魔王の最後
魔王城、最上階・漆黒の間…
「はぁ…はぁ…」
幾度とない剣戟の末、1人の少女が光輝く剣を魔王の胸へと突き刺した。
人間は勇者を失いながらも、ようやく長きにわたる魔族との戦いに終止符を打つ事が成功した瞬間だった。
「お兄ちゃん…勝ったよ…」
少女の呟きが響く。
それを聞いたのは顔をマスクで隠し、悪の権化として今まさに命を落とそうとしている魔王レトラ。
(いや、死んでないし…)
確かに胸には勇者が使っていた聖剣が穿たれている。そして、目の前の少女に敗北したのは間違いなかった。
敗北を悟ったのは目の前の少女が生き残っていた魔族に託した守護のペンダントを身につけていたからだ。
もう魔族の繁殖は望めない。もっとも、それを成すのは最初からほぼ不可能とは考えていたが。
まさか、目の前の少女が魔族を惨殺して勇者の敵討ちをするとは考えてもいなかった。
全ては因果応報と、今まで成してきた己の愚かさを嘆くしか出来なかった。
2年前。勇者と呼ばれ世界を救うはずだった青年アレクが魔王に倒された。
魔王レトラは勇者の使っていた聖剣と焼かれた遺体をわざわざ王の元へ送り付けた。
それがレトラの間違いだった…2年が経ち、少女が現れた。
かつて勇者が使っていた剣を手にして。
魔王が大切にしていた魔族を全て討ち滅ぼして。
少女の名はリーシャ。
かつて、アレクに命を救われた貴族の娘だった。
アレクは何処にでもいるような村の少年だったという。
村が魔物に襲われ親を亡くした。
貴族の討ち損じた竜を倒し、病に効果があるその肝を貴族の孫娘に届けた。
冒険者として多くの魔族を倒し、勇者として仲間や兵を失いながら魔王に挑み…そして負けた。
リーシャにとって、アレクは命の恩人であり想い人であった。
その仇を倒したのだ。
表層を見れば。
(まあ、聖剣を彼女に託したのは俺だからなぁ…)
レトラは知っていた。
勇者と呼ばれた青年が道化でしかなかったのだと。
貴族に魔物の討伐依頼を断られ父親と村を失った…
魔物に襲われ命を失うところを竜に助けられた。
その竜・セイントドラゴンに生きる術を教わった。
見殺しにした貴族に育ての親であるセイントドラゴンを殺され、貴族を手にかけた。
セイントドラゴンの遺志と贖罪で1人の少女を救った。
冒険者として魔族を倒す中で、自身の母親であった魔族を殺してしまった…
母親の遺志と真実を知り混血やこの世界で忌み子とされていた魔法を使える人間を保護していた。
そして、己の愚かさでその子たちを殺され、仲間や兵を手にかけた。
結果、青年は人間を完全に見限り、魔王を圧倒し魔族を救おうと新たな魔王を名乗り、本当の魔王の亡骸を青年の身代わりとして判別出来ないほど焼き装備と共に送りつけた。
「強くなったな…リーシャ。いや、勇者か」
するり、と仮面が落ちる。
リーシャの顔は勇者らしく魔王を倒した凛々しい表情から一変する。
魔王レトラはアレクであったのだ。
彼は魔王が魔法を使えない世界にしようと画策している事を知った。
魔法を使える人間は人間が殺してくれる。混血も同じだ。
では魔族を根絶やしにすればどうなるか…
飽和していくマナによって世界は滅ぶ。
アレクはそれを知っていた。セイントドラゴンから世界を守れと託されたのだ。
だが、誤解をした。
人間は正しいものだと。間違ってはいないのだと…そう信じたかった。
正しくないと、間違いだと気付いた時には手遅れだった。
彼を含めた人間は間違いばかりを犯し続けた。
セイントドラゴンはこの世界の神だった。
神の力であり人間が信仰する癒しの力は彼の死で永遠に失われた。
混血と悟られないようアレクを捨てた母を手にかけた時、彼は母の愛を知った。
その愛を受け継ぎ、忌み子たちを守ろうとした結果、仲間…いや、人間全てに裏切られたのだと彼は悟った。
そして、何の力もない家族として2年間を過ごした魔族の一家を彼女が殺したと先程知って…
もう、どうでもよくなった。
だからこそ、残酷な決断を実行する事が出来る。
「勇者よ…愚かな勇者よ。お前に世界を託そう」
魔王らしい台詞を吐く。
それと同時に魔法陣を起動させる。
捧げるのは命…
魔王レトラは己を生け贄に世界を壊すのだ。
本当の魔王が望んだのとは別の方法で…
人間の命と引き換えにマナを強制放出させる。
聖剣と守護のペンダントに守られた勇者の少女だけをこの世界に残して。
(2回目か…変わらないな、俺って奴は)
勇者となった少女が何か叫んでいる。だが、魔王の耳には届かない…
この日、2代目の勇者が生まれ魔王が死んだ。
勇者以外の人間全てを道連れにして…
そうして、戦争が終わった。
◇
『いや、何やってるんですか。先輩…』
懐かしい声に俺は目を開ける。
俺はアレク、そしてレトラとして一生を再び終えたからなのかと思うが、どうやら違うようだ。
少なくとも、最初に死んだ時は俗に言う四十九日までは世界に留まっていたのだ。
世界の概念が違うと言われればそれまでであるが。
「……生きているな」
手を見る、足もある。ついでにさっきまで持っていた魔王の剣に服も身につけてる。最初の時みたいに魂だけの存在ではないようだ。
『いや、話聞いてます。先輩?』
さっきから俺に声をかけてくる奴を見る。
俺が藤島燈真だった世界の後輩の自称男子生徒で、現在はマナの発生源の神様だ。
意味が未だに理解出来ないが、悪人…いや、邪神というわけではないのは俺が一番よく知っている。
「ああ、聞いている」
胸へと手を当てるが傷は無い。鼓動もはっきりしている。やっぱりかとも思うが安心している部分もある。
あの剣にはセイントドラゴンの意思が宿っているので俺は殺せない。
理解していたとはいえ、一度手放した剣だったから不安だったのもあったか。
『なら、どうして異世界移送魔法なんて発動してるんですか…俺、言いましたよね。どんなに頑張っても元の世界に帰れないって』
異世界移送魔法?
何の話だと聞き返すと、後輩は細かく説明をしてくれた。
曰く、魔法陣は前魔王が最初から組み間違えていたので移送魔法にしかならない。そもそも、後輩は俺に勇者や魔王なんかさせるつもりはなく普通に生きて欲しかったとか。
なら、崩壊寸前の世界に半魔として転生させるなとも思うが、用意出来た器がアレクしかなかったらしいから仕方ない。
まあ、こいつの気持ちも分からなくはないし。
「とはいえ、全ては無駄だったのか」
途中からこいつの手助けになればという気持ちはあった。
それは、そもそも俺の死にも関係していた事だ。
藤島燈真の死因は病気や事故、ましてや事件に巻き込まれたものではなかった。
いや、まあ事件といえば事件ではあったが。
街中に突如として現れた存在しないはずの生き物…アレクの世界で言うところの魔物・ブラックドラゴンに爪で切り裂かれて絶命したわけだ。
ブラックドラゴンなんてものが現れた原因はマナの暴走であったらしく、責任を感じたこいつは俺を転生させた。
まあ、そのブラックドラゴンがアレクの世界の生物で、前魔王があの魔法陣の試験で生け贄にしたものらしいのは皮肉な話だと思うが。
それを知ったのはレトラになってからだし、一応復讐は出来たと思う事にした。
まあ、色々思うところはあるが。
『それで、異世界移送魔法を一時的に止めてるんですけど…どうします?』
失敗したという事にしてアレクの世界に戻るか、何処かの異世界に行くかという選択をしなければいけないらしい。
ちなみに、その異世界に藤島燈真であった世界は含まれていない。
まあ、そこへはもう未練は無いし構わないのだが失敗して帰るというつもりも無かった。
リーシャのために帰るという気にならなかったわけではない。
だが、彼女は変わりすぎてしまったし、その原因は俺であるのは間違いない…更にいえば前魔王より苛烈な戦争をしていたし勘違いでしたで済む話でもなくなっている。
アレクの居場所すらあるとは思えないし、死んでしまったという事にしておいた方が美談である。
罪悪感はありもするが、死者が帰ってくるでもなし、あの世界の人間の行いを認める気もありはしない。
「まあ、この力を今度は正しく使える世界に行けるなら…何処でもいいな」
セイントドラゴンから教えられた【聖竜波動】と魔王書庫で得た【魔王研鑽】という2つの力を俺は持っていた。
勇者としても魔王としても異質であり異世界のバランスブレイカーとなりえる存在と化していたのは自覚している。
リーシャと戦う時に力を使わないよう加減しないと殺してしまったかもしれなかったわけだし。
『あー…なら、勇者やりますか。俺の行ってた世界の未来で。何かまた色々あるみたいですから、あの世界』
「ああ、勇者だろうが魔王だろうが構わない」
あの世界というのはこいつがクラスの連中と転移してしまった世界の事か。
ややこしいらしいのは転生までの待ち時間に聞いたし、あまり良い感情はないが墓参りついでに勇者をやるのも悪くはないか。
『あの…その…』
勝手に人の心を読むなっての。こいつは神様になっても変わらないなぁ…とはいえ、人のこと言えないか。
「気にするなって。悪いのはお前じゃないだろ」
マナの暴走を防げなかったのは事実にしても、400年も俺のためにこんな場所で生きなきゃいけなくなったこいつを責める気はないし、あの世界の人間はともかく最初の世界の人間…いや、こいつは信頼出来る人間なわけだし。
とはいえ、こいつの傍に居るのは次に死んだ時と約束した。もっとも、そのつもりで陣に飛び込んだんだが失敗とはな。
『先輩…俺は…』
俺は泣き出しそうな少女の頭を撫でる。
「心配するな奏多。運が良ければ転生したあいつに会えるかもしれないだろ?」
その言葉に納得してくれた奏多は止めていた魔法を再開させてくれた。
遠退く意識の中、泣きながら笑っている彼女を見た。
(本当にバカだよな、俺は…)
そう考えながら、俺は神の世界を後にした。