2、苦しみを終わらせる者【前編】
「……母を……辱めた?」
怪訝そうな顔で訊くセドリックに、ガートルード王太女が重ねてはっきりと言う。
「そうです。お前の母親は、リューク王に陵辱されたのを苦に自殺したのです」
「……ですが、母は、父が討たれたのを苦に自殺したと……」
言い淀みつつもセドリックの顔からはみるみる血の気が引き、全身が小刻みに震えだしていた。
「いいえ、違います。そこにいる我が国の宮廷魔法使いギモスの遠見の術を介し、実際にこの目で見たので間違いありません。
卑劣なリューク・バロアによって隠されていただけで、夫であるエリオット3世が戦死するより前にセレーナは自ら命を絶っていました。白髪の魔法使いに命じて遺体を凍らせて死亡時期を偽装して葬儀を行ったのです」
衝撃を受けたように固まるセドリックのかわりに、私が確認する。
「……カエイン、この話は真実なの?」
「さあな、その件について俺はいっさい関与していない。セレーナ妃が監禁されていた塔を管理していたのもアロイスだからな。
ただ言えるのは、ギモスは俺の次に遠見の術を極めているので、アロイスの結界では覗き見を防ぎきれなかっただろうということだけだ」
カエインは美しい金の瞳を細め、遠回りに事実を肯定した。
「母が……そんな……!!」
発作的に叫ぶセドリックに向かって、王太女はさらに追い打ちをかけるように言いつのる。
「セレーナは連日に渡るリュークからの辱めに耐えきれず、最期は見るからに正気を失っていました……。
こうなったからこそ明かしますが、妹は嫁いだ頃からずっと長きに渡ってあの男に執着され続け、そのことをかなり気に病んでいたのです。
夫や息子のあなたにはとても言えなかったようですが……」
つまりリューク王は兄から王位だけではなく、絶世の美女である妻まで力づくで奪ったということか。
なんとも胸糞の悪い話だ。
「……そんな……そんな……母が……」
あまりに惨い母の死の真相を聞かされたセドリックは、がっくりと床に膝を落とし、両手で頭を抱えて深く腰を折った。
言葉にならない呻きをあげ、床の上で悶絶するセドリックの苦しみは計り知れず、かける言葉も見つからない。
いったん話し合いはそこで中断され、続きはセドリックの精神状態が落ち着いてからということになった。
「……少し、一人になりたい……」
亡霊のように虚ろな顔で呟いたセドリックは、おぼつかない足どりで廊下の向こうへと消えていった。
苦い気分で親友を見送った私は、つねに背後にいるカエインを振り返る。
「私も一人で休みたいから、夕食まで放っておいてくれる?」
「分かった」
私の言葉を受けたカエインは後方へと視線を流す。
「ギモス、俺の部屋はシアと続きの部屋にしてくれ」
「畏まりましたカエイン様。急ぎ、そのように取りはからいます」
その口ぶりや王族中心のあの場にいたことから、この国の宮廷魔法使いのギモスはそれなりの権限を持っているらしい。
ただしレイヴンより後ろを歩いているところを見ると、魔法使いとしての順位は上から三位以下なのだろう。
ともかく、案内された個室で一人になった私は、ひとまずセドリックのことはそっとしておくことにして、夜まで頭の中を整理しながら身体を休めた。
その晩、歓待の宴に呼ばれて通された壮麗な天井画の間には、すでに王や王太女、ギモスと、知らない女性が一人待っていた。
私とカエインが席につくのを待ち、ガートルード王太女が説明する。
「残念ながら私の夫は遠征中で城を留守にしております。
セドリックはいまだに気分がすぐれないとのことで、あとはレスターだけですので、先に始めていましょう。
――こちらはレスターの婚約者のエリーゼ姫です」
「初めまして、マドラスの第三皇女、エリーゼと申します」
「……マドラス……」
懐かしい国名を聞き、思わず私は復唱する。
マドラス帝国は東の大陸一の海洋国家で、前世の私の母国であるモルド王国や、嫁いだラキュア王国を滅ぼした国だった。
両国が同じ22年前に滅亡した事実は、その前年にラキュア王妃と世継ぎの王子が心中した悲劇と合わせ、隣の大陸のアスティリアにまで伝わっていた。
「アレイシア様とカエイン様ですね。ちょうど今、お二人のことをガートルード様に伺っていたところです。伝説の魔法使いとレスター様と対になる神剣の持主にお会いできて、大変嬉しく思います」
そう言って花のように笑った、金髪碧眼の可憐で華奢な姫君の容姿は、遠い昔の自分を想起させた。
思えば女性は剣など持たずただ美しくあり、男性に添って生きればいいという前世の頃の価値観を、生まれ変わってもなお、私はずっと引きずったままだった――
扇より重い物を持ったこともなさそうな姫の細腕を眺め、改めて過去と現在の自分の境遇の隔たりを思っていると、
「まあ、レスター様。その頬の傷はどうされたのですか?」
ふいに驚いたような声が聞こえ、顔を上げると遅れて現れたレスター王子が立っていた。
「なに、エリーゼ姫、少しそよ風に頬を撫でられただけだ」
相変わらず口の減らないレスター王子が、わざわざ私の隣の席を選んでどっかと座る。
これで対面に王と王太女、ギモス、エリーゼ姫、両隣にカエインとレスター王子が並び、ようやく全員が席に揃った。
「二人とも、よくぞ、セドリックを助け、シュトラスまではるばるやって来てくれた。どうか今夜は寛いでくれ」
杯を掲げて挨拶したギディオン王の視線は、やはりカエインへと向けられていた。
「まっこと、こうして伝説の人物であるカエイン・ネイル殿と酒を酌み交わす日が来るとは夢のようだ。
なにせシュトラス王家には代々、天候をも操るアスティリアの宮廷魔法使いの脅威が伝えられておってな。
セドリックが人質になっていなくても、攻め込むのを躊躇しておった」
先日セドリックが言っていた、アスティリアに攻めいった国は山からでも海からでも、必ず嵐に見舞われて軍隊が壊滅するという話か。
「そこまで俺の存在を気にかけて貰えるとは嬉しいね」
台詞とは裏腹に、酒の杯を傾けるカエインは無表情そのものだった。
「もちろんそれだけではなく、ギモスもそうだが、これまでシュトラスに仕えてきた宮廷魔法使い達は、口を揃えて貴殿のいる国と争えば国が滅びると進言してきてな。
つまりこれまでの長きに渡る両国の友好関係も、そなたあってのことだった。まさかその歴史がわしの代で覆るとは思わなんだ」
愉快そうなギディオン王の口ぶりからすると、すでにアスティリアとの戦争は決定事項のようだ。
興味深く二人の会話に耳を傾けていると、横からレスター王子に話しかけられた。
「なあ、アレイシア、心から不思議なのだが……。お前が先ほど言っていたような、簒奪者から王位を取り戻すという正義の心で立ち上がったのだとしたら、なぜ守護剣がそのように闇堕ちしている?」
私はつくろうのも面倒なのでありのままに答える。
「それは、正義など関係なく、私がセドリックに王位を継がせたい理由が、そうしなければ元婚約者のデリアンが次期王になるから――
この剣が纏っているのも、私を捨ててエルメティアを選んだデリアンへの激しい恨みの炎だからです」
レスター王子が驚いたように身をのけぞらせる。
「では、お前は、大義や正義のためではなく、単に自分を捨てた男への個人的な恨みを晴らすためだけに、他国に組して自国や一族の者と戦うというのか?」
「生憎、私は幼少時より、正義や大義などという立場で変わるあやふやなものを頼りにしてはいけないと、親から教えられて育ってきましたので」
「それで親兄弟とも戦うと?」
「必要とあれば」
「言っておくが親殺しは大罪だぞ?」
「元より、冥府の獄に永遠に繋がれるのが最終目標で御座いますゆえ」
本心から、できればもう生まり変わりたくなかった。
私の返事に絶句しているレスター王子に、せっかくの機会なので尋ねてみる。
「ところで殿下、戦場で深手を負わせたということは、あなたがデリアンに勝ったということで間違いありませんか?」
レスター王子は当然と言わんばかりに冷笑した。
「愚問だな。軍神の剣の使い手であるこの俺が負けるわけがない」
「なぜ、負けるわけがないと?」
「お前も神剣の持ち主なら分かるだろう。剣の性能に差があるからだ」
「剣の……性能……差?」
「ああ、狂戦士の剣は強さのために全てを捨てた英雄の魂がこもった強力な魔法剣ではあるが、神の加護を受けた神剣は別格だ。
なにしろ剣の能力差は実力や腕力差を補っても余りある。そもそも戦いが互角ではないのだ」
つまり軍神の剣より狂戦士の剣が劣っていると?
馬鹿な。そんなわけがない。
間違いなく、デリアンと剣をぶつけあった時に感じた威力は、私の守護剣に匹敵するものだった。
――まさか、デリアンの剣の性能も上がっている?
「しかし数百年ぶりに現れた戦女神の剣の使い手が、よりによってお前のようなイカレた女だとはな……虫も殺さぬ顔をして、つくづく恐ろしい……」
レスター王子は苦虫を潰したような顔をして酒を一気に飲み干した。
そこでカエインが初めて会話に口を挟める。
「レスター、お前は何も分かっていない。その微塵も虚飾のないところがシアのたまらない魅力なのに」
毎度ながら、言われているこっちが恥ずかしい。
「つくろうほうがまだ女として可愛げがある!」
ふん、と鼻を鳴らしたレスター王子を、カエインはあざ笑うような表情で眺める。
「まあ、理解できないのも無理もない。なにせシアはお前ごときの手に負える女ではないからな。
ちょうどお前には、そこの綺麗なだけで中身のない人形みたいな姫君がお似合いだ」
「なっ、貴様……!」
顔を真っ赤にしてレスター王子が立ち上がる。
私は溜め息をついてカエインを注意し、向かいの席から王や王太女もレスター王子をいさめた。
これ以上揉めるのも面倒だし、セドリックのことが気になって仕方がなかった私は、さっさと食事を終えて席を立つ。
「疲れたので、おいとまさせて頂きます」
退席の挨拶を済ませると、すかさず続こうとするカエインを制止する。
「悪いけど、一人でセドリックの様子を見に行きたいの」
「……そうか。仕方がないな……。あまり遅くなるなよ……」
「ええ」
生返事した私は、去り際、忘れずギモスに声をかけ、セドリックの部屋の位置を確認しておく。
そうして、迷うことなく目的の部屋へと到着したのはいいものの、中から響いてくる吠え声のような号泣に、しばし扉を開くのがためらわれた。
入るに入れず扉を見つめていると、急に泣き声が止んで静かになる。
「セドリック、私だけど、入ってもいい?」
声かけしながら扉を開いてみたところ、部屋の隅の暗がりでセドリックが床にうずくまっていた。
「……シアか……ああ、いいよ……」
俯いていて顔は見えないが、声は枯れてガラガラで、銀髪はぐちゃぐちゃに乱れていた。
近づいていく私に、セドリックが語りかけてくる。
「……ねぇ、シア。……両親は……仇を取ろうとしない僕を……さぞや不甲斐なく思っていただろうね……」
まだ泣いているのか、ぶるぶるとセドリックの身体も声も震えていた。
私は急いで歩み寄ると、力づけるように肩に手を置く。
「そんなことないわセドリック。本当の意味で心が強いあなたをご両親は誇りに思っているはずよ。
現に憎悪ですっかり心が歪んで濁りきった私と違い、あなたの心はどんな境遇に遭っても、まっすぐで澄みきったままだった。これまで一度だって自分を虐げた者にたいする恨み言を口にしなかった」
セドリックは私の手の上に、指の長い手を重ねてぎゅっと握った。
「……昔から、そんな風に僕のことを言ってくれるのは、両親以外はシアだけだ……。
どうしてそんな君を、愛さずにいられる?」
あるいは私もデリアンさえいなければ、とっくにセドリックを好きになっていたかもしれない。
だけど今も呪いのように前世の誓いが心を縛り続けている。
「私のほうこそ。幼い頃からお互いを理解し合えるのは、たった一人、あなただけだった……でも、ごめんなさい、私は……」
「分かっている!」
遮るように言って立ち上がったセドリックは、予想に反してもう泣いてはいなかった。
私の手をきつく握り直してまっすぐ見下す緑色の瞳には、涙のかわりに、今まで見たこともないような強い光が浮かんでいる。
「君の心がデリアンにとらわれている限り、決して僕の想いが受け入れられることがないことは分かっている。
だからこそ僕は今ここに誓う。
伯母が言うように、獣以下のリューク王を絶対に許しはしない。
父の、母の無念を、必ずこの手で晴らしてみせる。
そしてもちろんあの男に組する者も僕の敵だ。
――デリアンもこの僕が倒し――シア、君の心の闇を解いて苦しみを終わらせてみせる!」