4ー2ー2 最後の選択
顕れた者。
祐介の身体が呑み込まれ、変質する。それは目的たる九尾の狐、玉藻の前の姿ではなかった。
女性でも、狐でもなく。一千年前の貴族の格好をした男性。顔も祐介のものではなくなるのと同時に、身体も既に祐介のものではなくなっていた。
光陰はその様をしっかりと目に焼き付けて、その上で迎撃のために呪符を用意していた。予想していた人物ではなく、祐介の術式が失敗したことはわかったためにすぐ行動に移らなかった。
貴族風の男が、目を覚ます。
『……うん?ここは都か?にしては見覚えがないが』
壮年の男性はそう言いながら周りを見渡す。その人物からしたら一千年後の世界だ。見覚えがなく、不思議な光景と思っても仕方がないだろう。
彼が生きる時代に、学校も人工灯も存在しなかったのだから。
そんな彼に、光陰は問いかける。
「あなたは……?」
『なんと不敬な。朕の名前を知らぬとは』
「朕……?」
そんな偉そうな、今日び聞かない一人称に光陰は首を傾げる。
名前を知られていて当然だとする人物。だがその人物に、光陰は思い当たらない。
なにせ殺生石──玉藻の前の遺体から現れた世界最高の呪物であり、本当は安倍晴明が産み出した呪詛の受け入れ皿──から呼び出せる存在は、玉藻の前しかいないと確信していたからだ。
その前の、呪詛の器であった人物など、少し前に裏技で流された過去視以外で知り得る手段はなかった。
『よく聞け、無礼者。我が名は──』
「陛下。御名は容易く名乗るべきものではございませぬ。ご自愛ください」
そう割って入るように現れた蘆屋道満。一礼をしつつ、祐介の身体に宿った人物に近付いていく。
道満の接近に気付いていた者たちもいたが、何も手を出せなかった。ある者は身内であったため。ある者はここにいる理由がわからなかったため。ある者はその実力差をわきまえていたため。
光陰に対しては不敬だと罵った者だったが、道満の顔を確認するとその表情を一変。にこやかな表情で道満を、両手を広げて迎え入れた。
『法師!法師ではないか。この景色は如何様な術式だ?そなたの悪戯か?』
「いいえ、これはまやかしではございませぬ。御身が崩御されてから一千年の時を渡った今の都の一部でございます」
『都!ここがか?ふむ……。一千年とは、また随分と気の長い話ではあるが。そなたが朕をここに呼び出したと?』
「私ではなく、土御門の末裔でございます。私も、その理由までは推察できません」
そう言って光陰を指し示す。
これまでの言葉のやり取りで目の前の人物が、道満と同年代の帝だとわかり、光陰はどうすべきかと考える。
呼び出すべき存在を、祐介が間違えたと思った。もしくは失敗したと。ただの死者に、光陰は用事がない。目の前の人物の存在を抹消しても、もう一度黄泉に戻しても、現代に与える影響はまるでないと考えたからだ。
『して、土御門の末裔よ。何用で朕をこの世に舞い戻らせた?』
「……申し訳ありません、陛下。私はあなたの眠りを妨げる意思はなかったのです。この世を平定するために、過去の負債を取り除くためにある存在を排除しようと計画しました。ですが、それは失敗に終わったのです」
『ふむ。今の帝が不甲斐ないために、朕に統治をしてもらいたかったわけではないと?』
「はい。平安の世に蔓延った悪を排除するために、降霊をさせていただきました」
光陰は下手な嘘を言うべきではないと、言い繕う。
今の天皇に不満などなく、純粋な事故だ。その当時の悪を成敗したかっただけであり、当時の帝を呼ぶ予定は全くなかった。
これは事実だ。
『法師。なぜこのような行き違いが起きた?』
「術者の力量不足。そして知識の欠如が挙げられるかと。この者が陛下を知らなかったことなど言語道断。未熟なままに、不確かな力で大きなことを為そうとしたためかと」
『童の遊びで、朕が呼び出されると?』
「使っている道具だけは一級品ですので。それこそ晴明が遺した最高級の呪具。童でもこうして結果が出せる代物です」
『ほうほう。やはりあの男を失ったのは惜しい。あれから都は衰退していく一方。土御門も賀茂も貴様らには劣る』
帝はカカと笑う。
鳥羽洛陽の後も若干は生きた帝。平安京が廃れていく様子を直に見てきた存在。この世の果てを見てきたとも言える人物。
その帝が、道満へ問いかける。
『して、法師。何故都を、朕を裏切ったのだ?一千年越しに、その回答が聞けるか?』
「すべては日ノ本のため。それ以上の理由はございません。そのために卑しくも今まで生き延び、何を犠牲にしても天秤の調整をしてまいりました」
『てっきり晴明の仇討ちかと思ったが?』
「そのようなことは決して」
『ではあの。朕を治療した女狐のためか?』
「……」
『ハハハ!貴公が押し黙る様は初めて見たな!そうかそうか。あの女狐のためだったか。死後に納得がいくとは。法師、やり遂げてみせよ。それは晴明の願いでもあろう?』
「はい」
道満としても、治療された側の帝が玉藻の前について気付いているとは思っていなかった。彼は呪詛を身体に溜め込んでいた頃は意識が朦朧としていたはずで、鳥羽洛陽の記憶など残っていないと思っていた。
後で家来から聞いたとしても、当時の都は玉藻の前を帝を襲った人物とした。吟が追い詰め、殿として酒呑童子がその場限りの復活をした悪魔の一夜だったはずだ。
だがまさか今になって。彼らの働きを勧めるように言われるとは思わなかったのだ。
『となると朕は不要か。我が血族は日ノ本を統治しているのだろう?ならば、死者は早々に立ち去るべきだ』
「還られますか?」
『黄泉こそが今の居城となれば、それも一考。法師、どうすれば戻れる?』
「その身体に無理矢理繋げられています。朱雀の聖なる焔か、それに準ずる力を使わなければ不可能かと。私にはできません」
『そういったことは晴明の分野だったか』
「はい。この場でできる人間は、あそこにいる少女だけです」
法師が指名したのは珠希。現状朱雀は誰とも契約をしておらず、法師にできなければ弟子である姫もできない。
そして他に、役職としての朱雀になれそうな人物もいない。星斗も適性としては麒麟が向いている。
可能性があるのは、最も神に等しい人間。珠希だけ。
『ではそこのおなご。朕の仮の身体を浄化せよ。これは勅命である』
「……法師。本当に、祐介さんは助からないんですか?」
「無理だ。あの術式の代償に、彼の身体は呪詛に塗れている。もう彼の自意識など、魂と呼べるものは消失している」
「……わかりました」
その言葉を聞いて、珠希は肩を借りながら歩き出す。
好きな人の親友を、手にかけるために。
だが、その歩みを止める者がいた。光陰だ。彼は珠希の前に立ち塞がる。
「僕がやる」
「……退いてください。神気も宿していない人間が、浄化の焔を使えるはずがありません」
「祐介の身体を燃やせば良いんだろう?その責任を、僕が取るだけだ」
「責任って……っ!そうです!あなたが無茶な計画を立てなければ!殺生石なんて用いなければ‼︎あんな、封印する以外に価値のないガラクタに価値を見出すから……!」
珠希の叫びも聞かない。
光陰はすべての責任を取るために、自分の血で文字を書いた呪符を五枚取り出し、玉藻の前に用いようとしていた最大威力の術式を用いる。
「業火滅却!」
「ダメっ!」
珠希は肩を貸してもらっている瑠姫から弾き飛ぶように飛び出し、祐介とその術式の間に身体を割り込ませる。
光陰の呪符が全て禍々しい炎と変わり果てて、それが祐介の身体に入り込んだ帝を襲う。
その場にいた者のほとんどが動けなかった。物理的に不可能で、一瞬で距離を縮めるなど、道満と姫にしかできなかった。その二人がやろうとしなかったために、止められるのは間に入ろうとした珠希だけ。
物理障壁を産み出そうとしても間に合わない。唯一できそうな瑠姫が弾き飛ばされている。
珠希は直感していた。この炎では祐介を救えない。ただ傷付けるだけの炎だと。だから無理に身体を割り込ませた。それはつまり、全力で邪魔をするということ。いつもの偽装が剥がれるということ。
天海の悲鳴が、そして悪意を感じてやってきていた桑名や他にも敏感な寮にいた生徒たちが上げる静止の声が響く。
炎が激突したようで、その場に火柱が上がった。その火柱が消えるのと同時に、土埃が舞う。近くにいた天海はその爆風で顔を腕で塞いでいたほどだ。
その土埃が晴れて見えたのは三人の人影。
一人はなんてことないように立っている帝。彼は咄嗟に作られた方陣によって熱も爆風も土埃も浴びずに平然としていた。
もう一人はお尻を地面につけてしまっている珠希。その表情は、今にも泣きそうだ。
そしてもう一人。その人物は珠希と炎の間に入り込んだ金髪の男性。髪を腰の辺りまで伸ばし、その頭の上部にはイヌ科の黄色い耳が付いていた。そして腰の辺りにも、ボリューミーな黄色い尻尾が見える。
誰がどう見ても、狐のそれだった。
「ごめんなさい……!ごめんなさい、ハルくん……!」
その涙声が辺りに響いた時、リリィンという、鈴の音のような、はたまた何かが割れたかのような音も同時に辺りに響く。
その言葉を言った珠希から一陣の風が吹き、それがその男へ入り込んでいく。
「良いんだよ、ミク。こんなの、いつかはバレるんだから」
その声も顔も、まさしく明のものだったが。瞳は黒から藍色に変化していた。
初めて、他人に真名が知られたことで契約は解消。長年貸し続けていた霊気や神気が明に戻る。
その姿の変化にその場にいたほぼ全員が息を呑むが。正真正銘、元の力を取り戻してありのままの姿に戻った明が、そこにいた。
次も二日後に投稿します。
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