5、黒き破滅の花
「脱獄なんて……本気なの、シア?」
驚きの表情を浮かべるセドリックに、守護剣を差し出しながら私は強く頷きかける。
「もちろん本気よ。これは『天啓』なんだわ。
ようやく私は今、自分がこの剣に選ばれた理由が分かった。
セドリック、あなたにも昔話したでしょう? 私の前にこの剣の使い手だった者の運命を――」
セドリックは少し遠い目をして、重い表情で頷いた。
「ああ、印象深い話だったから憶えているよ。ただ一人、バーン家の敵側に回り、アスティー王国と最後の王とともに滅んだ女剣士の話だよね」
「ええ、裏切り者を許さないバーン家は、当然ながら彼女を全力で追い詰めた――
しかし一族最強の剣の使い手である彼女は、逆に多くの者を返り打ちにして、血を分けた親兄弟までをもこの剣の血のりに変えた」
「……」
「果たして剣が運命を呼んだのか、運命が剣を呼んだのか分からないけど、私はきっと一族と敵対する定めだったからこそ、この剣に受け入れられたんだわ。
さっきも言ったけど、私はあの二人が上に立つ王国には死んでも仕える気はない。
たとえあなたがどう選択しても、私は家族と袂を分かち、デリアンとエルメティアの敵側に回るわ!」
「……そんな……シア……!?」
「だけどあなたに私と運命を共にしてくれと頼むことはしないわ。
両親の会話を漏れ聞いたところによると、シュトラス王国のギディオン王は、アスティリア王国に孫であるあなたの身柄引き渡し要求をしているそうよ」
「祖父が?」
内乱中に亡くなった前王妃であるセドリックの母親は、強国シュトラスの「三つの宝石」と呼ばれる美貌を誇る三人の王女の一人。
シュトラス王国のギディオン王は二番目の娘をこのアスティリア王国、三番目の娘をレイクッド大公国に嫁がせることで、婚姻によって近隣三国の友好関係を築いていた。
二年半前この国で反乱が起こった際もギディオン王は鎮圧のために、娘婿のエリオット3世を資金や兵力で強力に支援したのだ。
「私は政治のことはよく分からないけど、内乱後、つねに三国間は緊張状態で、このままいくと近く戦争が起こるのではないかと噂されている。
父もあなたが殺された時点で、ギディオン王がそれを口実に開戦することを懸念していた」
セドリックは大きく息を飲み、瞳を揺らして疑問を口にする。
「その各国間が緊張している状態で、なぜ叔父はエティーにイヴァンではなくデリアンを結婚相手に選ぶことを許したのだろう?」
レイクッド大公の嫡男であるイヴァンは、ギディオン王の孫の一人でもある。
私もイヴァンとは幼い頃にルーン城へ来ていた時に何度か遊んだことがある仲だ。
「さあね。同族嫌悪なのか、エルメティアは我がままで癇癪持ちのイヴァンを子供の頃から毛嫌いしていたもの」
「そんな……もう婚約発表は明後日だ……!?
一昨日顔を出した時にエティーが楽しそうに、四日後に催される自分の誕生パーティーの席で、デリアンとの婚約を正式に発表する予定だと言っていた……。
イヴァンは当然呼ばれているだろうし、婚約の知らせはすぐにギディオン王やレイクッド大公の耳にも届くだろう」
セドリックの台詞で、私は二、三週間前に受け取ったエルメティアの誕生記念パーティーの招待状の存在を思い出した。
それでデリアンは私との婚約を焦って解消したのかと、今更ながら舌打ちして考えていると、私の心を読んだようにセドリックがつけ足す。
「当初エティーは、その誕生パーティーの席でデリアンに君への婚約破棄を告げさせたあと、自分との婚約を発表をするという劇的な流れにしたかったらしい。
デリアンに断固として断られたと笑って言っていたよ」
デリアンはバーン家との関係悪化を避けて、私を晒し者にすることを回避したのだろう。
「いかにも悪趣味なエルメティアらしいわね」
「……そうだね……」
いったん言葉を受けたあと、セドリックは話題を戻す。
「でも、そうか……シアのおかげで、やっと僕がいまだに殺されていない理由が分かった。
祖父は抜け目のない人だ。僕の身柄を要求するなら当然それに伴って、暗殺や処刑をしないように叔父に釘を刺しているはずだ」
「いずれにしても、脱獄するよりこの牢屋にいたほうが、あなたは長生きできる可能性が高いわ。
私にしても純粋に友人としてあなたを逃がしてあげたいというより、現在の王権にとって最大の『火種』であるあなたを解き放ち、デリアンやエルメティアの立場を脅かしたい気持ちのほうが強いし――」
「ずいぶん……率直にものを言うんだね」
先月エルメティアに先んじて、獄中で19歳の誕生日を迎えていたセドリックには、よけい皮肉がきいて聞こえただろう。
「たった一人の親友のあなたに嘘偽りや隠しごとなんてしないわ。
――だから自分で考えて、選んで、セドリック。
私と来るか、ここに留まるか――」
「――!?」
まっすぐセドリックを見据えて返事を待ちながらも、私は心の中で憎き二人に語りかける。
デリアン――あなたは庭で私のことを『悩みの種でしかない存在』と話していたけど、これまでの悩みといえばせいぜい、エルメティアとの婚約にケチがつくのと、バーン家との関係が悪化する程度のことだったでしょう?。
だけど、これから私は生涯をかけてあなたを『破滅させる存在』となり、深い悩みの種として死ぬまで苦しめてあげる。
エルメティア――あなたはたしか私のことを『そんな惨めな姿を晒して生き延びるぐらいなら死んだほうがマシだわ』とあざ笑ってくれたわよね?
だからそのお礼返しに、これから私は『死んだほうがマシなぐらい』の惨めさと生き地獄をあなたに提供すべく、最大限度の努力を重ねてみせるわ。
暗い決意を浮かべて笑う私の顔をセドリックが絶句して見返し、お互いの顔をしばし無言で見詰めあっていたとき――
ズシン、ズシン、と通路側から近づく重たい足音が聞こえてくる。
何事かと見ていると、鉄扉の下に空いている隙間から、スッとトレーが室内へとさし入れられた。
「もう夕食の時間みたいだ。シア、君と二人でいるととても時間の経過が早いや」
笑ってセドリックは毛布から出て立ち上がる。
「食事もゴーレムが運んでくれるのね」
「うん、ゴーレムは知能は低いけれど、簡単な指示には従うんだ。
ただし融通はきかないけどね」
トレーを手にして戻って来ながらセドリックは料理を見下ろす。
「カエインが気をきかせてくれたみたいで、いつもより食事の量が多いや」
とりあえず私達は話し合いを中断して夕食の時間にして、パンを半分づつ分け合い、同じ皿からスープを交互に飲んだ。
粗末な屑切れのような野菜が入っただけのスープにかちかちの固いパン――それなのに。
「おいしい」
久しぶりに食べ物の味を感じた気がした。
「そうだね。僕もいつもよりも食事をおいしく感じるよ」
頷いたセドリックの、花弁のような形の良い唇がわななき、エメラルドのような両瞳から透明な涙が溢れて毀れる。
「セドリック……?」
「ごめんね……君が僕を忘れずに、会いに来てくれたことが嬉しくて……。
ここに来るたびにエティーが、王国にとっても誰にとっても、僕はいらない、忘れられた存在だとあざ笑っていたから……今日まで、てっきりそうだと思い込んでいた……」
エルメティアはすべてに見放された惨めさと恐怖の中で、処刑か暗殺される日をセドリックに待たせておきたかったのだろう。
「私こそ、ごめんなさい……セドリック。
自分の苦しみのことで頭がいっぱいで、あなたのことをろくに省みずに、一人だけ死んで楽になろうとしていた私は、二度、あなたを見捨てたも同然だった……」
「でも君は、誰よりも僕のために心を痛めてくれた」
「……それは……あなただって……」
セドリックが上から私の左手をぎゅっと握る。
「安心して、シア、そんな君を決して一人にさせたりはしないから。
これからは僕が君の傍にずっといる。
そのためならこの命などどうなってもいい――脱獄でも何でも喜んでしてみせよう!」
握られた手と真摯な眼差しから、セドリックの温かい想いが伝わってきて――私の胸の奥が熱くなり、枯れたと思っていた涙が瞳から滲んでくる――
食事を終えた私達は、毛布の上に並んで横たわり、染みのついた暗い石造りの天井を見上げながら、寝るまで脱獄の相談をし合った。
その晩の、固い床に毛布を敷いただけの寝床は、この半年間デリアンへの苦しい思いの中で横たわった侯爵家の豪奢なベッドとは、比べものにならないぐらい寝心地が良かった――
翌朝起きると、私達はまた朝食を分け合って食べ、昨夜の話の続きに没頭した。
そうして夢中で話をしている間に昼食が部屋へと届き、食べ終わった頃にカエインが姿を現す。
「約束通り迎えに来たぞ、シア。浮気はしていないだろうな?」
私は冷たく無言でカエインを睨んでから、セドリックに別れを告げ、再びえんえんと階段を上って高い塔の部屋へと戻った。
「なんでわざわざここまで上がってこないといけないの?」
ぐったりと椅子に腰を下ろしつつ私が不満の声をあげると、カエインが豪華なベッドの上に寝転びながらぼやく。
「お前も存在を知っていると思うが、俺には主に性格が面倒なアロイスという一番弟子がいてな。
これが虫を使っての監視が得意な根暗な男で、この塔と虫除けしてある地下牢獄と通路以外だと会話を盗み聞かれる可能性が僅かにある」
「弟子なのにあなたを監視しているの?」
「まあな。アロイスは俺のたった二人の弟子のうちの一人だというのに、些細な行き違いが元で、百年ほど前から俺の言うことをまったくきかなくなって、最近はエティーの下僕と化している」
「それは、それは……」
つくづくエルメティアという女は男を取り込むのが得意らしい。
「俺の半分も生きていないアロイスは、魔法の腕では数段劣っているものの、かわりに弟子が八人もいて、色々面倒くさいんだ」
愚痴るように言うと、カエインは改まるようにベッドから身を起こす。
「と、そんな話より、シア。昨日、お前と手を組みたいなら、まずは信用されるべく行動で示せと言っていたが、そろそろ具体的に何をすれば良いのか教えてくれないか?」
セドリックとも話したが、この男がエルメティアに仕返しするために、脱獄まで協力するとは考えにくい。
地下牢獄からセドリックが逃げれば、当然、管理を一任されているカエインは関与を追求され、責任および進退問題になるからだ。
何よりバーン家の正しい家訓は「一度裏切った者は二度三度裏切る。信用の置けない者と手を組むことは、自らの墓穴を掘るにも等しい行為だ」というもの。
尊い祖先の教えに従えば、カエインに脱獄の協力を仰ぐなど自殺行為も同然。
とはいえ準備に利用しない手はない。
「カエイン、実は私、今、デリアンやエルメティアに復讐するために、最高の筋書きを練っているところなの」
「ほう、どんなものだ?」
「内容はまだ考え中なので後からのお楽しみとして――
差し当たってあなたに、下調べや準備を手伝って貰いたいんだけど、いいかしら?」
「もちろん、いいとも」
二つ返事をしたカエインに、エルメティアとデリアンの今後一ヶ月の予定を調べることと、用件をいちいち訊かれずに城を出入りできる権限、自由に使用できる数頭の駿馬とお金の準備を依頼した。
「すべて速やかに叶えよう」
カエインは即座に請け合うと、妖しく輝く金色の瞳を細め、ニヤッと口角を上げる。
「そうそう、シア、俺にも一つ楽しい思い付きがあってね。ぜひ明後日行われるエティーの誕生会へ俺と一緒に出てくれないか?」
カエインはエルメティアへのお返しのためなら、人前に出ないという主義まで変えるらしい。
「つまり捨てられた二人揃ってお祝いに駆けつけるってわけね。
いいわ、楽しそうだし付き合ってあげる」
城を出るお別れついでとデリアンへのあてつけに、できるだけ目立つ位置でエルメティアとの婚約発表を聞いてやることにしよう。
私の乗り気な返事を聞いたカエインは、漆黒の髪とマントを舞い上げ、勢い良くベッドから跳んで床へと降りる。
「そうと決まれば、明後日までにシアのその雪白の肌に映える、最高のドレスを用意しなくては――
よし、俺は今から大急ぎで妖精郷までドレスを仕立てて貰いに行ってくるので、シアは明後日の夕方までは好きに過ごしていてくれ」
たかがドレスの入手になぜそんな遠くまで行く必要があるのだろう?
疑問を感じたものの無駄な質問はせず、さっそくマントを広げて窓から飛び立つカエインを見送ったあと、私はセドリックの待つ牢屋へと戻った。
翌日はカエインに言われた通り、気兼ねなく一日中牢屋で過ごし、いよいよ、あくる日のエルメティアの誕生日当日――
夕方前から塔の上の部屋で待機していると、バンと音がして強い風が舞い込み、大きな袋を抱えたカエインが窓から飛び込んできた。