らすとばとる
生きるか死ぬか。
二つに一つで言い換えると……仲間を一人見捨てるか危険でも助けるか。
私たちが選んだのは生きる方。
もともと州政府の保護下でもなくどこかのテリトリーに正規所属している訳でもないから、ここで置いて行かれると後はどうしもない現実が迫ってくるだけ。
騒ぎを大きくしすぎてこちらに向かって進攻中の州軍、そして悪魔たち。
魔狼の隊長さんの説明のない強行軍で手持ちの食料と弾を減らしているためそんなに戦えないうえ、最低限の物資しか運んでいないから結界を作り出すことも難しい。
しかもここは埋立地でコンテナターミナルや流通センターの跡地。
聖水を作るための水と材料の確保がほぼ不可能で、多数のテリトリーに荒らされているから残っている物資もほとんどないと言っていい。
「なにそんなに沈んだ顔してんのさ」
「…………」
「話してる暇があったらおめえら警戒しろ。こっち側はまだ掃討してねえんだから」
「ゼファーあんたそういう言い方はないんじゃない、あんたは正規所属だろうけど私たちは違うんだよ? もしかして昇格のことで焦ってるわけ? 人の命より自分の立場か」
「ぅるっせえな」
「あーやだやだ。なんで男はこういうときまでそんなことにこだわるかねぇ」
気分はかなり沈んでいたと思う。
それでも私もVz61カスタムを手に持って進んでいく。
生き延びろと言ったスコールさんのためにも、私は生き延びよう。
魔狼の隊長がなにを考えているのかはわからないけど、こうして大移動したからにはこの状況から抜け出す何かがあるんだろうから。
「ユキってさ、もしかしてスコールのこと気になってたりする?」
「え? いえ、そんな……」
「好きだったり?」
「それはないと思います……たぶん。なんていうか……頼りになる年上の人で、なんて言ったらいいのかな……えと……」
「そこが好きってことじゃない」
「なんでそっちに持っていこうとするんですか」
「ほらそうやって否定するところがしょーこだよ」
「強引すぎますよー……」
流通センター跡地、壊れかけた倉庫の間を進んでいくと不意に前方から人が現れた。
先頭を進んでいた人が警戒しながら接近していく。
でもあれは……なんだろう、とても嫌な感じ、悪魔と同じような……。
「止まれ! どこのテリトリーの者だ」
「痛い……傷がいてえよ……」
やけにボロボロすぎる格好の男性だ。
銃口を向けられているというのに、片足を引きずりながら近づいてくるのはどういうことだろう。
「いてぇ、いてえんだよ、助けてくれよ」
「止まれ! 聞こえないのか、止まれ!」
距離が近くなってくると”それ”がはっきりと見えた。
体から溢れる黒い靄のようなもの……。
見ているだけで体が拒否するかのような反応をする気持ち悪いそれ。
他の人たちには見えていないようで。
悪魔だ。
ゾンビと違うところは知性を持ったままで感染するところだから、こうやって近づいてきたら。
「どいてください」
先頭の人の横から容赦なく撃った。
引き金を引いていたのは一秒もなかったけど、撃ち出された数十発は足を砕いて腿を削り取ってお腹から肩へと砕いていった。
誰とも知れぬその人が灰になりながら崩れ落ちると、進む先からさらに現れた。
「けっ、撃てぇ!」
すぐに本職の人が慣れた動きで制圧射撃を開始して、何人かが動きの鈍ったところに致命弾を送り込んでいく。
「よく分かったなお前」
屈強な体格の人に褒められた?
「なんというか……黒い靄みたいなのが溢れ出してて……それで、分かりました」
「黒い靄か。まさかお前もあいつと同じ……」
「数が多い! 追加だ追加ぁ!」
「くそっ、まだこんなにいやがったのか」
本物の銃声は響かず、エアガンの高圧ガスが解放される大きな音だけが鳴る。
「後ろからも来た!」
「ゼファー! 上に行って警戒、残りは後方へ斉射」
「ああもうっ、僕の権限はどこ行った!」
「ろくに指揮もしたことねえやつに任せられるか」
「んだとこの」
口では喧嘩しながらも従って登っていくゼファーさん。
かなりボロボロの壁であちこちにへこみがあるから登りやすそうではあるけど。
「ユキ、こっち手伝って」
「はいっ」
後ろ側からくる感染者、悪魔たちに向かって容赦なく撃つ。
昼間からこれだけやっていると変異体が……本物の悪魔が出てきてもおかしくはないと思う。
もし出てきたらそのときは本当にお終いだ。
少し進むか戻るかすると横に道があるけど、それは海側に出る道で行き止まり。
力尽くでも前に進んで国際物流センターの跡地からコンテナターミナル側に抜けないと。
「変異体確認! 数……八!?」
「えっ……」
一瞬だけ静かになったような気がした。
隊長もスコールさんもいないこの状況でそれだけの数は対応できない。
ハティも私たちが移動を始めるときにはどこかに行っちゃったし。
「後ろグレネード! 突っ切るぞ」
無茶な指示が出た。
グレネードは聖水をまき散らすタイプで、それを使って一時的な”壁”を作る。
そして前だけに集中して駆け抜けるのだろう。
犠牲は当然……出る。
ミコトさんとホノカさんがグレネードを放り投げたのを合図に、前の方の人たちが一斉に走りながら撃ち始めた。
遅れたら置いて行かれる。
それは終わりだ。
「遅れないでよユキ」
「ついていける自信がないですよー」
あっちは正規所属で一応は一般人だけど軍人さんみたいな訓練してるから実力が違う。
「っておぉぉいっ!? 僕は置き去りか!?」
倉庫の上から早速置き去り一人目が叫んだ。
助ける余裕はないし待っていれば私たちが囲まれてしまう。
さようなら、ゼファーさん。
走っていくと錆びた倉庫の壁を突き破って悪魔が現れて、捉えた瞬間に撃ち抜かれて灰に変わっていく。
それでも現れる勢いの方が上だ。
沈みゆく船に流れ込む水のようになだれ出てくる悪魔たち。
感染しただけでなんで人を襲うようになるのかは知らない。
それでも襲われるなら自衛のために抵抗はしないといけない。
「まっず」
「これ私らだけでやれんのぉ」
二人が片手で後ろに向けて……なんていう銃だろう、長方形をくり抜いてサイトをちょこんとくっつけたような形。
それの引き金を引き絞って、繋がった発射音が響いて悪魔を灰にしていく。
あまりにも数が多いから狙う必要もなく、向かってくる群れに向けて撃てば当たるような状態。
数十秒もの長い連射。
たぶん五百発くらいあると思われるそれを撃ち切ると、銃の上に平行になるように差されていたマガジンを抜き捨てて、ポーチから長いマガジンを抜いてリロード。
「それなんていう銃ですか」
「P90、持ちやすいしこのマガジン巻かないでいいから使いやすい」
「おっ、話すだけの余裕があっちゃう?」
「ありませんって!」
後ろは任せきりで私は前方の撃ち漏らしを片付けることに必死でもある。
結構ハイペースで走っているつもりでもどんどん距離が開いて置いて行かれてる。
「わたっ」
「ホノカ!」
リロードの際に足がもつれたのかどたっと倒れたところにカバーに入る。
悪魔たちの足元を狙って横薙ぎに連射。
一番前が倒れると連鎖的に後ろまで倒れていく。
それでもすぐに踏み越えてくるけど。
「ごめん、ってこれは……」
「あちゃー……」
「無理ですよね」
ほんの数秒で進む先が塞がれていた。
一体どこにいたのかと疑いたくなるほどの数が揃っている。
「とりあえず」
「これで最後の手持ちだからね」
足元に聖水入りグレネードを落として、激しい霧を浴びせられた。
風がないから一分くらいは持ちそうだけど……。
「で、どしよっかな?」
「無理っしょこれ」
そう言いながらもローダーで弾を込めているあたり、まだ諦めてはいない様子。
「前も後ろも塞がってますけど……」
「ついでに横もね」
「いや上がまだあいてない?」
「どうやって登るんですか」
「……ほら、こういうときって都合よくロープとか梯子が」
「ないって」
一時的な結界の内側にも外側にもそういったものはない。
いくら錆びているとはいえ壁を崩して向こう側に、そういうこともできない。
「…………」
「…………」
「……あっ」
「どしたユキ?」
「あそこにゼファーさんが」
三人揃って上を見上げると火事場の馬鹿力というか、そんな感じで全速力で倉庫の上を走って五メートル以上飛んで変異体から逃げ回っている。
しかもバックパックと本物の銃火器を背負って。
「ゼファー!! ロープ!!」
「お前らだけで死んじまえっ!!」
そんな応酬が終わってすぐに、ホノカさんとミコトさんがP90を構えてゼファーさん目掛けて撃った。
さすがエアガン、結構な距離を飛んでもカンッと弾がぶつかる音が響いてくる。
しかも追い打ちの形になってちょうど後ろの変異体に命中している。
「ミコト、もうちょい前」
「オッケー」
そして結界の効果が切れる十秒ほど前になって、私たちのすぐ上で転倒したゼファーさんのバックパックから奇跡的にワイヤーの束が落ちてきた。
無駄弾使い過ぎじゃないかな。
「よし、耐えてよゼファー」
「ふざけんじゃねえっ!」
倉庫の雨樋に固定されたゼファーさんが耐えて、私は一気に上に移動した。
風化しているはずの雨樋さん、耐えてくれてありがとう。
まるで最後の役目を果たしたというように、ぼろぼろと崩れて落ちていった。
「お前らなぁっ!」
「そよ風なんだから優しくしてくれてもいいんじゃない」
「僕はお前たちの奴隷か……」
そんな話しを聞きながら、私は半身を削り取られていた変異体にマガジン二本分きっちりと撃ち込んで完全に灰に還した。
ミコトさんとホノカさんがけっこうな数を撃ち込んでいたから、ほとんど消滅寸前だったけど。
「それでどうすんのこれ」
「飛び移れるような場所もないし、ターミナルは反対側だし」
「あの、正規所属のゼファーさんがいますし、無線で呼んだら助けに来てくれるんじゃないですか?」
「非正規のくせしてなんで正規の僕が使われる側なんだよ……」
そう愚痴を言いながらも隊長に何かを言っている。
かなり早口でヘッドセットを使っているから聞こえてこないけど、焦っていることだけは分かる。
「これで捨てられたらあたしらマジで終わりだよ」
「あーあぁ」
どさっと座りながら体を逸らして下を見る。
私も落ちないように見ると、人間タワー……じゃなくて悪魔タワーを組もうとしているのか、運動会の組体操のように土台ができてその上に次々と乗りあがって……。
「こりゃ持たないねぇ」
「ゾンビだったらまだ楽なんだろうかな」
「いや、それたぶん腐敗臭がひどいと思いますよ」
「そっかぁ」
「それにゾンビだったら実弾じゃないと効きませんから私たち死んでますって」
「はぁーもう、ゼファーまだ?」
タワーが高くなると諦めが大きくなる。
ここにあるものだけで応戦したところで数分も持たない。
「迎えの船が来て乗り込んでるからこっちに戦力割けないだとさ。まったくよー、僕らだけ見捨てられるか」
「迎え? どこの州の?」
「州じゃねえよ、魔狼のベースゾーンからだと」
「え、あの話ほんとだったわけ」
「魔狼の本当の正規所属は基本二百人くらいで、後は傘下組織って形だよ。僕だって正規所属となっちゃいるけど傘下だ」
「どういうことなんですか?」
「えっとだな……」
「あとあと、ほら来たよ……!」
四方すべてから悪魔の手が這い上がってきた。
最期かなぁ……。
大人とも子供ともいえない中途半端な私たち。
こんなことにならなければ普通に学校に通って友達とおしゃべりして、好きな人ができて……。
いまとなってはもう、夢物語、かな。
「死にたく、なかったなぁ……」
「泣き言は最後に言えよな」
「へぇ、こんなときでもやる気はあるんだ」
バックパックから羊羹みたいに黒くて長い予備マガジンを四十本と、円盤を二つ繋げたようなドラムマガジンを十個だして足元に置く。
さらに大きな箱型の……これもマガジン?
「コネクタでなんにでも使えるから全部ばらまくつもりで使え」
ホノカさんが即座にP90に箱を取り付けようとしたけど、すぐにやめた。
「これ何発入り? 重すぎ」
「ボックスは五千発、ドラムは千発、あとは五百発だ」
結局ボックスはゼファーさんが、ドラムはミコトさんとホノカさんが取り付けた。
P90の本来は細長いマガジンがあるべき場所に、某人気のあるネズミさんのような、耳のようになっている。
私はリロードしやすいように普通のマガジンを差し込んで、四本ほどベルトに挟む。
「グレネードは?」
「ねえよ」
「使えない奴隷だなぁもう」
「なんで奴隷なんだ!」
いつもこんな感じで騒がしくて、喧嘩してるように見えるけど一緒に戦ってきた仲間だもん。
戦うには仲間は多い方がいい。
一人より二人、二人より三人、三人より四人。
私とミコトさんとホノカさんとゼファーさん。
スコールさんがいたら完璧だけど……。
「背中合わせでそれぞれの方向を押さえろよ」
「はいはい」
「たまにはまともな指示をだすね」
お互いに死角をカバーする円陣に、まあ円というより角だけど。
悪魔たちも最初の数体が上ると手を伸ばしてどんどん仲間を引き上げていく。
「さあ来い、悪魔ども!」
「ねーホノカ、生きて脱出できたらどーする?」
「うーん……青春を謳歌する、なんてどうよ」
「彼氏なんていないからちときついよー」
「だねー」
「あの、なんかゼファーさんが沈んでますけど」
「うわらぁぁーーー!!」
感情をぶつけるかのように真っ先にフルオートで射撃し始めたゼファーさん。
私たちも続いて容赦なく撃ち始める。
とにかく近寄らせないように足を狙って横薙ぎに弾幕を張っていく。
銃口を動かすとざばぁっと灰が散って後ろから悪魔が殺到してくる。
流れ込む濁流のように、どれだけ足を撃っても続いて後ろから波が押し寄せる。
一本目が空になるころには灰の壁ようなものが出来上がっていて、それを蹴散らしながら悪魔が進んでくるから周りは灰色の壁に囲まれたような状態になっていた。
「ローディング!」
しゃがんでマガジンを外す。
その間ゼファーさんが両手に持ったエアガンの片方を私のカバー範囲に向けて乱射する。
コネクタと大容量マガジンということもあり、いつものように落として差すだけのリロードより時間がかかってしまい、復帰までに五秒もかかった。
「終わりました!」
「次あたし!」
すぐにまたゼファーさんがカバーに入る。
さすが五千発という規格外マガジンは継続力が違う。
でもあれだけ連続しているとモーターが焼けつかないだろうか。
「くっ……」
「やっぱ無理かなぁ」
かなりの数を倒しているけど押し寄せる波はジリジリと近づいてきている。
一体どこにこれだけもいたのか。
「おかしいだろ、いくらもと人口が密集していた場所だからって埋立地だぞここ!」
「海底トンネル経由で来てんじゃないの」
「いや、橋もトンネルも潰してるはずだありえねえ」
そのまま二分ほど持ちこたえたころ。
ついにエアガンの限界が来たようで、ゼファーさんの弾幕が切れた。
「チッ、くそっもうだめか」
「カバーに」
「いやいい」
ボックスマガジンを乱暴に取り外すとバックパックの中からハンドガン型のエアガンを取り出して突き差した。
まずハンドガンにはドラムマガジンを付けること自体がほとんどない。
ましてボックスとなれば趣味でやる人くらいじゃないかな。
「うわっ」
「なんかハンドガンじゃない音がしてますけど」
「マシンピストル?」
「ハンドマシンガンだ! 喰らえくそ野郎どもっ!」
サバイバルゲームでも休み休みの連射だから大丈夫な訳で、こんなところだと休みなしの連射でしかもリミッターなんてないからあっという間にパーツの寿命が……。
「ジャムった、カバーお願い」
給弾不良に陥ったところにカバーに入る。
Vz61の予備を使って両手撃ち。
実銃だったらまずあてることなんてできないだろう。
『ゼファー、応答しろ。返事がないなら死んだとみなす』
「ばりっばりに生きてますよこんチクショー!!」
『変異体の数が多すぎる、そっちにはまだいけない』
「こっちもあんま持ちませんよ!? どこから湧いたのか不自然なくらいにたっくさんいますけどねぇっ!」
『あと十四分持ちこたえろ、クルトーが到着したら少しはマシになる』
「一分でも無理です!」
『無理ならば即座に洋上のフェンリルベースに砲撃を要請して消し飛ばすが』
「…………隊長、あんた最低だ」
『個よりも全を優先するだけだ、生き延びろ』
突き放すような言葉を最後に無線は切れた。
ほんの数分でもうもちそうにないのに後十四分も耐えられるわけがない。
しかもこのペースだともうじき弾がなくなる。
「これ入れて後二つ」
「あたしも」
「わ、私は四本です」
「だっーくそっ、こうなりゃ」
ゼファーさんがいきなり片方のボックスマガジンを外すと蓋を開けて足元にばら撒いた。
「なにやってんの!」
「いちいち撃たなくてもあてれば効果はあるんだ、だったらやつらにゃ地雷とかわりゃしねえよ!」
バチュッ!
靴越しに弾を踏んだ悪魔の足がはじけて灰になった。
衣服もまとめて灰になるのはなぜか分かっていない。
そもそもなんで灰になるかすらなぞ、水分とかどこにいったんだろう。
「そんなの分かってるよ、スコールがいつもやってたのと同じなんだから」
「あぁ?」
「ばら撒いたらアレをどーすんのってことぉ!!」
不意に私たちを影が覆った。
「え……」
「マジか……」
そこになにかいた。
なにかがいるのにそれが分からない。
大きく不快な声が響いた。
何語なのかはわからないけど、それは呪文のようで……周りが、世界が溶けた。
灰色の壁が黒く変わって、足元が、倉庫の屋根が黒曜石のようなものに変わる。
空間が伸びる、薄く血のような赤がオーロラのように青い空を変貌させて、昼間だったはずの空は星が瞬く暗い赤になってしまった。
「なにこれ……」
「地獄?」
「変異体……本物の悪魔だ、しかも上級のなぁ!」
ビュウと風を切る音が響いたとき、目の前にそれがいた。
強力な接着剤のような不健康な黄緑色の球体だった。
びちゃり、べちょり、とそれの粘液のようなものが落ちると、真っ赤に充血した大きな瞳に触手のようにうごめく鎖が絡みついている。
「うえぇ気持ちわる」
「こんなのに勝てるの」
「ぃぃ……」
怖さよりも吐き気や嫌悪が強かった。
それの全身からあふれ出す黒い靄のようなものが足元を流れて私に触れると、背中にドライアイスをあてられたような寒気がした。
「ユキ、大丈夫だから、私らがなんとかする」
「い、ぃえ、私も……」
「かなり顔色悪いよ」
視界が揺れる、体がふらついて倒れそうになる。
「やろ、ミコト」
「うん……私たちだけでどこまで戦えるか」
二人が歪なP90を構え、ゼファーさんはボックスマガジンをつけたハンドガンを構える。
さっき外したほうは無造作に投げ捨てられて転がっている。
「く」
る、を言う前にゼファーさんが二人を弾き飛ばして前転した。
重たい音がして木の幹よりも太い鎖が突き刺さっていた。
抜かれた先端にはアンカーのような鈍器がついている。
あんなもの、掠りでもしたら死んでしまう。
「やぁー!」
突き飛ばされた二人がすぐにそれの鎖を撃つ。
でも弾かれている、黒い靄に触れた時点で威力を失って弾がぽろぽろと落ちる。
「効かない!?」
「へっ、硬そうなところよりやわな目を狙え!」
それでも同じ、弾がはじかれる。
「走れ走れ! 狙いをつけさおわぁっ!?」
言ってる傍から横に振るわれた細い鎖に飛ばされて、かなり離れたところでごろごろと転がって……起き上がらなかった。
骨が折れたのか、鎖が当たった個所を抑えながら震えている。
「ゼファー! 男なら気合でなんとか」
「後ろ!」
「え、あっ」
すきを突かれた二人が鎖に薙ぎ払われて、私の上を飛んで落ちる。
じゃらりと勢いを失って落ちた鎖はトゲトゲしていた。
「いったぁ……」
「…………」
「ホノ……カ? ねえ?」
「ホノカさん?」
脇腹が大きく裂けていて、血だまりがそこから広がって……。
「…………っ」
諦めたように目を閉じたミコトさんは、二丁のP90を拾って悪魔に銃口を向けた。
「……ます」
「うん?」
「私も戦います」
何かが吹っ切れた。
震えて動かなかった体から恐怖が消えた。
Vz61を構えて、向かってくる鎖に撃つ。
やっぱり当たる前に勢いを失ってぽろぽろと弾が落ちる。
「回避!」
「はい」
横っ飛びに鉄球つきの鎖を避ける。
本体の方を見れば目線はミコトさんに向いていて、伸びる触手のような鎖は数えきれないほど。
「ミコトさん!」
「ユキ撃って!」
すごい速さで降り注いだ凶器の雨。
私はその轟音を聞きながら悪魔の瞳めがけて撃った。
かなりの距離があるから目標よりも上を狙った偏差射撃。
まっすぐ飛んでホップアップの効果でふわりと上がった弾が落ちながら目標に近づいて、不自然に落ちる。
「なんで効かないの」
ゆっくりと私のほうに向いた悪魔。
体中でうごめく鎖を不気味な空に伸ばして、それが地殻津波よりも凶悪な災害として迫ってくる。
巨大な錨、鉄球、刃、槍。
どれもが掠るだけで確実な死を与える一撃。
それが面として迫ってくる。
どう動いても終わりだ。
「…………あは……死んじゃうんだ」
そう分かると体から力が抜けて、ぺたんと崩れ落ちてしまった。
ただ迫る死を眺め、そっと目を閉じて終わりを待った。
一秒、ガキンとぶつかり合う鎖の音が響く。
二秒、波に押された風の音が聞こえる。
三秒、真横に重たいものが落ちて揺れた。
「意外に斬れるもんだな」
「へっ?」
四秒、すぐ前に鎖とそれにつながったものが落ちて止まった。
予想外の声に、おかしな気の抜けた声を出してしまったけど、見上げれば黒いパーカーを着た人が立っていた。
片手に真っ白な刀身の刀を持って。
「誰ですか?」
スコールさんじゃない。
声も体格も違う。
「お前こそ何だ? 場合によっては殺すぞ」
首にひんやりとした刃を添わされた。
「ひっ」
「所属と階級! その気配からしてどうせ だろ」
肝心ところだけ聞こえない。
確かに口は動いているから、隊長が言っていたように聞こえないようになっているっていうあれなのだろう。
……うん? だったらスコールさんの知り合いかな?
「あの、それがなんなのか知りませんけど、スコールさんのお知合いですか?」
「……お前、あいつの契約者か? もしかして か……?」
「契約者?」
「……はぁ」
顔に手を当てながらあきれた様子で刀を退けてくれた。
「他は……ゼファーのバカがいるならフェンリルか」
白い刀を肩に担いで片方の手を、ゼファーさんに、ホノカさんに、ミコトさんに向けるとぼうっと身体が霞んだように見えて、魔法のように傷が消えていた。
「ゼファー、そこの二人連れてさっさと逃げろ」
「へいへい」
言われた時にはすでに三人ともが私たちのそばにいた。
何事もなかったかのように傷が消え、破れたはずの服まで直っている。
「フェンリルの他の部隊が迎えに来てるから、ベースまで行けば大丈夫だろ」
大半の鎖を切り裂かれている悪魔へと刀を持った人が歩いている。
「どうすんだ、レイズ」
「ん? 見たところ下級悪魔みたいだし、斬り殺す」
さらっとそういったレイズさんは、正眼に刀を構えると目に見えない速さで一閃した。
到底悪魔には届かない距離のはずなのに、太刀筋に沿って悪魔から灰が飛び散って、次の瞬間に砕け散った。
併せて世界が元に戻る。
青い空が見えて倉庫の屋根を踏む感触が伝わると、悪魔の群れが襲い来る。
「心を喰われた遺骸、か」
刀を片手にその場で一回転。
白い靄のようなものがまき散らされ、触れた悪魔が一斉に灰にならずに赤熱して消える。
「相変わらずすげーな」
「いやさ、 を軒並み殺しつくした俺が言うのもなんだが、 より雑魚な悪魔に負けるわけないんだよ。つか魔力に抵抗のない生き物って簡単に呑み込まれるな」
「初期段階で止められたはずのお前が言うか?」
「世界を一つ救う間に別の三つを救えるなら三つの方に行く」
「ったく、そーゆーやつだったなぁ、おめーは」
ゼファーさんがそう言い捨てるとホノカさんとミコトさんを肩に担いで、灰の山を滑り降りてターミナルのほうへと行った。
私はまだ動けそうにない。
立て続けに信じられそうにないことがあって腰が抜けてしまっている。
「で、誰もいなくなった訳だ。答えろ、お前は何だ?」
刀の切っ先を私に向けて、そう問いかけてくる。
誰、ではなく何、と。
そんなこと聞かれても。
「普通の人間ですけど」
これ以外に答えようがない。
「人間な訳あるか、妙な気配を追いかけてきてみればお前がいたんだぞ」
「妙な気配って何ですか」
「 と……あぁ、妙な理が適用されてやがる……」
宙で指を動かして、魔方陣? を描き出して再び口を開く。
「天使のような気配に魔力を混ぜ込んだおかしな気配だ。そういうのはいろいろと厄介だから潰して回っている」
「…………」
「今一度問う、普通の人間ならばスコールみたいな化け物除いてこんな気配はありえない。お前は何だ? 答えなければここで斬る」
「あなたが言ってるような変なものじゃありませんって、私はごく普通の」
「だったらなんで人間とは違う力がある? 魔力や神力が見えているだろう、オーラみたいな靄みたいなやつだ」
「それは……見えてますけど」
「正直に言え、お前下級天使か、グレゴリーか」
「そ、そんなこと聞かれても……違いますって」
「……直接視るか」
刀を屋根に突き刺し、両手で私の顔を包むようにがっちりと掴む。
「ひゃぃっ、い、いきなりなんですか!」
「騒ぐな……その力と記憶を完全に消去して」
そこから先が言われることはなかった。
いきなり横合いから蹴りが打ち込まれた。
「げはっ!」
「来るのが遅すぎだレイズ」
見慣れた黒尽くめ、背後にはハティ。
「スコールさん!」
「ふーん……」
酷く冷たい感情のない反応を示した。
いままでに見たことがないほどに怖い。
「レイズ、お前がなにをしようとしていたのかは分かった」
「いや待てスコール!!」
「分からなかったんだろ? そいつはインキュバスに触れられたから、一時的に中和するために神力を流し込んでおいた」
「だから妙な気配な訳か!」
「ああそういうこと、まあこれとそれとは別で」
「いや待て待て待て待て!」
「いっぺん死んでおけ」
抜かれたナイフが首を捉え、屋根に突き立てられた刀を素早く抜いて振るうレイズさん。
ぶつかったそれが物理法則を無視した衝撃波を生み出して私は吹き飛ばされた。
体力的にも精神的にも限界が近かったからか、それだけで意識が落ちてしまった。




