4、敗者の弁
カエインへ投げつけた決別の言葉に、まっ先に抗議したのはセドリックだった。
私の両肩を掴んで揺すりあげ、顔を間近に寄せて瞳を直視してくる。
「シア……! 二度も助けて貰ったのに、そんな言い方はないよ。
しかもレイヴンに聞いた話ではカエインは今回、君に胸を刺されたにもかかわらず、自分の立場を捨ててまで駆けつけてきてくれたというじゃないか」
どうやらセドリックにカエインを刺殺しようとしたことがバレているらしい。
私は開き直って「ふん」と鼻を鳴らし、目前で揺れるエメラルド色の瞳を強く見返す。
「セドリック、あなたこそ何言ってるの? そもそもそうなったのもカエインのせいじゃない。
考えてもみなさいよ――果たして現王は、建国以来アスティリア王国を守護してきた伝説の魔法使いを敵に回してまで、反乱を起こそうと思ったかしら?
そしてカエインと敵対してまで、反乱に加担することを決断できた諸侯がいくついたと思う?
何よりもエリオット王には大陸一の強国であるシュトラスの支援があったのだから、カエインが寝返らなければ負けることは有り得なかった。
カエインが管理している難攻不落のルーン城が占拠されることはなく、反乱軍側はデリアンの活躍なくば勝利しなかったと言われているのだから、彼がレスター王子に深手を負わされた時点でほぼ勝負はついていたのよ。
エリオット王の命だって、カエインがついていれば失われることはなかった。
感謝するどころか、すべての元凶はこの男じゃないの!」
「……それはっ……!?」
セドリックは一瞬口ごもってから、美しい顔をひきつらせて言葉を続ける。
「カエインは王国を裏切ったわけではないし、人心を失った父を見限ったのは彼だけではない……」
「はっ! 笑わせないでよセドリック。この男は単純にエルメティアの色じかけに落ちただけじゃないの。
それで今度は私を好きになったからこちら側へつく? 馬っ鹿じゃないの! 352年も生きてきて、毎回、選択理由が下らな過ぎるのよ!」
同じく個人的な感情で動いている自分のことは棚上げして、改めてカエインの最低さとセドリックのお人よしぶりに苛立った私は、さらに振り返って言いつのる。
「カエイン、あなたも確か洞窟で自分の非を認めて謝っていたわよね?
本気で悪いと思っているなら、頼むからもう私を放っておいてくれる?」
カエインはふーっと長い溜め息をつくと、おもむろに口を開いた。
「本気でシアを愛し、すまないと思ってばいればこそ、俺は今ここで手を引くわけにはいかない。
敵側にアロイスがいる以上、俺が居なければ対等な勝負にはならず、シアの破滅が確定してしまう」
セドリックが息を飲む気配がして、言われた私もはっとする。
「虫を飛ばされて、こちらの情報が筒抜けになるから……!」
「もちろんそれもあるが、アロイスは俺の次に長生きしていて世界で二番目に能力が高い魔法使いだ。
そのアロイスが洞窟で、幻影とはいえ、師匠であり塔主でもある俺を妨害してきたのは、当然ながら魔法使いの協会に逆らう覚悟あってのこと。十中八九、今後も協会の規則を無視して戦いに参加してくるだろう。
いずれにしても、俺の助力なくばお前達は確実に敗北する」
「……!?」
はっきり言いきられて私は絶句する。
カエインはなおも冷静な口調で続けた。
「そうでなくても、シア。勝てば醜態などさらす必要はないのに、『負ける』可能性を考えて俺を拒んでいる時点で、お前の思考は『敗者』のものだ。
シアの誇り高い性格は好きだし、比べるわけではないが、負けず嫌いでつねに勝つことしか考えていないエティーは、そのためならば手段を選ばず、使える物は何でも利用する女――そのような考え方では一生勝てない相手だ」
自分の駄目さ加減を直接指摘された私の脳裏に、母の失望の表情と、エルメティアの哄笑が浮かんでくる。
カエインの言うように、エルメティアならば誰を手にかけようと動揺なんてせず、つまらないミスも犯さなかっただろう。
幼い頃から母に再さんに渡って言われてきた私の心の軟弱さが、戦いも始まらないうちに死にかけるという、情けない今回の結果に繋がったのだ。
「……っ!?」
言い返せずに歯噛みする私の肩を、セドリックが庇うように抱き寄せる。
「いいや、そんなことはない! シアは何でもできて、意志が強く、決断力もある――僕なら必要であってもあなたを手にかけることはできなかった」
てっきりカエインを殺害しようとしたことを、批判されると思っていたのに。
意外に思って私はセドリックの顔を見つめる。
「私を軽蔑しないの?」
「まさか、するわけがないよ……!
逃げる道中、シアがずっと辛そうにしていた理由が分かって、すっきりはしたけどね。
軽蔑されるべきなのも敗者という言葉が相応しいのも、いつも情に流され、大事な局面で判断を誤ってきたこの愚かな僕だ……!
反乱時には戦いを避けようとして敵側に捕まり、父の敗北を後押しし、母を自死に追いやった――」
セドリックの母親であるセレーナ妃は、ルーン城が占拠されるのに伴い反乱軍側の捕虜となっていたが、エリオット王の戦死の知らせを聞いた直後、自ら命を絶ったと聞いている。
「そうして今回も、見知らぬ者が倒れているのを見過ごせず、危うく最愛の君を巻き添えにして死ぬところだった!」
叫んだセドリックの声と私の肩を抱く手は激しくぶるぶると震えていた。
「セドリック……」
「だが僕は、もう二度と同じ過ちは犯さないし、優先順位を間違わないと誓う!」
強い決意を滲ませるセドリックの声を耳にしながら、私も今まさに、優先順位を誤ろうとしていることに気がつく。
言われたようにエルメティアの性格なら、手駒である世界第二位の魔法使いアロイスの力を最大限度に利用してくるだろう。
ここで感情のままにカエインを拒めば不利な戦いになり、今度こそセドリックを巻き込んで破滅することになる――
「そうね、セドリック、あなたの言う通りだわ……」
噛み締めるように呟く私をセドリックは熱く潤んだエメラルド色の瞳で見つめ、宣言するように言い放つ。
「ああ、これからは何よりも大切な君を優先する!
アレイシア愛してる! 君は僕のすべてで、命そのものだ」
「……え?」
唐突な愛の告白に、一瞬耳を疑い、冗談かと思って問いかける。
「いきなり何を言いだすの、セドリック?」
「いきなりじゃない、言っても困らせるだけだと思って口にしなかっただけで、子供の頃からずっとシアだけを見つめ、想ってきた。
今回死にかけて一番後悔したことも、僕が君をどれほど愛しているか伝えられなかったことだ!」
呆気に取られる私の背後で、カエインが呆れたように呟く。
「セドの気持ちにはエティーですら気がついていたというのに、シアの鈍さは犯罪級だな」
「だって今まで一緒にいても、そんな雰囲気は微塵もなかったのに……。
ごめんなさい、セドリック、私は……」
気まずさに俯く私の返事をセドリックが途中で遮る。
「分かっているからいいよ。シアの瞳にデリアンしか映っていないのも、僕をまったく恋愛対象に見ていないことも長年のつきあいで身に染みている。
ただ二度と後悔しないために、僕の気持ちを伝えて置きたかっただけなんだ」
「そうだとしても、臆面もなく人前で告白するあたり、セドは死にかけて何かが吹っ切れたようだな」
「その点に関してはあなたには敵いませんよ、カエイン。なにしろ僕は、シアにたいするのと同じように、幼い頃からつねにエティーを特別扱いするあなたを見てきました。
だから正直、こうして助けられて世話になっていても疑念がある。こんなに簡単にシアに心を移し、エティーを見限ることができるのかと。
……信用したくても、僕はあなたのことを何も知らないに等しいし……」
――セドリックの発言が、私の中で、かつての母の言葉と重なる――
『自分に都合の良い想像をして、よく知りもしないものを簡単に信じるのは愚か者のすることよ。
生き残りたいならばつねに己の目で見て確認し、考え続けなさい、アレイシア。真実から目を反らしたり、思考停止すれば、たちまち泥沼にはまりこむわ』
思えば幼い頃から繰り返し母に言い聞かされてきた心構えは、すべて勝つために必要な論理であり、身についていないだけで私は勝者の「思考法」自体は知っている。
「別にシアさえ俺の愛を信じてくれれば、セドに信用されなくても構わない」
すまして答えるカエインの台詞を受け、私はさっそく母の教えの実践に入る。
「カエイン、たしかに私は洞窟であなたを信じると言ったけど、セドリックが言うように、信じきるにはあまりにもあなたは謎が多過ぎるわ。エルメティアのこともそうだし、賢者の塔の塔主という立場、賢者の珠のことも……」
以前の行いはともかく、出会ってからこれまでのカエインの私への態度はひたすら献身的で寛大なもの。ずっと彼を信じたいという欲求はあった。
誠意の証明という面でも、欺き、利用するだけ利用して邪魔になったら始末するという、手酷い仕打ちを私に受けてもなお危機に駆けつけて救ってくれた今回の行動を合わせれば、足りないどころか多すぎるぐらいだ。
だけど味方としてやっていく必要があるなら、それだけではいけないのだ――必要最低限度はカエインのことを知って理解しなければ――
カエインは親指と人差し指で顎を挟み、少し考え込むような仕草をしたあと、頷く。
「それなら一つ一つ不明な点を解消していこう。ちょうどこの神殿には俺の立場を説明するのに分かりやすい壁画がある。もしシアが良ければ今から案内するが?」
「お願いするわ、カエイン」
「僕も行くよ!」
慌てたように腰を浮かせるセドリックを止めようと、とっさに胸を押さえると、ぜいぜいとした呼吸が手に伝わってきた。
「駄目よ、セドリック。あなたはまだ横になっていないと!
早く体力を回復させて、シュトラスへ一緒に移動しましょう」
言い聞かせながら強引にセドリックをベッドに寝かせ、私は立ち上がった。
「では行こう」
合わせるように漆黒のマントを翻してカエインが歩き出し、後を追い始める私に、セドリックが寂しそうな声で問いかける。
「……シア、あとで戻ってくる? このベッドは二人でも充分寝られるよ」
私は盛大な溜め息をつき、いったん扉の前で立ち止まる。
「セドリック、私達、もう子供同士ではないのよ」
牢屋の床に並んで寝るのと同じ寝台で寝るのはわけが違う。
そうでなくてもセドリックの自分への気持ちを知った今、これまでのような距離感ではいられない。
「それは分かっているけど、今の僕にシアを襲う元気なんてないし、ここ最近ずっと夜は一緒だったので、一人寝が異様に寂しく感じる。何よりシアが好きだから、離れていたくないんだ……」
どうやらセドリックは死にかけたせいで、羞恥心の針が振り切れてしまったらしい。
困ったものだと思いつつ、
「……早く体力を回復させるためには、一人でゆっくり休んだほうがいいわ」
つとめて素っ気なく言い、私はカエインを追いかけて廊下へと飛び出した――