2、終わりなき苦しみ
「……追っ手が来ているの? ……デリアンは……?」
荒い呼吸の合間になんとか声を絞りだす私を、カエインが憐れむような表情で見下ろす。
「死にかけていても気にするのはデリアンのことか……俺も他人のことは言えないが、つくづくお前は悲しい女だな、シア」
――息苦しさに言い返せず見上げていると、急にカエインの手が輝きだし、放たれた光の塊がすーっと私の胸へと吸い込まれていった。
すると、焼けつくようだった肺が楽になり、話す余裕ができた私はさっそく憎まれ口を叩く。
「……わざわざ冥府から……惨めな私を笑いに来たの……?」
「生憎、笑い者にしようにも、俺自身のほうが悲惨さではシアを上回っている。
なにせ信頼を得ようと散々尽した返礼が、冷たい剣での心臓への一刺しだったのだからな」
カエインは苦笑しながら地面に腰を落とすと、溜め息を一つ挟み、話題を最初に戻す。
「安心しろシア。お前の元婚約者なら誰もついてこられない人外の速度で、先頭きってここへ向かっているところだ。あといくらも待たずに再会出来るだろう」
「そう……」
どうやら死ぬ前にデリアンに会えそうだと、ほっと安堵の息をつく私の目尻をぬるい涙が伝う。
そこでカエインはすっと笑いをおさめ、真顔を寄せてきた。
「なあ、教えてくれ、シア。
なぜ俺を殺した?
セドリックを逃がすことでも、何でもお前の願いならば叶えたものを……。
俺の誠意は足りなかったのか?」
カエインの問いに私は苛立ちをこめて返す。
「いいえ、足りないどころか余分だったわよ。
私のほうこそ教えて欲しいわ、カエイン。
どうして私にあんなドレスを贈り、わざわざ飾り立てて、パーティー会場では周囲から庇ったりしたの?
どうして私の願いを全て叶え、意志も尊重したうえ、子供が欲しいなんていう個人的な話までしたの?
どうして、デリアンに捨てられた無価値な私を、まるで特別な存在のように扱ったのよ!
そうじゃなければあなたを殺しても心なんて痛まず、つまらないへまだってしなかったのに――
私が今もこんなに苦しいのは全部あなたのせいよ!」
激情に震えて両瞳から涙をこぼす私を、カエインが痛みの表情で見つめる。
「シア……!?」
我ながら酷い八つ当たりだと分かっていても、己の情けなさと、デリアンに恨みを晴らせない無念さから暴言が止まらない。
「無理やり私を生かした残酷なあなたに比べ、最後に夢を見せて、気分がいいうちに殺してあげた私は優しかったでしょう?
だって私なら叶いもしない恋や夢を抱えて、退屈な人生を惰性で生きるより、早めに楽になりたいもの……。
そうよ、私はデリアンに愛されているという希望を失わないうちに死にたかったのに!
どうしてあなたは死のうとするのを二度も止めたの?
おかげであれから私はずっと生き地獄よ!
――ああ、カエイン、苦しいわ……きっとこの苦しみは死んでも終わらない……!
ねぇ、どうして、私はデリアンとの結婚を心待ちにしていた幸せな頃に死ねなかったのかしら?
ううん、その前に、生まれ変わってもジークと結ばれることができないなら、永遠にアロイーズ川の底で来世を夢みて眠っていたかった……!」
ひたすら今は、叶わぬ夢を見せたジークと、それを踏みつけにしたデリアンが憎い。
やや錯乱しながら恨めしさに涙した時、がばっ、とカエインが覆いかぶさってきて――
「ああ、悪いのは全部この俺だ!」
想いをこめるように叫んで私の身体をかき抱いた。
その力強い両腕と固い胸の感触に、ようやく私は、彼の存在が幻覚や亡霊でないことを悟る。
「……カエイン……あなた生きているの?」
震える声で、今更ながらの間抜けな質問をする私の顔を、カエインは大きな両手で挟み、
「俺がお前の苦しみを解いてやる」
宣言するように告げると、いきなり熱い唇を重ねてきた。
「……!?」
――と、合わさった口から、温かい波動が身体の中へと流れ込んできて――手足の末端まで生気が伝わってゆくのを感じる。
それは魔法というより、まるで命を分け与えられているような不思議な感覚だった。
そうして深い口づけをしたあとカエインの唇が離れ、呆然としている私を、間近から潤んだ金色の瞳が見つめる。
「さっきの問いの返事だが、シアに尽くす理由は”300年ぶり”に俺が惹かれた相手だからだ」
「300年……?」
「正確に言うと297年前に、俺は初恋の相手を失い、それ以来シアに会うまで、一人たりともこの心を動かす女とは出会えなかった」
私はカエインの言葉に軽い衝撃を受ける。
「あなたはエルメティアのことが、好きだったのではなかったの?」
「いいや、エティーとは縁あって、好きになれるかと僅かに期待していたが……結局、抱いてみても駄目だった……」
遠い目をして少し無言になってから、カエインは気を取り直したように口を開く。
「あとは最後の問いの答えだが、見ての通り、この俺は簡単に死ぬことができない。
だからあっさり死んで楽になれるお前に嫉妬して、つい邪魔したくなったのかもしれない……」
「……死ねない……?」
「ああ、俺の命の核は心臓ではなく、臍の部分にある『賢者の珠』だ。
それゆえに俺は滅多な傷では死なず、老いることもない不老不死の身だ」
「――!?」
驚くべき自身の秘密を明かすと、カエインは真剣な表情で私の瞳を見据える。
「さあ、シア、次はお前が俺の質問に答える番だ。もう一度訊く。
どうして俺を殺した?
前王を裏切った俺はどうあっても信じるに値しなかったか?
それとも二度もお前が死ぬのを邪魔した恨みゆえか?」
まっすぐ射貫くようなカエインの眼差しに捕まり、逃げ場のない思いで私は自身の心を直視する。
バーン家の家訓に始まり、脱獄と逃走の邪魔をされたり追っ手となる可能性や、敵に回すと後々の脅威となることなど、カエインを殺す理由は無数にあった。
――しかし私がカエインを手にかけた一番の動機は――
「あなたを信じて、いつか裏切られるのが怖かったからよ……!」
叫んで白状してから、言い訳を続ける。
「デリアンに捨てられた魅力のない私に、あなたのような男が惹かれるわけがない。
今は単に面白がっているだけで、そのうち飽きると分かっていたんだもの……」
カエインは私の両肩を抱く腕に力をこめ、強くかぶりを振った。
「そんなことはない。デリアンが愚かなだけで、シアは俺が今まで出会った中で一番魅力的な女性だ!」
私は近過ぎるカエインの顔から目を反らす。
「それにたとえあなたの告白が真実であっても、私はその気持ちに応えることはできないわ。
愛人にはなれないし、結婚する気も、子供を産むつもりもない。そのことをいつかあなたが恨みに思う日がくるかもしれない」
「そんなことにはならないし、俺はお前を決して裏切らないとこの命に賭けて誓おう! もしも信じられないなら、今ここで俺を殺すがいい。
普通の剣では『賢者の珠』は破壊できないので、必ず守護剣を使い、臍を狙って突き刺せば、確実に俺を殺すことができる」
「カエイン様、止めて下さい!?
アレイシア様なら本気でやりかねませんよ!」
焦ったような声がして、見るといつの間にかレイヴンが近くにいて、セドリックの上に屈み込んでいた。
「別に構わないとも。シアに殺されるなら本望だ」
「あなたが構わなくても、世界中の魔法使いが困ります!」
レイヴンの力いっぱいの忠告を聞き流し、カエインはセドリックに視線を移す。
「さあ、シア、時間がない。俺を信じるか殺すか決めてくれ。
脅すわけではないが、早くしないと、お前の大切な親友が死んでしまう。
俺は数百年生きているので疫病にもかなり詳しいが、黒死病で肺を直接やられた者はもっても、せいぜい二、三日の命だ」
言われた私は、はっとして、セドリックを見下ろす。
レイヴンもカエインに同意するように重く頷く。
「カエイン様のおっしゃるように黒死病であるなら、血液から侵されていくより、肺から病んだほうが症状の進みが早い。
――私が診たところ、セドリック様の心臓はすでに弱って止まりかけています。
そして残念ながら『魔法』では疫病を治すことはできません。
この世界でセドリック様を救えるのは、カエイン様ただお一人です」
「――さあ、長話している間に、そろそろデリアンが駆けつけてくる頃合だ。
そうなればセドリックを助ける暇はない。今すぐどうするか決断してくれシア」
そんなの、選ぶまでもなく、このままセドリックを見殺しにするわけにはいかない。
迷いなく私は懇願の叫びをあげる。
「あなたを信じるわ! だからお願いカエイン、セドリックを助けて!」
「分かった」
カエインは嬉しそうな表情で頷き、私から両腕をほどくと、隣に横たわるセドリックの胸の中央に手を当てる。
――と、触れた箇所からまばゆい光が起こり、薄暗い洞窟内を明るく照らしたあと、おもむろにカエインが手を離した。
「これでセドリックが死ぬことはない……。
しかし二人に生気を分けた今の俺には、アロイスはともかく、デリアンと戦うような余力は残されていない――ここは早めにこの場から退散するのが賢明だろう」
カエインだけではなく、私の身体も重くて本調子とはほど遠い。
「でも、どうやって逃げるの?」
いくらカエインでも三人も抱えて飛べるとは思えない。
疑問に答えるかわりに、カエインはバサッとマントを広げ、刹那、漆黒に渦巻く疾風が起こる。
――数瞬後、目の前に出現したのは、人の身の丈の二倍以上ある、真っ黒で巨大な鳥だった――