5、叶わぬ夢でも
「セドに共寝を断わってくれて良かった」
扉の近くで待っていたカエインに合流すると、歩き出しながら嬉しそうに話しかけてきた。
「そんなことよりいいのカエイン? 先刻レイヴンの発言を止めていたあたり、本心では自分のことを明かしたくないんじゃないの?」
嫌味っぽく尋ねる私に、カエインは美貌をほころばせて答える。
「いいや、単に自分の口から話したかっただけで、愛するシアには俺のすべてを知って貰いたいと思っている」
――例によってのカエインの軽口を無視して廊下を進んでいくと、すぐに来る時にも通ったホールへと出た――
「ここの壁に魔法使いの歴史が描かれている」
わたしはさっそくカエインが指し示した一方の壁に近寄り、左端からレリーフ画を一つ一つ観察していく。
壁に沿って歩きながら、人物や、塔を中心に展開する城砦都市などの絵を眺めた私は、雷を受けて崩れる塔の絵の前で足を止めた。
「これは神話の中にある『愚者の塔』ね」
神に近づこうとした魔法使い達が、天界を目指して塔を築き上げ、神々の怒りに触れて天罰を受ける神話だ。
塔は落雷によって崩され、噴火したエルナー山脈の溶岩に周囲の都市ごと飲み込まれたという。
「ああ、そこには、初代塔主アストル一人を残し、他の魔法使いが全滅した、大変な悲劇が記されている。
俺の祖先であるアストルは若くして魔法使いの第一人者となった稀代の天才だったが、その才能をもってしても、魔法を極めるには恐ろしく時間がかかり、人の人生はあまりに短過ぎた。
ゆえに彼は不老不死を求め、永遠の生命の源であり知識の記録媒体である賢者の珠を造り出し、自ら飲み込んで一体化した。
ただし親から子に受け継がれる性質があるので、子を成した時点で普通の人間に戻ってしまうがな」
そこまで説明を聞いて、ようやくカエインが子供を欲しがる理由が分かった。
「たしか賢者の珠のことは神話には出てこないわよね?」
「製造方法がとある禁忌に触れるがゆえ、存在自体が隠されてきたからな」
「禁忌?」
「その説明とエティーとの因縁を語るには、ここより冥府へ移動したほうが分かりやすい。多少距離はあるが一緒に行ってみないか?」
セドリックの回復にまだ数日かかりそうだし、何事も話で聞くより直接目で見た方が早い。
「いいわね。妖精郷へ行くよりはよほど楽しそう」
二つ返事で誘いに応じたものの、巨鳥になったカエインの背に乗って神殿のバルコニーから飛び立ったあと、一抹の不安が頭をよぎる。
「ねぇ、伝説だと、冥府の入り口を三頭犬と神鳥が守っていて、生きて人が通ることは叶わないんじゃなかった?」
「大丈夫。三頭犬は空を飛べず、神鳥はある理由があって俺を襲えない」
「ある理由?」
「見れば分かる」
そう言われてよけい気になった私は、さらに神鳥の話題を振る。
「神鳥の正体は、愛しあったがゆえに嫉妬に狂った冥府の王によって姿を変えられた、その息子と愛妾なのよね?」
前世の自分の恋と重なる個人的に忘れられない逸話だ。
私とジークもまた嫉妬深い王に知られれば、どんな恐ろしい罰を受けるか分からなかった。
だから関係を隠しきれなくなった時、迷わず二人で塔のてっぺんから飛び降りたのだ。
「らしいな。鳥になっても仲睦まじく片時も離れれるずに二羽で行動している。
俺もシアとそのような夫婦になりたいものだ」
カエインはしみじみとした口調で言った。
「……カエイン、あなた、私に裏切られて酷い目にあわされても、まだそんな寝言が言えるなんて、神経が図太いのを通りこして頭がおかしいんじゃない?」
我ながらなぜかカエインには、無用に辛辣な口をきいてしまう。
「大丈夫。俺の頭は極めて正常だし、裏切られるもなにも、毎日のシアの行動で、旅立ちの準備をしていることは察せられたからな。
シアの言うように、口づけしながら薔薇色の未来を信じて死ねたら最高に幸せだったが――悲しいかな言っていることがすべて嘘だと分かっていた……」
つまり私は、すべてお見通しのカエインの手の平の上で転がされていたというわけか。
己の間抜けさ加減に、思わず口から「はっ」と皮肉な笑いが漏れる。
「そうとは知らず、あなたを出し抜いているつもりでいたマヌケな私はさぞや面白い見物だったでしょうね」
「まさか全然面白いわけがない。俺を信じてくれないことがどんなに悲しく、寂しかったことか!
最後まで共に行こうと誘ってくれることを期待して、一度、塔から飛び立ったあと未練がましく出戻ってしまったほどだ。
こうして残らず質問に答えるのも、ひとえに、シアに俺を信じ、頼って欲しいからだ」
その「信じて頼って欲しい」というカエインの訴えを耳にしたとたん――私は急に目が覚めるようだった――
今更ながら根本的で重要な疑問が閃く。
そもそも私はカエインの力に頼ってまで勝ちたいのだろうか? と――
それ以前に私の胸には今も幼少時に受けた「他人をあてにするな」という母の教えが深く刻まれている。
そこでようやく遅まきながらも、自分が死にかけて弱気になり、すっかりカエインの発言に感化されていたことに気がつく。
私は勝つために手段を選ばないようなエルメティアではない。
これまでもいつだって勝ち負けよりも、自分にとって大切なものを優先させてきたはずだ。
結果なんかよりも手段や過程を重視してきた。
デリアンの反応を見たときに感じた喜びや、剣をぶつけあったときのあの充実感。
あれこそが私の求めるものではないか?
そうだ、私の一番の願いは勝つことではなく、自分が味わった絶望と苦しみをあの二人に、特にデリアンに、直接返すことなのだ――
「シア、もう少しで谷に着くぞ」
カエインの声に、はっ、と意識を浮上させる。
どうやら考えごとをしている間に、長い首に抱きついたまま眠ってしまっていたらしい。
と、顔を上げ、ぼんやりと前方を眺めていると、巨大な大地の裂け目から二つの鳥影が勢い良く飛び出してくる。
「……!?」
近づいてくる二羽の姿を見て、私は眠気が一気に吹き飛ぶ。
漆黒の羽とそれぞれ金と青の瞳を持つ二羽の姿は、どう見ても変身後のカエインとうりふたつだったからだ。
と言っても、ギィー、ギィーという鋭い鳴き声を発していることからして、あきらかに仲間を歓迎しに出て来たわけではなさそうだ。
思わず身構える私にカエインが告げる。
「攻撃して来ないから安心していい。
たとえ大切な卵を盗んだ憎き人間の子孫であっても、自分の子供と同じ姿をした者は傷つけられないらしい」
「卵って……もしかして賢者の珠は……!?」
「そうだ。神鳥の卵を材料にしている」
カエインの言葉通り、巨鳥は私達の周囲を数回旋回したあと、悲しげな鳴き声をあたりにとどろかせ、あっさり私達を谷へと通してくれた。
「不老不死を求めて旅をしていたアストルがこの谷を訪れたとき、ちょうど神鳥の巣に卵が生まれていたのだ。
神は不老不死で鳥になった二神の子も同じ。
そう考えたアストルは魔法を駆使して卵を盗みだし、その卵胞を結晶化させたものを賢者の珠の材料にした。
――以来、卵は生まれていないらしく、神鳥はずっと二羽のまま。いつ見ても巣は空だ」
「酷い話ね」
カエインの話を聞きながら真っ暗な谷の入口をくぐり、ひたすら闇の中を下降していくと、やがて大きく開けた空間へと出た。
「ここが冥府の上空だ」
説明するカエインの声にかぶさり、下から激しい吼え声がして、見ると闇底に光る六つの赤い瞳があった。
暗くてよく見えないが数からして、たぶん冥府側の入り口を守る三頭犬だろう。
我ながらカエインと出会ってから滅多なことでは驚かなくなったと感心しつつぐるりと景色を見回す。
「ずいぶんと暗くて視界が悪いわね」
地下世界は、全体が夜のような闇に支配されていて、明るく見えるのは遠くに連なる山々の噴火の炎と、漆黒の大地の上にうごめく白い靄のみ。
「そう、冥府は暗く陰気な魂の休憩場だ。
地上から降りてきた魂は転生する日までここで休息する」
「……死んだ者は必ず生まれ変わるの?」
「そうなるな。大抵の魂は冥府へ来て数年もすれば再び地上へ戻ってゆく」
数年か……。ジークは亡くなってから二年、私は四年で転生したが、特別早いわけではないらしい。
「きりのない話ね」
「ただし、現世の暮らしによって魂が満ち足りた者は、冥界の最果てにある楽園に、また生前に大罪を犯した者も、噴火口の近くにある監獄送りになり、ともに転生の輪から外れる」
いわゆる天国と地獄と呼ばれる場所か……。
「するとほとんどの人間は、死んでも数年で地上へと復帰できるのね」
「とはいえ、地上へ戻る際に泳いで渡る忘却の川の水は、飲まずとも浸るだけで記憶を忘れさる。シアのように前世を覚えていられる人間は滅多にいない。
かくいう俺にも、来世こそ一緒になろうと誓い合った女がいたが、生まれ変わるとすっかり約束を忘れさっていた」
「もしかしてそれが、エルメティアなの?」
「さすがシアは察しがいい」
単に他に候補がいなかったのと、わざわざ冥府でエルメティアとの因縁を話す理由が思いつかなかっただけだ。
「俺の初恋相手であるサティアが七回転生したのがエルメティアだ――」
そこで私はカエインの台詞を遮る。
「それだけ分かればいいわ」
エルメティアに拘る理由だけ分かれば充分――二人の恋物語の詳細を聞いても意味はない。
それよりも問題なのは、感情というものが絶えず変化するということ。
かつてエルメティアへ捧げられていたカエインの愛情が憎悪になり、現在では失望に変わっているように。
私にたいする彼の愛情が真実でも偽りでも、応える気も維持する気もないなら同じこと。基本的に依存するべきではない。
「まあ、たしかに、過去よりも現在と未来が大事だな」
勝手に私の言葉の意味を解釈したらしいカエインが深く頷く。
――と、その時、風に乗ってヒィー、ヒィーという不気味な叫びが耳に響いてきた――
「この声はなに?」
返事をする前にカエインは下降してゆき、地面に着地すると、逆に聞き返す。
「シアには周りにいる人の魂が見えるか?」
「この白い靄のこと?」
「シアの瞳には靄にしか見えなくても、冥王譲りの俺の瞳には魂の形が映っている――あそこで叫んでいる女の姿もな――
生前、心が引き裂かれた者は死後もそのまま。転生できる状態まで魂が回復するにはしばらく時間がかかる」
――心が引き裂かれた者――
どこか聞き覚えのある女性の奇声が、私の心にもある深い裂け目へと染み通る。
「同じように時間がかかるかもしれないが、シアの心の傷も必ず癒える。
そうしたらまた俺との新しい夢を見ればいい」
私は即座にカエインの発言を否定する。
「悪いけど、私はもう誰も愛さないし、いかなる夢も二度と見るつもりはないわ。
あなたも私との夢なんて見るだけ無駄よ……」
幸福な夢ほど目覚めた時に死にたくなると、身をもって知っている。
前世からの私の夢は、叶う寸前この指先をすりぬけていった。
そうして夢を失った今の私の胸を最も苛むのは、デリアンに捨てられた絶望ではない。
前世から焦がれ続けた美しい夢と、ジークとのたまらなく幸福な愛の記憶の幻影――解けない愛と夢の呪いなのだ――
「俺もかつてサティアに愛を裏切られたときはシアと同じ気持ちだった。だけどその後、夢も希望もない虚しくも長い時間を重ね、自然にその考えは変化した。
たとえ叶わぬ夢であっても、見られるだけでも充分幸福なのだとな……」
たとえそうだとしても、叶いそうで叶わぬ夢のほうがより残酷だと知っているから――
カエイン、あなたには絶対に甘い期待なんてさせてあげない。
「カエイン、改めてはっきり言うわ。私はあなたの夢など微塵も叶える気はないし、一粒たりとも愛を返すつもりもない。
それでもどうしても私の傍にいたいというなら、誓ってちょうだい。
今後は勝手に命を救うことはもちろんのこと、決して私の望まないことはせず、よけいな手出しは一切しないと!
もしも誓えないというなら、負けようが不利になろうが構わない。臍を突き刺してでもあなたとお別れするつもりよ」
私の決意の宣言を黙って聞いていたカエインは、「シアなら本当にそうするだろうな」と、溜め息混じりに呟き、おもむろに誓いの言葉を口にする。
「分かった、シア。俺の愛に賭けて誓おう、すべてはお前の望みのままに――」
――かくして、クセルティス神殿に滞在すること三日目の朝――私達は四人でシュトラスへ向けて出発した――