その3
ゆったりとしたスペースの廊下を、女性に先導され歩く。外壁同様に内装も白く統一されており、他の色は、精々いくつも置いてある観葉植物の緑と、無数にある部屋のドアノブのメッキの色だけだ。時々、ドアの反対側には思い出したように窓があるが、すべて閉じられていた。延々と続く廊下を、ツカツカと音を立てて歩く。私の前にいる女性は、鼻歌を歌ったり、お菓子で何を買ってもらうかぶつぶつと一人で相談していた。不意に、彼女が振り返る。
「そういえば、名前聞いてませんでしたねー。聞いてもいいですか?」
よほど200円分のお菓子を買ってもらえることがうれしいのか、ニコニコしながら彼女が聞いてきた。素直に答えると、変わった名前ですね。と、一言で流されてしまった。先ほどセンセーと彼女読んでいた、あの白衣の男と同じような反応だった。
「でも、いい名前ですねー、今風で。私なんか昭和初期に流行ったような名前だから、憧れちゃいますー。」
そういいながら、彼女はケタケタ笑っていた。名前を教えてもらうと、確かに今風ではない、悪い言い方だが、古臭い名前だった。しかも、姉妹で松竹梅みたいにリンクしてるんですよー!ありえなくないですか!?と憤っていた。
「そういえば、ご兄弟とかいらっしゃるんですか?」
話の流れから、彼女が聞いてきた。兄弟、姉妹、姉弟。いない。いないなあ。
「いないですね。私は一人ですから」
「えぇ、そうなんですか―。」
あいも変わらず、炭酸の抜けたコーラのように間の抜けた返事を返してきた。彼女はずっとニコニコ笑っている。普通、200円を奢ってもらえるだけでこんなに笑顔になるのだろうか。ふと彼女が口を開いた。
「それにしても、あなたも大変ですねー。担当があのセンセーって。あの人、意地悪だから私苦手なんですよー。この間も、柱の陰に隠れていきなり驚かすし…。」
「あぁ、あんな感じですね。」
女性、ひっ!!と短い悲鳴を上げる。廊下の端に置いてある、ポトスのタワー型鉢植えの裏に、あの白衣の男がいた。なぜか頭には甲冑のようなマスクをかぶり、手にした音楽プレイヤーから軍隊の行軍歌のような音楽を流している。
「センセー、著作権と人としてアウトな格好しないで下さいよー。」
「やだ、コホー。好きなんだもん。コホー。君、ごめんねえ、コホー。案内の途中だけど、コホー、彼女ちょっと借りるよ、コホー。なあ、彼から紙をもらったかい?」
「あ、まだでしたー。ねー君、前のところで先生から貰った封筒、持ってる?」
前のところで貰った封筒…探してみると、ジャケットの内ポケットにあった。彼女はそれを受け取ると、器用に封筒の端だけを切り取り、白衣の男に手渡した。
「幻聴、幻覚、記憶障害、特にA地点より以前のもの、ねえ。あ、コホー付け忘れた。コホー。」
「もういらないんじゃないですかー?正直、センセーには似合ってなくてかっこ悪いですし!」
そういうと、白衣の―フォースの暗黒面に落ちた―男が、女性の首根っこを摑まえた、ぐえっ!と、品が無いどころか、人からあまり聞こえてはならない声が聞こえた。
「君の部屋はこれから六つ先の部屋だから。荷物はもう部屋のロッカーにあるはずだよ。確認しておいてね。」
そういい終わると、白衣の男は女性をずるずる引きずり始めた。
「あ、そ、それじゃあまた様子見に来ますね!ってせんせー!ちょ、ちょっとおろしてください!首がしまってますって!」
「しらん。かっこ悪いって言った罰だ。はよ仕事しに行くぞ。」
しばらくギャーギャーと声が聞こえていたが、とうとう、それも聞こえなくなってしまった。
「幻聴、幻覚、記憶障害…?あの女性のことかなあ?」
誰もいない廊下の真ん中で、一言つぶやいた。誰にも聞こえないはず、だった。
「そーかもしれないね、おにーちゃん。」
後ろから声をかけられた。振り向くと、黒く、艶のある髪を肩まで伸ばした女性が、立っていた。彼女は口の端をぐにゃりと曲げ、笑っていた。呆気にとられていると、彼女は一歩分だけ近くに来た。
「ハッピーハロウィン!アンド、ハッピーニューヤー!おにーちゃん、ホテルロークジットへようこそ!」
彼女は元気のある声をあげた。しかし、彼女の瞳は、深く底の見えない沼のように、濁っていた。




