5−1 旗はなくとも
撤収準備。
呪術省の眼前では、ほとんどの妖たちが飽きていた。殺しにきた。呪術省を潰しに来た。だというのに一千年前のような闘争ができなかったのだ。
好き勝手やっていた一千年前は良かった。何をしても自由だった。彼らを咎める存在は少なかった。咎められても大事ではなく、精々が口頭注意。妖の本分たるものは自由にこそあった。
だが、鳥羽洛陽から全てが狂った。神からの恩恵をなくした世界は不自由極まりなかった。結局妖も、自由に生きていたとしてもあくまで神の保護があってこその自由だったからだ。
妖は神から別たれた人間とは異なる分岐の一つ。神だって人間のような姿をしていれば、妖のように異形の存在もいる。妖の始まりは神が産み出した失敗作、または動物や人間との間に為した子の成れの果て。もしくは神の堕落した姿。それが妖のルーツだ。そんな最初の存在たちが子を為した血族たちがこの場にいる妖たち。
その妖たちだって、神の恩寵あってこその存在。その神が下界から撤退すれば、今までのように暴れていられなかった。人間同様に妖も力を失い、日本はか弱く変質していく。強大な力は見るからに衰退し、張り合いがなくなってしまった。理解者もおらず、ただ追われるだけの日々。追われても、弱すぎて殺すのも食すのも違うと感じて。
人から距離を取って、新しい生き方を模索して。それでも人里にたまに現れて。
世界が、少しだけ戻って。それに歓喜して。
人間も同じように変質していて。つまらなくなってしまった。それだけのこと。
一方人間たちは頑張っていた。鬼の混血軍団を相手にしても一歩も退かず、蘆屋道満という最高峰の陰陽師を相手に複数でかかっているとはいえ拮抗して、今も鬼二匹と五神たちが殴り合っていた。
伊吹山の龍と青竜は戦いに満足したのか、空で休んでいる。
「ふむ。すまないな、陰陽師諸君。タイムリミットというやつだ」
「タイムリミット?我々はまだ負けていない!心根も折れていないぞ!」
「それでも時間なのだよ。君たちの気持ちも、気力も、力も、どんな状態でも関係ない。我らが姫が、全ての準備を終わらせた。この戦いに終わりを告げる鐘を鳴らしてくれる」
「……瑞穂さん⁉︎」
「そう。裏・天海家第十二代当主、天海瑞穂が呪術省の中枢を貶めて頂上へ到達した。今やその天逆鉾はもぬけの殻だ。力を失ったただの筒だよ」
その事実に気付いて、式神の五神たちは戦いをやめてしまう。鬼二匹も下がって道満の元まで。
式神たちは伊達に安倍晴明の式神だったわけではない。霊脈の唸り、龍脈の鼓動を見れば何をしようとしているのか察しもつく。その状態に陥った時点で、呪術省は効力を失っていることも。
同じことに気付いた星斗も郭を下げる。姫と呼ばれる瑞穂の実力も、目の前の道満の実力も理解していた。そんな傑物たちが無駄なことをするはずがないと。無策で呪術省を攻めるはずもないと。
ある種の信頼だ。このタイミングで仕掛ける理由があるはずと。呪術省を潰すだけなら、目の前の戦力を集めればいつだってできたのに、今日という日を選んだことには、必ず何かがあるはずと。
「ああ、何。絶望することはないさ。君たちの役目は大きく変わらないだろう。ちょっと街に妖と神が入り込み、普段の生活としては呪術犯罪者を追いかけたり魑魅魍魎を狩ればいいだけ。少々常識が崩れるだけだ。むしろ君たちが彼女や妖と話し合って新しいルールを決めたまえ。それが真っ当な秩序であれば、みな納得するだろう」
「あなたは、決めないのですか?」
「私も扱いは呪術犯罪者だろう。だが、あの子は違う。むしろ呪術省の被害者だ。それに一千年前の亡霊が、今さら遠い未来を望んで口を出そうとも思わない。未来は君たちの手で作りたまえ。私はその補助をしたに過ぎない」
『ここまでやっておいて補助かよ?』
「私の立ち位置としては人間、妖、神。そして狭間の者たち。全ての間に立つ仲介人だ。人間主導の、継ぎ接ぎだらけの天秤を壊すところまではやろう。これは晴明の尻拭いだ。私の役割も後ひとつ。天秤の再構築は含まれないだろう」
そう、道満は自身をしっかり定義していた。一千年かけて変質したものを、鳥羽洛陽の前まで戻すこと。そのために一千年奔走してきた。それ以上は道満の仕事ではない。
いわば橋渡し。
道満自体、悪名が蔓延っている。そんな存在が政治に口を出したら反感を食らうのは目に見えている。
それに比べて、姫はかなり都合が良い。十七年前のアイドルであり、容姿も充分以上。陰陽師として最高峰の実力に、天海という陰陽師の中でも有名な家系の分家。そこの元当主。悲劇的なドラマもあり、集客性は完璧だった。
そんな少女が訴えかけるのだ。呪術省の悪評を。間違っているあれこれを。
「外道丸。彼らに撤収準備を。宴は終わりだ」
『はいよ。狭間の者として、茉莉をその会合にぶっ込んで良いだろ?』
「妖の代表はお前がやるか?」
『冗談。もっと適役がいんだろ。それに現状オレは式神だぜ?』
「それもそうか。後で選んでおこう。大天狗様にもご足労願わなければな」
「道満様。人間代表は瑞穂殿が務めるのでしょうか?」
星斗が尋ねる。そうしたら結局道満サイドの存在しかいないことになってしまう。それは力による支配だ。恐怖政治となんら変わらない。
そうなったら人間の安全性が保てるかわからなかったので尋ねたが、道満は小さく笑う。
「それでは公平ではないだろう。君たち難波が好きな言葉で言うなら、天秤に不純物が混ざる。半人半妖と妖の存在はどうしても私の思想寄りになってしまうだろう。それは呪術省の努力不足なので諦めてほしい。その場に瑞穂も同席させるが、あくまで仲介人にさせるつもりだ。世論はどう動くか、知らないがね?」
(策士だな)
結局投票権の多くを道満側が持つことになる。法治国家、民主主義である以上国民の声は大きい。急遽選定された人選だったとしたら余計に国民の声を無視できない。民あっての国だ。
呪術省という枠組みがなくなろうが、プロの陰陽師の仕事が変わらなければ公務員であることに変わりない。公務員を纏めることと同義の会合が国民の声を全て無視するわけにもいかないだろう。
そうなると、人間の代表が誰になるかにかかってくる。大変な役割だが、誰かしらがやらなければならない。そして、それはいまの呪術大臣ではないということも分かり切っていた。
「一応言っておくが。神の代表は私と同じ意見とは限らないからな?人間が気に入らなければ五月のように襲ってくるだろう。あの方々には私にも思い当たらないような崇高なる思考をされている可能性がある。私の温厚な意見に耳を傾けてくれるかは、私の埒外というわけだ」
「……日本人の未来は、人間代表と瑞穂殿に託されたということですね」
「悪いようにはならないだろう。神にも負い目はある。それと同等か、もしくは上回るほどの非が人間にはあるかもしれない。尺度の異なる相手だ。気を付けるように」
星斗はそうなる人物に心の中で合掌した。
そして、日本はその放送を聞く。
見たこともない規模の術式が、京都を超えて発動した。これを見たら彼女に歯向かおうと思う輩は綺麗さっぱりいなくなるだろう。
日本全国に影響を及ぼす術式を使える相手に、喧嘩を売る方が間違っているのだから。
次も三日後に投稿します。
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