5、炎の戦姫
「レダ……、この、卑怯者!」
「卑怯ですって? リオノーラ、他人の夫を寝取ったその口で、よく言えたもんね」
私の非難を鼻で笑い飛ばし、レダは崩れるように地面に手をつくデニスを睨みつける。
「これは妻を裏切った夫に対する、当然の罰よ! デニス、あなたはそこで這いつくばって、愛するリオノーラが手足を斬られ、臓物をぶちまけながら殺されるのを、ただ成すすべもなく見てるがいいわ!」
レダは憎々しげに吐き出すと、次に静かに立っているネヴィルに視線を移す。
「それとネヴィル、今回、味方をしてくれなかった事については大いに不満だけど、あなたも私がデニスの元へ嫁いで寂しかったのよね? 私達は長いつきあいだし、以降、私の邪魔をしなければ許してあげる」
「待って!」
そこでユーリが白金の髪を靡かせて前に進み出る。
「あら、なあに? ユーリ」
「僕は投降する! 死ねと言うなら今すぐここで自害だってしてみせよう! だから、どうかリオの命だけは助けて欲しい」
レダは盛大に吹き出した。
「あはは、ここに来て、自分を犠牲にしてまでリオノーラの命ごい? ユーリ、お前と来たら、子供の頃から何も変ってないのね!」
私もユーリに抗議する。
「何を言っているの、ユーリ! 私だけが生き残っても意味がないじゃない!」
「いいや、リオ。君は僕にとって何よりも――この命よりも大切な存在だ!」
ユーリは私の顔を見据えてきっぱり言い切ると、ふっと美しい顔に切ない表情を浮かべ――
「リオ、たとえ何度生まれ変わっても君を愛してる」
まるで今生の別れのように唐突に想いを告げてきた。
「はんっ――随分、泣かせる告白じゃない」
横で聞いていたレダの顔からすっと笑いが消え、逆に悲しそうに歪められる。
「いいわ、ユーリ、可愛い弟のお願いに免じて、特別に予定を変更してあげる」
「……姉さん……」
レダはいかにもしおらしく言ったあと――キッ――と瞳を剥いて私を睨む。
「なぶり殺しは止めてひと思いに殺してあげる――死ね、リオノーラ!!」
残酷な宣告と共に突き出された炎女神の剣の先端から、巨大な炎がほとばしり出て、一直線に私に向かってくる。
とっさに戦乙女の剣を構えたものの、防ぎ切れるわけもなく、消し炭にされるかと思った一瞬――
「リオ!! 逃げて」
まるでレダの行動を読んでいたようなタイミングで、私の元へユーリが駈けてきた。
「――あっ――!?」
と、驚いて見た瞬間、ドンと勢いよく身体を突き飛ばされる。
「……ぐあぁあっ……!?」
「きゃあああっ……ユーリ……!?」
反動で地面に転がった私の耳に響いてきたのは、ユーリの断末魔のような叫びと、それにかぶさるレダの悲鳴。
顔を上げると、視界いっぱいに広がった炎の中心でユーリらしきものが盛大に燃えていた。
炎に全身を舐められたその姿は瞬く間に黒々と変色してゆき、信じたくない光景に思わず頭の中が真っ白になる。
「……ユーリ……!?」
「いやっ、ユーリ!! 嘘よ、嘘よ! こんなの嘘よ!!」
取り乱したような叫びをあげたレダが、遅れて炎女神の剣を放り出し、燃えさかるユーリの身体に飛びついていく。
その姿を見て――ハッ――とした私は、
「よくもユーリを! お前こそ死ね、レダ!!」
逆上のままに戦女神の剣を振り上げ、勢いよく飛び出した。
――しかし――恨みを込めて振り下ろした剣は、レダに届くすんでで弾かれる。
妨害したのは銀色の杖。
邪魔した者は――
「――ネヴィル――!?」
いつの間にか近くに来ていた魔法使いの名を、私は怒りをもって叫ぶ。
同時にレダが我に返ったような表情で手元に炎女神の剣を呼び戻した。
「ユーリが死んだ! リオノーラ! お前のせいだ!!」
「はっ? 自分でやった癖にっ!!」
「いいえ、何もかも全てお前のせいよ! お前が私からユーリを奪ったから!!」
真っ赤な髪を広げて声を張り上げ、劫火が取り巻く剣を構えたレダの燃えるような両の瞳からは、とめどなく涙が吹きこぼれていた。
「――!?」
その凄絶なまでの悲しみが浮かぶ表情に、思わず剣を持つ手が止まったとき、
「リオも燃やされちゃう!」
焦った声と共に横から腰を浚われる――
「デニス……!?」
見ると早くも麻痺が治ったらしい、土気色の顔をしたデニスが私を抱えて走っていた。
当然追ってくるかと思って反射的に振り返ってみれば、レダは脱力したように地面に膝を落とし、炭のようになったユーリの亡骸をかき抱いていた。
改めて変わり果てた姿を目にした私も涙が込み上げ、折しも不安定な秋の空から降り出した雨と混ざり合う。
「……ユーリが死んでしまった……あっああっ…!!」
絶望と悲しみに喉をのけぞらせ天に向かって慟哭する。
同じように女神の剣に選ばれながら、レダに対抗する力がなく、自分の身すら守れなかった。
私のせいでユーリが身代わりになって死んでしまったのだ。
喪失感にも増して自分への不甲斐なさで涙が溢れて止まらなかった。
――泣きながら滅茶苦茶に走るデニスに抱えられた私は、涙と雨で視界が曇り、次第に方向感覚を失っていく――
やがて走りに走ってデニスの脚の勢いが衰えだした頃、木々のない開けた場所に出た。
そこに居合わせた騎馬兵の半分以上を片手で握った剣の一撃でなぎ倒し、恐れをなした残りの兵が逃げていくのを見送ったあと、デニスはついに力尽きたようによろめく。
「……ごめん、リオ……もう走れない……」
「――!?」
緩んだ腕から地面に降り立った私は、倒れかけたデニスの肩を支え、ゆっくりと横たえる。
自分の悲しみに夢中でデニスを気遣う余裕がなかった。
急いでデニスの足の蛇の噛み痕に口をつけ、可能な限り毒を吸い出す。
「……リオ……」
青ざめた顔で力なく呟くデニスの上には、勢いを増した冷たい雨粒が容赦なく降りかかっていた。
「デニス、しっかりして!」
とにかく雨をしのげる場所でデニスを休ませなくては――
そう思い巡らした視線が、遠くに霞む崖の岩肌に空いた洞穴を捉える。
ちょうど乗り手を失ったばかりの馬がいたので、大重量のデニスを乗せて移動する。
近づいてみるとそれなりに奥行きのある洞窟で、頭を下げれば途中まで馬も入れることができた。
中に寝かせて確認すると、すでにデニスの身体は冷えきり、呼吸も浅かった。
「……リ…オ……ど……こ……?」
「ここよ、デニス」
意識を朦朧とさせたデニスの手を握りながら、罪悪感で胸が押し潰れそうになる。
「ごめんなさいデニス……ごめんなさいユーリ……!」
思えばレダに負けないぐらい私は自分勝手で残酷だった。
ユーリの想いを利用するだけで同じように愛を返さなかった。
にもかかわらずユーリはいつでも自分より私の身を案じ、最期は自分の命まで犠牲にしてくれた。
比べて一体私は愛するデニスに何をしただろう。
信頼を裏切って薬を飲ませ、リディアの王である彼に自国の兵士を大量に殺させた。
「……デニス、お願いだから、死なないで……!」
自責の念に涙を流しながら、ひたすら自身の肌でデニスの身体を温め続けていると、いつしか雨音は止み――代わりに派手な馬蹄の轟きが響いてくる。
――もしかしたらレダがやってきたのかもしれない――
緊張しながら立ち上がった私は、素早く身支度を終えると、眠っているデニスの顔を見下ろす。
この上、彼を死なせるわけにはいかない。
「デニス、あなたは必ず私が守るわ」
固く誓ってから馬に飛び乗り、単騎で戦いの場へと赴いた。