討伐、来週でもいいですか?―ワンオペ魔王、勇者に絆される―
前世、俺はブラック企業で働く社畜だった。
残業月百時間、有給消化率ゼロ、上司の口癖は「気合いでなんとかしろ」。そんな人生に見切りをつけて――というか、たぶん過労で――死んだ次の瞬間、俺は見知らぬ玉座の間で、見知らぬ連中に平伏されていた。
「魔王様、どうかご了承ください。先代魔王様が失踪された今、この魔王国を治められるのはあなた様しかおりません」
俺の頭には鋭い角が生え、漆黒の衣装を纏っていた。
先代魔王とか知らんがな、と思ったが、目の前に積まれた未決裁書類の山と、崩壊寸前の魔王軍の予算表を見た瞬間、前世の社畜根性が抜けなかった俺は、うっかりその紙を手にしてしまった。
それが三年前。
以来、俺は魔王としてこの城を回している。
四天王は病欠、産休、派閥抗争でまさかの全員離脱中。つまり実質ワンオペ。今日で徹夜四日目。目の下のクマはもう洒落にならない色をしている。
「魔王様、住民から苦情です。隣のドラゴンがうるさいと」
「はいはい、対応します……」
バンッ!!!!!!
そんな折、玉座の間の扉が勢いよく開いた。
「魔王を討伐に参った!」
ああ、また近所の子供が紛れ込んで勇者ごっこをしている。
俺は書類から顔も上げずに答えた。
「討伐、来週でもいいですか。今ちょっと締め切りが」
「……は?」
声のトーンで、ようやく本物の勇者だと気づいた。
慌てて書類から顔を上げると、目の前には鎧をつけた勇者が剣を構えている。後ろにはそのパーティが臨戦体制に入っていた。
席を立ち精一杯の威厳をかき集めながら、勇者の前に立ちはだかった。
「よくぞこの魔王城まで辿り着いた、勇者よ……褒めてつかわす。だが、生憎…この…でなお…し…てぇ」
カッコ良く決めるはずが、途中から呂律が怪しくなっていた。視界が霞み、目の前が真っ白で何も見えなくなる。
瞬間、体がぐらりと傾いた。魔王といえども四徹の限界だった。
崩れ落ちる寸前、俺の体は誰かの腕に受け止められていた。一瞬開けた視界に、さっきまで剣を構えていた勇者の、なぜか泣きそうな顔が映る。
「……これが、世界を脅かす魔王……?」
「はな…せ…みっともない」
支えられた手を解こうと、身体を動かそうとするが、力が入らない。
「離しません」
そう言った勇者の目の奥に、何か不穏な光が灯ったのを、俺はこの時まだ知らなかった。
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「大丈夫だ! 魔王は俺に任せろ!!」
心配する神官たちに、勇者は胸を叩いて言い切った。
倒れた魔王をお姫様だっこで寝室まで運んだ私に、「討伐対象への好意は職務放棄では? 魔王が倒れているこの機にやるべきでは?」と正論をぶつけていた神官も、ここまで頑固な勇者は見たことがなかったのか、やがて根負けしたように息を吐いた。
「……わかりました。ただし何かあれば、すぐ連絡をください。いつでも戦力を増やして駆けつけます」
そう言い残し、パーティは王国へと引き上げていった。残されたのは、俺と、居座る気満々の勇者だけだった。
翌日から、勇者は魔王城に住み着いた。
「討伐は、あなたが有給を消化してからにします」
ベッドで目を覚ました俺に、開口一番これである。
「勇者、お前の仕事は討伐だろう」
「あなたの労働環境を改善するのも、広い意味で世界平和への貢献です」
「屁理屈だな」
「知ってます」
そう言って、勇者は俺の代わりに書類仕事を手伝い始めた。戦闘力は規格外なのに、事務処理能力もなぜか高い。おまけに住民の苦情処理までそつなくこなす。
魔王ともあろう者が人間の手を借りるなど、本来なら沽券に関わる。……と、心の中で葛藤したものの、目に見えて減っていく未決裁書類の山を前にすると、御託を並べる気力も失せた。
「少し、顔色も良くなりましたね」
「……」
毎日の睡眠、三度の飯。勇者に世話をされたせいで、以前より頭が動くようになってきた気がする。寝付きはよくないが、倒れる事は無くなった。全く、これが勇者のする事か。
「今、口角が上がってました」
「気のせいだ」
最初の数日、勇者は律儀に手帳へ何かを書きつけていた。表紙には「魔王討伐のための弱点観察記録」とあったが、中身はいつの間にか「本日のクマの濃さ」「陳情書への対応、丁寧すぎて逆に怖い」といった謎の観察日誌に変わっていた。
「勇者、それ何のメモだ」
「弱点を探ってるだけです」
「弱点が"尊い"はおかしくないか」
「気のせいです」
手帳を覗こうとすると、勇者は無言でそれを胸に大切そうに抱え込んだ。
日毎に、俺の仕事量が減っていった。勇者自身が片付けているだけではなく、他のものにもうまく仕事を回しているようだ。
「勇者、お前……討伐より内政向いてないか」
「あなたがそう言うなら、転職も視野に入れます」
「討伐する気あるのか」
「ありますよ。でもあなたの有休消化が先です」
そんな押し問答をしていたら、俺は療養という名の軟禁生活に入れられた。
書類を取り上げられ、ベッドに押し戻される。
「返せ、これは仕事――」
「駄目です」
逃げようとした手首を掴まれ、そのまま覆いかぶさられる格好になった。心臓が変な音を立てる。
魔王ともあろう者が人間ごときに組み敷かれるとは、屈辱以外の何物でもない――そう自分に言い聞かせている間にも、振り払うはずの手はなぜか動かなかった。
「お、おい」
「あなた、この数日ずっと見てましたけど、自分のことを後回しにする癖がありますよね。私が仕事量を減らしたのに、なぜ別の仕事を請け負っているのですか?」
社畜根性が身について、仕事がないと不安になってしまう。何も言い返せない俺の顎を、勇者の指がそっと持ち上げる。
「また私の前で倒れて、担がれたいんですか? ……力、抜いていいんですよ」
勇者の顔が更に近づいて、唇が重なった。
最初は触れるだけだった。だが俺が抵抗をやめた瞬間、キスは深くなり、気づけば自分の手が勇者の襟を掴んでいた。前世でも今世でも、こんなに誰かに構われたことはなかった。
離れた時、二人とも息が上がっていた。
熱を持ちそうな身体を冷ますように問いかける。
「……討伐はどうした」
勇者は微笑みながら答えた。
「明日、ちゃんとします」
その笑みの意味を問う前に、勇者はそっと額を合わせてきた。触れた場所が、温かかった。
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そして迎えた最終決戦当日。
沸き立つ両軍が見守る中、勇者は剣を抜かず、ただ俺を見つめていた。痺れを切らした俺は声を荒げる。
「何をしている、さっさとやれ」
「できません」
「は?」
勇者は剣を捨て、歩み寄ってくる。その迫力に俺は後退るが、玉座の肘掛けに阻まれ、逃げ場を失った。
突然の勇者の行動に、両軍が静まり返る。
俺の腰に手が回り、引き寄せられる。至近距離で視線がぶつかった。
「もう働かなくていいです。これからは、私が幸せにします。だから――結婚してください。愛しています」
両軍が注視する中、プロポーズとも取れる言葉に頭が追いつかない。
「お、おい、待て――」
「もう、待てません」
言うが早いか、唇が塞がれた。抗う力はもう残っていなかった。頬を包まれ、角度を変えて求められるたび、膝から力が抜けていく。無意識に、俺は勇者の胸元にしがみついていた。
長いキスの後、離れた俺は真っ赤な顔で睨んだが、迫力はまるでなかったと思う。
「離せ、両軍が見てる……」
「見せつけます」
勇者が身体をさらに密着させて来る。
「……お前、正気か」
「正気です。あなたを幸せにしてみせます」
いつもの軽口も余裕もなく、ただ本気の目だけがあった。
再び迫る唇を制そうと、慌てて止めに入る。
「ま、待て、これ以上は……」
言い終わる前に、また唇が塞がれる。深く長いキスの後、ようやく解放された俺に、勇者はもう一度、今度は静かな声で聞いた。
「――結婚の返事、聞かせてもらえますか」
両軍が完全に置いてけぼりのまま、俺はしばらくの沈黙の後、小さく頷いた。
こうして「魔王討伐」は、なぜかプロポーズの成立をもって幕を閉じたのだった。
――なお、魔王国はその後、勇者の尽力で民主共和制へと移行した。魔王城は「魔物公共団体」と名を変え、今ではすっかりクリーンな職場になっているという。
**了**
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