4−4 聖女の歩み
「婆や」と未来。
エスカレータで昇る。ひたすら上へ。二つの塔が指し示す天へ向かって。
横には気絶したままの呪術大臣を乗せた蝶形の簡易式神。あんな場所で寝ているよりも、隣でその絶望する姿を見ておきたいから連れてきた。
呪術省の建物は公式に二十五階しか存在しない。そこから上は螺旋階段になっていて屋上に続いている。この螺旋階段が面倒で、屋上へ行く人は少ない。ちゃんと数えたことはないけど、三百段以上あるんじゃないかしら。
屋上へ直結するエレベーターもエスカレーターもなし。二十五階に着いたら、あとは自力で昇るしかない。呪術省の上から京都を一望するのは純粋に褒められる絶景だけど、労力に見合うかどうか。一般開放されているのは三階までだから、関係者しか来られない場所だし。
そんな階段を登って行く。陰陽術で飛べば楽なのだけど、外はまだ頑張っているみたいだからちょっとした抵抗。あの人も遊びたいだろうから。
そうして半分ぐらい登ったあたりで、簡易式神に待機を命じる。建物に沿って作られている螺旋階段。だけどこれは偽装に過ぎない。この空洞には理由がある。呪術省が隠しておきたい存在が、そこにいる。
空へ、足を踏み出す。足場はないので実際に行くとなったら足場を作るか、式神を呼んで背中に乗る必要がある。ここの存在を知っているのはどれだけいるだろうか。外装は周りの風景に馴染むような特殊素材を用いて、空中に建物があるということすら認識できない人が大半だろう。
中にいる彼女が霊気を完全に抑えていることもそうだが、建造に使われている物に霊気が一切関わっていないので陰陽師でもここに何かがあるとは思わないだろう。よく注視しないと、建物の風景が若干ずれていると気付かない。屋上を目指す分にはこの中間地点なんて気にしないし、ここに何かあると疑わなければズレなんて目の錯覚程度にしか思わないだろう。
この螺旋階段を作っている理由がわからないと何度か疑問に思われていたが、この空白にきちんと理由があるなんて思わないだろう。調査もできない場所のことは、謎のままでいい。こんな場所、入り込める人が限られているから謎は謎のまま埋れてしまう。
こんな場所に星見が幽閉されているなんて誰が気付くのか。それこそ星見でもなければ気付きもしないだろう。
その建物の、扉を開ける。入るためにはマスターキーとか陰陽術による解除とか要らない。必要としないんでしょう。存在そのものが秘匿されている。それこそが鍵になるんだから。
中は殺風景な、置物が何もない広い部屋。白い壁で囲まれた箱のよう。玄関の奥に大きな十五畳くらいの部屋があるだけの、まさしく存在するだけの場所。生活臭もせず、神の御座のように下界から切り離されたかのような、神聖な場所。
そこがある人の監禁部屋だなんて。まるで天岩戸みたい。
玄関を素通りして、その人と対面する。
床に座り込んだ赤光色のお狐様。全長は二メートルほどあるだろうか。九尾の、神気溢れる御方だった。
「初めまして。『婆や』。天海瑞穂です」
『よく来ましたね、天海の末裔。正当後継者。道満の、付添人』
随分とゆっくりとされた話し方だ。初めてお会いするけど、聞いていた話とは違って驚いている。あと、すごく毛並の揃った尻尾とかとても柔らかそう。…………はっ。不敬よ、わたし。この胸の高まりは抑えないと。
「てっきり人のお姿をされているのかと。そう伝え聞いておりましたので」
『呪術省の人間相手ならそうしたのじゃ。けれどあなた相手に姿を調整する必要もなし。ただの狐憑きの女と、狐が本性の魔。どちらが警戒心を削ぐかという話じゃよ』
「こちらが本当の姿だと、知らないのですか?」
『そもそも、どの姿が正解か、測りかねておるのでのう』
わたしが立ったままだと視線が高い。そう思ってその場に正座する。これでわたしの方が下になった。
呪術省はこの方のために祭壇を用意するとか、できなかったのかしら?神殿でもいいけど、こんな何もない部屋を用意して、都合の良い時だけアテにして。
この方がそういったことに無頓着だから神罰も落ちないわけだけど。この光景を難波の人々やわたしの親族が見たら発狂するんじゃないかな。それだけで呪術省潰しに来そう。
「『婆や』とは呪術省に付けられた仮初めの名称でしょう?真名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
『おや。道満からは?』
「珍しいことにあの人も知らないと。直接聞くべき理由があるのではとも思いましたが、本当に彼は知らないようで」
『教えてなかったからのう。とはいえ、語るべき名もなし。「婆や」のままで良いのじゃ』
「……与えられなかったのですか?」
その真実に、わたしは喫驚してしまう。まさかという思いだ。名は全てに通づる。その存在を固定するための楔。その楔があやふやで、他者から付けられた仮の名を元にしているなんて。
あの方が名付けなかったことにはきっと意味がある。そう思って考えを巡らせ、すぐに思いつく。
「鳥羽洛陽に即して?」
『もう二つ』
「あの方のお力が、絶大過ぎたから。名を与えることで、あなたの存在が日ノ本へ与える影響を危惧した」
『あと一つ』
「……あなたに、自由に生きてもらいたかったから」
『花丸をあげるのじゃ。流石に造詣が深い。道満に教えてもらったのかのう?』
「あの人は、あの方についてあまり話されませんでした。どちらかといえば晴明様のことばかり」
『あやつらしい』
「婆や」は美しく微笑む。その笑みがあの方に瓜二つで。だからこそ、こんな所に閉じ込められていることが遣る瀬無くて。
自由に生きて欲しいと願われたのに、ここに居る。何一つ自由じゃない。
『あなたが来たということは、この塔も解体されるのかのう。最近は未来が待ち遠しくて、何もせずに過ごしてきたから楽しみじゃ』
「ここをわたしたちが掌握したら、また外へ歩かれますか?そのお姿で歩かれても問題ない世の中に変えてみせますが」
『待つ。その選択こそ自由じゃろうて。未来しか視る眼がなくとも、外のことは視て取れる。退屈はしないのじゃ』
「そうですか」
自由。その言葉の定義はいくつもあるだろう。わたしの目から見て今の置かれている状況は自由と思えないが、これがこの方にとって自由であるというのなら、口出しできない。する権利が、わたしにはない。
「もし何か不都合がありましたらすぐに連絡を。道満も心配するでしょうし、何でも用意しますので」
『とはいえ娯楽が必要なわけでもなし。食事も要らぬ身で欲しい物……。即物的ではないから思いつかぬ』
「わかりました。これからはわたしたちもここに滞在するので、何かご入用でしたら飛んで参ります」
『道満を話し相手にして暇を潰すやもしれぬ。それで十分じゃ』
じゃああの人に全部投げよう。何を言われようが意気揚々とお世話をされるだろう。どうせ表の雑務はわたしたちに任せるつもりでしょうし。
『ここに来たのは顔を見たいから、以外にもこれからのことを聞きたかったのじゃろう?お墨付きが欲しかった、そんなところかのう』
「お見通しですね。……わたしは死者です。恐れているものはありません。……わたしのことについては、ですが」
『道満のことか。全く難儀な娘じゃ。あの偏屈に惚れるなど、険しい道を歩むものじゃ』
「大変ですが、楽しくもありますよ?……わたしはあの人の式神なので、あの人とともに消滅します。あの世へ行くことでしょう。誰かに契約を求められても、受けるつもりはありません。……そしてあの人は、間も無く終わりを迎える。それを、受け入れている」
『やれることは終わっておるからのう。残っている仕事もあと一つ。それが嫌だと?永遠の命なぞ、神にしか与えられぬ。そして永遠は孤独じゃ。共にするものがいなければ、苦痛でしかない』
神は神という超越者だからこそ、永遠に生きても何も問題を起こさない。磨耗する精神が存在しない。磨耗するという考えがない。不変だからこそ、命すらも不変。土地神のように力が制限されなければ、成長もせず腐敗もしない。
だが、人間に永遠は過ぎたものだ。心が追いつかず、朽ちていく。神のように永遠に存在できるように魂が、肉体が定義されていない。その点だけで言えば妖は神に近しい。神のように永遠を生きられる肉体と魂を持ち、それを受け入れている。下界で永遠を生きられる超越した存在としては、人間よりも遙かに完成した存在だ。
あの人も人間であることには変わりない。使命に駆られてやるべきことをこなして、息抜きもして様々なことに手を出して、それでようやく一千年だ。そして終わりが見えているからこそできたこと。終わりが見えていなかったら、あの人でも不可能だっただろう。
そもそもあの人は、そんなに強い人ではないから。だから人の温もりを求めてしまう。自分が人間だと再確認するために、人と交わろうとする。それはある意味の防衛本能だ。定義を崩さないために、己にかけた自己暗示だ。
その最後の防波堤が崩れれば、あの人は陽炎のように消えてしまう。楔を無くして彷徨ってしまう。あの人が未来を視て外していたらそうなっていたかもしれない。それほど脆い人だから。
『ああ、だからあなたはあの人と共にいるのか。消える時に、一緒に消えることで、寂しがられないように。全く、できた女じゃ。偕老同穴じゃったか。それを為そうと言うのなら止めはせぬ。最後の妻には随分と恵まれたようじゃ』
「あの人はただの遊び相手としか認識していないでしょうね」
『その辺り後でしっかり聞いてみるといい。面白い答えが帰ってきそうじゃ』
どうだろう。ただ寂しさを紛らわせているだけのような気がする。わたしである理由が、見当たらない。
あの人のことを、おそらく「婆や」は視ていない。未来を視る必要がなくなったんだろう。それにこの方を巻き込むのは間違っている。この方はこの方なりに生きておられる。そこにあの人のことを背負わせるのは違う。
背負うのはわたしだけでいい。
「『婆や』、ありがとうございました。聞きたいことは聞けました」
『そう?そっちも色々立て込んでるのかのう。……して、なぜ未来視しかできないのか見当がついたかのう?』
「てっきり呪術省を誤魔化すための方便かと思いましたが」
『いやいや。これがさっぱり未来視しか出来んのじゃ』
この方が?九尾たる、この世の頂点である存在が、そんな風に能力が制限されるなんて事態、あるのだろうか。
名を与えられなかったということも関係しているだろう。それ以外に考えられること。過去視も千里眼も封じられている理由。必要としなかったから?……自ら、封じた?
「あの方々が苦しんでいる姿を視たくなかったから、過去を封じた?あの方々がいない世界を視たくなかったから、現代から眼を逸らした……?未来になら、展望があると信じて」
『やっぱり聡い子は良いのう。そう、幸せな光景なんて眼に映したくなかった。その後の悲劇が辛いから。なら、記憶だけに留めて眼を塞いでしまえば良い。……だから星見としては別格であっても、未来しか視えない』
「……お話ししてくださって、ありがとうございました」
『お行きなさい。その未来は、きっと美しいものだから』
激励もいただいた。進もう。
偽りの世界に、終止符を打たなくては。
次も三日後に投稿します。
感想などお待ちしております。




