エピローグ1 贖罪
もう、ダメだ。
身体が言うことを聞かない。
視界が開けない。
あるのは、ただただどこまでも続く深淵の闇。
そして、自分という存在が一千年前の帝に上書きされていく実感だけ。
こうなると、わかっていた。
俺が使った呪術は、泰山府君祭の出来損ないだ。一千年前の過去を、鳥羽洛陽を知って。あの術式の本質を知った。
いくら殺生石を使おうが、玉藻の前は詠び出せないと心のどこかでわかっていた。
そして、明の事実によって、それは絶対にできない事柄になった。
走馬灯なんて嘘っぱちだ。そんなもの、一切浮かばないじゃないか。
後悔したことはたくさんあった。もっとこうしたら、ああしたらなんて想いを何度したことか。
人を恨むことなんてしょっちゅうだった。気に入らないことだらけだった。人も物事も、何もかもが気に食わない。
そんな呪詛を撒き散らしていたから。世界を憎んでいたから。俺の最期は呪詛に呑み込まれることだったんだろう。
ごめんなぁ、静香。俺たちじゃお前を救えなかった。
光陰には、何も残さない。今際の時にまで、思い出したくないことが多すぎる。
土御門・賀茂両家は関係者各位、地獄に落ちやがれ。
難波家にも随分と迷惑をかけた。償えないけど、この想いは持ったまま逝こう。
珠希ちゃんには、しっかり謝れてないなあ。許してくれないだろうけど、幸せを祈ってる。これは本心だ。
明も、悪かったなあ。でもこの四年くらい、すっごく楽しかった。ただの祐介でいられて、俺の裏を知りながらも最後まで止めようとしてくれて。それだけで俺は救われた。
薫ちゃん。ただ一人俺が愛した人。これからは、平穏な人生を歩んでほしい。
黄泉の世界で罪を償ったら、もう一度。
彼らと穏やかな日常を、願う。
────────
そこは裏・天海家が運営する市民病院。土御門・賀茂両家を襲撃して危篤状態だった患者や、脳や精神、身体に改造の痕が見られた人物はこの病院に運ばれた。
裏・天海家というだけあって、陰陽師としての防衛網はもちろん、科学的にもしっかりとした防衛網ができていた。その辺りは抜かりない。
そんな市民病院の入院棟の五階。そこの個室にはある女性が入院していた。栄養失調と意識混濁、健康状態の悪さから点滴を打って寝かされていた。
住吉亜利沙。
あの地獄から、様々な抵抗をして生き延びた運の良い女性だ。証拠隠滅のために殺された同じ立場の人間はいくらでもいる。彼女が救われたのは一人の女性使用人のおかげだ。たまたま盗み出した呪具が発動し、彼女の姿を隠せた。それにより、本家の人間が探す前に成敗されたわけだ。
その使用人が動くかは賭けだったが、とある少年がその呪具を隠していたことは偶然ではない。そしてその使用人は、すでにこの世にいなかった。
彼女の部屋も、もちろん様々な形で防衛されていた。土御門系列の人間が証拠を消すために彼女を排除しに来る可能性があったからだ。
そして。彼女の元へ訪れる白い鷺の式神が一体。もちろん仕掛けられていた方陣によって捕らえられたが。
「見逃せ。母への最後の届け物だ」
まだ病院を出ていなかった法師のその一言で、その鷺だけは方陣の中へ入れた。そしてちょっとした能力で窓を開けて、彼女の個室へ入り込む。その際に開けた窓をしっかりと閉じることまでしていた。
十月半ばの冷気が入り込んだからか、それまで安定した寝息を立てていた亜利沙が目を覚ます。数日ぶりの目覚めだ。瞼が重かったが、彼女の顔を覗き込む白い大きな鷺がいれば、そのまま寝込むわけにはいかない。
「式神……?」
陰陽術の才能はなくとも、それくらいの知識はあった。
勝手に病室に侵入し、おとなしくしたまま嘴に手紙を咥えていれば、それくらいのことは察せる。
その鷺は、嘴を使って丁寧に手紙を開封し、寝たままの亜利沙の視界に収まるように嘴で抱えていた。亜利沙は目線を動かすだけで手紙の内容を読むことができる。
その手紙の内容は、こういったものだった。
『拝啓 住吉亜利沙様
こうして、初めて自分の想いを手紙に認めます。この手紙は自分の我儘を書き散らしたものですので、不快でしたら読み終わった後に燃やしてください。
あなた様におかれましては、土御門家が多大な迷惑をお掛け致しました。その罪は、どうあっても償うことはできません。あなたの心身に与えたものを、他の何かで償うことなどできないでしょう。
あなた様にどれだけの苦痛を与えたか。自分では想像することも烏滸がましいでしょう。ですので、自分の言葉がどれほど空虚なものか、存じているつもりです。
ですが、言わせてください。
自分は、産まれて、生きられて。幸せだったと。
自分という存在があなた様を苦しめたことも、承知の上で言う自分は厚かましいのでしょう。あなた様を犠牲にして、生きてきたのですから。
自分は、苦しみも知りました。悲しみも、ずっと心の内に燻らせていたでしょう。
ですが、それと同時に、友を知りました。
恋を、知りました。
短い生き様だったでしょう。周りの人からしたら、不幸な歩みだったと思われるでしょう。
それでも、自分は。
あなた様のおかげで、自分という認識ができました。
この手紙を読んでいらっしゃる頃、自分はすでにこの世にいないことでしょう。
最後まで、バカなことをしてしまい、申し訳ありません。
あなた様をあの魔窟から助け出せず、申し訳ございません。
親よりも先に死ぬという親不孝をしてしまい、弁解の余地もございません。
ですが、自分から。我儘を一つだけできるのなら。
俺は、あなたと親子として過ごしたかった。
ただ普通の、温かな家で、そんな些細な生活を送りたかった。
それはもはや、叶わないでしょう。あなた様も、望んでおられないと思います。
自分のことなど、この先の人生で忘れてしまって、構いません。戸籍も存在しない、のっぺらぼうなのですから。
これまでの謝辞と、最大の愛を持って、これからのあなた様の幸せを祈っております。
名前もない子どもより』
「ぁ……っ!あぁっ……!」
亜利沙は手紙を握りしめていた。誰からの手紙だかわかってしまい、もう十年近く顔も見ていない相手からの物だと知り。
手紙は何度も書き直された痕があり。途中に涙の痕もあり。
亜利沙自身の雫が、その手紙に溢れる。
祐介の幼少期、あえて彼とは顔を合わせなかった。会うことを拒絶した。彼が自分の子どもだと、認めなかった。
人生最大の汚点である証拠として。そして同じく汚らしい自分を母親だなんて認めて欲しくなくて。
亜利沙は自分が真っ当な母親ではないと自覚があった。そもそも望んで産んだ子でもなく、教育も一切せず。身分も真っ当な、ただの子どもとして産んであげられなかったという罪悪感があった。
だから彼には、母親などいないと認識してほしかった。こんな汚らしい者が親ではなく、親など死んだのだと思われる方がマシだという、彼女のエゴだった。
当時も、今も。この手紙を読むまでそれでいいと思っていた。エゴだなんて自覚すらなかった。
彼は土御門のしきたりに従って一度も彼女に会いに来ず。亜利沙も度重なる精神疲労で祐介のことを思い出せなくなるほど磨耗していた。
だから彼は、もう自分のことなど忘れたのだろうと。土御門の一員として生きているのだろうと思い込んでいた。
亜利沙は反射的に、鷺を見る。彼が遣わしたものだとわかったから。
そして夜なのに、窓の外で怪しげな紫の光が見えたことに疑問を浮かべ、無理矢理に上半身を起こして、窓の外を眺める。
そこには、紫の光の線でできた五芒星。
それが、消える瞬間だった。
「あ……」
彼女にはまだ、降霊の才能がわずかながら残っていた。それが降霊の儀式が行われたことを察知し、その術者の魂と呼ぶべきものがこの世から離れていく気配も感じ取れてしまった。
それが、誰のものか。わかってしまったがために。
「待って!お願い、待って!私はあなたに、何もできていない‼︎お願いだから……祐介ぇ‼︎」
その叫びは。
あの世までは、届かない。
次も二日後に投稿します。次で八章は終わりです。
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