2−4−1 とある青年の回想録
先代麒麟の過去。
皆が黒い礼服で着飾っている。それが礼儀だから。死者へのせめてもの報いだから。そういった小さなことしか、生きている人間にはできないから。
やはり私という人間を決定づけるのはここなのだろう。まだ小さな私は父の手を繋いで、最前列にいる。目の前には黒と、そしてあの時の赤と対を為すたくさんの白い花たち。確か、菊と百合の花。葬式では定番だった花。そういう学まではなかったから、多分そうなのだろうという認識しかないが。
遺影として額縁に入っている写真は私の母のもの。あの日帰ったら、すでに亡くなっていた美しき母。父も母も知らなかったようだが、日本ではかなり希少な御魂持ちだった。だからこそ、朱雀に狙われた。彼が求める白い扉──妖精郷への入り口なんて一切知らなかったのに。本当にただの被害者。この葬式の時点では犯人が誰だか、呪術省も警察も把握していなかった。ただの一軒家に監視カメラが付いているわけもなく、星見も駆り出されなかったのだから。
葬式が始まる前に、父が私を抱きしめる。まだ小さい私は、すっぽりと父の胸に納まってしまった。
「父さん、喫茶店頑張るから……。母さんの分まで頑張るから」
当時の私も父にしがみついて泣きじゃくる。たとえ過去が視えていても、母の鮮明な姿を視ることができても、失った悲しみまでは消えてくれない。たとえ未来が視えるとしても、罰せられるとわかっていても、朱雀へのやるせなさと憎しみは消えてくれない。
そんな超常の力を持っていても、心までは癒してくれない。
私はその後順調に成長し、進学して陰陽術の腕を鍛えていった。学生の頃は父が経営する鴨川の喫茶店にお世話になった。従業員の皆さんが優しくて、だからこそ私は母を失っても不貞腐れなかったのだろう。それほど私は人に恵まれた。
先代麒麟が亡くなってからというもの、麒麟の適合者が一切現れなかったので京都の結界は酷い有り様だった。妖はほぼ出入り自由。強い魑魅魍魎も簡単に入ってきて京都が荒れた。百鬼夜行も頻度が多く、魔の時代とも言われる始末。
近似点を用いても影すら召喚できないのだ。土御門の棟梁が麒麟の代行を務めていたが、一切召喚できずに寿命だけ減らす所業。それを知っていても私は早く麒麟になるつもりはなかった。麒麟がそれを望んでいないと知っていたから。
何でそんなことを知っているかと言われたら、幼少期から父の喫茶店にAさんと姫さんがよく来られていたから。私もお二人に陰陽術を教わってだいぶ力が伸びたと思う。
「星見なだけではなく、こうも才能があるとはな。将来が楽しみだ。……こうして二人が座っていると兄妹みたいだな?」
「今あたしを下にしましたよね?いや、見た目からしたら仕方がないんやけど」
私は姫さんの過去を知っている。視てしまった。そのことはすでに伝えてある。呪術省に期待していないこともこのことからだ。一千年前の真実も知っている。この方々がやろうとしていることを支えることが日本のためになるということをわかっている人たちはどれだけいるのか。
「A様、また難波にちょっかいを出したのですか?」
「おや、それも耳に届いていたか。将来有望な子に唾をつけようと思うことの何が間違っているのかね?」
「あの地が特殊だからおかしなことではありませんが。それで難波君に反感を買ったらどうします?」
「そうはならないさ。彼は確実に私たちの力になってくれる」
その言葉は正しかった。今彼と彼女はこの戦線に赴いている。自分たちの意思で、目的のために。それほど彼が彼女のことを大事に思っている証左だろう。三年ほど見守ってきたから彼らの関係はよくわかっている。とても強く結ばれている二人を、微笑ましく裏から手を差し伸ばすだけ。
そんな交流もあって十七歳になった頃。個人的に魑魅魍魎を狩ったりしていた頃、姫さん一人で私を訪ねてきた。そのことを星見で視ていなかったので驚いたものだ。
「姫さん?どうかされたのですか?」
「ちょっと京都の結界が崩れてきてなあ。玄武が本体で出てきちゃったんよ。その代わりに白虎が貧弱。麒麟も今はあたしが詠んでるから京都の結界のバランスが悪すぎるんよ。だから悪いんやけど、麒麟やってくれへん?」
「ああ、なるほど。あなたの親戚の子は?」
「あの子はあんさんと比べたらまだまだやで?そうしたらまーたバランスが崩れるだけや。せめてあの子らが高校入学するまでは問題なく京都を維持しておきたいんよ」
「そこまでは未来を視ていなかったのですね。その頃自分は麒麟ではありませんよ」
「あれ?」
姫さんは未来視ができないと思い込んでいる。だから私のことなど昔は知らなかったのだろうし、今は視ようともしていないのだろう。今回はA様に頼まれたからと言っていた。あの方は未来を視ていたらしい。
「んー。説得しようと思ってたんやけど。あたしも今のあんさんの実力知りたかったし。どないしよっか?」
「引き受けますよ、麒麟。呪術省には警戒しますが、中にいないとわからないこともある。そういう意味では適任だと思いますよ?間者として」
「あらすんなり」
「それに立場を得ないと会えない人もいますから」
「未来に縛られすぎないように。先代からの助言」
「それはもう。重々承知しておりますよ」
その夏、私は麒麟になった。まだ御影魁人は朱雀になっておらず、他の四神は今の面々と変わらなかった。マユさんは気づいていなかったようだが、玄武は私が本体の麒麟を招び出したことに気付いていた。それと西郷君が妖だと誰も気付いていないことには恐れ入った。
父が住んでいる京都を守るためにも、結界は必要だった。麒麟を辞した後も結界の維持を務めたのはただその一点。当代が不甲斐ないということもあったが、唯一残っている血縁が残っている土地なのだから万全を尽くすのはおかしなことではないだろう。
麒麟は表立って行動することはない。存在を知っているのは呪術省の関係者と一緒に仕事をしたプロ、それに関わった人たちだけ。そういう秘匿性からこっそり京都に様々な術式を仕込む時間も、研究する時間もあった。土地神に挨拶することもしていた。龍脈もこの頃抑えた。
そんなある時、天竜会から仕事が舞い降りる。異能者の能力調査。どういう条件で異能が発動するか。持続時間など、危険性も調査するために最高の陰陽師が派遣されたわけだ。呪術省には身辺警護の任務が入ったということだけ伝えて、京都が緊急時になったらすぐ戻ると伝える。それくらいの自由さはあった。
天竜会の施設、本部に着くと迎えてくれたのは天竜会の会長たる初老の神と、私よりも二つばかり歳上の女性。少し色が抜けた亜麻色のショートヘアにした、スラッとした女性。背丈も女性にしては高いほうだろう。160後半はある。
「麒麟。彼女が例の少女だ。とりあえず一ヶ月、よろしく頼む」
会長はそう言うが、隣の女性は訝しげに私を見る。当時の私は十八歳。高校も中退した、ただの子どもだ。そう見られても仕方がないだろう。霊気も神気も感じ取れない一般人では、私のことは普通の人にしか見えない。
「こんな子どもと、一ヶ月過ごせって言うんですか?男の子だし……」
「子どもで申し訳ありません。ですが、表立って人間の中では、最強であるという自負があります」
「あなたが?……羽原露美です。よろしく」
「麒麟です。本名は規則として名乗れません。申し訳ありません」
それが後に私の妻となる女性との、出会いだった。
次も三日後に投稿します。
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