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侯爵令嬢は破滅を前に笑う  作者: 黒塔真実
第四章「歓喜の瞬間」
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1、つきまとう亡霊

 先に立って通路へ出ようとすると私の腕を、慌てたようにセドリックが掴んで引き止める。


「待って、シア! 段取りを忘れたの?

 やっぱり変だよ! もしかしてカエインと何かあった?」


 鋭く詰め寄ってくる顔料で浅黒く塗られたセドリックの顔から目を反らし、私はやや感情的に言い返す。


「別に何もないわ――思い直したのよ!

 やはりそんな単純な方法が通用すると思えないし、時間を無駄をするより、さっさとゴーレムを倒していった方が手っ取り早いわ!」


 しかしセドリックは扉の脇に用意してあったローブを拾い、私の頭の上からかぶせて強い口調で言う。


「だけど試す価値はあるはずだ! 何より急いでいる時こそ焦りは禁物だよ」


「……」


 私は気を落ち着かせるために大きな溜め息をつくと、剣をいったん足元に置き、衣服の上にたっぷりした布のローブとフード付マントを重ねて着た。

 その内側へセドリックが潜り込んで身を隠し、背後から私の胴体に片手を回す。


「よし、行こう!」


 促しの声に押されて通路へ飛び出した私の瞳に、さっそく近づいてくる一体目のゴーレムの巨体が映った。


 まさかいくら知能が低くても、衣装の後ろ側が不自然に膨らんでいれば気づくはずだし、王国の最重要人物を収監する牢獄の守り主がそれを見過ごすわけがない。


 だいいち手引き者がいれば簡単に脱獄できるのでは「人は裏切る」というカエインの持論と矛盾しているではないか。 


 そう思ったのだが……。




「こんなに上手く行くなんて、信じられないね!」


 ルーン城が建つ丘を馬で駆け下りながら、かぶっていたマントのフードを下ろし、くすんだ砂色に染めた髪を靡かせたセドリックが興奮したように叫ぶ。


 あの後、私の顔を確認したゴーレムは、あっさりと横を素通りしてゆき、二人連れでも特に各所にいる衛兵にも止められず、私達は驚くほどやすやすとルーン城の外へ出ることができた。


 食器が乗った盆は次の食事が運ばれる際に一緒に回収されるので、夕食時まで昼食を食べていないことには気づかれないはず。

 用事がない限りレイヴンは塔の部屋まで上って来ないから、カエインの遺体もすぐには発見されないだろう。


 嘘みたいに楽にルーン城からの脱出がかなったうえ、追っ手がかかるまでの猶予時間も稼げ、カエインが用意した駿馬は見事な走りっぷり。


 一番の脅威となり得たカエイン自体も排除して、この先、追われたり邪魔されることもない。

 ――たった一点以外は、すべてが順調だというのに――


「……ねぇ、聞いているの、シア?

 無事に城から脱出できたのに、どうしてそんなに浮かない顔をしているの?」


 前方を走っていたセドリックが馬を減速させ、隣に並んで不審そうに訊いてくる。


 私は吐き気をこらえるように唇をきゅっと引き結び、追求を避けるために馬の速度を上げて先行させた。


 城門を出た直後、虫除け薬を取り忘れたことに気がついたが、セドリックには伝えていない。


 致命的なミスをおかした理由として、カエインを殺した事実を言いづらい以上に、それが原因で自分が取り乱していることを認めたくなかった――



 やがてルーン城の南側にある林へさしかかると、半ばほどで馬を止め、藪の中へと入っていく。

 事前に城外へ出て、準備した旅用の荷物を窪地に隠しておいたのだ。


「良かった……!」


 上に乗せてあった折れ枝を払いのけ、荷物の無事を確認した私は胸を撫で下ろす。

 監視や追跡には充分警戒していたつもりでも、一抹の不安が残っていたからだ。


 必要最低限の衣服や道具、保存食と葡萄酒が入った複数の革袋、大量の馬の飼料をセドリックと手分けして運び、弓と矢筒のみ背おって残りを馬へと積みこむと急いで出発する。


 これから私達は王都の南門を出て、セドリックの母親の故郷であるシュトラス王国まで逃げ、ギディオン王の支援を得てから出直す予定だった。


 飲み水は途中の川で調達できるし、馬なので休みながらでも一週間あれば、王国の南西にある長大なデュボンの森へ到着できるはずだ。

 そこを抜ければレイクッド大公国で、さらに谷や峠を越えると、目的地であるシュトラス王国に到達できる。


 不安の種は残された虫除け薬が一瓶の半分ほどしかなく、セドリックと二人で消費しているので、節約しても一週間も持たないことだ。

 つまり森へ入る前に切れてしまう。


 旅の行程は追っ手がかかることを想定して、なるべく人目につかない場所を通るようには組んでいたものの、アロイスの虫によって細かい位置を特定されれば状況はかなり厳しくなる。


 薬が切れる前に可能な限りシュトラスへ近づかなくては――




 日没後も月明かりをたよりにしばらく進んだのち、その日は途中の荒れ地で焚き火をして野宿することにした。


 夕食の主食である堅焼きビスケットをかじりつつ、二頭分の馬の手入れをしていると、後ろからセドリックに声をかけられる。


「手伝いたいので僕にも馬の世話の仕方を教えてくれる?」


 一瞬、カエインのことをまた訊かれるのかと思った私はほっとする。


「もう終わるから、大丈夫よ」


 セドリックは申し訳なさそうに目を伏せて嘆息した。


「何でもできる君に比べて、まるで僕は役立たずだね……」


「そんなことないわ、セドリック。あなたが魔法で火を起こしてくれたおかげで、時間と手間の節約になったもの。

 それに私にもできないことがたくさんあるのよ……エルナー山脈越えを避けたのも、登山の経験がないからだし……」


 シュトラスは地図上ではアスティリアの隣国であり、最短距離は間に横たわるエルナー山脈を越えることだったが、生まれ育った領地に山がない私は危険な高山越えを避けた。

 一方、幼い頃から母に野戦の訓練として、領内の森や荒地に数週間単位で連れて行かれることが多かったので、道なき平地を馬で進むのや森歩きには慣れていた。


「君じゃなくても過酷で危険なエルナー山脈越えは誰でも避けるよ。

 なにしろ天候が不安定で、頂上部分は寒くて年中雪が溶けない。

 これまで挑んだシュトラス王国軍が、二度に渡って大軍を山で『全滅』させたという歴史もあるしね」


「それは他国がアスティリアを攻めようとすれば、必ず天候が邪魔をするという伝説のせいでは……?」


「そうだね。建国以来この国に、海から軍船が連なってくれば大嵐が起こり、山から軍隊が攻めてこようとすれば大吹雪や雪崩が起こる。

 シュトラス王国ではアスティリアの宮廷魔法使いは天候をも操れると信じられ、以降、カエインを恐れてエルナー山脈越えをしなくなったらしい。

 ことの真偽は不明だけれど、長命傾向とはいえ魔法使いも所詮は人間。150歳以上の者は稀だというのに、300歳をゆうに越えるカエインは、居るだけで他国の脅威からこの王国を守る、いわばアスティリアの守り神的な存在だ」


 その王国の守り神を私が殺したと知れば、セドリックはどう思い、何と言うだろう。

 憂鬱に思いながら火のそばへ移動して、分厚い外套にくるまって横たわったあとも、暗い想念が頭を巡ってなかなか寝つけなかった――




 それからの道中も追っ手への不安とカエインの面影につきまとわれ、つねに気の休まらない寝不足の日々が続いた。


 事件が起こったのは虫除け薬が切れた翌日、追っ手の気配もなく順調にデュボンの森まであと一日の距離に迫った、小さな村のはずれにある草地を馬で進んでいたとき。

 左斜め前方の視界に、地面に横たわる男性と、上を飛びまわる数羽のカラスが映った。


 瞬間、その光景がカエインの死に様と重なって見えた私は、胸に鋭い痛みをおぼえて目を反らす。


 きっとここまで長く罪悪感を引きずるのは、出会ってからのカエインがあまりにも私に優しすぎたのと、最後にいらぬ告白を聞いたせいだ。


 苦く思いながら横を通り過ぎた私は、遅れて、すぐ後ろをついてきていた馬の蹄の音が止んだことに気づく――


「待って、シア!」


 ぎくり、として左後方を振り返った時には、すでにセドリックは馬から降りて、水筒を片手に咳きこむ男性の頭を持ち上げているところだった。


「何しているの! セドリック、離れなさい!」


 絶叫に近い声で怒鳴りながら取って返し、馬から飛び下りてセドリックに抱きつく。


「不用意に倒れている人間に近づくなんて正気なの!!」


 私の物凄い剣幕に驚いたのか、セドリックは素直に立って謝罪した。


「ごめん、シア……まだ息があって、水を欲しがっていたから……つい……」


 さっと見下ろした男性の袖口から覗いた手は黒く変色しており、ぞっとした私は焦ってセドリックの腕を引いて促す。


「いいから、早く馬に乗って行くわよ!」


 それはデリアンやエルメティアとは違い、情け深いセドリックの性格を思えば、充分予想できる行動だったのに――!


 カエインのことを考え、ぼーっとしていた自分を激しく呪う私の脳裏に、かつての母の教えがよぎる。


『どんな屈強な戦士も病には勝てないわ。つねに身の周りの衛生および栄養状態には気を配りなさい』


 併せて浮かんだ悪い想像を、わずかな間の接触だったので大丈夫だと頭では否定しても、不安を完全には拭いされなかった……。




 あくる日の昼過ぎには予定通りデュボンの森へ入り、馬の休憩がいらなくなったので、夜に短く眠る以外はほとんど休まず、食事すらも歩きながら済ませて先を急いだ。


 そうしてひたすら森の中を進み続けること二日目の夕方。


 空気の湿り気と枝葉の間から覗く黒雲の動きから、嵐の様相を見て取った私は、できるだけ多くの枝を拾い集め、暗くなる前に洞窟を見つけて避難した。


 セドリックが発熱したのは、激しい雨が降り始めたその日の夜半過ぎ。


「ただの風邪だと思うから心配しないで……」


 本人はそう言い、見たところ身体には疫病患者によく見られる赤斑もなかったが、急激な熱の上昇と乾いた咳が心配だった。

 やがて時間を追うごとにセドリックの症状は悪化していき、横で看病する私も一晩中、息苦しさと悪寒で身体の震えが止まらなかった。


 翌日の晩には、私もセドリックを追うように高熱をだし、肺がぜいぜいして頻繁に咳が出るようになった。


「……ごめんね……シア……僕のせいで……君まで……」


 うわごとのように謝罪を繰り返すセドリックの隣で、私はなんとか気力を保ち、定期的に焚き火に枝をくべる。


「……私こそごめんなさい……いくら急いでいるからって、ずっと牢屋にいたあなたに無理をさせ過ぎたわ……」


「ううん……違うよ……愚かで……弱い、僕が悪いんだ……」


「そんなことないわ……セドリック……あなたは愚かでも、弱くもない……。

 それをエルメティアやデリアン、この国の皆に証明するためにも絶対に回復しましょう……!」


 必死で励ます私の頬に震える手が伸びてきて、涙で滲んだ視界にセドリックの儚げな笑顔が映る。


「……そうだね……シア……。でも、僕は、君さえ信じてくれるなら……他の誰に何と思われていてもいい……。

 ………だって、僕はずっと君を……」


 言い終わる前にセドリックは力尽きたように手を落とし、瞼を閉じて意識を失った。


「……セドリック……!?」


 私は焦って上に覆いかぶさり、口元に顔を寄せて呼吸を確認する。

 しかしこのままではセドリックはいくらももたないし、森の中にいては助けも呼べず、私自身も倒れている現在、できることは奇跡的に熱が下がることを天に祈るのみだ――


 絶望的な状況のまま、洞窟に入って三日目の朝を迎え、ようやく降り続けていた雨は止んだのに、私は起き上がるどころか意識を保つのもやっとの状態だった。


 おまけに一昨日から洞窟の暗がりに、時折チラチラと、飛び回っている光の粒が見えるようになっていた。

 幻覚でなければアロイスの放った虫なのだろう。


 ところがそれを目にしても焦るどころか、むしろ死にかけている私には最後の希望に思えた。


 どう考えても復讐を果たせそうにない今、せめてデリアンがやってくるのを待ち、死ぬ前に呪詛の言葉を吐き連ねてやりたかった。



 ――思い返せば、塔の部屋にカエインが戻ってきたあの瞬間、私の命運は尽きていたのかもしれない――


 カエインを殺しても平気でいられると思っていたのに、全然そうではなくて「亡霊」に取りつかれてしまった。


 きっとお母様が知ったら、また情けなく思って失望するだろう。


 私は朦朧とした意識の中、幼い頃、母と真夜中の森で交わした会話を想起する――


『――何をそんなに怯えているの、シア?』

『だってお母様、この森は夜になると幽霊が出るって聞いたわ』

『まったく、そのような噂を信じて怖がるなど愚かで臆病な子ね!

 よく聞きなさい、この世に幽霊などいないわ。たとえ死者の姿が見えたとしても、それは恐怖心や罪悪感、つまり心の弱さが見せる幻なのよ』


 ――ああ、そうね、お母様、いつだってあなたは正しく、私は救いようもないぐらい心が弱い――


 証拠に私の瞳には今まさに炎に照らし出された――濡れたような漆黒の髪と、白皙の頬、金色に光る双眸を持った、ぞっとするほど美しい死神の姿が――カエインの亡霊が映っているんだもの……。


「シア、ずいぶん弱っているな。

 追っ手が近くまで迫っているというのに、そんなざまでは逃げ切れないぞ……」


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