1ー1ー1 まだ踏み出せない一歩
朝食。
十月も下旬になって。京都は一応の収まりを見せた。祐介が起こした泰山府君祭もどきは市民を驚かせたものの、実害は出なかった。詠び出された帝は桑名先輩と姫さんのおかげで向こうに戻れた。
この学校の人間に幾ばくかの影響を及ぼしたけど、大局に変化なし。それが一般市民の考え。
だが、それは。俺たちや神々からすれば大きな変化。求めていた終着点への橋頭堡となり得る、水面を揺らす波紋。
そんな変化の煽りを一番受けたのはミクだろう。
今も男子禁制の女子寮に忍び込み、ミクの看病をしている。看病と言っても、ミクは体調を崩しているわけじゃない。
これまで以上に神気が増えたけど、それの制御ができていないわけじゃない。耳と尻尾の隠行ができなくなっているから、事実を知らない人たちに見せるのが怖いといったところか。
隠そうと思えばできるのかもしれない。要はミクの心持ち次第なはずだけど。
「ミク。今日から学校再開するけど、行けそうにないか?」
「……はい。もう少し、考えさせてください」
「わかった。ゴンと瑠姫は置いていくから、何かあったら二人に頼んでくれ。金蘭、任せたぞ」
「はい」
金蘭に最終的な判断を任せて、俺は部屋を出る。
禹歩。陰陽師による歩法。それを霊脈で繋げることで、霊脈の上であれば瞬間移動のようなことができる技法。
それでさっきまでミクの部屋にいたが、俺の部屋に戻ってきた。俺の前には吟と銀郎が立っている。
「学校に向かうけど、吟は霊体化できないんだろ?隠形使うか?」
「おれとしては、学校の側で気配を消して待っていてもいいですよ?側には銀郎がいれば十分でしょう。今のあなたに敵う存在が日本にどれだけいます?いませんよ、そんな化け物」
「神々ならいくらでもいるだろう?それに陰陽術が全てでもない。お前に接近戦をされたら負けるぞ?」
「ご冗談を。──おれがあなたに背くとでも?」
「悪かった。それはないな」
吟の真剣な眼差しに、苦笑で返す。吟がそんなことするわけはないが、それでも負ける相手くらいはいる。接近戦をされてしまったら、という例で吟を挙げたが、接近戦なんてされたら悉く負ける未来しか視えない。
それにまだ、金蘭にも負ける。あともう一歩が足りない。ミクにも勝てない。
俺に匹敵する存在はまだまだいるさ。
「まあ、まずは朝飯か。二人も食うだろ?」
「はい」
『いただきます』
朝食と言いつつも、昼食も兼ねたブランチだ。時間も既に十時を過ぎている。陰陽師として朝方まで巡回してたら、この時間に起きないことがほとんど。最近はそういった巡回に行ってない。
ミクの様子を見守るために、出かけるのはやめている。
寮の食堂に向かって、そこで三人一緒の席でモーニングセットAを食べる。トーストとコーンスープにサラダ、コーヒーのセット。何人かはすでに起きていたようで、俺たちは注目される。数日程度じゃ慣れないってことか。食堂のおばちゃんたちも苦笑いしてるし。
黒髪黒目だった男がいきなり金髪で藍色の瞳。しかも短髪から腰まで伸びる長髪になっていれば不思議にも思うか。
桑名先輩も起きていたようで、俺に了承をとって同席する。先輩もモーニングのAだった。
「皆さんおはようございます。難波君、那須さんは?」
「まだ不安定みたいで。今日は休ませます」
「そっか。……半妖、だったんだね。僕が前、退魔の力を使った時はそれが原因だったんだ」
「まあ。一種の先祖返りですね。桑名先輩にも妖の、狐の血が流れていますよ?」
「難波の分家だから、今月の頭にはわかってたことだよ。……吟様は、あの過去視からお変わりなく。そういう秘術を?」
「ええ。おれは金蘭の案で数千年生きられるように、神降ろしをしました。寿命を神と同様にして、なおかつ神のような信仰を必要としない身体に変革しました。成長しない不変性の獲得です」
そんな真似を一千年前の段階でやっていて、どうして金蘭は晴明が一番だとしたんだか。弟子としての分別か、体系化できない本人にしか使えない術式の適正ゆえか。
悪霊憑き、妖精に弄られた者。二人だったからこそ、境界が曖昧だったからこそ変性させられた事例。ただの人間では不可能だし、半妖にも使えなかった特殊な術式。
自ら土地神になるようなものだ。土地神と異なって社を持たなくていいこと、信仰を集めなくていいこと。その土地に縛られないこと。
反面、欠点もある。日本から出られないし、特殊媒体が必要。また、本人たちは式神契約を二度とできなくなるという制約がつく。
晴明の式神として誇りを持っていたからこそ、わざわざそうしたのだろうが。その制約は彼らには辛いものだったはず。
残念ながら、それくらいの対価を払わなければそれだけのことができなかったらしいが。
「なるほど。……凄い信念だ。一千年も、ただ待つだなんて」
「終わりが見えていれば、存外我慢できるものですよ。それは法師とて同じこと。逆に言えば、おれは陰陽師としての才能も、異能もありませんでした。待つことしか、できなかったんですよ。法師や金蘭のように、準備や工作なんてとてもとても」
「だからこそ、お前はやることを探して京都に足を運んだりしたわけだろう?当時、呪術省がきな臭かった時に。十七年前だったか?」
「ああ、そうです。姫様を助けてくださったと聞いています。あの方は我が家としても大恩ある方。吟様、ありがとうございました」
吟が何もしていなかったわけじゃない、約束を守ろうとしていたことを伝えると、連想することがあったのか桑名先輩が思い出したかのように頭を下げた。
姫さんを危ないと思って助けに来るほどアグレッシブに動き回ったりしていた。吟は案外難波に留まっておらず、殺生石が収まってからは全国を巡っている。それこそ長野の裏・天海家に向かったり、それこそ静岡の桑名家へ向かっていたり。
東京にも天海本家のために向かっていたとか。放浪してはいるけど、その結果守ってきた命も多いらしい。
「時間があって、たまたま間に合っただけです。おれは未来なんて全くわからないもので。法師に愚痴られて向かっただけですよ。結果彼女が助かったことは良いことですが」
「姫様、お礼を言いたがってましたよ」
「気持ちだけもらっておきましょう。おれにできないことを彼女はいくつもしてくれたので」
「僕よりは、難波君が会う方が早いかな?」
「おそらく。その時は吟も一緒ですので、姫さんが直接言うと思いますよ」
陰陽寮を受け取らなくちゃいけない。それに姫さんはもう少しで式神じゃなくなる。その後には言えなくなるんだから、さっさと言っておこう。
吟と銀郎が食べ終わったのを見て、俺も空になった食器の前で手を合わせる。
「ご馳走様でした。桑名先輩、お先に。学校側に呼び出されていまして」
「やっぱりその体質についてかい?」
「それと先日の術式についても。アレについてわかっているのは現状俺と姫さんくらいです。姫さんも他にやることが多いので、一々説明のためにこちらへ来られませんから。プロの方々が調査しても詳細はわからないでしょうし、土御門は論外。法師は面倒だと思って来ないでしょうから」
「御愁傷様」
桑名先輩にそう言われて、食器を返してから学校に向かう。吟は言っていたように校舎の近くで待機しているようで、中には入って来なかった。ミクが心配だっていうこともあるんだろうけど。
向かう先は校長室。行くのは二週間ぶりくらいか。呪術省に忍び込んだ後に姫さんの投書でバレてたんだっけ。
前はミクも一緒だったけど、今回は俺だけだからな。着いた先でドアを三回ノックすると、どうぞと聞こえてきたので中に入る。
「失礼します」
「難波君。かけてくれ」
向こうは前と変わらず伏見校長と八神先生。それに大峰さんだ。
言えることは言って、手短に済ませよう。
次も二日後に投稿します。
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