4ー4ー3 封印の解けた先での決戦
到達者。
ヴェルニカは一つ、決意した。ここまで汚濁に塗れた想いを再燃させられたのだ。目の前のバンピールは許さないと。跡形もなく消し飛ばそうと。魂があの世と呼ばれる次元の彼方に飛ばされることのないよう、外も内も全て消し去ろうと。
そのために彼女は、爪を元の長さに戻して両手の掌を豊満な胸の前で合わせる。その両手はいわゆるマナを収束していた。
さて、このマナだが。世界中どこにでも溢れかえっているものであり、魔術を使うために欠かせない、地球が産み出す神秘エネルギーだ。科学では決して見付けることはできず、魔術師は感知できるエネルギー。
日本はこれに変わって霊気が国中を支配している。マナは少々集めにくいが、ヴェルニカともなれば関係ない。方舟の騎士団の面々はこの風土から魔術の扱いに苦戦していた。日本で魔術という概念が流行らなかったのは陰陽術の発展とこの特性がある。世界から見てもいささか特殊な環境だった。
魔術は人間に限った異能ではない。怪異であっても術理さえ理解していれば使える一つの力だ。使おうとする妖やクリーチャーが極端に少ないだけで、使うのはわけない。
人間は才能がないとマナを感じられず、魔術や異能に目覚めないが、クリーチャーの中には種族全員がマナを見ることができる存在もいる。そういうことに特化した種族もいるのだ。ヴェルニカは突然変異型で、吸血鬼は基本魔術など使えない。だから軍曹はヴェルニカがやっていることが魔術の行使だと気付いて目を丸くしていた。いくら半分人間でも、バンピールは魔術など使えないという常識を崩されたのだ。
ヴェルニカはマナを集めると、一つの宝剣を構成した。正確には体内に隠し持っていたその宝剣を取り出すために、身体に仕掛けておいた封印の鍵を解除するために行った行為だ。
出てきた剣はまさしく西洋剣。血で塗られたような真紅の刀身だったが、柄についた宝玉など、まるで儀礼剣のような綺麗なものだった。一度も戦場で使っていないような、芸術品として祀られてきたような。そんな荘厳さすら感じさせる逸品。それを確かめるかのように、ヴェルニカは軽く振るって感覚を思い出す。使うのは実に三百年ぶり。父を殺した時以来だ。
もちろん儀礼剣などではなく、由緒正しい殺人剣だ。これを使う時は最高潮に相手に苛立った時。そしてけじめをつける時だ。今回は前者。
『あなた、家族にはお別れを済ませてきた?もう会えないわよ』
『必要ないでしょう。また会えますから』
『……思い上がりも甚だしい。わたくしの前に現れた吸血鬼は一匹残らず死んでいるのだけど?』
『私があなたを殺せばいい』
『……ハッ!真理を知らない弱者が何を?』
『思い上がっているのはそちらでは?その真理とやらに至った。国を滅ぼした。今まで勝ってきた。そうやって慢心していればいい。──不死者気取りはここまでだ』
真理とは、方舟の騎士団が追い求めているものだ。この世界を構成する絶対不変のルール。そして今の世界になる前はどうだったという、異なる可能性を記したアカシックレコード。
それに触れた者は過去現在未来全ての知識を手に入れ、全ての道理について精通しているということ。やろうと思えば未来でも過去でも知ることができ、地球でできることを全てできる、星に全権を委ねられた超越者。それが到達者であり、ヴェルニカを示す言葉だ。バンピールという尺度で語る時点で間違っている。
彼女は正しく。星そのものである。
彼女を殺すということは、地球を破壊することに等しい。その星が破壊しようと試みる事象において、全てを看破して対策を講じてくる意思を持った存在。たとえ核ミサイルをいくら放とうが、彼女はそれを読み解き、害がないように分解して地球が傷付かないように処理できる。彼女は、彼女が認識した時点で全てに対処できてしまう。
彼女を傷付ける手段としては、彼女に認知されず攻撃することか、この星を破壊することだが、彼女は地球が滅びても生き延びる。星に愛されるということは、星がなくなっても生きていけるようにと加護を与えられている存在。母が死んだとはいえ、娘も死ぬわけではない。
彼女を本当に殺すとなれば、同じく星に選ばれた者によって殺されるか。彼女自身が死を許容するか。そのどちらかしかない。
その事実を知らないただのバンピールは、だから大口を叩けてしまう。ありもしない希望に縋ってしまう。何かしらの手段で彼女を殺せるはずだと、願望を抱いてしまう。
相手の本質も、規模も、計れぬまま。
『じゃあ殺してごらんなさい?あなたはわたくしを殺せるかしら?』
『殺してみせますとも』
軍曹はマシンガンを放ちながら、トンファー片手に突っ込む。マシンガンはあくまで牽制用。本命は身体能力を活かした近接戦。逆に言えばそれしか勝機を見出せなかった。
弾丸がばら撒かれるが、とうとう彼女は防ごうともしない。全て弾が跳ね返るかのように、身体の前に壁があるように、どれもこれも通じない。剣を使うわけでもない、魔力を編んでいるわけでもない。魔術を使っているわけでも、特別何かをしているわけでもなかった。だというのに弾丸は、通らない。先程のように防ぐこともせず、ただそこに立っているだけ。だがそこには、絶対に超えられぬ壁が存在するようだった。
軍曹は距離を詰めて、トンファーで殴りつける。だが、何も音がしないまま、トンファーは殴りつけた先が消滅した。時間停止の魔術などなかったかのように、トンファーという物体そのものが消えていた。
使い物にならないトンファーはすぐに捨てて、右袖に隠していた機能を用いて手首にミニガンを落とし、それで発砲したがその不意打ちすらも弾かれる。
弾かれる壁と消滅する何かは別の何かだと信じ込み、靴裏に仕込んでいた暗器である投げナイフも蹴り上げの要領で射出したが、それも物理的に消えた。
弾丸なら効くのかもしれない、少なくとも消滅はしない。そういう法則性があるのだと信じ、距離を取ってマシンガンを乱射する。近接戦を仕掛けるのは不可能だ。そう判断した。
残念ながらそんな法則はない。ただ星がこの子を殺すべきではないと判断して力を貸し、様々な意思が様々な手段で手助けした結果、そういう現象が巻き起こっているだけだ。
彼女を殺しやすくするためには、まずは星と手を切らせなければならない。その手段が取れない時点で、軍曹の負けは決まっていた。
『終わりよ』
軍曹の目の前から聞こえた、断頭台における宣言。斬首のための横払いは技術も何もあったものではなく。ただ力任せに振られただけの、拙い剣技だった。
斬られた部分が熱を帯びるように熱く、軍曹の首は落ちていく。身体中の血液を用いても、首が再生することはなかった。
首からかけていたロケットが、かかる場所を失ったようで地面へ落下する。鎖も焼け焦げていたようだ。地面へ無造作に落ちた軍曹の目には、たまたま開かれたロケットの中に収められた写真が焼き付いていた。
家族写真。軍曹と妻、そして娘が写っている唯一の写真。
『次もちゃんと帰ってきてね!お父さん!』
それは前に家に帰った時の娘の言葉。それを思い出していた。まだバンピールとしては幼い娘。自分には勿体無いくらいにできた妻の笑う顔。それが走馬灯のように駆け巡っていた。
『安心なさい、グレイブ・トリントン。わたくしに歯向かわない限り、わたくしはあなたの妻子を殺さない。同族もね。そもそも人間の生き血を啜っている時点で人間の敵なんだから、いつかは人間に殺されるわよ。……あなたたちの悲願は、引き篭もっていれば叶ったのに』
その言葉は果たして届いたのか。グレイブの身体は蒼い炎に焼かれていき、灰は天へ登るように風で舞い上がって流されていった。
ヴェルニカの戦いはここまで。そこら中で倒れている人間を殺すつもりはなかった。だから山頂へ、当初の目的へ戻る。
『魔としての自分たちを認められない。人間として在りたかった哀しき者たち。悪には染まれなかった弱き者たち。……閉じこもる選択も、強き者に恐怖した選択も、わたくしは認めましょう。これら全てのことを後悔しないように。……辛気臭いのは終了!久々に頭に来たのは本当だけど、矜持を変えるつもりはないわ。好きに生きなさい、あの国の被害者。わたくしにはもうちょっかいかけないように』
ヴェルニカは持っていた剣をそこら辺に投げ捨てて、頂上へ戻っていく。捨てられた真紅の剣は、何事もなかったかのように光の粒子へ変わっていく。それは星へ還ったかのように。いや、それは正しく星の元へ還った。
彼女の身体は星が示す座標に過ぎない。封印も剣も、彼女と星が認めればどこでも現れる。
この星は余すところなく、彼女の箱庭だった。
次も二日後に投稿します。
感想などお待ちしております。あと評価とブックマークも。




