5ー1ー2 調停者と原初の女
前のテクスチャ。
陰陽術と魔術がぶつかり合う。今の所イブが使う魔術は全て右の手の甲から放たれている。その魔術も全て解析してから後出しのように俺と金蘭で魔術を相殺させていく。金蘭にはイブに聞かれないように念話で魔術の詳細を伝えて迎撃させる。
イブからしたら思考をトレースされているみたいで気持ち悪いだろう。若干の未来視と千里眼による魔術の解析。その併用によって動きの殆どを予測しているに過ぎない。ラグは吟が攻めることで埋めてくれるのでほぼ完璧な予測ができるだけ。
魔術と陰陽術じゃ決着が付かない。俺と金蘭が攻撃術式を不得意としていることもそうだが、それはイブも似たようなものだ。彼女は戦う人間ではなく、彼女の魔術もアダムを呼び戻すためのもので戦うための道具じゃない。
すると差をつけるとなれば吟による剣の技能になる。
吟へ支援術式を増やして速度を速める。どんどん高速になる吟の技の冴えにイブは防ぐのも不可能になり身体に裂傷をつけていく。
吟が刀だけではなく脚による蹴りや空いている左手での殴打も加えれば完全に防ぎ切れることはなくなった。フェイントにも弱く、簡単に引っかかって蹴り飛ばされるイブ。
「きゃあっ!」
「叫び声は人間の女と変わらないんだな。イブ、その身体はキャロルさんのものだ。アダムに変えることなんて許されないし、アダムも他人の身体を明け渡されて、魂を消されてまで用意された器を喜ぶと思ってるのか?」
「あなたに、アダムの何がわかる⁉︎あの人は楽園を追放されて、下界で苦労して生きて死んでいったわ。何もかもがある場所から不自由な地上に降ろされて、本当の生活を喪って!幸福になる権利があるのよ!」
ああ、聞いていられない。なんと酷い主張だろうか。耳を塞ぎたくなる。彼女を基にして人間が産み出されたとするならば、これは確かに人間の原罪だ。全ての人類が背負わなければならない原初の業。
女一人が残って、男は住む場所を追い出されて。何もかもが用意された神々の遊び場を離れて、不自由と自由を知って。閉じ込められた環から外れて本当の意味で人生を知って。子どももできて、女のように永劫を生きる宿命から解放されて。
また永遠に閉じ込められる生活を、アダムは願うだろうか。
こればっかりはアダム本人じゃないから彼の想いなんてわからないが、星は全てを憶えている。それだけアダムとイブは星にとって大事な人たちだった。
イブは、前のテクスチャを忘れている。だからこんな荒唐無稽な我儘を口にできる。
アダムは、楽園に戻ることをよしとしていない。
自分の愛を優先して現実を見ていない。アダムの本当のことを知ろうとしていない。これが醜いと言わずなんと言うのか。愛は全てを優先にはしない。
一方通行の愛。それはただの我欲だ。
「あなたは前のテクスチャのことをどこまで憶えている?」
「宗教と魔術を組み合わせて、器を管理させていたわ。それが何?」
「アダムに会ったことを憶えていないのか?」
俺の告げる真実に、イブは目を丸くする。あり得ないと彼女の全てが否定している。
なにせアダムと再会することは彼女の至上目的だからだ。それが達成されたのに新しい世界に巻き戻っている理由がわからないのだろう。
彼女からすればアダムと再会した時点で、全てが終わっているはずなのだから。
アダムを楽園に呼び戻せました。二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
それが彼女の考える結末。
だが、そうはならなかった。その現実を、彼女は認めなかった。
だからまた、世界は繰り返した。
「憶えていないならそれでいい。ただ俺が言えることは、また器を用意しても前回と同じ結末になるだけだ。無駄な努力をするくらいなら人間の一生を脅かさないで欲しい。そんなお願いをしたいだけだ」
「アダムが還ってきたのなら、こんな世界を創る必要がないじゃない!それとも何⁉︎他の神がテクスチャを作り変えたとでも言うの⁉︎」
「その真実は、あなたの方が覚えているはずだが?俺は書き換えられた側だからな」
俺もミクも、前のテクスチャの時は山奥でひっそりと暮らしている間にテクスチャが書き換えられていて、気付いたら何もかも忘れて平安だったんだから終わりについてはあまり憶えていない。
けど、最期の地球の状況は憶えている。星の限界が訪れたようで環境が一気に変化していた。人間は戦争をしていたわけでも、何かマズイものを開発していたわけでもなかった。それくらいは憶えている。
おそらくイブは星に限界が来ないとテクスチャを変えることなんてできないんだろう。ただの人間にはそれが限度。アダムに拒絶された時点でその世界に見切りをつければいいのに、できなかった。星の終焉まで待たなければならなかった。
何でも好き勝手できるわけじゃない。それがイブの限界。
「出鱈目を……!いくら混ざり物だからって、前のテクスチャの内容を憶えているわけがないわ!」
「これでも日本の調停者に神々から選ばれたわけで。それでもって俺の眼は星の記憶にもアクセスできる。俺が憶えてなくても、星から教えてもらえるんだ」
たとえ俺にできなくても、ミクならできる。日本の最高神だからやろうと思えば前のテクスチャについて問い合わせることもできる。
星だって今までの経験から学んで、過去を思い出す。ほぼ全ての世界を記憶している。リ・ウォンシュンが望んだように、世界全ての記憶は確かにあった。アカシックレコードと呼ばれるものは星の内側に存在した。
それに俺たちもアクセスできる権利があるだけ。
だが、イブにはその権限がない。
あるのかもしれないが、前のテクスチャを確認する勇気もなかった情けない女だ。
そこがどうしようもなく人間的で、だからこそ救われない。
俺ではイブを救えないし、アダムも彼女を救えない。
アダムは前回失敗したし、俺は彼女と相容れないから。
「なあ、イブ。もうやめてくれ。アダムを求めるなとは言わないが、人を犠牲にするやり方でアダムが還ってくると思ってるのか?器に選ばれた人にはその人の人生があったんだ。それをアンタの独善で台無しにするのは、同じ人間として忍びない」
「独善……?何を言ってるの。お前たち人間はあの人の子どもでしょう?親のためにその身体を渡しなさいよ!愛はこの星で最も尊いものでしょう⁉︎それを為そうとする私が、間違ってるって言いたいの⁉︎」
「誰かを殺した結果の愛は、アダムとあなたが求めるものなのか?あなたは、無垢な頃の愛を取り戻したかったはずだ」
原初の願いはそうだったはず。二人で過ごしていた何も知らない頃の楽園での穏やかな暮らし。ただそれだけだったから、星は認可したのに。
年月を経て、禁断の果実の毒が回り。精神が磨耗して魂が腐り、信念が変質した。
不老であったばかりに、中身の劣化に気付かず活動を続けてしまった神々の失敗作。それがイブという女の正体。
彼女も神々による被害者だろう。だが、これまでの行いから加害者に変質してしまった。
これ以上不幸の連鎖を続けるなら、彼女が日本にも面倒を持ってくるつもりなら。ここで徹底的にその心根を折る必要がある。
それが彼女のためにもなると信じて。
「アダムの身体や、あなたの本体を誰かが奪いに来たら嫌だろう?それと一緒なんだ。その身体を、キャロルさんに返してくれ」
提案するように手を差し伸べる。ぶっちゃけどれだけの暴言を吐かれようとイブと戦うつもりはない。母上とミクのことを馬鹿にされたのは頭にきたが、イブは現状ここにいない。楽園からキャロルさんという端末を使って俺たちと話し、戦っているだけ。
ここでイブを倒して、キャロルさんの身体ごと殺したとしても。イブは無傷だ。なら言葉を届けて諦めさせた方が良い。
イブがキャロルさんの身体の中にいたままじゃ殺したってイブや楽園との関わりを断てない。自力でイブにお帰りいただくか、こっそり術を仕掛けるか吟に斬ってもらうしかないんだが、こっそりやってバレたら今後がめんどくさい。
だから精神的に追い詰めて諦めてもらうのがベスト。
できるのなら、彼女にテクスチャを覗いてもらって前回のことを把握してもらうのが一番だと思うんだが。
「嫌よ!この身体は最後の希望なの!この子で失敗したらアダムはもう還って来ない!それがわかるのよ!嫌、イヤいや嫌ーーーーーー‼︎」
イブの白目を剥くような絶叫と共に、頭を抱えて倒れる彼女の身体。どうなった?いきなりイブの存在が不安定になり始めたけど。彼女の束縛が薄れ始めている?俺の言葉に対する拒絶反応でこうなったわけじゃないだろうし。
イブはまだ取り憑いている。けど、くっついていられるのもあとわずかというところか。内側から弾き出されそうになっている。
精神の揺さぶりはあるが、身体自体は正しく呼吸して生命活動に支障はなさそうだ。
──ああ、なるほど。
「キャロルさん。自分で決着をつけることにしたのか」
次も三日後に投稿します。
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