2ー2ー1 踏み出した一歩
女子寮の一室。
京都校の女子寮。高校としてはあり得ないほど広大な敷地を持つ中で、男子寮とは対極に位置するそこは、男女で夜更かしや密会などをさせないための配慮だろう。思春期の男女で何か問題があっても困るだろう。
特別な事情がない限りは全員入寮するために大きなマンションのような建物だ。学校内のカップルとしたら不満かもしれないが、あくまで学校の敷地内。イチャつくなら校外か、常識的な時間帯でお願いしている程度。
寮生以外が侵入するには中々に厳しいセキュリティ。特に女子寮は女の子の秘密を守るために、男子寮よりも警備が過剰だ。そこの三階のとある部屋。
ここ一週間近く、開かずの部屋になっている那須珠希の部屋だ。
この部屋の中に現在、家主である珠希の他に式神であるゴンと瑠姫、そして明の命により金蘭が控えていたが。
珠希は身体的な意味なら元気だ。今もベッドの上で体育座りをしているが、身体に悪い部分などありはしない。だから式神二体と一人も、特に口出しをせずに側にいるだけ。
珠希はここ最近全くご飯を食べていなかった。お腹が空かないのだ。人間の機能として常軌を逸していたが、その理由については誰も口にしない。だが、一応健康のためにご飯を食べるように進言はしている。すげなく断られているが。
今は、金蘭が台所を使って簡単なご飯を作っている。これが男子寮と大きな部屋の差異だろう。男子寮の部屋には台所たる部分がなく、階層ごとに調理室があるので自炊をするならそこを使うことになる。料理が趣味の男は、案外少ない。
それと打って変わって、女子の中にはお菓子作りだったり料理が好きだったりする生徒が多い。いくらこんなエリート校に通っているとはいえ、自分の家系より格上の家に嫁ぐことになったら料理をする可能性もあった。
そのため昔の生徒が申請をして、どの部屋にも台所がつくようにリフォームされた。実際、結婚相手を見付けるためにこの学校へ進学してくる女子生徒は多い。そういう生徒のほとんどは他に家を継ぐ上の子どもがいる場合が多い。
そんな台所を使って、金蘭はゴンのためにご飯を作っている。金蘭も実のところご飯は必要としない。珠希も要らないとなると、食事が必要なのは生きているゴンだけになる。
「珠希様。本当にお食事、要らないんですか?」
「……はい。大丈夫です」
「わかりました。クゥ、はいどうぞ」
ゴンの前に置かれたのは木製の桶に入れられた色鮮やかなちらし寿司。いくらや玉子、人参やレンコン、海老にサーモン、海苔などバランス良く散りばめられていた。お酢のご飯の香りが部屋に広がる。
ゴン一人分にしてはだいぶ多いが、瑠姫と金蘭も味見なのか少量食べるようだ。少しだけ取り分けられた後、ゴンは小さく「いただきます」と言って顔を桶に突っ込んではぐはぐはぐー!と掻き入れていった。
「相変わらず、食べ方に品がないわね」
『それは言ったって治らないのニャ。クゥちゃん、お外だろうがこれニャンだから』
「ああ、確かに。前もそんな感じだったわ。人型でもないし、そんなものかもしれないけど」
金蘭がゴンの食べ方に嘆き、瑠姫が諦める。ゴンが難波家に拾われてからずっと注意してきたがこのままだ。明ももう何も言わないので、ずっとこのままだろう。
『金蘭様。これどれだけお金かけてるのニャ?毎日こんな感じだったら家計簿がやばいのニャ』
「え、そう?康平にお金もらったから大したことないと思うけど。一千年前なんて、これ以上の贅沢をしていたわけだし」
「……それは内裏に務める晴明の稼ぎと、妖や神々との交易品のおかげだったはず、です。ただの収入だけじゃ破綻していました」
「ああ、そうでした。あの頃は紛れもなく日本でも最高の家。今は収入という意味ではそうではありませんからね。康平にせっつかないように節約します」
珠希が一千年前との差異について指摘すると、金蘭は納得した。時代はかなり異なる上に、食べているものは質からしてかなり落ちる。
今は流通も盛んになり、生産も目処が出て大量生産ができるようになった。その結果格安品も高級品もあるが、そんな高級品は、神の食す品としてはかなり格が落ちる。神の御座で産み出されるものからしたら質はだいぶ下なのだ。
だから金蘭からしたらそこまでのものを買ってきた覚えがなかった。珠希に食べさせるものとしてふさわしいものを妥協して揃えたために、完全に納得していない。そんなもので家計簿が危ないと言われてしまっては首を傾げるのも仕方がないだろう。
貨幣の価値もだいぶ変わっている。金蘭は吟よりは現代に順応していたが、それでもまだ現代に馴染んでいない。
そして、人間にとっての物の価値も金蘭からすれば割と曖昧だ。本当の逸品を知っているからこそ今の最高級品については逸品だという感覚がない。神への供物と、人間が消費する物の差とも言える。
金蘭も吟も、ゴン同様今の日本の状況全てに合致していなかった。海外の言葉や文化などはてんでダメであり、呪術省などの大切なことにだけ注視していたため、料理が得意な金蘭でも海外の料理は全くできない。
その辺りは瑠姫どころか、珠希にも負けるだろう。
『ごっそさん。金蘭の飯は久しぶりだったな』
「それはあなた、わたしとまるで会わずに全国をフラフラしていたからでしょう?なんでお互い日本を回っていたのに、こうもすれ違うのよ」
『狐と会うために巡っていたオレと、日本の霊脈や神の様子を確認するお前。会うわけないだろ。しかも日本の転換期には毎度その場所に行ってたんだって?人里を離れていたオレと交わるわけもねえぞ』
「それもそうね。あなた、特に難波と京都からは離れていたせいで会う機会が激減していたわ」
『そうだ!オレにかけた監視用の術式外せよ⁉︎』
「もう要らないか。じゃあ外すわ」
金蘭がゴンに何かあった時にすぐ助けられるように仕掛けていた監視用の術式を、軽く触って撫でただけで外した。外した術式はそのまま金蘭が握り潰す。
ゴンとしては何も感じなかったが、金蘭が実際に潰したことを一つの証拠として納得することにした。金蘭の術式は誰にも理解できない。
陰陽術とはまた体系の異なる力であったために。
「珠希様。ちょっとお話ししませんか?」
「何です?」
「いえ、いつまで明様に顔を合わせないつもりかなと。別に学校なんて行かなくてもいいと思いますけど、明様の隣には居て欲しいんですよ。顔を合わせづらいのは、わかりますけど」
話が始まった時点でゴンは口出しするつもりはなく丸まる。瑠姫は食器の片付けを始める。
この話は、二人がするべきだと思ったために。
「それは……もう法師の時間がないから、ですか?」
「一番の理由はそれですね。法師と術比べをしたら、明様は忙しくなるでしょう。一千年前の状態に戻した。それはつまり、一千年前にも残した負債も背負わなければなりません。現代の問題は数年でなんとかできそうでしょうけど」
「……だからこそ、ですかね。明くんにやらせてしまうのが、情けなくて……。踏ん切りがつきません」
珠希は膝と身体の間に顔を埋めてしまう。
こんなことになっているのは、狐の尻尾が九本になったからではない。それで変わったことは、身体の構成と考え方であり、心自体は珠希のままだ。いや、この場合はだからこそだろう。
今までなんとなく自覚があったが、心は人間のままだった。どこか他人事だった。ただ明の隣にいて笑い合っていれば良かった。
それが、神に近付いたことで苦しくなった。
神の力と認識と考え方を手にしてしまって。歯車がズレた。
そのズレから生じた諸々に折り合いがつけられなくて、ここ数日グズグズしていた。
「うーん……。一千年前ならやりたくてもやれないとか、立場の問題とかあったでしょうが……。悩みについてはわかりました。ですが、大丈夫だと思いますよ?珠希様は少し敏感になりつつ、鈍感になっているだけですから」
「矛盾していませんか?」
「かもしれませんね。でもそういう生き物ではありませんか?人間って。……クゥ、丸まってないで、来客があるならすぐ伝える」
『お前が気付いてるのに、何でオレが言わなきゃならねえ?』
「あなたの弟子でしょう?」
『数回教えただけだ。ちゃんと見てやったバカはそのまま立ち止まらなかった』
ゴンの答えに一つ息を吐いた金蘭は、珠希に目線を向ける。
その五拍ほど後に、珠希の部屋をノックする音が聞こえた。
「……珠希ちゃん?今いいかな」
声の主は天海薫。学校が終わってやって来たのだろう。
次も二日後に投稿します。
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