3-2 嵐襲来
千里眼。
瑠姫に確認を取ってミクが眠ったのを確認してから学校の外に出た。ゴンと一緒だというのは昔からだが、ミクと一緒に京都の夜の街を歩いていないというのは初めてだ。日課が崩れると途端に心の中がぽっかり空いたように寂しくなる。
祐介もいないとなると本当の意味で一人というのは久しぶりだ。脇にはゴンがいるが、なんというかゴンは兄弟に近い部分があるので、いない方がおかしいというか。
京都の街はいつもと変わらない賑やかさを保っている。結局人間は順応するものだ。プロの陰陽師という戦闘のプロが百人近く殺されたというのに、恐怖の夜を平然と一般人が歩いている。
酒でも入っているのか、顔を赤くした黒スーツの男性二人が肩を組んで歩いている。着物で着飾った舞子さんが男性と仲睦まじく寄り添っている。年若いカップルが、飲み物を飲みながら観光をしている。
その最中にプロの陰陽師が警邏をしているし、あまり害がないとして矮小な魑魅魍魎は放置されてその辺りをフヨフヨしている。
日常と非日常が溶け合った光景がそこに広がっていった。人間と物の怪がお互いを認知し、その上で干渉したり無視しながら生きている。この風景が長い時を経て当たり前になってしまっていた。
それが悪いとは言わない。むしろ目指している世界とも言える。だがそれは、本当の力を持たない底辺の存在たちがそうしているだけで、強大な力を持つ者同士はいまだに言葉も交わさずに争ってばかりだ。
魑魅魍魎や妖側が無言で襲ってくると言われればそうだし、人間が索敵を行って根絶やしにしようとしているのも事実。この対立の溝は異形を見逃さずに排斥してきた結果だが、この行いはたまたま下界に遊びに来ていた神も見境なく排除することと同義だった。だからこそ、神は人間と袂を別れた。
特に玉藻の前の件を神は許すことがないだろう。分け御霊の瑠姫たちですら許していない。本物の兄弟だった神がその愚行を許すはずがない。
「前途多難だな……」
そう呟きながら歩く。
この時間になったら京都の公共交通機関は一切動いていない。正確には全国どこでも公共交通機関は動いていないし、タクシーも一台もいない。
お客さんを運んでいる最中に魑魅魍魎に襲われて怪我をされたら責任を取れないからだ。まさか車両ごとに陰陽師を乗せるわけにもいかないし。慢性的な実力者の不足なのに、全てに配置することは不可能だ。
そういうわけで伏見まで歩いているのだが、これがなかなか遠い。簡易式神を出して空を飛んでいくのも一つの手だが、上空はプロが警戒している。飛んでいるというのはそれだけで脅威になり得る。基本地に足つけて戦う陰陽師とは、使える足場が違いすぎるし、足場の概念が異なる。
いくら陰陽師学校、しかも京都校の生徒とはいえバイトや保護者同伴などの理由がない状態での夜間外出は認められていない。いざとなれば全速力で逃げるが、大前提は見付からないことが一番だ。そのためにゴンに隠蔽術式を使ってもらってるし。
だが、空は使えないことは変わらない。姿を隠している魑魅魍魎も多く、出現ポイントも空が多いために一番警戒されている。そんなところをいくらゴンの術式とはいえどんな要素でバレるかわからない。なら、一般人が多く歩いている下から普通に向かうのが安全だ。
その向かう途中で。試したいことがあったためにゴンに聞いてみる。
「ゴン。千里眼使ってみてもいいか?」
『ちゃんと使えるようになったのか?』
「たぶん。ある程度見えるよ」
周りの警戒はゴンに任せて、ちょくちょく練習していた千里眼を試す。Aさんと姫さん、それにあの二匹の鬼は中々個性的な霊気をしている。霊気の溢れた京都とはいえ、あれだけ個性的な霊気なら方向さえ合っていれば見付けられるだろう。
というわけで立ち止まって遠くを見てみる。さすがに歩きながらは無理だ。そういうわけで前方を空から俯瞰するように眺めてみると、一か所に纏まっている大きな霊気の集まりを四つ見付けた。まさかの一発ツモだ。
その霊気に向かって視線を近付けてみると、向こうも気付いたのか全員に視線を向けられた。
二人と二匹がいたのは古風な民家のような場所。鬼二匹は酒盛りをしていて、姫さんは窓柵に腰を掛けて外を見ていたようだ。Aさんは何か本を読んでいたらしい。
「おや、明君。千里眼の取得おめでとう。音は届いてるだろうが、こちらに送る手段がないのだろう?こちらの座標へ、式神へ送るような念話を送ればいい。君の瞳とこの場所が千里眼という霊気の流れで繋がっている。それはもはや式神との契約とさして変わらない。できるだろう?」
そう言われてアドバイス通りに念話を送ると、たしかに場所を通して念話が通じた。これで離れた場所に居ても表情を見ながら会話ができる。まあ、科学の進歩的にテレビ通話というものがあるので霊気を使ってまですることではないと言えばそうなのだが。
でもAさんたちは定住先がないだろうし、携帯電話も持ってなさそうだ。契約とかできなさそうだし。その場合、姿を見つけて遠くからでも話せるというのは良い。
相手は呪術犯罪者。そんな人たちと表立って懇意にするのはまずいだろうしなあ。
「聞こえていますか?」
「ああ、聞こえているよ。今日は珠希君は一緒じゃないようだな」
「少し体調を崩しまして。……尻尾が増えたんです」
「ほう?それは興味深い。昨日今日ということは私の襲撃が要因ではないと。昨日は何かしたのか?」
「伏見稲荷大社に行ってきました。そこで宇迦様にお目通りしました」
嘘をつくまでのことでもないと思って正直に答えた。Aさんたちは呪術犯罪者で、プロの陰陽師を殺したりもしているが難波家やミクのことについては味方で信用できる。
ミクの尻尾が増えたと聞いて鬼たちは祝い酒だとか抜かして追加で盃に酒を足す。口実が欲しいだけだろう。姫さんは知識を引っ張り出しているのか思案しているようだった。それはAさんも同じ。
「宇迦様に会ったのか。なら答えはそれだ。神と同調したと言うと大それているが、珠希君の尻尾が増えるということは霊気と神気が増えるということ。感化された、が言い得て妙か。同じ狐として影響を受けた。それだけの力が宇迦様にはある。だがそれも最初だけだろう。今後会いに行っても尻尾は増えないだろうな」
「確証はあるのでしょうか?」
「おそらくだが、宇迦様の祝福が形になっただけだろう。体調を崩すような霊気の増加は神からの施しくらいしか思いつかない。それに何度も祝福をくれる程神も優しい存在じゃない。初めて会った同族への手向けだ。今の霊気と神気に身体が慣れれば、宇迦様の社でそれ以上感化されることはない」
確証はなかったが、推論としては筋が通っていそうだ。あの場所は他の存在へ与える影響が大きい。俺だって押しつぶされるかと思ったし、一種の修業になったのか俺の霊気も増えていた。
慣れた後はあの場所も苦痛はなかった。あれだけの神気の暴流だったというのに。むしろ居心地の良い場所へと変化していった。それを考えると感化されるというのも身体で理解できていた。
「理由はわかりました。Aさんにあと聞きたいことは、タマの増えすぎた霊気を身体に支障が出ない程度に抑える方法なのですが、心当たりはありますか?」
「応急処置としてはやはり霊気を使い、辛くなくなるまで調整することだろう。天狐殿による外部からのものでも、式神に送る霊気の量を増やすのも手だな。霊気を送りすぎたからって破裂するようなやわな式神ではないだろう?」
「はい。そういう意味ではかなり信用できます」
式神としての格なら日本の中でも最高峰だろう。何せ全員神か分け御霊。霊気を与えれば与える程強くなるんだから、許容量もある三体なら問題ないだろう。ひとまずは瑠姫に霊気を与えまくって様子を見よう。
一番良いのはずっと実体化させておいて、何かしらの術を使わせること。瑠姫なら日常的に使っても平気な術式をいくつか覚えているだろうから、それを使ってもらおう。
「そういった処置以外では慣れるしかないな。霊気も神気も、濃度が濃すぎれば人体に影響を及ぼすが、基本的には良いものだ。馴染むまでは時間がかかるだろうが、そこまで深刻にならなくていい。九本目までいかなければな」
「……やっぱり、九本目まで行くと、タマは九尾に存在を乗っ取られるんですか?」
「今までの悪霊憑きの例からしたらな。悪霊に堕ちるということは、その存在による身体と心の支配が完了したことと同義だ。悪霊だって意味もなく人間に憑いているわけではない。その存在がいわゆる良い存在だったら共存も可能だろうが、珠希君に憑いている狐がどういうものかはわからない。意思疎通も何もできないからな」
どうしてこうも不安を煽る言い方をしてくるのだろうか。一々もっともだから反論もできないんだけど。
それと、周期を考えると九本になるまであまり猶予がない気がする。十四歳までに四本だったのが、十五歳の段階で六本。しかもこの内二本はここ数か月の話だ。京都に来たからか、最近事件に巻き込まれているからか一気に段階を踏んでいる気がする。
かと言ってその全てからミクを遠ざけるのも不可能だ。Aさんがそういう世界にしてしまった。あまり嬉しくないことに、争いに巻き込まれるような世界になってしまっている。非常に不本意なのだが、また戦うことになるだろう。そして俺が戦っていたら、ミクも多分戦ってしまう。
俺がミクを戦わせたくないように、ミクも俺を戦わせたくない。死ぬ可能性があるのにそんな危ない場所へは一人で向かわせられない。一人で行かせるなら二人一緒に、という考えが大前提である。
この先も二人で様々な事件に巻き込まれたら。それだけミクの覚醒が早まりそうだ。これを狙ってAさんがこの前の事件を引き起こしたなら、まさしく袋小路。頼れそうだから頼ってみたが、これでは逆効果だ。
だけど直感からして、この人たちが俺たちを裏切ろうとはしていない気がする。聞いてみれば蟲毒の時もウチの土地を気にしていたらしいし、俺たちに期待しているというのも事実。
この人が隠している本名について、なんとなく予想はついている。そしてウチにある様々な物から、ある仮設も立っている。それを問い質しても、誰もが口を閉ざすだけだろうから聞かないけど。
「明君。もし彼女が九尾になってしまったとしても、君が珠希君を正気に戻せるような陰陽師になればいい。安倍晴明や蘆屋道満の遺した書には中々興味深いものがある。誰も知らない泰山府君祭などな。あとは歴代の麒麟が残した研究成果も役に立たなそうな物から意外な物まである。おや?それは呪術省の奥深くにしかない代物だな?取りに行くには部外者の我々では攻め込まねば」
「……元麒麟の姫さんがいるんですから、何か抜け道のようなものを知っているんじゃないんですか?」
「あら?気付いたん?明くん」
姫さんも念話に加わってくる。ちょっとネットで調べたし、父さんからも色々聞いたからな。納得したっちゃしたけど。
「でもなあ。あたしが呪術省に通ってた頃は結構前やから、色々変わってると思うんよ。それに麒麟の書がある倉庫は基本的に防備が厳重。明くんくらいの実力者が二人くらい仲間になってくれたらなぁ。あ、式神込みの実力だからね?」
「式神込みとなると、あとは五神の方々くらいですね……」
神の分け御霊を式神にしている人物なんてほぼいないはず。その条件に合致するのは俺とミク、それと五神くらいしか思いつかない。今では父さんたちもその対象から外れてしまっている。
本当にそんな書が必要だというのなら、呪術省にも攻め込まないといけないなとは思う。犯罪者の烙印を受けてでも、優先するのはミクの安否だ。
『マユの奴誘ってるんだけどよ、全然靡かねえんだよな。A、今度マジで攫って来ていい?』
「好きにしろ。候補は何人かいたから、殺さなきゃ問題ない」
マユさん、外道丸に目をつけられたばっかりに。どうにか怪我しないで済むと良いけど。でもこの面子にマユさんが加わったら、呪術省の勢力はがらりと変わるだろうな。五神の中でも一番の実力者だろうし。
「明君。誘うのはまた今度にするが、今夜のこの後の予定は?」
「宇迦様にもう一度会いに行こうと思います。何か、狐憑きについて、または九尾について知っている可能性があるので」
「悪いことは言わない。念話も切って帰り給え。特に珠希君の体調が良くないのならなおさらだ」
「えっ?」
「嵐が来る」
そう言われて、向こう側から強制的に念話を切られて視界も元通りになっていた。ぶつんという途切れた感覚があったのでちょっと頭が痛かったが、その痛みもすぐ治まる。
「ゴン、聞こえてただろ?どうするべきだと思う?」
『……帰るぞ。珠希のことは瑠姫と一緒に守らねえと。早すぎるだろ……!』
「何が……?」
ゴンが上空を睨んでいたので、俺もつられて上を向く。最初はいつも通りの星空かとも思ったが、その星々が落ちてくるような、朱色の流星が近付いてくるのを肉眼で確認するのと同時にありえない波動をその身に受けていた。
あの流星一つ一つが、ゴンに匹敵する神気を帯びている。その数はとっくに百を超えていた。
百鬼夜行なんて目ではない。正真正銘、百の神が舞い降りた瞬間だった。
「──告げる。今の世に、人間に誅罰を下そう」
次も三日後に投稿します。
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