2ー3ー2 踏み出した一歩
今回のラーメン。
巧は麺を入れた麺ざるの中を軽く菜箸で混ぜて、雪平に鶏のスープをレードルで二杯、豚のスープをまた別のレードルで二杯入れる。分量としては七対三だ。これを用意し終わったら丼ぶりにアイスクリームディッシャーを使って味噌を入れる。味噌を入れ終わったらまた茹で麺機の近くへ。
あまり早く味噌を入れてしまったら熱で味噌が固まって味が濃くなってしまう。それを防ぐために少し置いてから入れていた。
それにこの味噌ラーメンに使っている麺は他の麺よりも太いために茹で時間がかかる。
麺も豚のスープも、味噌もディッシャーもこの味噌ラーメンのためだけに用意したものだ。普段のメニューでは必要のないものばかり。チャレンジ精神を失わないために日々勉強しながら試している。良かったらこうしてメニューとして出す。
それが「羽原」の当たり前になっていた。
今回味噌ラーメンをやろうとした理由は、お世話になっている卸業者から良い北海道味噌の入荷があったからだ。
そうやって真剣にラーメンを作っている巧を見つつも、露美が二人に話を振る。
「お二人、どこか行ってたんですか?ウチに寄るってことは、ウチだけが目当てじゃないでしょう?」
「最初は瑞穂の実家にな。この娘、私の式神になってから十七年、一度たりとも帰郷しなかったわけだ」
「できないでしょう。世間的にも死んでいて、呪術犯罪者の仲間入り。呪術省に里の場所を知られるわけにもいかないですから。それに、現麒麟に正体を知られるわけにもいきませんでした」
「そんなわけであちらで一泊。あとはここに来てゆっくりと街を見て回っていたぞ。ここは明と珠希が過ごした街だからな」
そういうわけで長野と難波を巡っていたらしい。二人は全国もそこそこ巡っていたが、そこの二箇所は特別すぎてあまり立ち寄っていなかった。
法師だけであればお忍びで何度か来ていたが、二人セットとなるとあまり訪れない場所だった。長野は瑞穂が言ったように迷惑をかけたくないという理由で。ここには明たちの邪魔をしないため極力近寄らず。
陰陽師としての役目ではなく、彼らの使命があるわけではなく。ただ観光のように訪れたのは初めてのことだった。
「今回も鬼二人を連れていないんですか?」
「適当に京都に放っておいた。暴れられるような霊気は与えていないから無害だろう」
「どうせ酒盛りしてるわ。これでお酒を飲むのも最後になるでしょうし。あんな鬼をわざわざ詠び出して契約するような物好き、いないでしょうから」
鬼二人は知名度が抜群だ。鬼の知名度となれば悪行をし尽くした暴虐の象徴とも言える。
簡単に詠び出すこともできないだろうが、契約したところであの二人が従うかどうか。それだけ扱いの難しい鬼だ。それに悪行の数々を知っていれば、狙って詠ぼうともしないだろう。鬼は危険な生き物なのだから。
一方、巧は雪平に火をつけて温める。それと同時に空いている麺ざるにもやしをそれなりの量入れて、茹で麺機の中のお湯へ入れた。味噌ラーメンと言えば、もやしだろう。スープが沸騰した瞬間に火を止めて、即座に丼ぶりを調理台の上へ。
この際左手だけ耐熱の術式を用いていた。左腕を取り戻したばかりで、三年もまともに使っていなかったのだ。熱への耐性ができていなかった。そのまま持っていたら熱に負けて火傷していただろう。
スープは再びレードルを使って均等になるように振り分ける。雪平を置いた後、泡立て器で味噌をスープに溶かしていた。
こちらの準備が終わった頃、麺ざるから菜箸を使って麺を一本摘んで口に含む。茹で加減を確認して、麺ざるを全てお湯から引き上げた。右手で二つ、左手で一つの麺ざるを持ち上げる。もやしが入っていた麺ざるだけ近くにあったボウルへ。ここで湯切りをしておく。
麺が入った麺ざるの穴から出るお湯の自然落下に任せてある程度お湯を落としてから湯切りをする。両手で力一杯、無駄なお湯を落とした。
左手が戻った際に一番苦労したのはこの感覚だ。練習していた時は力加減がわからず何回か麺を零してしまったこともある。
完全に湯切りができたら、麺を丼ぶりに投入。すぐさま菜箸で麺のダマをほぐすように何回か麺を畳んだ。それが終わればあげておいたもやしをトングを使って小山になるように盛り付け。小山の前側に炙っておいた分厚いチャーシューを。その左側にネギを置く。チャーシューの右側には本来入っていない味玉を置く。トッピングで別料金だが、サービスだ。
最後に小山の奥に正方形の大きな海苔を一枚。これで味噌ラーメンの完成。すぐに二人の前に置く。
「お待たせしました。味噌ラーメン二つです」
「良い香りだな。これは明たちも好きそうだ」
「今度出してみます。あとこちら、生姜です。お好みでどうぞ」
小さな別皿に載せた生姜も出して、あとはお好きにという形になる。味噌ラーメン八百円なり。
「わたしたちも夜ご飯食べて良いですか?」
「好きにしたまえ。もう営業は終わったのだろう?」
「ありがとうございます。タクミくん、わたしチャーシュー丼」
「はい、すぐに」
冷蔵庫にあったチャーシューの切れ端にだし醤油をかけて軽く炙る。ご飯をよそってチャーシューを載せてネギを適量。これだけである。ついでに色々なものの火を落とす。営業が終わりなのだからいつまでも火をつけておく意味はない。
チャーシュー丼を二つ分。露美の前に一つ置いて、巧は自分の分を持ったまま法師の隣に座る。
二人は先にラーメンを食べていた。麺が伸びるのを許す店主じゃないと知っているために。
「麺がモチモチで歯ごたえがあって良いな。スープも濃いが、味噌ラーメンとなればこれくらい濃い方が良い。それにこれから寒くなる。冬場には人気になると思うぞ」
「チャーシューがホロホロで美味しいわ。ただ、わたしには量が多いかも」
「そうですか?それ、味玉以外はウチの標準ですよ?」
「もやしの分が他のラーメンより多いのね。それ以外は確かにあまり変わらないかも」
そう簡単に感想を述べて、全員が食事に集中する。瑞穂は食事の量や口の小ささから食べるのに一番時間がかかっていたが、なんだかんだで食べ終えていた。
生姜を入れてみて味変になったために飽きない、身体が温まったなど客としての言葉も法師が残していた。
法師は滅多にラーメンなど食べないが、昔から宮廷に勤めていたのだ。味覚はとても良い。食事などあまり必要としないために趣味と割り切っているため、余計に舌に肥えている。
「うん、御馳走様。これからもラーメン屋で生きていくのか?」
「そうなります。軌道にも乗ってきましたし、利益も随分と出てきましたからね。人件費がかからないのは楽ですよ。大まかな仕事は簡易式神にやらせればバイトを雇う必要もないですから」
「陰陽師としては完全に引退?」
「ですねえ。もし明くんや康平殿から要請があれば出撃しますけど、プロに戻るつもりも、五神に戻るつもりもありません。五神はほら、弟子に嫌われていますし」
「後任の子は仕方がないんじゃない?タクミくんが嫌われるように振る舞ったんでしょ?」
大峰翔子には様々な仕掛けを施して麒麟を辞める際に利用した。その時の仕掛けももう数年すれば解けるようにしてある。だからと言って今更あの場所に戻るつもりはなかった。一新されるとしても、だ。
相棒の麒麟には、やろうと思えばいつでも会える。
「彼女には頑張って明くんたちを支えて欲しいんですが。せめて麒麟を正式に式神にしてほしいです」
「それ、巧くんのせいじゃ?あなたの方が実力もあって理解もある麒麟からしたら、あの子に懐かないでしょ」
「……うーん。麒麟ってかなり素直なはずなんですけど。どうしてこうなりました?」
「わたしたちのせいって言えば満足?」
「半分肩代わりしてくれるのは嬉しいですね」
今ここで麒麟に直接聞く方法もあるが、それはやめておいた。瑞穂たちの時間を割くのは巧としても本意ではなかった。
だから、彼らが聞きに来た内容を語り出す。
以前二人は他にもお客がいる時に来て、残るわけでもなく帰ってしまったのでこうしてしっかり話すのは初めてのことだ。
過去視を使えばすぐわかることなのに、彼らはここに来ていた明たちの様子を聞きたがっていた。なのでそれをできるだけ事細かに話す。
初めて来た時に気に入ってくれたこと。それから事あるごとに来てくれるようになったこと。ゴンを連れて来たらそのゴンも気に入ってくれたこと。限定メニューを出すようになったら真剣に品評を始めたこと。それが存外世間のニーズとズレていなかったこと。
珠希がこちらに下宿するようになるとより頻繁に来るようになったこと。瑠姫には食事係を取られた腹いせからかかなり睨まれたこと。のくせに、しっかりアドバイスもくれたこと。
金蘭も一度だけ来てくれたこと。その時は旧紙幣だったが何も言わずにお会計をしたこと。そのせいで後日、明に情けないところを晒す羽目になってしまったこと。
何しろ三年分だ。結構な時間がかかってしまった。
だがそれでも二人は、その話をせがんで聞いていた。その結果夜が更けていこうと気にせず、この街で過ごしていた明たちの日常を聞き続けた。
それを聞く権利が自分たちにはあると、そう主張するように。
彼らがこれまで、色々なものを賭けて活動して来たがために。
その事実を知っているから、巧たちも話し続ける。明日には色々なことが変わってしまうから。
終わってしまうから。
次も二日後に投稿します。
感想などお待ちしております。あと評価とブックマークも。




