5ー2ー2 調停者と原初の女
約束。
私の論理に納得がいかないのか、キャロルはこちらから一切目を離さずに一方的に告げる。
「過程や数字、確率の話じゃないのヨ。幸せって、そういうものじゃなイ。イブ、あなたの幸せや愛の定義はワタシたち人間のものからかけ離れているワ」
「は?」
キャロルの言葉に、疑問と怒りを覚える。
キャロルたち今の人間は全員アダムの子だ。アダムと私を元とした、神が産み出した類似種。それとアダムの子孫が今の人間に当たる。
その人間が、私のことを否定する。それも知識を。常識を。言葉の定義を。
それだけはありえない。いくら言語体系が様々に別れ、国ごとに違う言葉を使っていて。国ごとの特色があろうと。どれだけ時代が移ろおうとも。
アダムと私の知識が間違っているはずがない。
なにせ私たちに与えられた知恵こそが、アダムが楽園から追放される決定的な要因になったのだから。
蛇に諭されて食した知恵の果実。
それは神が与える予定のなかった、私たちの全てを破滅に導いた悪夢の象徴。知恵の果実さえなければ何も知らないまま閉じられたあの場所で永劫に過ごせたはずなのに。
そんなものを与えられてしまった私たちの知識が、間違っているはずがない。どれだけ言葉が原初から変遷しようが、意味や定義まで履き違えることはありえないの。
「あなたたちの言葉が間違っているんじゃないの?私たちの知恵は遥か昔から星と神に定義された不変なもの。人間はすぐに間違える。自分にとって都合が良いように解釈する。欲望のままに捻じ曲げる。言葉だってそうやって変化していったんでしょう?」
「……鏡が欲しいわネ。ワタシの心の中でも、好き勝手はできないカ」
キャロルが辺りを見渡して、目的の物がなかったのか肩を竦める。
鏡なんて何に使うのかしら。そんなもので私の魔術を防ぐことはできないはずだけど。例えば特殊な冥界の鏡とか、私にも通じるような遺物を彼女は持っていないはず。
「ええ、エエ。よくわかりましタ。イブ、あなたとワタシたちではもう違いすぎる種族なのヨ。同じ人間でも、似ているのは姿だケ。神と人間ほどその隔たりは大きいのネ。だから話が通じなイ。決定的なところで齟齬が出ル。こうして会話が成立しているということがそもそも錯覚なのヨ」
「それはそうでしょう?だってあなたたちは私たちを基に創られた類似品。同じなはずがないじゃない」
「その事実に気付きながら、その差異に目を向けていないのよ、あなたハ。ワタシたち今の人間があなたと違う存在だと言葉ではわかった気でいるのに、脳と意識ではその事実を否定していル。──ワタシたちがアダムの子だからカシラ?」
この子は何を当然のことを言っているのだろうか。
オーダーメイドと量産品ほども異なる品質。高級品である一点物のアダムと私に対して、今の人間は大元になるのは私たちであっても設計思想なんてあやふやなままの乱造品。
たとえアダムの血が僅かにでも混じろうが、アダムの血や大元の情報、遺伝子なんてどれだけ稀釈されたことか。もう欠片ほども残っていない生き物は別の生き物という感覚に近い。
時たま、キャロルのようなアダムの血が特別に濃い人間もいる。そういう人間が、器の候補者になる。
アダムの子という証拠もなければ、今の人類に優しくしてやる理由はない。
外でさっき、あの混ざり物のおかしな人類にやられたという結果もある。
「……イブ。きっとあなたのその考えを変えなければワタシ以外の誰かがまた選ばれて、アダムへの生贄にされるんでしょウ。それは『方舟の騎士団』の一員として、一人の人類として、認められないワ。だから、イブ。──友達になりましょウ?」
「──え?」
キャロルはなんと言った?
私と、友達になりたい?
──友達って、なんだっけ。
「もうね、この短い会話で良くわかったワ。あなた、口下手過ぎるのヨ。それで持って自分の価値観が絶対になっていル。視野狭窄ってやつネ。この星のどこにだって、それこそ地上から隔離されているらしい神の御座にだって駆け寄れるくせに、あなたの瞳に映るのはこの現実じゃなくてあなたの願いだケ。だからアキラのイタズラのように足を掬われるのヨ」
キャロルは呆れながらも、楽しそうに話を続ける。
なんだかさっきよりも距離感が近い気がする。こんな感じで誰かに話しかけられたのは初めて。
だからか、胸が高鳴っている。
「この感じだとお互い損するだけなのよネ。あなたってある意味神様のような存在なんだけど、そんなあなたを信仰するにしてもあなたを知らなすぎル。あなたはどういったことが好キ?楽園ってどんな場所?」
「あ……。えっと……」
「ゆっくりで良いから答えテ?って言いたいところなんだけど、あんまり時間なさそウ。外の神々が怒ってるのがわかるワ」
上手く言葉が出ない内に、状況が変化する。キャロルの身体を通して、外の私に近い存在がこちらに干渉しようとしている。
こんな女の子、初めてだった。
そもそも女という性別にまるで興味がなかった。アダムを誑かした私の出来損ない。アダムの可能性を薄めて消し続ける害悪。
だからアダムの可能性なんて期待していなかったし、前回のテクスチャで利用するのに都合が良かったからキャロルのように金色の五芒星を発現させたりもしたけど、彼女たちをアダムの代わりにしようとも、楽園へ導こうとも思いもしなかった。
だけど、この子なら。
キャロルなら良いかもしれない。
「イブ。ちょっと待ってテ。色々と準備して、正式な手順で楽園を訪れるワ。そうしたらたくさん話しましょウ?ワタシたちは相互理解を深めて、協力し合えると思うノ」
「キャロル……」
屈託のない笑顔。そんな彼女へ手を伸ばそうと思ったが、私の手が薄くなっていることに気付いた。
意識をこうやって飛ばしていても、私の本体は楽園にある。それにこの身体とも相性が良いわけではない。キャロルの身体はアダムへ最適化をしている最中で私にも近い構成をしているからこうして乗り込めたけど、今回だって結構な無茶をしでかして来ている。
二回目はできない。まだ女性で、アダムに近付いている今だからこそできた介入だから、今後はキャロルの身体に入り込んだり身体を操ったり、こうして心の中で会話なんてできない。
前のテクスチャの時のように器の候補者に話しかけるという行為も、しばらくはできないでしょう。私はこれからしばらく眠りにつかないと、存在を維持できない。
それだけキャロルが殺されるという事態は避けたかった。
「世界にある五つの封印を解いて。その場所は鍵があればなんとなくわかるはずよ。癪だけど、あの混じり物も多分わかってる。その封印を解いて、ロンドンで唄を歌いなさい。そうすれば楽園への階が現れるから」
「わかったワ。お土産も用意して行くかラ」
「──待ってる」
その約束を交わした後、私の意識は楽園へと戻っていった──。
「何年かかるかしら?けど、不思議と待つことに不満はないわ。待つことに慣れてしまったからかしら?それとも……初めて、待つことが楽しみだから、かしら?」
そう呟いた後、何にも負けない柔らかさを持った芝生に身体を埋める。眠るというのも久しぶりだけど、今度の眠りは安らかなものになりそうだ。
「ふふ。約束なんてアダム以外としたのは初めてね。ああ、初めてだらけよ。初めてのことって、こんなにもドキドキするのね。この心地よさを、眠った後に忘れていなければ良いのだけれど……」
瞼が自然と落ちていき、何も聞こえないこの場所で眠りにつく。
あの子と話す内容でも考えながら、眠れると良いのだけれど。私は人間のように、夢って見られるのかしらね?
なんだ。楽しみなことってたくさんあるじゃない。
それじゃあ、キャロル。
その時まで、おやすみなさい。
次も三日後に投稿します。
感想などお待ちしております。あと評価とブックマークも。




