4、セドリック
「嫌だと言ったら?」
「え?」
「シアが俺以外の男と二人きりで一晩明かすなど実に不愉快だ」
「はぁっ……?」
切れ気味で返す私に向かい、カエインはニヤリと笑いかける。
「だが、お前は一度言い出したらきかない女だ。
仕方ないので今日は帰って明日の昼過ぎに出直すが、くれぐれも浮気だけはするなよ?」
恋人気取りの発言には心底むかついたものの、一刻も早くセドリックと二人だけで話をしたかった私は、無駄な掛け合いはせず、ギロッとカエインを睨むだけに留める。
ほどなく漆黒のマントを翻してカエインが鉄扉の向こうへ消えたあと――セドリックが意外そうな声をあげる――
「驚いた、ずいぶん仲が良いんだね!
カエインが笑っているのを初めて見たかもしれない」
「そうなの?」
エルメティアと一緒にいる時は笑っていなかったのだろうか? 疑問をおぼえつつも、興奮して頬を上気させるセドリックを見つめる。
「うん、いつも無表情だったよ――と、言っても僕がカエインを見かけたのなんて、数えるほどだけれど……。
何代も前の王の時代から、宮廷内の仕事は一番弟子のアロイスが勤めていたから、滅多に彼の姿を見かけることはなかったんだ。
ねぇいったいシアはどうやって彼と知り合い、どうしてここに来たの!? あとこの髪は……?」
いっぺんに質問してくるセドリックに、私は順を追って、これまでのいきさつを説明する。
セドリックはつぶらな瞳を見張り、真剣な表情で私の話に聞き入った。
「――そうか……そんなことが……。
デリアンとエティーが近々婚約することは僕も知っていた……。
わざわざ一昨日エティーがここに教えにやってきたからね」
「エルメティアが? ここに出入りしているの?」
「うん、二、三週間に一度の頻度で、僕を冷やかしにここにやってくるよ……」
幼い頃からエルメティアはセドリックを馬鹿にするのが趣味で、『セドリックの癖に』というのが口癖だった。
「……そう……」
「それにしても、シア…… 死のうとするだなんて馬鹿なことをっ!
僕がいたら絶対にそんなことはさせなかったのに……!」
私の両腕を掴んで、自身のことのように辛そうな表情で訴える、セドリックの変わらぬ優しさに胸が痛む。
「あなたを……見捨てた、こんな私に、そんなことことを言ってくれるの?」
「当たり前だろう! 何があろうと、君は僕にとってかけがえのない大切な人だ。
それに見捨てただなんて思っていやしないよ。
君が何をしようと、どう言おうと、あの時の状況は何も変わらなかった。
長年に渡る父の治世に対する鬱積がついに溢れた瞬間だったのだから――」
セドリックの父親であるエリオット3世は、遠征先で父王が戦死したことにより10歳の若さで国王に即位した。
若すぎた王は叔父のサージ公の言いなり状態で傀儡と呼ばれ、その頃からのたび重なる失政と、貴族間の争いの裁定の一貫性のなさにより、徐々に国民と貴族両方の信望を失っていった。
そうしてサージ公亡き後、エリオット3世は父に習って遠征を重ね、その費用捻出のために導入した新税で国民の、たび重なる軍役代納金の徴収で貴族からの大きな反発を招き、それがとうとう爆発して先の反乱が起こったのだ。
「いいえ……友人が窮地に陥っている時に、何もしようともしなかった私は、最低の屑よ!!
私は親友のあなたのために、婚約者であるデリアンや、両親の説得を試みるべきだった!」
「デリアンはこうと決めたら絶対に意志を変えない頑固者だし、君の両親だって娘の意見をきくような人たちではないよ」
「だからって口をつぐんでいていい理由にはならないわ!
今回のことだけじゃない、幼い頃から、あなたはどんな時だって私の味方をしてくれたのに――
私ときたらいつも自分のことばかりで、あなたがエルメティアに馬鹿にされているのを見ても、デリアンの目を気にして庇いもしなかったわ!」
「だけど、そういう時の君は、僕自身より辛そうな顔をしていたよ……」
「お願いだから、セドリック、軽蔑して笑ってちょうだい! そこまでして浅ましくデリアンの愛を求めた挙げ句、捨てられた惨めで間抜けな私を――」
「違うよシア、間抜けというのは、王太子でありながら不甲斐なく、叔父の反乱を話し合いで止めようとして、まんまとエティーに捕らえられたこの僕のような者のことを言うんだ」
二年半前、前王が父親の死地であるフィルドニア国へ遠征に出て、国を留守にしている隙に、王弟を筆頭にする諸侯が反乱を起こしたのだ。
セドリックは話し合いで叔父を説得しようと、武装を解いて会い行った結果あっさり身柄を拘束された。
「しかも廃嫡されても、いまだにこうして生き恥を晒し、今だって足音を聞いて、ついに処刑の迎えが来たのかと毛布の中で怯えて震えていたんだ。こんな臆病で情けない僕を、君こそ笑うべきだ!」
私は激しくかぶりを振って自分の胸に手を当てた。
「笑えるわけないでしょう……こんなに心が痛いのに! だいたい私は人を笑えるほど強くも賢くもないわ」
「僕だってそうだ!」
強く同意して私の身体を抱き寄せると、セドリックは惜しむように短くなった髪の毛に触れてくる。
「どうしても僕には理解できない……エティーは分かるけど、デリアンはなぜ君にここまでの惨い仕打ちを?
間違いなく彼は君に好意を抱いていたはずなのに……いったい何があって急に豹変したんだ?」
セドリックの疑問に私は瞬間的に叫んで答える。
「好意? 止してよ!
デリアンは口先だけで、内心ではずっと私の愛を重たいと疎ましく思い、愛するどころか嫌っていたのよ」
今度はセドリックが長い銀髪を揺らして大きくかぶりを振る。
「いいやそんなことは有り得ない! 君を見る彼の瞳はつねに愛情がこもっていた。
いつだか、エティーの華やかな容姿を周囲が誉めていた時にも、デリアンがこっそり君に、自分は白く清楚な花のほうが好きだと言っていたのを、この僕はたしかに耳にした……。
数年前、新しいドレスを着ていた君をエティーが水たまりに突き飛ばした時だって、彼は酷く怒っただろう?
なぜか幼い頃から君を目の敵にするエティーの攻撃から、彼はいつだって君を庇って守ろうとしていたのに……! 今では一緒になって君を傷つけているだなんて、僕にはとうてい信じられない」
セドリックが言うように、デリアンは寡黙で禁欲的でありながら、いつも大事な場面ではきっちり私を庇い優しい言葉をかけてくれた。
『俺は赤い薔薇より白百合のほうが好きだ』
しかしそんなかつては思いだすたびに胸の中で甘く響いたデリアンの言葉も、今となっては心の憎しみの炎にさらに怒りの燃料をくべるだけ。
「私だって同じように、デリアンの口から直接本音を聞くまで信じられなかったわ!!
死んだほうがスッキリすると言われるまでに、自分が邪魔な存在だと思われていただなんて!!」
私は大声で叫ぶと、怒りに激しく身を震わせ、セドリックの肩口に顔を埋める。
「……シア、ごめん、泣かないで……」
「泣いてなどいないわ!」
あんな男のためにもう泣くものですか。
だいいち、すでに涙など枯れ果てた。
私は気を静めるように大きく深呼吸する。
「……今は私のことなんかより……あなたのことよ……セドリック……身体はどこもなんともないの?」
「大丈夫、怪我一つしていないから安心して――と、そうだ、ちょっと待ってて」
そこでセドリックは思いついたように私から身を離し、部屋の端に行って、大量の毛布を抱えて戻って来ると、絨毯のように床の上へと何層も丁寧に敷き重ねた。
「――立ち話もなんだから、さあシア、ここに座って。
凍死防止のためだと思うけど、毛布だけはたくさんあるんだ」
促されるままに私が腰を下ろすと、合わせてセドリックも隣にぴったりとくっついて座り、二人一緒に入るように上から毛布をかぶる。
「ありがとう、温かいわ」
「うん、温かいね」
深く溜め息をつくと、私は改めて薄暗く底冷えする牢屋内を見回す。
「セドリック……情けないどころか、ずっとこの何もない空間に半年も一人でいて、正気を保ち続けていられるあなたは凄いと思うわ」
「そうでもないよ……たまにレイヴンが本を持ってきてくれるから。
今も毛布の下に5冊ぐらい隠してあるんだ」
「レイヴンが?」
「うん、それも貴重な古代語と魔法書の本をね……!
おかげでこの半年間で簡単な魔法なら使えるようになったよ」
魔法の呪文は神語とも呼ばれる古代語で詠唱する必要があるのだ。
「簡単であっても魔法を使えるようになるなんて凄いわ。あなたは昔から物覚えが良く賢かったものね!」
「今も昔もこの僕を賢いなんて言うのは君だけだ」
自嘲的なセドリックの台詞を私はムキになって否定する。
「何を言ってるの! みんなあなたの見た目の印象だけで勝手に判断していただけじゃない!」
セドリックは母親似の甘く麗し過ぎる容姿と、争いごとを嫌うおっとりした性格のせいで、「お飾り王子」などと陰で揶揄されて呼ばれていた。
聡明なことは教えている教師達も認めていたのに、なぜか逆の噂ばかり流れて広まり、気の強いエルメティアに人前でやりこめられるままにしていたのが、よけいに暗愚という評判を助長させた。
「あなたは一度読んだ本の内容や他人が言った言葉を決して忘れず、守護剣だって負けず嫌いのエティーに気を使って秘密にしていただけで、わずか10歳で呼べるようになっていた!
周囲に認知されていないだけで、あなたはエティーなんかよりずっと優秀で、王になるのに相応しい人物なのよ!」
「君の気持ちは嬉しいけれど……こんな気の弱い僕が王に相応しいわけないよ。
捕まった時にデリアンにも『王が弱く愚かだと国が滅びる』と言われたしね――」
「ふん! いくら偉そうなことを言っても、所詮は実の兄と甥から王位を奪った簒奪王に荷担した男の言うことよ!」
「簒奪王か……果たして僕を飾りにして叔父が執政の実権を握るという、前体制の焼き直しになるのを嫌ったのか……。
あるいは『王』という地位自体を欲したのか……。
叔父の気持ちはいまだに分からないけど、ずっとお飾り王子として周囲に見下されてきた僕には父の気持ちがよく分かる。
幼い頃から武勇に秀で、兄よりも王の器と呼ばれて、現在も自分より人望がある弟に負けたくなかったのと。
前サージ公亡き後もいつまでも見くびられていた父は、遠征を成功させて王として皆に尊敬されたかったんだ。
だから聞く耳を持たなくなるほど意地になっていた……」
「バーン家では落ちこぼれだった私にも……あなたやあなたのお父様の気持ちがとても分かるつもりよ」
デリアンもエルメティアも両親も、現リューク王も、みんな、みんな強いから分からないのだ。
「だけどシア、さっきの話によると君は守護剣を呼べるようになったんだろう?
もう落ちこぼれとは言えないよ!
今では君も立派な一人前の女騎士だ!」
「そうね! これで近々行われるはずのエルメティアとデリアンの婚約式に、堂々と乗り込んで大暴れ出来るわね!」
「……ずいぶんと、笑えない冗談だね……」
セドリックの溜め息まじりの感想に、私は苦々しい思いで返す。
「いずれにしても……あの二人が治める国に仕えるのだけはごめんだわ……!」
と、そこで暗くなった空気を払拭すべくセドリックが明るい声をあげる。
「そうだ、シア! さっそくだけど、君が守護剣を呼ぶところを僕にも見せて欲しいな!」
「いいけど……この場所って剣を呼べるの?」
「うん、ルーン城で守護剣を呼べないのは王族が普段過ごす居館部分だけだよ。
生憎、僕はこの腕輪のせいで呼べないけど、君なら大丈夫なはずだ」
セドリックは両の手首にはまった金属腕輪を見せながら説明した。
「分かった。やってみるわ」
私は頷くと、斜め上方に右手を掲げて意識を集中させる。
数瞬後、ぶわっと右腕を芯にして燃え立つように黒炎が巻き起こり、同時に白銀の長剣が手中に現れた。
緑色の両瞳を大きく見開いて、セドリックが感嘆の声をあげる。
「凄まじいまでの魔力を放つ剣だね! デリアンの持つ『狂戦士の剣』や、エティーの持つ『炎女神の剣』並か、むしろそれ以上かもしれない!
さすがバーン家の最強の剣『戦女神の剣』だね」
「ええ、そうよ。これはバーン家で最強にして一番の家宝、気難しくて数百年間、誰とも繋がらなかった伝説の剣よ。
だからこそこの剣が私を受け入れた時、両親は大喜びして、その分のちに失望したわ……。
なにせ私ときたら18年経っても守護剣を呼び出すことができなかったんだもの……。
そうしてついにこうして呼び出せるようになったのはいいものの、守護剣は持ち主の魂と繋がっているがゆえに、見ての通り私の心の憎しみのどす黒い炎を纏っている。
さすがにこんな禍々しい気は放つ剣を、雄々しい戦女神になぞらえることには抵抗をおぼえるから、今後はこれを『復讐の女神の剣』と呼ぼうと思うわ」
セドリックは顔を曇らせ、心をこめるように呟く。
「……僕はその剣が、元の戦女神の剣に戻ることを……祈るよ」
「……」
私は胸が突かれる思いで口ごもり、俯いて手元の剣の柄に目を落として眺めた直後、はっ、と気がつく――
「……これは……!?」
驚くべきことに柄の側面に刻まれていた文言が、バーン家に保管されていた時とは別のものに変わっている。
「どうしたの? シア?」
不思議そうに尋ねるセドリックの声には答えず、私は震える指で柄に掘られている文字をなぞる。
かつては刻まれていた『勇気ある者はこの剣を取れ』という文字のかわりに――
『戦場で死ぬのが我が誉れ』
今はしっかりとそう刻まれていた。
私は心にも深くその言葉を刻み付けるように、強く、強く、両腕で剣を抱き締めてから――
顔を上げて、大きく息をつきながら言葉を吐きだす。
「――決めたわ、私、婚約式へ乗り込むのは止すわ――」
「……そうか、良かった……」
ほっとした表情で頷くセドリックの緑色の瞳を、私は強い決意をこめてまっすぐ見据えて問う。
「だからセドリック、あなたも決めてちょうだい、このままここでいつ殺されるかと怯えながら朽ち果てるか、いちかばちか私と脱獄するか!!」