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皆の想いを、この一球に乗せて。


そう、あれは忘れられない弟との思い出。


中学生だった俺は、まだ野球に対してさほどの興味は無くルールもほとんど知らなかった。

せいぜいゲッツーとゲッツの違いがわかるくらいだ。


中2の俺と小3の弟はいつも河原でキャッチボールをしたものだ。

ただ、9歳の弟に力一杯投げるわけにはいかないので、俺はいつも力を抜いて投げた。

だが弟はいつも全力で投げる。弟の調子が良い時には、両手で受けなければならない。

なぜなら、片手だと骨折してしまいかねない程の威力だからだ。

さらに受けた時は高確率で吹っ飛ばされる。壁を背にした時は壁に叩きつけられ、川を背にした時は川に落ちた事もしょっちゅうだった。

たまに弟が投げた球が何個にも見える事もあった。


そして、ある日の事だった。兄としての実力を見せてやろうと、大人気なく全力を出した。

だが、それがいけなかった。

球は弟のグラブを弾き、高々と生い茂った草叢へ消えていったのだ。


「俺が買ったボールだから、もういい。諦めよう」


血眼になってボールを探す弟に俺はそう言うが、弟は首を横に振り、頑なにボールを探し続ける。

陽も傾き暗くなり始めたので、弟の事が余計に心配になり始める。もし怪我でもされたら兄の俺がまた怒られるからだ。

苦肉の策として渾身のボディブローを弟の右脇腹に叩き込み、気を失わせて家まで連れ帰った…

何やら白目を剥いて泡みたいな液体を吐いていたが、まあ死にゃあしまい。


翌日、部活から帰宅した俺は、先に帰宅しているはずの弟がいない事に気づく。親に訊けば、まだ帰ってないとの事だった。

まさか殴った俺の事が嫌になって家出したのか、と思い急ぎ玄関へ向かった時、ちょうど扉が開いて弟が飛び込んで来た。


「お兄ちゃん!やっと見つけたよ‼︎これでまたキャッチボールが出来るね」


身体中、泥だらけになりながら差し出した弟の手には…確かに昨日紛失したボールが握られていたのだ。

暴投したのは俺で、しかもあんな酷いことまでしたのに。

俺は心底自分が憎らしくなった。俺なんかより弟の方が数倍大人じゃないか。

俺は何も言わず弟をしっかりと抱き締める。強く、強く、抱き締める…

その時、弟の体から何かが折れる音が聞こえたような気がしたが、おそらく気のせいだっただろう。

そしてその翌日、なぜか弟は整形外科に連れて行かれたそうだ…




これは母との思い出。

肺炎を患い、入院を余儀無くされた母の元へ見舞いへと訪れた俺。

ベッドの隣の椅子に腰掛けると、それに気付いた母が俺を見て力無く微笑む。時折咳込む姿は、痛々しささえ覚えた程だ。


「母ちゃん、今日は母ちゃんの大好きなドリンク買ってきたから飲みなよ」


俺はそう言いながらバッグからリポ○タンDを取り出し、キャップを開けて母の口に突っ込んだ。

咄嗟に母が俺の腕を握る。おそらく角度が低くて少しずつしか飲めないのが不満なのだろう。

俺は瓶を持つ手を高くしてほぼ垂直の角度まで持っていくと、母の手の力がより一層増し、震えも加わった。目から涙までこぼしている。

よほど美味しかったのだろう。よかったよかった。


しばらくすると食事が運ばれて来た。見るからに美味くもなさそうな粗食といった感じの献立だ。

俺自身も幼少時代に入院経験があるので、この病院食の不味さは知っている。大人になればそれなりに舌が肥えるので、より不味く感じることだろう。


「今日はさ、この不味いメシを美味くする秘密兵器を持って来たんだ。きっと満足すると思う」


俺はバッグからミキサーを取り出す。かの有名なブレ○ド○ックの強力なやつだ。

そして病院食を次々と中に投入し、ついでにリポビタ○Dを3本分注ぎ込んだ。


「ちょっと!何勝手な事やってるの⁉︎」


他の患者を診ていた看護婦がミキサーの音に気づいて俺の方にやって来る。

そして何やら俺の側でゴチャゴチャ言っているが、ミキサーの音にかき消されて何て言ってるかわからない。

鬱陶しいのでとりあえず看護婦の口に○ポビタンDを突っ込んでおいた。


完成した【病院食ミックスジュース】は何とも言えないすごい色をしているが、リ○ビタンDを3本も入れたのだからきっと美味いはずだ。


俺は母の口をこじ開けてミックスジュースを流し込む。

母の身体は凄まじく震え出し、先程よりも大量の涙を流し出す。どうやら喜んでくれたようだ、俺も嬉しい。

将来は料理人になろうかな、と3秒間だけ考えた事もあった。




そして、最後に父との思い出。

父が交通事故に遭ったのは去年。しかも、事もあろうに俺の目の前で車にはねられたのだ。


「おい、まだか」


玄関先で俺を呼ぶ父の声。今日は近くの百貨店までの買い物に付き合う為、先に支度を済ませた父が俺を待っていたのだ。

俺も支度を終え、玄関へと向かう。

そして、下駄箱の上の写真立てを掴んで思い切り床に投げつけた。


「あっ…!」


見ると、家族写真が入った写真立てのガラス面には無数のヒビが入っている。

写真立てがヒビ割れると、近いうちに不幸が訪れる…そんなよく聞く噂に、俺はほんのちょっぴり怖くなった。

今思うと、これがこの後起こる地獄の前兆だったとは、この時の俺は知る由もなかった…


百貨店へは、車で行く程の距離ではないので歩いていくことになった。

ちなみに車だとたったの一時間くらいだ。

俺の前を歩く父が住宅街の交差点を横切ろうとした時だった。

突如として三輪車が猛スピードで横から現れ、父に衝突。そして父もろとも俺の視界から消えたのだ。。

俺は慌てて交差点を曲がり、倒れている父の元に駆け寄る。

夥しい出血、呼吸は止まっている。胸に耳を当てると…確かに鼓動音が聞こえた。どうやら気を失っているだけのようだ。

とりあえず救急車を呼び、血塗れの父を写メってから心臓マッサージを始める。

心臓マッサージは最近、学校の授業で教わったばかりなので手際よく出来た。だがまだ意識は戻らない。

人口呼吸は…なんとなくやめておいた。理由はどうか訊かないでおいてほしい。


しばらくすると救急車が到着。救急隊員が父の脚を掴み、俺の方を見る。


「危ないので、離れててくださ〜い」


そう言い、隊員が父の脚を両脇で抱えると、その場で豪快に回転を始めた。

ジャイアントスイングというやつだ。生で見るのは初めてだった、最高に興奮したものだ。

そして寸分違わぬ角度で、見事救急車の中へ父を投げ込む。

父の体が飛び込んだ際に器具などが散らばる音が聞こえた気がしたが、たまたまその瞬間に地震でも起きたのだろう。


どうやら必要以上に回りすぎたのか、救急隊員は千鳥足になりながら運転席に乗り込む。

父を乗せた救急車は左右へ蛇行しながら走り出し、ついには手すりを突き破って川へ転落、轟音と共に大破した。

その様子をスマートフォン越しに眺めていた俺。液晶画面にはRECの赤い文字…


その後、轢き逃げをした三輪車の運転手が警察署に出頭し、業務上過失致死の容疑で逮捕された。

それからというもの、俺は毎日のように轢き逃げ犯の家に行って、【この家の主は轢き逃げ犯です】と書いた紙を玄関の扉に貼り付け、ポストにはその辺で拾った野良犬や野良猫の糞を投函している。そして、暇さえあれば奴の自宅の固定電話に無言電話…

父をあんな目に遭わせたのだから、これくらいの仕返しはまだ可愛いレベルだろう。

ちなみに今も続けている、継続は力なり。




そしてなんやかんやで父は死に、今に至る…

家族に支えてもらったから、ここまで来れた。その気持ちを決して無駄には出来ない。こんなところで負けられない。絶対に。


意を決して目を開けた時、真っ先に視界に入ったのは握り拳を突き上げた主審の姿。


ーー ボーク


呆気に取られる俺を尻目に、三塁ランナーが両手を高々と上げてホームに生還していく。


まさかのサヨナラボーク。

俺の最後の夏が、幕を閉じた。

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