27. 忘れるということは、自分を見失うということ
「ごちそうさまでした」
喜田は手を合わせてそう言った。
「とても美味しかったです」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない!」
母は上機嫌なのか、鼻歌を歌いながら食器を片付けていく。
「では私、そろそろ帰りますね。いろいろとお世話になりました」
「ええ!? もう帰っちゃうの!? 泊まっていかないの!?」
「いや・・・・さすがにそこまでは・・・・」
喜田は母から目をそらす。早く帰りたいようだ。
「母さん。あんまり喜田を困らせるなよ」
俺は喜田に助け船を出す。
「そうね・・・・ごめんなさい」
「いえ、別に謝ることでは」
喜田は立ち上がり玄関の方へと歩いていく。俺も見送るために後に続く。
「今日はごめんね、水無月くん。余計なお節介だったよね」
「そんなことはない。おかげで自分の気持ちが分かったような気がするからな」
「そっか。ならよかった」
喜田は玄関の扉を開ける。
「じゃあね、水無月くん。また部活で」
「おう」
喜田を見送った俺は、再び玄関の鍵を閉め、母の元へと向かう。
「母さん・・・・泣いてるのか?」
「ごめんね・・・・ちょっと抑えられなくて」
母は机に肘をついて泣いていた。俺は母の向かい側に座る。
「思い出したのか? 昔のこと」
「そうね。喜田さんのこと見てたら、思い出しちゃった」
「そうか・・・・」
「喜田さん、あの子に似てて。つい引き止めてしまったわ」
どうやら亡くなった子と喜田が似ていたらしい。
「ごめんね。こんな話、聞きたくないよね。もう大丈夫だから・・・・もう忘れるから・・・・」
「いや、忘れたら駄目だろ」
「え・・・・?」
「今まで、本当の両親のことを忘れたフリしてた俺が言っても、説得力ないかもしれないけどな」
「育人・・・・あなた」
母は震えながら俺のことを見ている。
「母さんは俺の本当の母さんじゃない。でもそんなことは関係ない。俺は”あなた”に、とても感謝している」
「・・・・・・」
「でもだからと言って、昔のことを忘れることは出来ない。というか忘れたら駄目なんだと思う」
「・・・・・・」
「だから母さんも、昔のことを無理に忘れようとしなくていい。別に俺をその子と重ね合わせてもいい」
「・・・・変わったわね。育人」
「かもな」
どんなに取り繕っても、どんなに演じても、俺たちは本当の親子ではない。俺の母さんは、この世にたった一人だ。生んでくれたことには感謝してる。でも”ただそれだけ”だ。
俺は両親に失望した。もう覚えておく価値もないと思った。忘れてしまおうと思った。
でもそれじゃあ駄目なんだ。自分のことが分からなくなる。
現実を物語扱いして、俺は傍観者になったつもりでいた。読者になったつもりでいた。いつしか、本当の自分が分からなくなっていた。感情が”無”になっていた。
でも、読書部のおかげで、あの4人のおかげで。
喜びと怒りと哀しみと楽しみを思い出した。
「あなたは強いわね、育人」
「そうでもないさ。一人じゃ何も出来ない」
「私は今まで・・・・あなたを育てることで、あの哀しみから逃れようとしてきた」
「俺も似たようなもんだよ。お互い様だ」
しばらく沈黙が続く。だが、居心地は悪くなかった。
「・・・・いつまでも下を向いてちゃ、情けないわね」
母は立ち上がる。目からは相変わらず涙が流れているが、なにかを決意したような顔つきだった。
「そういや、父さん遅いな」
「ああ、父さんなら残業だって。さっき電話があったわ」
「大変だな。じゃ、俺は部屋に戻るわ」
「ええ、分かったわ」
俺は自分の部屋のベッドに寝転びながら本を読む。
やっぱり読書はいい。時間を忘れて熱中してしまう。
「おっと、もうこんな時間か。風呂でも入るか」
時刻は11時を回っていた。
楽しいことをしていると、時間が経つのが早く感じる。
「あ、そういえば」
最近では読書部で過ごしている時間がとても短いように思えた。入った当初はとても長く感じていたのに。要するに、楽しいって思ってるってことか。まあ、ただ単に慣れただけかもしれないが。
「まあ、どちらにせよ・・・・」
居心地が良いことだけは確かだ。俺は久しぶりに”明日”というものが楽しみだと思った。