1、穢れた剣
シュトラスの王城であるセヴォン城へは、巨鳥になったカエインに乗り、最速の空から向かった。
私を先頭にセドリック、レイヴンと縦に三人並んで巨大な背にまたがり、神殿を正午前に飛び立って昼過ぎには巨大な城塞が見えてくる。
上空から見下ろした高台に建つ城の中庭には、兵士達が降り位置を指定するように、中央を開けてズラリ整列していた。
「出迎えみたいね」
私の呟きに背後のセドリックが答える。
「到着時間を手紙で伝えておいたからね」
事前にカエインに頼み、魔法を使ってセドリックとギディオン王の間で手紙をやり取りしていたのだ。
――と、異変が起きたのは下降している途中だった。
「えっ、なに?」
「どうしたの? シア」
後ろを振り返った私は、腰にさしている守護剣をセドリックに示す。
「急に剣が震えだしたの」
しかもだんだん守護剣の振れ方は激しくなり、キィーンという振動音も高鳴っていく。
初めての現象にとまどう私に、セドリックは思慮深い瞳で返す。
「ああ、それはたぶん剣同士が共鳴しているんだよ」
「共鳴?」
「うん。文献で読んだ知識だけど、ある一定以内の距離に近づくと、対になる剣は反応し合うらしいんだ。
戦女神と軍神は双子であり、君が持つ『戦女神の剣』と、レスターが持つ『軍神の剣』は、同時に打たれた兄妹剣だからね。
実は今まで言わなかったけど、レスターは昔から対の剣の持ち主である君を気にかけて、時おり近況を訊いてきていたよ」
初耳だった。
レスター王子に関しては十年ぐらい前に一度だけ、アスティリアを訪問していた際の姿を遠巻きに見たことがある。
おぼろげな記憶によると、セドリックと双子と言っていいぐらい容姿がそっくりだった筈だ。
「だとしたら、そのたびにあなたから守護剣を満足に扱えない話を聞いて、さぞや幻滅していたことでしょうね」
これまでさんざん両親を失望させ、エルメティアから嘲笑されてきた私には容易に想像がついた。
きっと言えないぐらい、酷い評価をレスター王子は下していたのだと。
「……そんなことは……」
と、セドリックが言い淀んだところで、カエインが地面に着地する――
合わせて一人の漆黒の鎧を纏った人物が進み出てくると、剣鳴りが最高潮に達した。
「久しぶりだな、セドリック!」
鎧と揃いの兜で顔は見えなかったが、セドリックには声だけで誰だか分かったらしい。
「レスター!」
「再び生きてお前と会えて嬉しいよ」
まさに噂をすれば影。
歩み寄ってきたレスター王子は、巨鳥の背から飛び降りたセドリックの二の腕を力強く叩いた。
そしてすぐに続いて地面に降り立った私へ兜の前面を向ける。
「先ほどから異様に俺の腰にさしている守護剣がうるさいが、そこにいるのが、手紙に書いてあったバーン家の娘か」
私は軽く腰を落とした。
「はい、レスター王子。アレイシア・バーンと申します。お目にかかれて光栄です」
一応、初対面の王族相手なので敬語を使う。
「挨拶など良いから、剣を抜いてみせろ」
唐突に言われた私は、一瞬セドリックと視線を交わしたのち、
「かしこまりました」
腰からスラリと剣を抜き放ってみせた。
「なんてことだ……!?」
禍々しい黒炎をまとう守護剣を目にしたとたん、レスター王子は動揺するように叫んで、いきなり抜剣する。
「レスター、何の真似だ?」
「セドリック、下がっていろ」
驚いたように問うセドリックに、レスター王子はゆっくりと白銀の光を放つ剣を構えながら指示をした。
剣呑な空気に私はさっと背後を振り返る。
「カエイン、あなたは絶対に手を出さないで」
鋭く命令してから前方に視線を戻すと、石畳を蹴って迫ってくるレスター王子が見えた。
幼少時から訓練させられてきた私の身体は自然に動き――振り下ろされてきた剣を剣で受けた刹那。
ガキィイイン、という激しい金属音が鳴り、逆巻く黒炎とまばゆい白銀の光がぶつかりあう。
繰り出された剣を剣で弾き返した私は、反動を生かしてバックステップした。
「ずいぶんな歓迎ですね、レスター王子?」
初対面でいきなり斬りかかってくるなんて正気とは思えない。
「くっ――なんと凄まじくも禍々しい気だ! これが現在の『戦女神の剣』の姿だというのか?」
むしろ私の方こそ「デリアンを殺しかけたのは本当なのか?」と問いただしたかった。
狂戦士の剣と打ち合った時に比べるとかなり衝撃が劣っている。
しかしまさかそうとは言えず、別の言葉を口にする。
「ご覧の通り、私の心に燃え盛る黒炎を纏ってるがゆえ、現在は復讐の女神の剣と呼んでおります」
「何が復讐の女神の剣だ!」
忌々しそうな声をあげて脱ぎ捨てた兜の下から銀髪がこぼれ――現れたのはセドリックに良く似た甘く整った美しい顔――ただし、片方の瞼に真横に傷が刻まれている隻眼だった。
「お前はこの世界に現存するわずか七振りしかない貴重な神剣の一つを穢したのだ!」
よもや守護剣のことでこんな風に絡まれるとは予想していなかった。
非常に面倒くさい相手だ。
「お言葉ですが殿下。剣の性能に関しては上がっております」
「ぬかせ!」
吐き捨てるように言って、レスター王子が再び斬りかかってくる。
すると、私の発言の正しさを裏づけるように、キィン、キィンと剣と剣がぶつかる一合、一合から、あきらかに軍神の剣を圧倒する力が発揮された。
「止めろよレスター、もういいだろう!」
悲鳴のようなセドリックの声が響いても、レスター王子は構わず意地になったように剣を繰り出し続ける。
最初は仕方なく応戦していた私だが、次第に相手の顔に苦渋の表情が浮かぶのを見て愉しくなってくる。
この程度の腕と力でデリアンに致命傷を負わせられるなら、今の私であれば確実に殺せることになる。
そう思って、あやうく口から笑いの声が漏れそうになったとき、
「レスター、お止めなさい! 何を勝手なことをしているの?」
場に凛とした女性の声が響いた。
レスターははっとしたような表情になり、慌てて剣を引いて背後に飛びのく。
「母上……」
現れた人物に視線を走らせた私も、即座に剣先を下ろして地面に跪いた。
セドリックの母セレーナ妃そっくりの容姿から、一目でシュトラスの第一王女にして次期女王であるガートルード王太女だと分かったからだ。
光沢のある薄茶のドレスを揺らし、背筋をしっかり伸ばして歩いてくる優雅なその姿は白鳥を思わせる。
「さあ、ギディオン王がお待ちかねです。行きますよ」
有無を言わさぬ口調でガートルード王太女がうながすと、レスター王子は急いで剣を仕舞い「はっ」と返事した。
踵を返した王太女につき従い、城の入口をくぐって進んでいく途中、前方を歩くセドリックが尋ねる。
「レスター、その目はどうしたんだ?」
「ああ、これか」レスター王子はやや勿体ぶったような間を開けたあと答えた。「デリアンの胴体を刺し貫いたお礼に、兜の目元部分に剣先を差し込まれたのだ」
デリアンの名を聞いて思わず足が止まりかけた私を、さりげなくカエインの手が押した。
そうして入り組んだ城内を進み、謁見の間に出ると、
「お久しぶりです、カエイン様。ご無沙汰しております」
入ってすぐの場所に、布を重ねた豪華な紺色のローブを纏った、見るからに高位の魔法使い然とした壮年の男性が控えていた。
床に低く腰を落としてうやうやしく挨拶する彼にたいし、
「ギモスか。久しいな」
カエインは素っ気なく一言だけ告げて通り過ぎる。
まっすぐ見通した室内奥の高みには、真っ白な髪と顎髭をたくわえたギディオン王の姿があった。
皺に埋もれていても瞳の輝きは鋭く、黄金の玉座に深く腰かけるようすは威厳に満ちている。
「まさか生きているうちに伝説のアスティリアの宮廷魔法使いに会えるとはな。つくづく長生きはするものだ」
老王に真っ先に話しかけられたカエインは、私の背後にぴったり立って否定した。
「生憎だが今の俺はアスティリアの宮廷魔法使いではない。
もう国に仕えるのを辞めた身分なのでな」
「ほお。では今は、個人的にセドリックに仕えてくれておると?」
訊かれたカエインは、私の肩に手を置いてきっぱりと宣言する。
「いいや違う、現在の俺の主人は、このアレイシア・バーンだ。
先に断っておくが、主人以外の命令は一切聞かない主義だ」
すると、玉座の一段下に立つレスター王子がくっと喉を鳴らす。
「これまた女の趣味がすこぶる悪い」
一瞬後、ヒュン、と風切り音が鳴り――銀髪が一房舞って床に溢れ落ちた。
「……なっ!?」
絶句して、頬に薄くついた傷を押さえるレスター王子を凄むようにカエインが睨む。
「覚えておけ。何人たりとも俺の主人であるシアを愚弄することは許さない。
次に同じことを言ったら即刻、首と胴体が離れると思え?」
この世界最高位の魔法使いは、相手が王族であろうと遠慮はしないらしい。
たちまち周囲の私を見る目が一変したが、カエインの威光で敬われても少しも嬉しくない。
私は深く溜め息をつき、カエインに注意する。
「カエイン止めて。別に誰にどう思われようと私は気にしないわ。二度と勝手に庇わないで」
「……分かった」
あっさり頷くカエインをギディオン王は目を丸くして見る。
「なんと、つまりカエイン・ネイル殿は、現在はアレイシア・バーン嬢の従者をしておると?」
「現在ではない、未来永劫、俺はシアの下僕だ」
カエインは迷惑なほど自信満々に言い切り、初めて王の視線が私に向けられた。
「そうなると、わしが交渉するのは、バーン嬢ということになるな」
何にしても話が早いのは助かる。
「恐れながら陛下、私の望みはアスティリアの王位を簒奪者リュークから取り戻し、正当な継承者であるセドリックに戻すことです」
本音を言えばデリアンが王になるのが許せないから阻止したいだけだが。
「セドリックも同じ意志なのか?」
ギディオン王に話を振られたセドリックは、隣にいる私の顔をチラチラ見ながら、遠慮がちに想いを口にする。
「……僕個人としては、これ以上、アスティリア王国が疲弊することを望みません。王位よりもできるだけ戦いを避けた、穏やかな解決法を望みます」
いかにもセドリックらしい発言だった。
しかし、戦いを避けられたのでは、私が直接この手でデリアンを地獄に叩き落とすことができない。
単に栄光の座から引きずりおろすだけではなく、最強の剣士や英雄という称号と誇りを失った、敗北と屈辱にまみれた惨めなデリアンの姿を見たいのだ。
ゆえに、絶対にそんな意見を通すわけにはいかないと口を開きかけたとき、
「セドリック! この上、何を甘ったるいことを言っているのです!」
まるで私の気持ちを代弁するかのような叱責の言葉が飛んだ。
「伯母上……」
びっくりしたように瞳を見張るセドリックを睨みつけ、ガートルード王女はさらに声を張り上げる。
「いいですかセドリック! 王位を取り返すことはもちろんのこと、お前は実の兄を裏切り、私の可愛い妹セレーナを辱めた畜生以下の獣、リューク・バロアに復讐せねばなりません!」