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1・炎閃くとき


1・炎閃くとき







「…っ、……っ、…っ」




走っている。




「…っ、……っ、………っ」




昼過ぎを越えても黒緑に葉の色が沈む森の中、まばらな木漏れ日に行く先を照らされながら…少女が走っている。




「…っ、………っ、…………!っ、」




若いというよりは幼すぎる程の外見をした幼女だ。

白とブラウン、そして暖色のステッチのされた村娘の格好をしているが、その作りはちゃんとしているし、生地もしっかりとした高級な物である。

しかし、少女の胸元ほどはある…地面から突き立った落ちた木々の子枝や生い茂る草の鋭利な葉によって端々が切り傷だらけになっていて、何度も転んだ事によって泥と土に汚されている。


その少女が、年の割に長い紅色の髪を振り乱しながら、琥珀色の大きな二つの目を恐怖と警戒…それと後悔の色に染めて、それでも自分が進むべき木々の向こうへと、一点に向け続けていた。



ここは、町外れの森…だけど400ミールも離れていない。

けれども、後少しで衛所のある隣町の障りに出られるのだ。だから、もう少しでみんなを助けられる、という思いがあった。送り出してくれた母親の言葉もある。心配だったが…迷う余裕も無かったのだ。



ーーそれが、足下への注意を一瞬でも欠く原因となった。




「…、…ーーきゃ!?」




パタ、という音だった。

幸運ながらここまで平坦に続いていた獣道が、木の根の張り出しによって遮られていたのだ。

その根に足を引っかけた事で彼女の身体は転倒して、砂糖菓子のような甘い悲鳴を上げた同時の瞬間、少女は顔から湿っぽい森の地面に打ち付ける事となった。




「……ぅう、」




それでも、次の瞬間には顔を上げていた。

痛む鼻を押さえながら、擦り傷に土が入って涙を潤ませる原因でもある利き足の膝を立たせて、なんとか立ち上がろうとした。…ーーだが、




「………あ」




少女は気付いてしまった。

己の身体を、すっぽりと包むほどの巨大な影が背後から覆っている。

気付いた少女は、それに睨まれたように動けなくなった。



その影の正体を…少女は知らない筈がなかったからだ。




「………ぁ、あ、」




目だけを動かして、背後のそれを認めようとする。

最早どう逃げようか、とも思いつけない状況だった。“それ”につかまる、直近に迫られているという事は、即ち絶望であるからだ。

言い伝えでしか知らない精霊や妖精達が嗤うように…森の木立がざわめいた。




「あ、ぁ、」




少女の視界の左右に、“それ”の手が映った。

伸縮可能な動作肢を前へと延ばして、少女の身体を捕獲しようとしている。ーーゆっくり、と、短いが巨大な三本の指に少女の肩口が掴まれた。




「…ーーーあ」




まるで悪戯が成功した妖精達が喝采を上げるように、森の木漏れ日が風に揺れた瞬間だった。


少女の身体が回転されて、“それ”と対面していた。


向き直された少女の目は大きく開いていて、その黒目に相手のシルエットを落としている。

写り込んだ影は……異形のかたちをしている。灰青色に無機質な表面を染めていて、“それ”の昆虫のような目だけが赤色に輝いている。潰れたような巨大な体躯だが、まるで伝承の悪鬼という奴なのであろうか…手足だけは長い。

ーー少女ははっきりと感じた。バケモノであると。




「ひっ」




“怪物”の頭が、少女の顔と突きつけあわされた。

その赤い目がさらに輝きを増して少女をねっとりと検分する。

怯えるしかない少女だったが、しかし実は怪物の本当の恐怖を知る訳ではない。

だが、(なぜか具体的ではなかったが)祖母や村オサ達から聞く話で余程怖いものである事は理解していた。

ここまで逃げてくるまでの、怪物達に攻め込まれた村の中でも耳で目撃している。

二軒前の、隣家の年長さんだ。

普段はやさしくてできれいで明るくて、憧れの“おねえちゃん”だった。

だがついさっきのあの時は違った。

まるで赤ん坊のような絶叫で泣き叫び、喚いて、それが小刻みな喘ぎと何もかもを諦めたような漏れ出る吐息に変わった頃、次の一瞬には人間が上げられる物なのだろうか、というくらい悲惨で陰惨な嗚咽と泣きじゃくる声に変わって、また次の頃には喘ぎ声に変わった。その全てを母親は少女の耳を痛いくらいに塞ぐ事で聞かせまい、としていたのも…ーー



「ぁ」



怪物が、少女の身体を己に密着させた。なめした皮とも石の彫刻とも違う手触りと見た目とは違い、怪物には体温があった。

そしてその時、宙ぶらりんになった少女の爪先に、ひとつの何かが屹立した先端のような感覚が感じられた事も不思議だった。


触覚のような部品を細かく揺らして、“怪物”はまるで喜んでいるかのようでもあった。

だがそれは当然だろう。これから“怪物”は、播種による増殖という、種としての最上の喜びを得る事になるのだ。




「あっ、あっ、あっ」




何が起こるのか、何が始まるのかは分からないけども…怖い。

落涙の代わりに、ーー少女の股座を、その間から漏れ出た暖かい液体が濡らす。その残滓が地面にポトポトと落ちる音だけが、静寂に戻った森に響いていた。


ゆっくりと、怪物の温度が熱せられていく。

その熱源である足下のそれが徐々に持ち上がってくるのも、自分に近づけられているのも、やがて刺し貫いたそれが自分の肉体にクロスをする瞬間をも……そんなビジョンが、理性とは違う別の部分の何かによって確かに認識できた。そうした状況だった。




「…ーーあ」




だから、次の瞬間、“怪物”の頭部が吹き飛ばされて無くなっていた事実を少女はまだ理解できなかった。




「え?」




一瞬遅れて、破裂音とも炸裂音ともつかない重量感のない音響が少女の耳を響かせた。

怪物の手の力は失われて、両のそれから滑り落ちた少女の身体が地面へ……落ちる音も、感触も、それは少女は感じなかった。何故?




「へ?」




己の身体を、今度は別の何かが抱えている。

ーーこれに少女は、しかし恐怖を感じる事はなかった。


暖かな、人の意識と感触が伝わってくる。存在している。


やがて自分の顔のとなりにその人物の息づかいがある事を発見した少女は、恐れる事なく目を向けていた。




(なにこれ)




驚くよりも、まず意味が不明だった。

朱い、炎の色をした甲冑。その頭部が少女の顔の横にあった。

いやそれだけではない。この朱色の甲冑を装着した人間が、少女の背格好と体勢に合わせる形で屈んでいる。そして少女を抱き抱えていたのだ。




《やぁ》


「えっ」




ふしゅー、という息の漏れる音とやや香辛料の感じの強い風あたりの感触と共に、甲冑の騎士は言葉を発していた。




《ちょっと、おにいさんとお話してみようか》


「えっ…えっ」




意志を失ったまま伸ばされたままだった怪物の腕をぐぐ、っと押しのけ、意外にも青年…この人となりだから少年なのかも…だった旨に驚いた少女を安心させるように、騎士は言葉を繋げた。




(どうしよう)




会話、していいのだろうか。おかあさんにはフシンシャには気をつけなさい! とも言われてるし、

それよりもなによりも、迷うよりも、やはり意味が分からない……機装甲冑が朱色である事の。ふつう、というより少女の知る機装騎士という物は“白い”のだ。だからエセとかヤブとかバッタモンとかいうオトナのことばがさっきから少女の喉を飛び出し掛けては引っ込み、を繰り返している。

だが、この騎士が、少なくとも善意と好意で己に接しているのだと言うことはまだ幼い少女にも理解できる。それどころか、漸く、自分がこのまっかっかなフシンシャにたすけられた(のかもしれない)という事まで理解しかけてるような…やっぱりよくわからないような、




《ケガは、ないかい?》


「え」


《こわくなかったかい?》


「えっ、えっ…と…」


《だいじょう…》




だから騎士が三言目を言おうとしたその瞬間、意志を永遠に喪失した筈の怪物の腕が再び動作した事に少女は驚いた筈だった。だが…




《嗚呼、全く》




だが同時の瞬間に騎士が跳躍し、一瞬で八ミールは飛び上がった筈なのに、抱えられていた自分には何一つ衝撃と加速と苦痛がこなかった事に少女は驚いた。恐怖もなかった。まるで一緒にスキップでもやったような、その軽やかさであったのだ。

そしてさらにその次の瞬間、着地をした朱い騎士の足下には“怪物”は存在していなかった。一瞬遅れての強烈な分解音と破砕音に彼女が目を向けた時、離れた場所に立つ森の巨木の一本に怪物だったモノの残骸が炸裂していたのを見て、どうも騎士が蹴りで怪物を破壊したのだ、という事実に気付いた時こそ少女は初めて驚愕した。




《やれやれ、じゃあもう一度。だいじょ……》


「あぶない!」




が、少女の驚愕はまだ終わらなかった。なぜなら…ー森の中からもう一体の怪物が突進をしてきた瞬間だった! 

叫んだ刹那、少女は恐怖に目を瞑り、今度こそ己の終わりを予期して…




《あーもー、やだも〜!》




…なのだが、




《ーー邪魔だ》




抜刀。

朱い甲冑の右肩部ハードポイントに懸架した兵装ラックに装填していた訓練用鋼製模擬刀・三挺。それの一本を右腕のマニピュレータで保持…装備。



同時の少女は、己の身体が不安になるほどゆっくりな…優しい…手つきで地面へ降ろされた事を辛うじて理解していた。


だから次の一瞬、両足が地面の感触を得たのと同時に閉じかけていた瞳をうっすらと開いたその時、目の前で紅色のマントが舞っていた事に驚いた。


火山のマグマみたいな、紅蓮の色。砦の楼首が浮き彫りにされた銀の留め具が、輝きを帯びて明滅する。


その留め具を、怪物の腕が掠めた。マントが直線に切断されて、留め具ごとひらひらと舞って、落ちた。



だがその瞬間には、一本目の模擬刀を怪物のボディに叩き込んで装甲を分割し、二本目の模擬刀で装甲をこじ開け、三発目は模擬刀を使わず、己の素手で…ナックルをその隙間へと突入させて…ー朱い騎士が怪物を撃破する為の一連の出来事が終了していたのである。



最後にマントのはためきが止んだ時、くるり、と振り返った騎士の後背で、怪物の機体はバラバラに爆散していた。



打塑によって変形した模擬刀が、森の巨木へと突き立つ。二本のそれは、確かに怪物達の墓標であった。





《やあれ、ね。ありがとうね》


「あっ、あ、あっ、あ…」


《いや待った。最後の確認だ。君は、そのー…》




ーー装甲越しに、泣きそうなくらい困ったような顔が見えた気がして、




《大丈夫、だったかな?》





「あっ…」





今度こそ理解できた。この人は騎士だ。そして、自分はこの騎士に助けられたのだ、と。








     * * * * *










町の救援に来た騎士団の兵士に少女が託された時、何よりも兵士が驚いたのは彼女が笑顔だった事だという。


脅威が駆逐された町であったが、しかし損害と状況度は思わしくない。

少女の家と家族も同様であったから、町の生き残りと同じく、このまま中継地を経て安全圏の首都へと移送される事が決められていた。


母親の“生残”と“保護”だけが伝えられた少女は、安心して、馬車の荷台の上で床についた。




夢のようだった今日一日を振り返ってみて、やはり少女は笑っている。




朱い騎士。炎の騎士。




…ー怪物と自分との間に騎士がいたのだって、きっと、その爆風と破片に私を晒さないようにしてくれたのに違いない。


それがたまらなく、嬉しく感じていた。








それから馬車の馬が三度目のいななきを上げる頃には、すっかり少女は夢の中だった。


その少女の手の中には、騎士の落とし物…マントの切れ端と、それに付いていた銀の留め具とが握られている。









これが、少女…アリア・ベレスティの“炎の騎士”に関する記憶の一部始終である。





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