2ー3ー3 踏み出した一歩
最後の夜。
結局三時間ほど話し込み、巧たちと別れて夜の街を散歩する。プロの陰陽師が巡回している以外は人気など全くない。街の中心部は方陣に守られているので、魑魅魍魎も基本入り込んでいない。
法師と瑞穂は街へ戻らず、外縁部へ向かった。そちらは方陣の効果がないので一般人にとっては危険だが、この二人からすれば脅威でも何でもない。
お店から北へ向かい、街の外れへ。何処と無く歩いていると、大きな駐車場が見えた。このような街外れに何故駐車場がと疑問に思いながら近付くと、そこは観光名所だった。
乙女の滝。
盲目の乙女がいたとか、流れる滝の様子が乙女の髪のようだとか、滝壺に若い人魚が現れたとされる場所。盲目の乙女の場合、盲目の蛇の化身だという説もある。
と、案内板に書いてあった。
「へえ。本当にここは、色々ありますね」
「京都に比べれば全然だろう。どれだけ本当かわからないが、行ってみるか?」
「気になります。行きましょう」
二人は灯りもない観光名所を歩く。流石に暗かったので法師が手に灯りとなる明るい火を出して順路へ向かう。観瀑台もあったが、この時間ではまともに見ることが出来なかった。そのため、滝に近付くことにする。
滝へ向かうには階段を下るしかないようだ。石でできた階段は勾配が急な上に、段数も多かった。魑魅魍魎も湧いていたが、二人は無視して階段を下る。その際、瑞穂が下駄を引っ掛けないように法師が空いている手で瑞穂の手をしっかり握っていた。
三十メートルほどある長い階段で、降りた先には滝から流れる小さな川ができていた。山に囲まれているためにこういう小さな川は街の中にもたくさん見られる。
川は全く深くない。むしろ浅いくらいだ。沢に近い。
滝に近付くためには舗装された道を歩くのが常識だが、そこは呪術犯罪者。瑞穂は法師の手を引っ張りながら沢の中にある大きな石を渡るように歩く。こういう、たまに式神のくせに主である法師を引っ張れるような女性でもあった。
上流に向かっていけばすぐに乙女の滝が見えた。そこまで大きな滝ではない。でも美しいと言えるものだった。自然に愛されているのか、白い水流が鮮やかに見えた。遠目に見てみれば女性の髪とも言えなくはない。
「ひゃあ、冷たい」
「秋の夜だからな。水辺も十分寒かっただろう。……しかし、妖精はどこにでもいるな」
「妖精?精霊じゃなくて?」
「ああ、悪戯好きの妖精だ。吟を深く知っていなければ気付けなかった。精霊ほど下界をうろついているわけではない」
妖精は好き勝手に生きて、気に入った存在を自分たちの領分である妖精の国へ連れ去る。そこで連れ去った存在の大事なものを奪い取ったり、妖精の何かと取り替えたり。そういう傍迷惑な存在だ。
妖精の国は一種の神の御座であるので、まともな手段では辿り着けない。吟が幼少期に変質させられたものは今でもそのままだ。それだけ妖精についてアプローチがないということもあるが、吟自身が身体のことよりも使命を優先したために法師もあまり調べていない。
一方精霊はわかりやすい。自然が好きで、心が清らかな者には寛容だ。それこそ巧に力を貸したり、誘われるようにくっついてきたり。
視認できる存在は多くないが、日本国内にもそれなりの数がいるのが精霊だ。自然が多い場所に居やすいため瑞穂もここに居たのは精霊ではないかと聞いたが、法師の眼からすればここに精霊はいなかった。
「妖精が悪戯で蛇を人間の姿にしたり、人魚を海から連れてきたそうだ。玉藻が引っ張ってきた呪詛に惹かれて訪れていたようだな」
「まだ妖精はいるんですか?」
「居てたまるか。居たらすでに追い返している。神よりもタチの悪いクソガキの集団だぞ?」
「それは確かに、会いたくないですね」
せっかくの綺麗な場所なのに、そんな存在に邪魔されるのは不愉快だ。
ただ水の流れる音だけが支配する静謐な場所を、そんな邪悪な存在に侵されるのは勘弁願いたい。事実過去にそんなことをしているのだから、心象も良くない。
快楽のために存在を上書きしたり、本来の住処ではないこんな辺境に連れて来られるのだ。しかも人魚の場合は環境が変わればすぐに死んでしまう。元の場所になど戻さなかっただろう。かなり悪質だ。
「妖精と精霊についてはまだ話してなかったか。……だが、これでお前に話していないことはなくなったな。ちょうどいい」
「……区切りはいいでしょう。弟子として、式神として。あなたの元ではとてもお世話になりました。ありがとうございます」
「十七年か。長かったのか、短かったのか。どうも時間の流れについては曖昧だ」
「長かったですよ。わたしが人として生きてた年数より長いんですから」
こればっかりは仕方がないだろう。法師は一千年生きている。その中の十七年だ。五十分の一の時間を共に過ごしたとなれば法師としても付き合いは長い方に入る。桁がおかしいだけで。
人間からしたらだいぶ長い時間だ。赤ん坊が高校生まで大きくなる。実際、明たちが産まれて立派になるまでの時間だったのだから。
その違いを、二人は共感できなかった。できる者など限られている。
瑞穂はこの時代に生きる人間なのだから、仕方がない。
ふと。法師は灯りをその辺に放り出した。そのせいで暗闇が辺りを支配し、滝をしっかりと視認できなくなってしまった。
瑞穂もどうしたのだろうと法師の顔を見ようとしたら、だいぶ顔が近くにあった。
そのまま、二人の距離が零になる。
いきなりのことに瑞穂は眼を丸くしたが、返って心は落ち着いていく。
こんなことをするのも、最後だと思ったために。
いつもより随分と長い口付けだったために、唇が離れた時に口が酸素を求めてしまいぷはっという音が漏れた。瑞穂は顔を赤らめながらも、一応真意を尋ねる。
「いきなり、どうしたんです?」
「いや、したくなっただけだ。嫌だったか?」
「嫌じゃ、ないですけど。珍しいなと思って」
「そうか?最後の日に愛おしいと思ったから、やり残しをしないために思い付いたことをしてるだけだが」
普段は愛など囁かない男にいきなりそんなことを言われれば、照れる。そういうことはそれなりにしてきたが、愛おしいと思われているとは思いも寄らなかった。
何かの代償行為か、ただの暇潰しか。それでもいいと瑞穂は溺れていたために、こんなにもストレートに言われるのは予想外。
自分だけが愛していれば十分だと思っていたために、まさか愛を返されるとは思っていなかった。
「もう一日を切った。なら、お前に少しでも伝えておこうと思ってな。前はそれで失敗した。最後くらい夫として妻を労ってもいいだろう?」
「……結婚なんてしてませんし、この見た目でできるとでも?」
「別に内縁の妻でもいいだろう?法律破りまくりの、逸脱者だ。私たちがお互いを夫婦だと思っていれば十分だ」
「あなたがそんな風に思っていたなんて、知りませんでした」
「うん?あれだけ閨を共にしておいて……。ああ、こういうところがダメなんだろうな。私は自分が納得していれば相手も納得しているものだと思い込む。こういうところは晴明と変わらない」
法師は自分のダメなところに嘆息しながら、瑞穂を姫抱きする。瑞穂の見た目は十二歳程度なのでこんなことをしても他人からは夫婦に見られないだろう。
「酒呑と茨木を置いてきたのも、邪魔をされたくなかったからだぞ?最後くらい、二人で過ごさせろ」
「そんなわがまま、初めて聞きました」
「そうか?割と好き勝手してきたつもりだが……」
「だってあなたの行動の根底には、どうあっても使命があるんですから。その使命を遂行するための道具なのかなーって思ってたんですよ?」
「最後の日にそんなすれ違いを自覚するなんてな。……紗姫。私はお前を愛しているとも」
いきなり本名で呼ばれて、思わず瑞穂は笑ってしまった。その名前を呼ばれたのはいつぶりか。ずっと姫か瑞穂だったために、目の前の人物に呼ばれたのは初めてかもしれない。
「玉藻様よりも?」
「む。そこで玉藻が出てくるのは心外なんだが?」
「あんな呪術遺しておいて、よく言いますね?……長年のツケで素直に信じられないので、行動で示してくださいますか?」
「これは一本取られた。じゃあ今夜はとことん紗姫を愛そう」
二人の姿が、この場から消える。彼らは日本の中であれば好きに移動できる。霊脈を伝えば、この程度造作もなかった。
約束の時は、すぐそこに。
次も二日後に投稿します。
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