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 昔の水道はタンク式が殆どで、調子に乗ってお湯を使うと後からお湯が出なくなってしまう。四人兄弟の核家族に居候しているケイスケは、風呂の順番がいつも最後だった。


 「僕は最後でいいです」


 ケイスケは人のいい笑顔で微笑んで見せる。

 新しい家の義母は優しく、温かい内にみんなで入りなさいと言ってくれたけれど、他の兄弟達が知らない人間と入りたくないという空気を醸し出していた。ケイスケはいち早くそれを察した。


 まとめて入ってくれたら楽なのに―― 義母はケイスケに聞こえるか聞こえないかの声で呟く。ケイスケは何も気付かない顔をしている。それが平然と出来る子供だった。


 子供というのは、大人が思っているほど子供ではない。

 それは、相手方の子供にも言えた。


 彼らは、決して殴ったり、怒鳴ったりはしない。

 物を取り上げたことも無い。

 ただ、ケイスケは兄弟達がわざとお湯を出しっぱなしにして切らして行く事を知っている。勝手にカバンの中を漁っているのを知っている。作文の授業なんかあった日には、やましい事は書いていないけれど自分の頭の中を覗かれているようで、学校で済ませて家に帰るまでにゴミ箱に捨てて帰った。


 それでも取り敢えず暴力は振るわれない。

 そこに最低限の満足を置いたケイスケは、何故自分がこんなことに苦心しなければならないのか、そもそも何故こんな仕打ちを受けなくてはならないのかと薄々思いながらも、決して顔に出さなかった。これ以上関係が拗れると思うと面倒だった。


 それでも、冬場のお風呂は辛い。ぬるま湯と化したそれを掬い上げ頭から被ると、滴り落ちる水滴があっというまに氷水になって、歯をガタガタ言わせながら石鹸を泡立てる。その泡に移った自分の体温で暖を取る様は、入浴と言う言葉からはかけ離れている気がした。


 義理の両親に助けを求めようと思った事は無い訳ではないが、いざされた事を言葉にしてみると、「お湯が出なくなった」という「所詮その程度」の事でしかない。


 まとめて入ってくれたら楽なのに―― 義母の呟きを思い出して、ケイスケは一気に相談する気が失せた。流石に、「だから一緒に入ればいいのに」と言い返されるのを想像すると、気分が悪くなった。


 お湯をわざと切らして行くんだと、真実を告げたらどうなるだろう。ケイスケは、無意識にそんなことを考える。彼らはきっと平然とお湯が切れたことなど知らなかったと言う。義母は大人なので面と向かってケイスケを批判することはないだろうが、被害妄想の激しい面倒な子だと、あまりいい印象を持たなくなるだろう。

 ケイスケに、自分の意見が聞き入れられるという発想は無かった。


 以前お使いに行った時のことだ。彼らの息子達がお使いに行っても何もないのに、自分が行くと毎度きちんとレシートと残金を確認されたことを頻繁に思い出す。

 ケイスケは何でもないと流したつもりだったが、真面目な少年にとって、その疑惑は何より心とプライドを抉っていた。


 みんなが寝静まった頃に時折トイレに降りると、あの父親の息子だからと何か話していたのを聞いたことがある。だからきっと、そういうことなのだろう。それでも、表面上はケイスケによくしてくれるのだ。

 ケイスケは、表面上は優しくしてくれている現状が豹変する事を何より怖れた。


 少年は、徐々にクラスで浮き始めた。


 友達は皆、カードゲームを始めるようになった。珍しいキャラクターについて熱狂的に何か話している。会話に混ざりたいという願望はあった。けれどこの窮屈な身分で小遣いが欲しいなどと言う場面を想像しただけで、すべての感情が萎えた。


 いつのまにか下校はいつも一人になっていた。だけど、たいしてケイスケは何も思わなかった。自業自得だからだ。混ざる努力をしなかったのだから当然だ。

 物語はいつも、少年の心の中で完結していた。

 

 ケイスケはなんとなく空を見上げた。

 別に面白いものなど何もない。緩やかに流れていく雲の流れを、意味もなく追いかけているだけ。そうしてぼんやり空の境界を意識する。よく見ると空はなだらかなカーブを描いているのが分かる。球体の天井を認識すると、急に閉塞感に襲われた。まるで天井のない監獄だ。そこまで考えて、下らない妄想をしていると自嘲気味に笑う。歩く。歩く。ひたすら歩く。視線の端に、同じように空を見上げるおばあちゃんが目に入る。


 「ただいま」

 「おんやぁ、おかえり」


 田舎では、知らない人でもすれ違う人にはただいまと挨拶する風習がある。だから、話しかけるのにそこまで難しい壁は無かった。


 「ねぇ聞いてよ、今日は図工で牛乳パックでペン立てを作ったんだ」

 「懐かしいねぇ、私も昔はよく作ったもんだねぇ……」

 「良かったらあげるよ」


 どうせ家に持って帰る前に捨てるつもりだった。

 邪魔だからだ。


 「おんやまぁ、綺麗な仕事だねぇ……ありがたやありがたや」


 

 ケイスケは目を円くした。

 ほんの少しの後ろめたさと、期待もしていなかった誉め言葉に、頬がじんわりと熱くなった。






 「ただいま」

 「おんやぁ、おかえり」




 「ねぇ聞いてよ、今日、50メートル走で一番になったんだ」

 「おんやぁ、すごいねぇ……おばあちゃんなんか、いっつもべべだったよ」



 



 「ただいま」

 「おんやぁ、おかえり」



 「ねぇ見て、今日はテストだったんだ」

 「おんやぁ、たまげたねぇ……満点じゃあないかい……ありがたやありがたや」






 「ただいま」

 「おんやぁ、おかえり。待ってたよ」


 ケイスケが首を傾げていると、おばあちゃんは無人販売の雛壇に置いていたそれをすっと差し出した。




 「はいこれ、満点おめでとう」



 それは、牛乳パックに和紙を皺一つ無く丁寧に張り付けたペン立てだった。


 「あ、ありがとう」

 


 ケイスケは、ペン立てを両手で持ち帰って机の上にそっと置いた。

 金縁を器用に貼られたそれは、とても美しかった。

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