レトラの物語
やり直そう。今度は魔王として…歪んでしまったものを全て破壊し尽くして。
retry…その文字から俺は魔王レトラを名乗る事にした。
まずは勇者の死を知らしめて人間を絶望させなければならない。幸いにも使えそうな遺体が目の前にある。名も知らぬ魔王の遺体を焼き、棺桶に詰める。勇者の装備と共に…
その作業を魔族の男・ゴートが手伝ってくれた。主を殺した俺に忠誠を誓うと言ったのだ。にわかに信じられなかったが殺す事は容易いので受け入れる事にした。
そして、遺体と共に【強欲】の力で複製した【竜殺しの剣】をアレクを勇者に仕立て上げた国王の元へと送り付けた。それと同時に、彼女の元へと本物の剣を送った。勇者の最後の願いを込めて。彼女だけは守れるように。
◇
魔王城には様々な文献が眠っていた。この世界の歴史、魔物図鑑、虐げられた魔族の日記…その中で魔王として生きる為に必要な本があった。【魔王研鑽】という闇と無属性、属性融合に特化し、王としての力を授けるとされる禁断の書だった。レトラはその本を使い真なる魔王の力を得た。
そして、彼の復讐が始まった。
魔剣【七大罪処刑】は魔王に相応しいものだった。
【傲慢】なほどに魔物を操る事が出来た。
【憤怒】によって力を振るう事が出来た。
【嫉妬】のままに相手の全てを奪う事が出来た。
【怠惰】を人に与え生きる気力を奪い去る事が出来た。
【強欲】に全てを自分の物とする事が出来た。
【暴食】の意思で何もかも喰らい尽くす事が出来た。
【色欲】を解き放たせ人を理性なき獣へと堕とす事も出来た。
魔王レトラは非道の限りを尽くした。
そこには【誠実】も【寛容】も【希望】も【分別】も【節制】も無かった。
だが【慈愛】はあった。魔物の中でドラゴンだけは全て彼女を守るために彼女の傍に置いた。【愛】だけが彼を唯一魔王にしなかった。それらが彼を追い詰めるとは知らずに。
◇
その一方でレトラは知らないものを知った。ゴートとその妻・エナ、そして2人の娘・メア。それは燈真であった頃の両親と妹と重なった。
ゴートたちは魔王の世話をするためだけに生かされていた。他の魔族は残っていなかった。魔王と人々、そして愚かな勇者によって皆殺しにされていた。
レトラは彼らを守ろうと決めた。ゴートの忠誠を信じ、彼は3人を家族のように考え始めた。そこには次第に魔王も魔族も無くなっていった。本当の家族のようになっていった。
3人の家族と最愛の少女のためだけの優しい世界。魔王の描いた勇者よりも歪な理想…それは決して叶う事は無かった。
◇
魔王になって1年と少しの時が流れた。そして、1人の剣士が現れたのをレトラは知った。勇者の剣を受け継ぎ、勇者になろうとするかの如く魔物を次々と倒す若者の噂…
だが、レトラにはもっと興味があるものが存在した。前の魔王が残したマナの放出魔法陣だった。これを用いれば世界が救われるだろうと彼は考えていた。だが、マナに耐性のない…つまり、魔法の使えない者は死に絶える事になる諸刃の剣だった。だが、彼はそれを是とした。1人の少女さえ守りきれば3人の家族は魔法が使えたのだから。そして、彼は自分を倒しに来る若者を生贄にしようと模索し始めた。
その若者を利用する事しか考えず、彼女に託したものが何だったか、彼女を守る魔物がどんな種だったかを忘れて。
◇
予想を超えた若者の強さにレトラは不安を抱えた。そして、彼は3人に一時的に城を出るように命じた。戦いに巻き込んでしまわないように願ってのものだった。少女が何度かくれたお守りに自分の力を加え3人に託した。それはただ父と母、そして妹を思うものだった。優しい世界でまた会えるための証だった。
レトラにとって、彼らは家族だった。そして、彼らにとっても…だからなのだろう。彼らは若者に立ち向かってしまった。復讐に囚われ何も見えなくなっていた若者に。そして、若者は3人を殺した。最愛の人に託したそれを奪い返すためだけに。
◇
手にした3つのお守りと剣、そしてその顔…レトラは迎え入れた若者を見て愕然とした。
血塗られた服が彼の理想を粉々に打ち砕いた。最愛の少女リーシャとの再会はあまりにも悲劇的で笑うしか出来なかった。
幸い、顔を知られてはまずいと仮面を身につけていたレトラは思った。「もう、どうでもいい」と…
彼女は復讐をしにきたのだ。全てはあの時から始まっていたのだと悟った。自分の存在自体が歪みだったのだと…だから、殺しは出来ないその刃で貫かれ自らを生贄にしようと覚悟が出来た。
どうしようもなく、彼は愚かだった。ただ正体を明かし、抱き締めて愛を囁けば良かっただけなのだ。
何も知らない無垢な少女が刃を手に勝ても出来ないであろうドラゴンに立ち向かい手を血に染めた理由など祖父の復讐などではない事など考えれば分かる事だった。いや、彼は分かっていた。
ただ、知られてはいけなかったのだ。彼女が殺した魔族が自分にとってどんな存在だったかを。だから、レトラは最後まで魔王である事を決めた。そして何より復讐に走ろうとする自らの【憤怒】を抑えつけた。
そして、幾度かの剣戟の末、彼はわざと貫かれた。決して自分を傷つけられない刃と知りつつも。
そして、贄になる事を選んだ。誰も居ない世界に彼女を残さなければいけないと分かっていながらも…
仮面が落ち、はっきりと最愛の少女が見えた。復讐を遂げた彼女は顔を青くさせた。
生きていると、大丈夫だと言ってやりたかった。でも、口に出来たのは魔王らしい言葉。誤解をしてくれれば良かった。勇者の体を魔王が乗っ取っていたのだと…いや、実際にそんなものだったのかもしれない。魔王として許されない行為をやったのだから。
このまま2人で消えてしまおうかと思う自分が居た。そんなものは全ての大罪の力で抑えつけた。そして、魔法陣の中から彼女を突き飛ばした。
泣きながら彼女は叫んでいた。その言葉は聞こえなかった。でも、きっと俺を責めるものだったんだろう…
◇
だが、レトラの願いは叶わなかった。魔法陣はただの転移しか行われなかったと知った。それによってマナが大量消費されたのは幸いだったが、人間は犠牲になる事は無かった。
でも、安堵した。彼女だけが生きる世界では寂しかっただろうから。
そして、これから行く世界で俺は今度こそやり直そうと心に決めた。燈真としてアレクとしてレトラとして…そして、燈真でもアレクでもレトラでもないものとして。
ただ、大切な人を泣かせないように。