2、勇気ある者は……
昼間なのにやけに暗くぼやけた視界に、絶叫する私を運ぶ、カエインの白皙の顔と金色に輝く双眸が映る――
錯乱状態の私は上空を飛んでいるのも無視して、発作的に、ガッ、と両手でカエインの首を掴むと、枯れかけた喉から声を絞りだす。
「……なぜ、私に……あんな惨い会話を……?」
臓腑からこみ上げてくるような怒りをこめて、渾身の力で爪を食い込ませて首を絞め上げる。
しかし指を噛んでいた時と同じく、カエインは一切痛みの反応は示さず、逆に顔に喜色を浮かべた。
「お前が死んだところであの男には、何のあてつけにならないことを教えてやりたかったのだ」
――つまりデリアンの本心を知らなかったのは私だけで、エルメティア姫だけではなくカエインすらも知っていたのだ。
いかに私がデリアンにとってどうでもいい、無用な存在であるか。
心を引き裂かれる思いで涙を吹きこぼし、血を吐くように叫ぶ。
「……あんな真実など……知りたくなかった……!!
あなたを……憎むわ……カエイン・ネイル!!」
「嬉しいね。何とも思われていないよりは、憎まれているほうがよほどいい」
「――!?」
そのカエインの台詞は、瞬時に私の胸に深く突き刺さるものだった――
衝撃で絶句した私は放心状態で窓から塔の上の部屋へと戻され、ベッドの上に投げ落とされて転がりながら考える。
まさに私はデリアンに『何とも思われていない』のだと――
デリアンに言わせれば、思いこみの激しい重たい女が、頼みもしないことを勝手にしてきただけのことかもしれないが――
これまでの私はただ一心に、デリアンに愛されることだけを望み、考え、ひたすら努力して生きてきたのだ。
いったいそれのどこが悪かったというのだろう!?
奥歯を強く噛み締めて考えながら、腸が煮えくり返るような怒りが沸いてくる。
今までの私は、いつだってデリアンのことを一番に考え、好かれるよう、嫌われないように努めてきた!
私達の関係が良好だったのだって、全部、私が我慢してきたからだ。
重荷だった?
私が一度だって、あなたに我がままや不満を言ったことがある?
つねに剣の次であることを受け入れ、もっと会いたくても、あなたの邪魔をしないように我慢してきたわ。
幼い頃から仲が良かった唯一私の親友と呼べるセドリックとだって、年頃になってからはあなたに誤解されないように距離を置いてきた。
いつでもあなたの気持ちを考え、否定するようなことも言わなかった。
あなたを称賛し、肯定し……自分の意見を飲み込んできたのよ?
王位争いが起こった時も、カスター公は意識不明で、王弟派についたのがあなたの判断だと知っていた私は、本当は前王とセドリックを選ばなかったことが不満だった。
我がバーン家が古くからの盟友である、あなたのソリス家に合わせることが分かっていたからこそ!
『騎士の魂と誇りである己の剣も呼べぬ者に戦場に立つ資格はないわ!』
自分の意見を押し殺し口をつぐむだけではなく、母にそう言われた時も、私は悔しいと思うどころか卑怯にも、自らセドリックに剣を向けないで済むことに心からほっとしたのだ。
家族に不甲斐なく思われても、エルメティア姫に見下されても。
あなた以外には別に誰にどう思われようと構わなかった。
あなたに嫌われたくなくて、これまでずっと自分を「殺し」続けてきたのよ!
それなのにただ見つめているだけでも疎ましかった?
早めにそう言ってくれたらこの目すら潰してみせたものを!
そうすれば、あなたとエルメティア姫が一緒にいる姿を見なくて済んだ。
今日だけじゃない。
この半年間、寄り添う二人を見るたびにすぐさま飛び出して行って、泣き叫んであなたを問い詰めたくてたまらなかった。
それをしなかったのは、あなたに残されている私への「愛」を失いたくなかったから。
なんとかもう一度、あなたの心を、取り戻したかった。
エルメティア姫に夢中でも、必ず私への想いも残っているはずだと信じていたから。
愚かにも、私が死のうとしたのを止めたのも「愛」ゆえだと思っていたわ!!
『いっそのこと死んでくれたほうがすっきりするほどだ』
だけど結局、そんなものは存在しなかった……。
親友を見捨て、自分を殺し。
私は一度も有ったことがなかったものに縋り、初めから持ってもいないものを必死で守ろうとしていたのだ。
そう考えると、無性に自分の間抜けさがおかしくなって、激しく笑い出さずにはいられなかった。
「あははははははははははっ……!!」
うつ伏せになってシーツを掻きむしり、狂ったように声をあげて笑っていると――不意にベッドが沈みこみ、すぐ斜め上からカエインの声がした。
「とうとう気が触れたのか、シア?」
いっそ気が狂って何も分からくなってしまえたらどんなに幸福か!
「……違うわ――ようやく目が覚めたのよ……」
涙と涎をシーツでぬぐい、顔を横向けにして答えると、肩へとすっと手が置かれ、
「……そうか、それは良かった」
勝手に言葉の意味を解釈したらしいカエインが、顔を下げて近づけてきた。
切れ長の金色に輝く瞳と通った鼻筋を一瞥すると、私は瞼を閉じて冷たい唇を唇で受け止め、口中にカエインの舌を迎え入れてから――力いっぱい歯を噛みしめる!
――と、残念なことに舌を噛み切る前にカエインは身を起こして離れてしまう。
「……なんだ? あの二人に仕返しするために、やっと俺を受け入れる気になったのかと思ったら、違ったのか?
まさか先刻の会話を聞いても、まだデリアンに操を立てるつもりではないだろうな?」
唇から鮮血を垂らしながらも、カエインはからかうように笑った。
この男には人の痛みも心もないのだろうか?
「デリアンに操を立てる? 冗談でしょう?」
たしかに私が前世の頃、あんなにも王である夫に身を許すのが辛かったのは、恋仲だったジークフリードを深く愛していたからこそ。
復讐の手段を蹴り、塔から飛び降りてまでカエインを拒否したのも、結局のところ、デリアンへの愛を捨て切れなかったからだ――
――でも今は違う。愛した分だけデリアンが憎い!!――
私は瞑目し、今は愛のかわりにドロドロした怒りが煮えたぎり、憎しみのどす黒い炎が渦巻いている、自身の心の中を見つめた。
カエインに抱かれてデリアンへの復讐に協力させる?
気持ちが悪い!!
想像するだけで胸糞が悪くなって吐きそうになった私は、カッと瞳を見開くと噛みつくように叫ぶ。
「デリアンなど関係ない、嫌なものは嫌なのよ!!」
カエインはいったんペッと血の固まりを床に吐くと、あざ笑うような口調で問いかける。
「だが、嫌だからと言ってどうするのだ? 舌を噛んでも喉を短剣で突いても、窓から飛び降りても無駄なのはすでにお前も知っているだろう?」
「ええ、そうね」
私は一度頷いて言葉を受け止めてから、注意深くカエインを見つめたまま、素早く背後に下がって床へと降りる。
カエインの言うとおり、無力な小娘が武器もなしに、伝説級の魔法使いに逆らったところで無駄だろう。
――緊張しながら考える私の脳裏に母の声が蘇る――
『シア、お前が守護剣を呼べないのは、技量ではなく覚悟が足りないからよ!』
ことあるごとに母がそう指摘したのは、『戦女神の剣』と呼ばれる私の守護剣の柄に彫られている「勇気ある者はこの剣を取れ」という文言のせいだろう。
所詮、母が言うように『恋に負けてあの世に逃げる』意気地無しでは、戦女神の名を冠した剣の使い手としては認められなかったのだ。
でも私はもうあの世になんかには逃げないし、いかなる理由があろうと、二度と男なんかのために自分で自分を「殺し」たりはしない!
「どうするって、そんなの決まっているでしょう――」
低く呟き、私はすっと真横に手を差し出す。
すると、まるでこの心に渦巻く憎しみのような黒炎が、私の右腕を取り巻き、やがて手の平に熱い柄の感触が触れる。
「バーン家の女子たるもの、この命尽きるまで全力で戦うのみよ!
失恋して自死するよりも、悪魔に身を汚されるのに抵抗して殺されるほうがずっと聞こえもいいし、家族も誇りに思ってくれるでしょうよ!!」
二度も自ら命を捨てて、本来ならとっくに死んでいたこの身には、もう怖いものなど何もない。
私は禍々しい黒い気を放つ白銀色の長剣を握り、剣先をカエインへと向けて構える。
カエインも床へと降りてベッドを挟んで私と対峙した。
「驚いたな、シア、エティーの話と違って、お前も己の守護剣を呼び出すことができたのか」
正しく言うと今この瞬間に、初めて呼び寄せられるようになったのだが、この男に説明してやる義理もない。
かわりに言いたいことを遠慮なく吐き連ねてやる。
「大体普通は逆でしょう? 先に惚れさせてから抱きなさいよ!
まあエルメティアにもいいように利用されているだけで、まるで相手にされていないあなたじゃ、400年経っても無理でしょうけど!」
腕組みして立つカエインの眉がピクッと動く。
初めて少しは効いたのだろうか?
「本当にお前はゾクゾクするぐらい気性が荒く生意気な女だな」
「光栄な褒め言葉ね!」
「女に罵られるのは158年ぶりぐらいだ」
「長生きはするものでしょう?」
「そうだな。おかげで新しい趣味に目覚めそうだ」
カエインは笑いまじりに大きな溜め息をつくと、降参するように両手を上げた。
「シア、この部屋には俺の歴史といえるような大事なものが詰まっている。
頼むから短気を起こさず、その剣を下ろしてくれないか?」
言われてチラッと見回してみれば、部屋の壁を埋めている棚にはびっしりと物が並べられている。
「悪いけど、バーン家の教えでは、信用できない相手の前では、剣を下げずに会話することになってるの!」
「……そうか、分かった、ではこのままで会話することにしよう。
今日、庭で話を聞いていて分かったと思うが、あの二人に馬鹿にされているのは、何もお前だけじゃない。
エティーは俺に散々擦り寄って身を捧げてまで、父親に王位を取らせる協力をさせておきながら、戦いが終わったあとはお前も知っての通り、新しい男に一日中べったりだ」
私は眉をひそめて、カエインの台詞の一部を抜き出して復唱する。
「身を捧げる?」
エルメティアは父親を王にするために、この悪魔にその身を売った?
「デリアンはそのことを知ってるの?」
「さあ、知らんな。そこまで二人の会話を盗み聞きする趣味はない。
何にしても俺はお前の仲間だ――捨てられた哀れな者同士、あの二人に仕返しするために組まないか? シア」