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侯爵令嬢は破滅を前に笑う  作者: 黒塔真実
第一章「復讐の序曲」
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1、残酷な口づけ

 これは一人の美しい戦姫めぐる、悪魔のような伝説の魔法使いと、一騎当千の英雄の恋物語。

 ――あるいは忘られた廃太子と、捨てられた侯爵令嬢の復讐劇――



 見上げれば、我が心を映すような陰鬱な空模様。

 黒くうごめく禍々しい雲が王城の上を渦まき流れゆく。


『生まれ変わって来世で必ず結ばれよう』


 固く誓い合った約束のなんと儚いことか。


 今日も、金獅子のように雄々しいデリアンの隣にいるのは婚約者の私ではない。

 アスティリア王国の真紅の薔薇と呼ばれる艶やかな美貌のエルメティア姫なのだ。


 現在二人はいかにも恋仲であることを示すように、中庭の隅にある人気のないベンチで、ぴったりと身を寄せ合って座っている。

 そんな光景はこの半年間ですっかり見慣れているというのに、憐れな私はいまだに目にするだけで、息もできないほど胸が苦しくなるのだ。


 決して結ばれることのない禁断の恋に身を焦がし、「死後も離れぬように」と互いの手首を紐で結び合って塔から身投げした――遠いあの日には――よもや来世でこんな仕打ちを受けるとは夢にも思わなかった。


 しかも、デリアンは近づく私に気がつき目を向けた――次の瞬間――エルメティア姫の肩を抱き寄せ、まるで見せつけるように長い口づけをしたのだ。


 途端、心臓を八つ裂きにされるほどの苦しみをおぼえ、思わず噛み締めた唇から血の味がする。


 ああ、こんな生き地獄はもうお仕舞いにして、早く楽になりたいという願いと、どうにかデリアンを取り戻したいと言う、相反する二つの想いが心の中でせめぎあう。


 せっかく今世でも巡り合い、奇跡のような確率で領地が隣り合う公爵家と侯爵家の両家に生まれた。

 そうして親同士が決めたとはいえ、7歳にして婚約者同士になれたのに。

 生まれた時から前世の記憶を持つ私とは違い、最愛のデリアンは20歳になった今でもかつての記憶を何一つも思い出しはしないのだ。


 しかし、逆にだからこそ、記憶を取り戻しさえすれば私の元へ戻ってくるかもしれない、という希望が今日の今日まで捨てきれなかった。

 

 私は必死に引き返したい衝動を堪え、気を落ち着かせるために胸元に隠した短剣を服の上から確認してから、止めていた足をまた動かし始める。

 大丈夫。

 いつでもこの苦しみを終わらせることができると、そう自分の心に言い聞かせて――


 一方、デリアンは再び私に空色の瞳を向けると、エルメティア姫の肩から手を離し、額にこぼれる黄金の髪を掻き上げながら、大仰に溜め息をついた。


「俺に何か用か? アレイシア」


 突き放したような冷たい声音にやや怯みつつも、私は勇気を出して口を開く。


「朝食の席でお父様から、今夜、あなたが改めて私との婚約の件で話しに来ると聞いて、居ても立ってもいられなかったの……。

 訓練所に行ったら休憩に入った言われたので、探し回ってここまで来たの……」


「俺が晩に屋敷を訪ねるまで待てなかったのか?

 君らしくもないせっかちさだな。アレイシア」


 エルメティア姫と恋仲になってから、デリアンは私を「シア」という愛称では呼ばなくなった。

 あたかも二人の口づけなど見なかったように、私は一縷の望みを託し、思っているのとは真逆の考えを口にする。


「ごめんなさい、デリアン。もしかしたら今まで延期していた私達の挙式の話かと想像して、嬉しくて待ちきれなかったの」


 延期も延期。

 本来なら私が16歳になるのに合わせた二年前に、私達は結婚式を挙げるはずだった。

 しかし二年半前に起こった、王弟を筆頭にした反国王派が起こした反乱によって、すべての予定と運命が狂ってしまった。


 公爵家の嫡男であるデリアンは病床の父の名代として大軍を率いて王弟派の旗印の下に馳せ参じ、まさに狂戦士と呼ぶのに相応しい激烈な戦いぶりによって多くの戦果をあげ、この国の英雄となった。

 そしてその二年間に渡る争いの最中、共に戦場で馬を並べて戦った王弟の娘にして戦姫の呼び声高いエルメティア姫との間に、断ち難い絆と恋が生まれたのだ。


 おかげで、王弟派が勝利して国の内乱が終わった後も、デリアンは様々な理由をつけて私との挙式を引き伸ばし、王城で開かれる夜会などの集まりには必ず王女となったエルメティア姫の同伴役として参加した。

 あたかも初めから私という婚約者がいないかのように――


 その一連の流れがあるので今夜の話も十中八九、婚約解消の話だと察していた。

 ゆえに死刑宣告を待つような心境で、とても夜まで待つことが耐えられなかったのだ。


 ――私の発言がよほど面白かったのか、デリアンの横で会話を黙って聞いていたエルメティア姫が、急に燃えるような赤い巻き毛を揺らして盛大に吹き出した。


「シアったら、小さい頃からおっとりしているとは思っていたけど、いくら何でもそれは酷すぎるんじゃない?」


 エルメティア姫は恋敵というだけではなく、子供の頃から私を知る、デリアンと共通の幼なじみでもあった。

 けれど、私は別段おっとりした性格ではない。

 前世の頃のデリアン――ジークフリード――が、女らしいお淑やかな女性を好んでいたという記憶があったので、それに合わせてごく控えめに振る舞っていただけなのだ。

 実際の私は、王国を代表する武家に生まれ、勇猛な騎士である父と血気盛んな女騎士である母を持ち、幼少時から厳しく戦闘術を叩きこまれ、エルメティア姫に負けず劣らず男勝りな一面を持っていた。


 静かに睨み合う私達の間で、デリアンは何度目かの溜め息をつくと、重い口調で切り出した。


「本来なら、今夜、君の両親がいる前で正式に告げる予定だったが……本人が望むなら仕方がない。先に話すとしよう。

 アレイシア、俺の話とは、正式に君との婚約を解消したいというものだ」


 それは予想通りの発言であり、心の準備もしていたつもりだった。

 にもかかわらず、言われた瞬間、心臓が止まるほどの激しい衝撃を受けた私は、とっさにデリアンの胸元にすがりつき、息も絶え絶えに懇願する。


「……婚約を解消……? そんなの嘘でしょう? デリアン……お願いだから思い直して……!」


「いいや、俺は本気だ。今日をもって君との婚約を破棄する」


 いっそ『君を死刑に処する』と言われたほうがマシだった。

 再度、冷然と言い放つデリアンに抵抗して、私は激しくかぶりを振った。


「いやっ、いやっ……! 待って……デリアン……ううん、ジーク! 私との前世の約束を思い出して……!

 生まれ変わったら今度こそ一緒になろうって、あなた言ったじゃない!」


 麗しい顔に蔑みの色を浮かべ、エルメティア姫が私をあざ笑う。


「シア、妄想癖もその辺にしたら?

 小さい頃からその作り話を聞かされ続け、いい加減デリアンはうんざりしているのよ」


 私は真実だと訴えるためにデリアンの目の前に左手首を突き出す。


「いいえ、作り話なんかじゃないわ! 証拠にこの左手首の痣とデリアンの右手の痣は繋がっている。

 何度も言うように前世で心中にする時に、お互いの腕を紐で縛り合った痕なのよ――」


「もう止せ、アレイシア!」


 苛立ったようにデリアンが叫び、精悍な顔に苦みを浮かべ続ける。


「百歩譲って君の話が真実だったとしても、生まれ変わった以上は別の人格と人生だ。

 それなのになぜ別人だった頃の誓いを守らないといけない?

 かつて幾ら愛し合ってたとしても、一度死んだ時点でそれはもう終わったことだ」


 そのデリアンの言葉は正論だからこそ、瞬時に私の目の前を真っ暗にする効力と威力があった。


「終わった……こと?」


 私は呆然と、噛みしめるように復唱する。



 思えば、この18年間というもの、私はいつか必ずデリアンが――共に死ぬほど愛し合ったジークフリードが――記憶を取り戻す日をひたすら待ちわびてきた。


 だけど今ようやく分かった。

 デリアンが何一つ前世の記憶を思い出さないのは、それがもう「いらない」物だったからなのだ。

 私だけが後生大事に守ってきた、愛も、誓いも、夢も。


 がっくりと脱力し、デリアンの胸元から手を離し、膝から地面に崩れた私は、絶望が深いあまり、逆に笑いたくなった。


「……なんて、なんて私は……馬鹿だったのかしら……」


「アレイシア?」


 両手の指で地面を掻き毟りながら、血を吐くように想いを吐露する。


「……デリアン……あなたはもう終わったことだと言ったけど、少なくとも内乱が起こる前は私達、とても仲の良い幼馴染みで婚約者同士だったじゃない。

 私はただ、幼い頃からずっと、あなたの花嫁になる日だけを夢見て生きてきた……。

 だから……この半年間……他の女性と寄り添うあなたとを見るのは……とても、とても、辛かったわ……!」


 でもその苦しみもこれでやっと終わる。

 私は最後の言葉を言い終えると、素早く胸元に忍ばせておいた短剣を取り出す。

 そして、両手に握り込むと、すかさず喉元に向かって一気に振り下ろした。


 婚約破棄を言い渡されたその場で死ぬ、これ以上の当てつけ行為があるだろうか?


 デリアン、これが私のあなたの心変わりへの――新しい恋への、はなむけよ――


 耐え難い苦しみを一刻も早く終わらせるついでに、その万分の一でも返すべく、せめて二人の瞳に私の死に様を焼き付けてやるのだ。

 一生忘れられない心の傷になることを祈って――


「止めろ、シア!!」


 ところが今となっては元・婚約者となったデリアンは、大声をあげて飛びかかるや、素早く私の手首を掴んで喉元に届く寸前に剣先を止める。

 まさに神速の動き。

 さすが並び立つ者無き武勇の将デリアンというところか。

 腕を捻り上げられ無理矢理地面に押さえつけられた私は、下から恨みをこめてデリアンを睨み上げ、吐き捨てる。


「……死なせてもくれないなんて……ひどい人……!!」


 でも幸運なことに、私にはまだ、歯という最後の武器が残されている。

 迷いなく舌を噛み切ると、たちまち口中に血が充満し、唇の間からだらーっと零れ出た。


「ちょっと!! 何しているの、シアっ! 誰か来てっ!! カエイン!!」


 直後、エルメティア姫のけたたましい声が鳴り響き。

 視界が闇に落ちる寸前――私は、鳥のように漆黒のマントを広げて舞い降りる、美しい悪魔の幻影を見た――


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