表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侯爵令嬢は破滅を前に笑う  作者: 黒塔真実
第一章「復讐の序曲」
2/34

2、復讐の序曲

 目を開くと視界に映ったのは、二度と見ることがないと思っていた侯爵家の自室のベッドの天蓋だった。


「起きたのですね、アレイシアお嬢様!

 ただ今、旦那様や奥様を呼んで参ります」


 すぐ横で聞きなれた侍女のエリスの声がした後、パタパタと駆けていく足音が響く。


「……えっ……?」


 にわかに状況が飲み込めずに呆然としていると、部屋に勢い良く駆け込んでくる人物があった。


「シアっ――やっと目覚めたのね!!」


 灰色の瞳を怒りで燃やした騎士服姿の母が、水色の髪とマントを靡かせてこちらへ駆け寄って来る。

 ――と、いきなり、バチン、と、力任せに私の頬を平手打ちにした。 

 直後、頬に発火したような熱と痺れたような痛みが広がり、「これが夢ではない」と悟った私は、一気に頭から血の気が引く。


「恋に敗れたからと言って、あの世に逃げようとするとは情けない!!

 それでもお前は誇りあるバーン家の娘なの!!」


「……そんなっ……!?」


 ぶたれたことではなく、まだ自分が「生きている」という悪夢のような現実に衝撃を受け、思わず絶望の呻きが口から漏れた。


「シーラ、お前、何もいきなりぶたなくても……」


「そうです、母上、昨日死にかけたばかりのシアに向かって、何をなさるのですか!」


 母に続いて入室した父と兄が私を庇ってくれる。

 クリスティアン――クリス兄様の発言で、舌を噛んだのがまだ昨日のことだと分かった。

 幼児の頃から母には厳しくされてきたが、自ら死のうとした翌日でもまったく容赦がない。


「何を言っているの、ゲオルク、クリス!!

 元はといえばあなた達がシアに甘いから、こんなことになったんじゃないの!

 先の内乱の英雄であるデリアンとエルメティア姫はすでに周知の仲だった。だから、私は何度もこの子の傷が深くなる前に、婚約についてはっきりさせるべき訴えたのに!!

 あなた達がシアの頼みを聞いて、ずるずると確認を先伸ばしにしたから、こんなことになってしまったんでしょうに!」


 デリアンの心を取り戻す時間が欲しかった私は、何もしないで黙って見ていて欲しいと家族に頼み込んだのだ。


「しかし、内乱前までは、シアとデリアンの仲は良好そのもので挙式を待つばかりだった。シア本人の気持ちもあるが、私も父親として希望を捨てきれなかったのだ……。

 それに、今やカスター公となり王の腹心となった飛ぶ鳥を落とす勢いのデリアンとの婚約は、こちらから解消するにはあまりに惜しかった……」


 内乱が始まってすぐにデリアンは父を亡くし、公爵位と領地を引き継いでいた。

 兄も父の言葉に深く頷く。


「たとえ母上の言う通りであっても、俺にはどうしても、シア本人の気持ちを無視することができなかった……」


 私より2歳年上のクリス兄様は妹想いで、この数ヶ月間、同い年で友人のデリアンとは険悪状態だった。


「お母様、お父様とお兄様を責めないで下さい。悪いのはすべてこの私です……!」


 言いながら、この半年間で起こった辛い出来事が蘇り、勝手に全身が震えだす。


 自ら命を絶つことで、ようやくこの苦しみを終わらせられると思っていた。

 それなのに、いったいどうして噛み切ったはずの舌が治っているのか? 

 そんな私の疑問に答えるように、お父様が大きな溜め息をついて語りだす。


「何にしてもシア、お前の命が助かって良かった!

 それも、昨日お前が舌を噛んだ時、たまたま近くにこの国の筆頭宮廷魔法使いカエイン・ネイル様が居合わせ、治癒して下さったおかげだ。自分の運の良さとネイル様に感謝して、二度とこのような馬鹿な真似はしないようにな!」


 つまりこの悪夢のような状況の原因はカエイン・ネイルなのだ。

 たまたま近くに居あわせた?

 いいや違う。

 確かに私は意識が落ちる前、エルメティア姫が「カエイン」と呼ぶ声と、上から舞い降りる黒い影を見た。

 この国の齢300を超える宮廷魔法使いが年甲斐もなくエルメティア姫に懸想している話は有名なものだ。

 間違いなくエルメティア姫がカエイン・ネイルに私を助けるよう命じたのだ。


 許せない! いったい何様のつもり?

 短剣を止めたデリアンといい、私を苦しめている張本人達が、揃って私の「死ぬ権利」を邪魔するなんて!

 いったいどこまで私を生き地獄を味わわせたいというの?


 吐きそうなほどの怒りが腹の底からこみ上げてくる。


「しかもネイル様はお前の精神状態を心配し、昨夜わざわざ二番弟子のレイヴン様を使いに寄越して伝言を下さった。

 もしも死にたいほど辛いようなら、心を回復させる魔法薬を処方して下さるとね。

 ただし、個人に合わせて調合するので、お前が直接貰いに行く必要があるらしいが――」


 どうせその魔法薬とやらも、慈悲深いエルメティア姫が可愛そうな私に与えるよう、カエイン・ネイルに指示したのだろう。

 

 まったく、どれほど人を馬鹿にすれば気が済むのか。

 エルメティア姫の好意を受けるぐらいなら、自ら毒をあおってのたうち回って死んだ方がうんとマシだ。


 とはいえ、余計な真似をしてくれたお礼は、たっぷりカエイン・ネイルに伝えねばならない。

 

 恨みを込めて奥歯を噛み締める私の前で、お母様がいかにも疑わしそうな眼差しをお父様に向ける。


「ゲオルク、その話なんだけれど、私にはどうもうさん臭く感じられるわ。

 カエイン・ネイルは人嫌いで、冷たく残忍な性格だとの評判だもの。

 果たしてそんな人物が無償で他人を助けようとするかしら?

 その魔法薬とやらの見返りに、後から何を求められるやら……」


 母の否定的な意見を遮るように私は発作的に言う。


「お父様! 私、ぜひカエイン・ネイル様にお会いして、その魔法薬を頂きたいわ!」


「そうかシア、ならばネイル様はこの数日中は城にいるので、事前の連絡なしでいつでも取りに来ていいとのことだ」


 その時、お母様が「ふん」と鼻を鳴らし、


「勝手にしなさい……! でもいいことシア、今は忙しくて暇がないけれど、時間が出来たら私がたっぷりあなたをしごいて、その軟弱な根性を叩き直してやるわ!」


 そう吐き捨てると、マントを翻して靴音高く部屋から出て行く。


「待ってくれ、シーラ!」


 それを追うように父は数歩進みかけてから私を振り返り、


「いいか、シア――ネイル様に会う際は、くれぐれも言動には気をつけるのだぞ。

 あと、無事に魔法薬を頂いたら、デリアン――カスター公のことはもう忘れて、ほとぼりが冷めるまではお前は王都から離れ、領地かもしくはどこかの保養地で静養した方がいいだろう。

 ――では、私達はしばらく多忙なので、後は頼んだぞ、クリス!」


 早口で捲し立てると、慌てた様子で黒髪を振り乱して走り去っていった。


 一人この場に残った母譲りの水色の髪と灰色の瞳をしたクリス兄様が、ベッドの傍らの椅子に腰掛け、私の手を取って両手で優しく包み込む。


「シア、母上はあんな言い方をしても、昨夜、屋敷を訪ねてきたデリアンに、お前があまりにも憐れだと激しい剣幕で詰め寄っていた。

 父上も、娘を無用に傷つけたと苦言した上で、二度と顔を見せるなと玄関で追い返したんだ」


「お母様と、お父様が……」


 兄の言葉と手の温もりから家族の愛情を感じ取った私は、これから自分がやろうとしていることを思って心が酷く痛んだ。

 けれど、前世からの愛を失った絶望と、この胸に燃えさかるドス黒い恨みと憎しみの炎は、親兄弟への情よりはるかに強烈だった。


 私は暗い決意をすると共に、部屋の隅にある箱時計を眺め、針が午前中を指しているのを確認してから、お兄様に向き直る。


「……クリス兄様……できれば今日中に、ネイル様に魔法薬を貰いに行ってもいいかしら?」


「昨日の今日で? 大丈夫なのか?」


 クリス兄様がそう言ったのは、王城へ行けば、またエルメティア姫やデリアンと顔を合わせる可能性があるからだろう。


「ええ、このまま屋敷にいると……どうしようもない事を考え続けて……却って馬鹿なことをしでかてしまいそうなの……!」


 クリス兄様の端正な顔がさっと曇る。


「そうか……分かった……シア。

 昼食を取ったらすぐに一緒に出かけよう」




 カエイン・ネイルのおかげで私の舌は完全に治癒しており、元々身体の方はなんともない。

 問題は食欲が微塵も無いことだったが、私は出かけるために料理を無理矢理口の中へ突っ込んだ。

 ところが、身体が生きることを拒否するかのように、一口ごとに吐き気をおぼえ、思いのほか食べ終わるまで時間がかかってしまった。



 ようやく昼食を済ませると身支度を整えて馬車へと乗り込む。

 王城へと向かう途中、クリス兄様が私に忠告する。


「父上が言っていたように、ネイル様に会う際には特に言葉使いに気を遣わねばならない。

 過去に不興を買った者達がその場で首をはね飛ばされたという逸話はお前も聞いたことがあるだろう?」


 天才魔法使いカエイン・ネイルはあらゆる属性の魔法を操る。

 中でも特に風魔法を得意とし、過去、鋭い風の刃を放っては多くの者の首を刈り取ってきたらしい。


「はい、お兄様、勿論です。ネイル様は、何でも、その首に腐らない魔法をかけて目立つ場所に飾るのがお好きなそうですね」


 淀みなく答える私に、クリス兄様はまるで正気を疑うような眼差しを向けて注意した。


「笑いごとじゃない」


 どうやら首だけになった未来の自分を想像し、無意識に口元がゆるんでいたらしい。


「いいか、シア。

 ネイル様は宮廷魔法使いとして数百年この国の発展に尽力し、先の内乱では反国王派の勝利を後押しした、国王陛下でさえ頭の上がらないお方なのだ。

 しかも大の人嫌いで高位貴族だろうと滅多に会えるような人物ではない。

 最上位の敬意を払って接するように」


 クリス兄様の言うように、カエイン・ネイルは王族以外が会うのは極めて難しい存在。

 かくいう私も昨日一瞬姿を見たのが初めてだった。


「分かっているわ、クリス兄様」


 神妙な顔を作って頷いてみせたものの、内心では逆に「どうやったら一番カエイン・ネイルを怒らせることかできるのか」という主題について考え続けていた。


 誰がエルメティア姫の犬ごときに敬意を払うものか。

 待っていなさい、カエイン・ネイル。

 命を助けてくれたお礼に、今まで誰にも言われたことのないような、最上級の侮辱の言葉をあなたに贈ってあげる。



 やがて馬車が城門をくぐり、自らの破滅を望む私は昨日に引き続き、王城であるルーン城へと入っていった――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ