄の耳と、手には肉球もついた、鋭い爪もある黄色い獣特有の特徴。さらにお尻の方にはかなり長い黄色と黒の尻尾。
悪霊憑きの、虎に浸食されている少女。
「……あなた、は……」
「うんうん。いいな、君。特にその髪が良い」
少女の瞳に映るもの。それを見ただけで男は少女が何を言おうとしたのか理解した。だからこそ、その言葉を封殺する。口に出していることもまた事実ではあるが。
「君には辛いかもしれないが、土蜘蛛のことも話してもらおう。生き証人は必要だ。時に、家族は?」
「──喰われた」
「それは済まなかった。一人では生きていくのも困難だろう。私が君を引き取ろう。君が唯一生き残ってしまった原因であるその力も、制御できるように私が指南しよう」
男は少女を抱き上げる。そのことでようやく高弟は少女の姿を認識していた。少女独自の術式だったために、男が教えた解呪の仕方では見つけられなかったのだ。
「──ウッ」
「うん?」
男は抱き上げた少女によって、首筋を噛まれていた。犬歯が鋭く刺さり、上物の衣装にも血が溢れて白磁と紺の色彩を染めていった。
溢れ出る唾液も服を汚し、零れなく落ちる血を一滴も逃すかと内側から執拗に吸い出す少女。吸われている血の量も、溢れる量も致死率に相当する。だというのに男は麻酔にかかったかのように表情も変えずにその行為を受けていた。
異形に侵された少女が美丈夫の首に歯を立て、淫靡な音を立てて全てを貪りつくそうとしている光景は、一種の官能を引き立てる、脳漿を刺激する有り得ない行為だった。
「師よ、無事ですか⁉そのような怪奇擬き、今すぐにでも処分を!」
「良い。腹が減っているだけだ。類い稀なる霊気でどうにか誤魔化していたところに、私というとびきり上等な霊気が現れたのだ。霊気を得る方法も知らず、空腹を賄う手段は本能的に食事しかないとわかっている。だからこその行動だ。この行為を邪魔したら貴様を殺すぞ」
「ッ!」
高弟には男の弟子を数年務めた実績と自負があった。師弟関係は良好だと思っていた。
だが、突然拾った異形の娘を優先する意味が分からなかった。異形とは魑魅魍魎や妖という人間に害為す存在の総称だ。そんな異形に類する少女のために命を張る師が分からなかった。
異形は人類の敵。それを守るために殺気じみた霊気を向けられる。こんなこと初めてだった。
この高弟は一方的に良い関係だと思い込んでいただけ。師である男の本質を一切理解できていない愚か者だった。
「京へ帰るぞ。この少女を保護できた時点でかなりの収穫だ。土蜘蛛は我々だけではなく源家に要請しなければ倒せやしない」
「師よ、せめて傷の治療を!」
「同時進行でやっている。この程度で死ぬか。──また、星を詠み違えたか。まだまだ未熟だな」
「師が未熟であれば、今を生きる陰陽師皆が赤子です」
「我が師の教えの大元は星読みだ。これでは師に笑われてしまうな。今回も土蜘蛛の動きを察することはできなかったのに」
少女を抱きかかえたまま戻ると、役人にも他の高弟たちにも怪しまれる。少女は人目も気にせずに周りの声にも傾かずにひたすらに血を貪っている。
「海向こうの吸血鬼のようだな……。いや、少女に鬼というのは失礼か」
「は……?」
「気にするな。私とて独り言くらい呟く。研究熱心なことは認めるが、全てのものに意味などない。霊気を込めた言霊ならまだしも、空が綺麗だのといった感想まで拾われたら身体が休まらん」
そのまま男は簾で中を隠した荷台へ乗っていく。土蜘蛛調査隊は一つの成果を持って、そのまま帰還した。
次も三日後に投稿します。
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