3ー3ー1 組織と怪異と人間と
賀茂家。
見付けましたわ!あの下半身が馬のような怪異と共に、ヴェルが!何故か上半身が黒い肌の人間のような怪異は左腕に那須を掴んでいて、足元には難波の狼がいましたが。まさか何もできず、連行されている?
結局、引きこもりにはその程度のことしかできないのでしょう。命乞いで難波も助けてもらったに違いありません。そうでなければ、あの小憎たらしい女が無言で捕まっているはずもありませんわ。霊気がちょっと多くて髪と瞳が変色している程度で式神を預けてもらっている分家の娘。術式の制御もろくにできず、実践では役に立たない才能の持ち腐れ。
あの狼も以前術比べで負けたので苦手意識はありますが。今戦えば負けるはずがありません。プロの資格も得ないような腰抜けが使役する式神なぞに負けるはずがないのですから。この世界は実力が全て。実力の指標はプロの階級のみ。何も段位を持っていない者たちが、ライセンス持ちに勝てるはずがありません。
わたくしの他にも二十人ほどの人間がここに来ていたようですが、全員地面に伏しています。全く、プロだとしたら情けない。誰も死んではいないようですが、戦えそうにありませんね。
『なんじゃ、来たのか。やめておけば良いのにのう』
『貴様が殺しておかないからだぞ。何の矜持か知らぬが、邪魔なら殺せ。貴様の道楽で些末事が増えるのは苛立つ』
『矜持じゃなくて愉しみなのじゃが。まあ、ええわ。お嬢さん、戦ってやるのじゃ。さっきは優先事があったんでのう』
「賀茂さん、逃げてください!あなたじゃ敵いません!」
はっ。捕まったお姫様はよく囀りますわ。わたくしでは敵わない?それが理由になりますか。こうやって人間に仇なす存在を目の前にして逃げるなど、賀茂家の長子として名折れもいいところ。
たとえ敵わなくても倒すという気概でなくて、どうして京都を守護できましょうか。
わたくしが周りの声を無視して呪符を取り出すと、難波の狼が近づいて来ましたわ。邪魔をしないで欲しいのだけれど。
『賀茂のお嬢さん。あの茨木童子を出すつもりか?絶対に負けるからよした方がいいですぜ。そんなにあの女を倒したいのなら、ウチの坊ちゃんを連れて来てください。万全な状態で。そうすればなんとかなるかもしれません』
「あの引き篭もりに頼れと⁉︎嫌ですわ!あんな土御門に反旗を翻した男に頼るつもりなど毛頭ありません!」
『……あー。ヴェル何某さん?もしかして何かやったんすか?』
『まあ、憎悪の増幅とか印象操作とか軽い暗示を少々じゃな。邪魔されたからムカついたんじゃ』
何かゴチャゴチャ話していますが、狼が呆れた顔で帰っていくのを見てわたくしは呪符に霊気を込めます。頭の奥が痛み出しますが、この程度の霊気の消耗で限界が来るはずありませんわ。だからきっと、気のせい。
「来なさい!茨木童子!」
『いやー、二回目でも笑えるのう。茨木童子は法師の式神じゃろ。名前を偽られた可哀想な鬼さんや。本当の名はなんと言う?』
現れた茨木童子に、無遠慮に触れるヴェル。それを振り払おうともしない茨木童子にさらに頭が沸騰します。あなたは賀茂に仕える鬼でしょう!戦えない式神は必要ない!何の為に呼び出したと思っているのか!
この苛立ちを、そのまま包み隠さずぶつける。
「何をしているんですか、茨木童子!その女を倒しなさい!」
『倒すぅ?殺す気ないんじゃの。妖も殺した事ないんか。魑魅魍魎を倒していただけで調子に乗っている箱入り娘は困るのう。この鬼、梅華ってゆうらしいぞ?真名がわかって良かったのう』
「何を言って……!」
『ん?本当に茨木童子と思い込んでた?まさか家でそういう認識を植え込まれたのかのう?』
いつの間にか目の前に来ていたヴェル。そして彼女の左手から伸びる爪が、わたくしの頭に突き刺さっていた。
痛みはない。ただあるのは、感じたことのない浮遊感だけ。
那須の、息を呑むような呆気に取られた顔が嫌に目に焼きつく。
『あー……?なんじゃこれ?幼少期からの洗脳教育による星見の開発?脳もかなり弄ってるのう。これ、純粋な人間とは呼べなくない?胎児の時点で弄ってるのう。霊気の取得のために母体にかなり負担をかけて……。胎盤の中から呪術漬けにして最強の陰陽師を産み出す?しかも母体にすら負荷かけて、疑問に思わないように母体も洗脳?うっぇ。ここまで人間がするぅ?正直ドン引きなんじゃけど』
目の前の女が何か言っている。だけど、その音を正しくわたくしの耳が拾わない。
『産まれから弄るなど、できるのか?』
『陰陽術って、特に呪術は人体にかなり精通してないと意味ないからのう。んで、霊気を強制的に流し込むことで人体改造は可能じゃ。まあ、身体のどこかがイカれたり、まともな思考能力がなくなったり、そもそも死産したりするんじゃが。運良く成功した個体、ということじゃ。呪術師としての壁に行き詰まってここまでやるとは、悍ましいのう、人間は』
「それ、人間としてはまともになるんですか……?」
『一定期間ごとに誰かが調整をすれば、表面上は人間として生活できるじゃろう。ここ最近、昨日にも調整を受けておる。じゃが、もちろん不具合も出る。基本問題が出ないようにとある男の子に従順になるように思考誘導がされておるし、もし不具合で変な行動、思考をしたとしても調整でその記憶を消しているのじゃ。そのせいで記憶野はズタボロ。どの記憶が正しいかの判別もつかぬし、記憶も飛び放題、これ、もう人間とは呼べぬぞ?しかも調整とは別に、思い付く強化策を実験のようにとにかく組み込まれておる。身体に呪具まで埋め込まれておるのう。おなごにすることではあるまい』
「賀茂家はそこまでしていたんですか……」
あの怪異も、引き篭もりの金魚の糞も口が動いている。なのに、頭に何も入ってこない。
『これ、星見の兆候が出るわけなかろう。あれは自然を知覚することが最重要なのに、そこを人為的な思考で埋め尽くされておる。自然を感じるどころか、風すらまともに感じられないんじゃなかろうか?霊気を感じ取っても、それは陰陽師としてちょっと感覚が鋭い程度じゃしのう。身体の中で複数の呪具が混ざり合って変な効果を出しておらんか?むしろマイナスの効果が出とるような……。今のこやつ、痛みも何も感じておらんぞ?』
『……人間としての五感すら、まともに機能していないってことですかい?』
『そうじゃ。こんなの、陰陽術が使えて外見を整えただけの、人間擬きじゃよ。ただ術式を稼働させるだけの、人形じゃ。脳も身体も弄られて、心すら弄られている生き物をまともな生物と呼べるのかのう?わっちはそうは思わん。こやつと土御門は増幅させやすい感情があったからちょっと弄ったのじゃが、ここまでとは』
「まさか、土御門も?」
『それはないとは思うんじゃが。あっちは人間じゃと思う、うん。……やめじゃやめじゃ。これを喰らうのは矜持に反する。こんな不味いもん喰いとうない』
爪が引き抜かれる。それでもまだ頭の中に空白が漂ったまま。刺された所へ手を当てるが、出血はない。
頭の中で何かが明滅する。わたしは、この身体は。何をすべきだ。最優先事項は?目の前に妖がいる。あれは人類の敵だ。あれを打ち倒せ。土御門に遅れを取らないように──。
たとえこの身体が壊れようと。正義の味方であれ。魑魅魍魎も妖も難波も敵だ。敵は呪術師の敵だ。呪術省の敵だ。賀茂家の敵だ。土御門にも呪術師の頂点たる称号は与えない。そこに相応しいのは。
本当の陰陽師の始祖は、賀茂だということを証明しなければならない──!
そのために必要なことは、身体が覚えている。脳が働かなくても、それは実行できる。霊気を通して術を起こせばいい。それで倒せない敵などいないのだから、全てを捨ててでも、行動せよ──。
『あーあ。リミッター外れて霊気が増えた。でも、七段に届くかどうかってくらいじゃの。封印とかで霊気に阻害が起きとる。これじゃいくら弄っても強くなれんじゃろ』
「瞳に光がありません……!賀茂さんはどうなったんですか⁉︎」
『人格なんて無くして、ただの戦闘人形になっちまったんでしょうよ。珠希お嬢さん、目を閉じていてください。難波に仕える者として、あの存在を看過できません』
「銀郎様!」
『……私がやろうか?狼』
『いいえ。あなたじゃ彼女を苦しめるだけでしょう。あっしが、一瞬でやります』
ここにいるのは全員敵だ。何をしてでも破壊する。賀茂の繁栄には、これが邪魔だ──!
何かが、光ったように思える。それが何なのか理解できなかった。視覚で追えなかった。
揺れる視線。崩れる視界。最期に映るのは、狼の泣きそうな顔。
全ての、終焉。
次も二日後に投稿します。
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