3ー3ー2 組織と怪異と人間と
泡沫。
わたくしは物心が着くことが遅かったらしいです。一番幼い時の記憶は既に小学校に通っている頃。それ以前の記憶は曖昧で、ずっと呪術を習っていたということだけはわかりましたわ。だって身体が、嫌でも覚えているのですもの。どれもすんなりとはいかなくても、何となくわかって使えてしまうのだから。
わたくしには弟がいます。三つ下の子。ですが、血は半分しか繋がっていません。わたくしとは母が異なるとのこと。わたくしの母は出産で無理をしたのか、その時に亡くなったと聞かされています。だから弟は後妻の子。正式にも結婚しているので、弟が将来的には家を継ぐのでしょう。
陰陽師の家を継ぐのは昔からの風習で男児と決まっていますから。女として産まれた時点で、わたくしは賀茂家の長子であっても後継にはなれなかった。それが悔しいとは思いませんわ。弟もすこぶる優秀で、あの子に任せれば賀茂家は安泰だとわかっているから。とはいえわたくしも賀茂家の子。家の名に恥じぬよう研鑽を積み、賀茂家の者として呪術も勉学も作法も、全てにおいて邁進してまいりました。
わたくしはいつか土御門家に嫁ぐ。それが幼少期から決定されておりましたから。
相手は土御門家の長子、土御門光陰様。一番昔の記憶でもすでに知り合っていて、いつの間にやら周りに人がいなければコウ君と呼んでおりました。コウ君はいつでも真剣に、我が家にかけられた狐の呪いを解いてみせると呪術の研鑽を積んで参りました。寝る間も惜しんで、様々な研究書を読み込み、術式の良し悪しを学び。魑魅魍魎を幼い時から倒し、プロの陰陽師を師として学び取り。
その努力と産まれ持った才能と彼の類まれなる執念が実を結んだのか。彼は実力をどんどんつけていき、同年代では誰も敵わないほどの実力者になっていきました。将来は五神か、呪術大臣か。将来有望と言われる方の伴侶になるべく、わたくしもできうる限りの修練を積んでまいりました。片方が劣っている場合産まれてくる子どもの才能にも影響が出ます。だからわたくしもと、特に父上に身を入れて習いましたわ。
父の代では呪術大臣になっていないので手が空いていたのでしょう。それでもプロとして、娘を想ってくれたのか弟とは別枠で修行をつけてくださいました。主に呪具を用いた戦い方や霊気を増やす方法などを伝授してくださって、それの成果が出たのか幼少期からわたくしの霊気も多くなりました。元々髪も瞳も変色していたので、霊気は元から多かったのですが。
そんなわたくしに父上は何を想ったのか。遥か昔に賀茂家が捕らえたという伝説の鬼──茨木童子を式神にするという認証を得ました。賀茂家でも土御門家でも認められた者がその家で管理する式神を譲渡され、その式神と契約し主となります。両家で一括管理している式神もいますが、わたくしに任されたのは賀茂家が管理している鬼。
その鬼は暴威の化身。全てを破壊し尽くす災害そのもの。その制御と使うタイミングは細心の注意を払えと教わり、契約してからその意味を真の意味で理解しました。持っていかれる霊気の量の膨大さ、少しでも気を抜くと制御を抜けて暴れようとする気質の荒さ。その強すぎる力から使える場面がほぼほぼ存在しないために修行の時間のほとんどを制御に回しました。それほどに扱い難い式神だったのです。
指示はあまり聞かず暴れて建物を壊し。人を襲いかけ。あまつさえ指示も聞かずにただ棒立ちをするだけの時もあり。でもわたくしはこの鬼を制御しなければならなかった。コウ君はまだきちんとした式神を受け取っておらず、もし同じような暴威が現れた時に身を挺して守るために。
時には霊気を持っていかれすぎて失神し。時には共感覚の呪いを受けて同じような傷を負い。時にはこちらに牙を剥いたこともあったけど、様々な人の協力も得て十三歳の時には完璧な制御ができるようになっていましたわ。これで堂々とコウ君の隣に居られる。胸を張って言えるようになるまでだいぶかかりましたが、それでも彼を孤独にしなかったというのはわたくしの小さな誇りです。
コウ君はその実力と家柄から孤立しがちでした。近寄ってくる相手は全員が土御門という大きすぎる名前を見て判断する俗物ばかり。誰も一千年前にかけられた狐の呪いを解くために奮闘している姿など認めず、大人は天才と煽てて胡麻擂りを。またはただの家柄に恵まれただけの子どもだとして早熟なのは当たり前だと見下し。
子どもであってもどうしてもその立場が邪魔して、おべっかを使う取り巻きはできても友達はできず。彼に恋する女の子はやっぱり家柄を見てか、親に言われて玉の輿狙いか、時たま本当に恋していたか。
でもコウ君は彼女を作らなかった。わたくしという婚約者がいるから、ではないでしょう。純粋に彼に見合う女の子がいなかっただけ。だって彼の隣には呪術師として優れていなければ立てない。彼の両肩には、日本の未来が掛かっているのだから。日本を守るべきは土御門──いや、違う。賀茂家は陰陽師の真の始祖。真に頂点に立つべきは賀茂家で、今代では弟であるべきなのだ。彼との婚約だって、その橋渡しのため。
わたくしですら、彼には認めてもらえない。一度も好きだと言われたことがないのだから、きっと彼はわたくしのことを好きではないのでしょう。いつかあの人にとって本当に好きな人が現れて。婚約を解消されて。そうして両家の絆も終わって。
この片想いに終止符を打って、賀茂としてまた歩き出せばいい。その後は弟を支えればいい。それが長子としてできること。できれば結婚相手もそれなりの家の誰かが好ましいのですが。
そんなことを悟ってしまった折。休日のある日、弟が唐突にこんな申し出をしてきた。二人とも特に用事がなかったために、問題はないのだけど。
「出かけませんか?姉様。誰にも邪魔されず、二人で」
わたくしがあまり出かけないことを気にしてか、そんな提案をされた。弟と二人で出かけるというのはその日が初めてだった。わたくしは基本的に外出を許されておらず、学校以外に外出をしたことは何かしらの修行に魑魅魍魎を狩りに行くか、茨木童子を暴れさせるために広い場所を求めてくらい。
それ以外は家で呪術の勉学をしたり、様々な作法を学んだり。財力があったために、外に出る必要性があまりなかったと言えますわ。家で物事が完結いたしますし、あとは精々土御門家か呪術省へ行くぐらいしか用事がありませんもの。
京都の街並みを、昔から綿々と続く古都らしさを残す通りを二人で歩く。わたくしも弟も、学校は家の者が送り迎えをするので、こうして街並みを当てもなく歩くというのは新鮮なことでした。
これなら確かに、気分転換となるでしょう。弟は一人で歩くのが怖いのか、わたくしの手を硬く握る。まるではぐれるのが怖いかのように。そういうところは年相応なのだなと思いましたわ。可愛らしいとも。
そんな弟は、街並みを見回しながら、いきなりこんなことを聞いてきました。わたくしの顔を覗き込むように、不安そうな表情で。
「姉様。最近嫌なことでもあったのですか?」
「あら、どうして?わたくしどこか変?」
「はい。いつにも増して、顔色がよろしくありません」
「……身内だから良いものの。そういうことは女性に言ってはいけませんよ」
女性に向かって顔色が悪いなど。そういう時はきっと機嫌が悪いのだと思って流しなさい。足取りがしっかりしていれば体調不良ではないのですから、わざわざ首を突っ込むことではないというのに。
「女性の体調は常に気に掛けろと習いましたが」
「いつもにも増して、とか。顔色とか。もう少し言葉を選びなさい」
「これでも純粋な心配なのですが」
「ではなおさら悪いですわね。他の女性に言う際にはもっと柔らかい言葉を使いなさい」
そう言われたのが不満なのか、弟は頬を膨らませながらわたくしから目を逸らします。あら、可愛くない。
「……姉様。女の人に身体を調べられているでしょう?どこか悪いのではありませんか?」
「ああ、そういうこと。あの方は主治医ですもの。わたくしに何かあったら困ると、父上のお節介ですわ」
「やはり父上の息の根がかかった者ですか……」
「なんですか、その物言いは。父上に何か文句でもあるの?」
「ええ。僕は父上のことを信用していませんから。姉様にしたことを考えれば、当然です」
わたくしに仕出かしたこと?何を言っているのかしら、この子は。父上はいつだってわたくしに便宜を図ってくれましたわ。わたくしがワガママを言うような性格ではなかったためにそこまで苦労はかけさせていないはずですが、父上の方が何かをしたと?
修行の時くらいしかまともに話したことはありませんが、厳格な良い父上だと思いますわ。忙しいから家族としての時間が取れないことは仕方がありませんし、叔父様が亡くなったことで引き継いだ賀茂家の財産などたくさんあるのでしょう。それらを纏めるのは一苦労だったはず。
それ以外でわたくしが受けた仕打ちなど何かあったかしら?
「姉様、本当にわかりませんか?……僕はこうして、あなたと出かけたことはありません。光陰様すら、あなたを外に呼び出せなかったのです。僕がこうして、誰にも邪魔されずに呼び出せるわけがないんです」
「……何を、言っているの?今、こうして屋敷の外に出ているじゃない」
弟の顔が、歪む。それは悲しいという感情の現れでもあったのだろうけど、物理的にも、形を崩していく。
「今とは、いつです?」
「今は……。いえ、これは過去の記憶のはず。たぶん、中学に入る前の……」
「はい。その頃を想定しています。ですが、僕と姉上は、接触禁止だったでしょう?」
「接触、禁止?」
繋がれた手も、解けてしまう。そうだ、わたくしは食事の席でも孤独だった。父上とだけではない。誰も彼も、わたくしに会いに来るどころか避けていたではないか。手はおろか、その肌に触れたことすらなかった。
わたくしは、血の繋がった弟の体温すら知りはしなかった。
誰かの暖かさなど、微塵も知りはしなかった。
誰かと、あの家で話をしたのはいつが最後だったか。
「姉様。僕はある人が間に合うまでの時間稼ぎです。……真の泰山府君祭はまだ解明できていないために、霊として現世に留めるのが関の山でしょう。だから、選んでください。式神として過ごすか、賀茂静香として終わりを迎えるか。……僕としては、これ以上姉様は苦しまなくて良いと思います」
「お、わり?苦しむ?」
「真実を知ることだけが全てではないんです。知らなくても良いこともある。……もう、賀茂に縛られなくて良いんですよ」
泡沫の夢のように、周りの景色が崩れていく。上も下もわからぬように、身体が宙に投げ出される。弟だと思っていた存在すらも、陽炎のように揺らいでいく。
それこそが、わたくしの世界だというように。
「ま、待って!この虚無感は何⁉︎わたくしは……!」
「姉様。僕の名前、覚えていますか?」
「あなたの、名前は──⁉︎」
どうして?たった一人の弟なのに。半分しか血が繋がっていないとはいえ、三つ下の弟の名前を、どうしてわたくしは……?
過去の姿も今の姿も、名前も趣味も好きなことも。何も思い浮かばない。
気付いた時、わたくしの中には。コウ君以外との思い出が何も残っていないのだと打ち付けられて。それが心に空いた孔だとわかっても、失ったものは何一つこの手に掴めず。
自意識は、常闇に飲み込まれていった。
次も二日後に投稿します。
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