5-3-1 神の領域に、至ったとしても
妲己再誕。
ようやくだ。ようやく成し遂げた。全ての知識と直感から間違いない。彼女に憑依した存在は間違いなく妲己様。我が国独自の気を持ち、伝承に残された通りの複数の尾を持つ大妖狐。何故日本に渡ったのか、どのように殺されたのかはわからないままだが、天狐に匹敵する力を持つ稀有な存在。
彼女が再誕したも同然なら、これ以上やることはない。あとは世界のテクスチャを覆して真実を知るだけ。
ここまでの道のりは狭く険しいものだった。何度も絶望した。何度も挫けそうになった。それでもあの時のことを思い起こす度に奮い立った。立ち止まれるはずがない。立ち止まってはいけない。あの時の全てが、脳裏に刻み込まれている。
唯一生き残ってしまったのだから、あの惨劇を悲劇のままにしておくことはできない。もっと何か手段はあったはずだと。あの村であった必要性はないと。
その答えを求めて、ひたすら歩いてきた。非道なこともしてきただろう。だが、歩みは止まらない。そこにしか、答えがないから。答えが何よりも、欲しかったから。
その答えを知って、どうなるか。どうなってもいい。その答えがたとえ残酷であってもいい。理由なんてとてつもなく小さいものでも良い。証が欲しいのだ。明かりが欲しいのだ。このちっぽけな三十年と少しの時間を生きてきた、生きてしまった長い時間の道のりに。
とても平らな道のりではなかった。紆余曲折して、なんとも歪だろう。それでも途切れることだけはなかった。どれだけ上り坂があろうと、大きな何かが道を塞いでしまっていても、ここまでは続いてきた。
続いてきた結末がたとえ災厄しかなくても。そこに辿り着かなければならなかった。そうでなければ、この才能も、天狐に助けられた理由も、説明がつかない。
納得がいかないのだ。今の世界の摂理に。それが正しい理ではないと違和感を覚える。寒気がする。喜色の悪い何かが世界を満たしている。そして天秤が崩れる。天秤は均等にならないまま、いつまでも揺れて世界は運営されている。
必要なら天秤を作り直そう。天秤が崩れるきっかけになった出来事を消去しよう。それを成し遂げねば、いつまでも世界は揺れ続ける。この偽りの世界の幸せで満足してしまう。それは悲しいことだ。
世界も人類も、その他の存在も。背負ってみせよう。ただの人間が天に立つ。そして正しい世界を運営してみせよう。
『妲己、なんて久しぶりにその名で呼ばれたわ。日ノ本では名を変えていたもの』
「では何とお呼びすれば?」
『別に変えなくていいわ。それも本当の名だから。……心意気は良いのだけれど……。世界への復讐なんて私はまるで考えていないわ。世界を恨んでも私の息子を奪った愚か者たちに復讐はできない。過去の人間に何かをするような世界にするつもりかしら?』
「死者の存在しない世界、というものも良いかもしれませぬ。それはそれでまた理が崩れそうですが。もっとシンプルに、過去に戻るというのも一考かと」
『あなたにそれができると?』
「あなた様の力がありましたら」
臣下として接する。これには妲己様の力がなければ何もできないため。こちらが神の領域に踏み込もうと、相手が死者であろうと、この一線を守らなければならない。
こちらはお願いをする側なのだ。お願いを聞かせる立場ではない。
『……原理はなんとなく理解できるけど。我が故郷の神仙よ。世界はそうも単純ではないとわかっているであろう?』
「百も承知です。たとえこの命尽きようと、為せばなりませぬ」
『……重症ね。これは悲しむべきなのかしら?それとも喜ぶべきかしら?』
「どちらでも。それが貴方の思うことならば」
身体だけは少女のモノなので、それだけはズレていると思う。だがすでになくなった身体までも再生できるわけではない。その部分だけはお互いに譲歩しなければならないだろう。
『全く。手のかかる子どもが一人、増えたみたいだわ。まあいいでしょう。まずは日ノ本を落とせばいいかしら?』
「順番は問いませぬ。そして全てを落とさずとも構わないでしょう。存外、テクスチャは薄いので」
『てくすちゃ。理ね。まさか後々世界を滅ぼすことになるとは思わなかったわ。そんな力、当時はなかったもの』
世界は滅ぼせなくても国は堕とせた。ようはその繰り返しをせずに途中でやめただけ。今は数こそ増えたが、割合からして愚か者が増えた。むしろ前時代よりも国を堕とすことは簡単かもしれない。
妲己様が生きられていた頃の国は、世界を見ても最も繁栄していた国だ。それを堕とせてしまえる力を持つのに、何を謙遜していられるのか。
『それと。あなたは二つ失敗しているわ。一つは私の魂の定着先をこの娘にしたこと。この娘、中々に良い素質をお持ちだけど、私とは相性が悪いわ。方向性がとんとずれている。まだあそこで気絶している娘の方が相性は良かったわ』
「まだまだ未熟故。申し訳ありませぬ」
平に陳謝する。それを見抜けなかったのはこちらの不手際だし、そんな余裕がなかったとも言える。最適解が近くにいたというのに、別の身体を渡したことは不甲斐ないことだ。それで結果が大きく変わることになったら後悔するだろう。
そして先程後ろから騙し討ちをして気絶させた少年少女を見やる。格別な子どもたちだった。あの子たちは神に近い要素を持っていながらも、基礎は確実に人間のものだ。だというのに拮抗した抵抗を見せた。
だからこそ、惜しい。同士になってほしかった。誰よりも近しい場所にいたのに、わかり合えなかった。そんな子どもたちでさえ、犠牲にしなければならないとは。
そして少女の方を見て納得する。日本という妲己様が住まわれていた土地で産まれた少女。この土地に馴染んでいることもあって、西洋人の少女よりは適性が高いだろう。それと男よりは女の方が相性が良いのも当然で。
だがあの子たちの隙を突くには先に結果を見せるしかなかった。それほどまでに手こずってしまった。相手の手札を全てさらけ出し、その上で圧倒的な暴力で叩きのめしてきたが、それでも最後は持久戦でどうにかしようと行動していた。
それに付き合っていたら失敗していた。そう、失敗するよりは少し不完全でも実行した方が良い。結果はこうして付いてきている。
『日ノ本のことは日ノ本の管理者に任せましょうか。どうも色々起きていて、もうすぐ偽りの天秤も壊れそうだわ。では世界を壊しましょうか』
「はい。ありがとうございます」
『……本当についてくるの?あなた、もう心臓が止まっているじゃない』
「……お気づきでしたか」
『あなたが術者なのだから、こっちには色々とわかってしまうものよ』
そう、この心臓はすでに止まっている。心音もなく、あの時に一度失った命だ。名も知らぬ天狐に助けられ、施しを受けて何故か生き延びていただけ。もうあの時既に、人間としてのリ・ウォンシュンは死んでいる。
無茶をしても大丈夫だった。なにせ心臓が止まっている。普通の人間なら生きているはずがない。だというのに身体は動く。思考はできる。声が出せる。異能が使える。身体は丈夫になった。
人間を、やめてしまった。
生きる屍だった。キョンシーとまるで変わらない。そこに意志があるかどうかの差だ。
そして生き延びていた理由もわかった。天狐が神の力を分けてくださったからだ。その神の力は時間の経過とともに失われていく。ただ生きていく分には人間の寿命と同じだけ猶予があったが、神の力を使えば急速に減っていく。
生き延びた時間を対価に、猛威を奮っていたにすぎない。
『あの子たちが強かったとしても。その対価を全て使い切っては意味がないでしょう?世界を変えようとした者が、変わった世界を見れなくてどうするの?』
「ご心配おかけしましたが、この肉体が保てなくても問題はありませぬ。魂はきちんと、御座に保管されますので」
『そう。魂だけになってしまったら、誰かが呼ばない限り永遠に孤独よ?』
「いいのです。全てを知っておりましたから」
そう言うと、妲己様は何故か身体ごと包んでくれた。尻尾も使って身体全てが埋め尽くされていた。
こうして暖かい肌に触れるのはいつぶりか。もう遠き昔日のことで思い出せそうもない。
『頑張ったわね。あなたは調停者としての仕事を全うしました。あとは真実を知る時まで、休みなさい』
その言葉を聞いて、急に瞼が重くなる。その動きにまるで抵抗ができなかった。妲己様に何かされた気配はない。ただ、限界なだけだ。もう少し、大丈夫だと思っていたのだが。
降りてくる瞼を、止めることはできなかった。
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『無理をし過ぎよ。身を滅ぼすとわかっていて、突き進むしかできなかった憐れな子』
妲己──葛の葉は崩れ落ちたリ・ウォンシュンの身体をそっと地面に下ろして、彼の冥福を祈った。とはいえ身体が限界を迎えただけで、魂は彼の言う通り中国の御座に向かったのを確認したが。
出るところが全く出ていない、生前の身体とはまるで違う身体を借りながら木にぶつかって気絶している明たちに近付く。
頭を撫でても、起きる様子はない。それを見て、二人の寝顔を見て微笑んでいた。
『あなたたちも頑張ったわね。きっとこれからも困難な道が待っているでしょう。それが難波の行く末なのだから。でも、あなたたち二人なら。きっと乗り越えられるわ』
そう言って、名残惜しそうに手を放す。そして近付いてきた存在へ振り返ってお願いをした。
『さあ、金蘭。この子の身体から離して頂戴?私はまだ休んでいた方が良いし、この子にもこの子の人生があるのだから』
「はい。お婆様」
『……その呼び名だけは、納得できないのよねえ』
次も三日後に投稿します。
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