4ー3ー1 封印の解けた先での決戦
ヴェルと軍曹。
夜は怪異の時間だ。
それは日本に限った話ではない。海外でも夜の帳に紛れて活動する怪異は数知れず。夜は人間の時間に非らず。人間は闇を怖がり、黒に視界を奪われ、怪異という未知に蹂躙される。だから怪異にとって人間は弱者であり、餌なのだ。
夜を生きていけるほど進化しなかった、適応しなかった生物。そうなったのも晴明が手を加えたり、人間の発明によって電気を発見してから。たかが一千年、たかが数百年では進化の兆しは見えない。
それはたとえ、西暦が始まる前に立ち上がった組織の異能者たちでも同じだった。人間は遺伝によって子にその特徴を残す。だが、全てを伝えられるわけではない。二千年以上生きられるわけでもなく、たとえ技術を残しても、全員がその技術を受け継げるわけでもない。
その結果、少し騒がしくなった林の中はすぐに静まり返った。
『こんな辺境の地にいる子たちじゃ、この程度よね。本命はヨーロッパとか世界に散り散りになってるんでしょう?調査員とそこそこの実力者が精々で、別格はさっき抜けていった女の子だけかしら』
誰かに聞かせるように呟くヴェル。ここに来ていたキャロルの組織の人間は全員峰打ちによって地面に伏せていた。出血もそこそこだが、誰一人死んではいないし、死に至る傷を負う者もいなかった。ただし、武器などはきっかりと破壊されている。
そしてただ一人、ヴェルの前に立っている男。黒い戦闘用に開発された魔術折りこまれたスーツに白いYシャツを着た、ネクタイをつけていない初老の人物。
軍曹。両手に白いトンファーを装備した者しか、意識を保っていなかった。
『あとはあなただけ。それとも望み通りかしら?あなた、こうなるように仕組んだでしょう?』
「いくら同僚であっても、あなたの相手は荷が重い。殺さないのはあなたの慈悲ではなく、矜持だろうか」
『それもあるけど、ただ単にお腹いっぱいなの。四人も食べちゃったから、当分摂取しなくていいわ。わたくしの目的を邪魔した憎らしい子どもだったから、餌にしたの。現実を見えていない子どもは嫌いで』
「まるで昔の御自身のようだから?」
『まあ、ちょっとは。愛だの権力だの、身分だの力だの。愚かしいわ。そんな他人が決めたものに価値があると思って?自分のことは自分で決めるのが筋でしょうに』
「本当にあなたは。人間らしい」
『半分は人間よ?』
ヴェルはにこやかに笑う。人間を殺すことを厭わない殺戮者なのに、その心は怪物ではない。人を貶めることはあっても、自分で決めたルールは頑なに守ろうとする。姿を隠す意味もあるが人間社会への迷惑を考えて、大量殺戮など行わないし犯罪集団に手を貸したりしない。精々が火事場泥棒ではないが、他の人間が起こした出来事に便乗して人間の血を貰う程度。
国を滅ぼした当時ならいざ知れず。強大な力を持つ割りには随分と配慮をしている怪異だった。
「ですが、今のあなたはクリーチャーだ」
『それはそうよ。今更人間社会で生きていくなんて戸籍とか面倒だわ。税金とかも面倒よね。国や地域のお世話になっていないんだからお金を払うのが馬鹿らしい。ほら、帰属する意味がないじゃない?一匹狼の方が気が楽だわ。あなたもそう思わない?』
「人間らしい生活を送るには、人間と共生することが一番です」
『それはアレかしら。わたくしに今更人間社会へ戻れって言ってる?わたくしが言うのも変だけど、殺戮者で国滅ぼしで、人間を食べないと生きていけないんだけど?』
「血液くらいはどうにかできそうですが」
人間の血でなくても良いのなら、手に入れる手段はいくらでもあるだろう。家畜を締める時にいくらでもできる。人間の血がどうしても必要なら、輸血で得た血をちょろまかせばいい。生きていく手段はいくらでもありそうだ。太陽の光を克服したバンピールなのだから。
だが、それを選ばなかったのがヴェルだ。時代が移ろってそういう生き方もできただろうに選ぼうともしなかった。人間的意識もかなりあるのに人の世に紛れるという選択をしなかった。
それだけ彼女はバンピールとして、クリーチャーとしての自分を肯定してしまっている。
『いやよ、めんどくさい。お金が必要なら奪う。血も人間から奪えば良い。陰陽術って便利だわ。呪術犯罪者のせいにすればいくらでも強盗殺人だってできるんだから』
「隠れ蓑にしていたわけですか。人が悪い」
『人の常識を説かれても困るのよね。もう随分と前に、人間としての世界から手を切ったつもりなのだけど』
「……今更このような勧誘に乗るような方ではないとわかっています。では、バンピールや吸血鬼の長になるというのは?」
『もっと嫌よ。父親と一緒になれってことでしょう?吸血鬼は好きに生きれば良い。たとえ滅ぼされようが、バンピールが人間に迫害されようが知ったことじゃないわ。吸血鬼の手助けも、積極的な狩りもしないわ。──もっとも』
話は終わりだと言うように、ヴェルは手刀の構えをしながら爪を伸ばす。まるで手から生えた剣のようだ。それの切れ味は生物であれば容易に切断できるほどの強度をもつ。
吸血鬼はその肉体こそが最高の武器。これはほとんどの怪異に共通することだ。
『ノコノコと眼前に現れた同族は見逃さないわ。異端狩りに参加してるバンピールなんて初めて見たけど。ただ長生きしてるだけの爺にせっつかれた?力のない年上に説得された?まだそういうコミュニティってあるらしいわね。さっさと潰れれば良いのに』
「いえ。誰にも命令されておりません。私もつまはじき者ですから。……それもこれもあなたを見つけるため。そして牙を研ぐため。人間を利用するのは楽ですよ。働き者で、こうしてあなたを見付けられた。口ばかりの同族よりもよっぽどマシです」
軍曹は鼻の下にある髭を強引に剥がす。それは本物の髭ではなかったようで、それが剥がされた途端西洋のクリーチャーのような気を身体から迸らせていた。
それは魔術によって本人の力を隠蔽する魔具。これのおかげで組織からはバンピールだとバレることはなかった。
『良いの?この戦いも会話も、組織に監視されているんじゃなくて?』
『あなた様を目の前にしているのです。これ以上組織にいる理由もなし』
『そう。殺すわ、あなたのこと』
『いいえ。私があなたを殺します』
バンピールはおろか、吸血鬼の中でも、そして怪異の中でも最上位に来る怪物、ヴェルニカ・ヴァーチェ・ヴァルフォンド。彼女は遥か先から魔術や機械で監視している者たちすら看破していた。そういう人の目には敏感なのだ。関わりを避けたために。夜目が効くということもある。
そして怪異に共通することだが、魔術や陰陽術など、異能には敏感だ。遠見の魔術でも使われれば容易く看破できる。機械については勘が働く。殺意などに敏感だからこそ、監視の目にも気付く。音が消えた銃弾を防げたのも、そういう理由だ。
キャロルたちの組織が彼女を重要視したのは見付からないからが一つ。過去、国を滅ぼして大量殺戮をしたからが一つ。組織が派遣した戦闘員が返り討ちになっているからが一つ。彼女が実質的な吸血鬼の王だからが一つ。だというのに吸血鬼の制御をしなかったことが一つ。
そう、ヴェルは。正統なる吸血鬼の王だというのに、その職務を放置しているのだ。そのせいで吸血鬼は好きに生きて、人々が襲われている。統治して集団で襲われても困るが、完全放置も頭が痛い問題だ。
どちらからともなく二人は駆けて、ヴェルの右手の爪と軍曹のトンファーが不快な金属音を立てながらぶつかり合う。
人間を辞めた者たちの殴り合いは、その場の地形を容易に破壊しながらヒートアップしていく。
バンピール同士の、相手を思わぬ殺し合い。相手の肉を削ぎ、牙を折り、爪を砕く。彼らの戦いは人間には捕捉できないほどの速度で繰り広げられた。
次も二日後に投稿します。
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