第12話:春の星祭りと、最期のダンス
王立学園の伝統行事である『春の星祭り』。
夜の帳が下りる頃、校舎や庭園は無数の魔力灯で照らされ、幻想的な光の海に沈む。生徒たちは皆、美しいドレスや正装に身を包み、春の訪れと星々の瞬きを祝うのだ。
しかし、一日のうち数時間、それもお昼前には限界を迎えてしまう私にとって、夜の行事に参加することなど本来なら絶対に不可能だった。
(……それでも、どうしても行きたかったの)
星祭りの夜にほんの数時間だけ目を覚ますため、私はシリル様にお願いして特別な魔薬を調合してもらった。丸二日間、仮死状態に近い深い眠りにつくことで、命の時間を『前借り』する禁忌の薬。
テオは泣いて反対したし、お父様たちも渋ったけれど、私の「学園の生徒として、最後に皆と星を見たい」という我儘に、最後は全員が折れてくれた。
「……お姉様。ご気分は悪くありませんか?」
学園のダンスホールに繋がる大階段の上。
アストレイアの家紋である『星』を散りばめたような、夜空色の美しいドレスを身に纏った私を、テオが壊れ物に触れるような手つきでエスコートしていた。彼の正装姿は息を呑むほど美しかったが、ヘーゼル色の瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。
「大丈夫よ、テオ。シリル様のお薬のおかげで、今はとても体が軽いの。……ふふ、素敵な音楽ね」
私たちが階段の上に姿を現した瞬間、ホールの喧騒がピタリと止んだ。
誰もが息を呑んでこちらを見上げている。無理もないわ、私の背後には、テオだけでなく、王太子エドワード殿下、騎士レオナード様、魔術師シリル様という、学園の頂点に立つ四人が揃って私を護衛するように立っているのだから。
「さあ、私の美しい鳥。まずは私に、最初のダンスを賜れるかな?」
優雅に手を差し出したのは、プラチナブロンドを輝かせたエドワード殿下だ。王太子からの申し出を断ることは誰にもできない。テオがギリッと歯を食いしばるのを背中に感じながら、私は殿下の手を取った。
ホールの中央に滑り出る。
殿下は私の腰にそっと手を添え、まるで羽毛を扱うようにステップを踏んだ。
「リリアーナ嬢。君のそのドレス姿を私の腕の中におさめられること、至上の喜びだよ。……だが、君の体はまた軽くなったのではないか?」
「気のせいですわ、殿下。……私、今夜はとても幸せです。殿下のような素晴らしいお方と踊れるなんて」
私がふにゃりと笑いかけると、殿下の美しいアメジストの瞳が、苦しげに細められた。
「君が望むなら、毎日でも星祭りを開催しよう。だから……私を置いて、いなくならないでくれ」
次期国王である彼の、初めて見せた弱音。私はそれに答える代わりに、ただ静かに微笑み返した。
曲が変わり、次に私の手を取ったのはレオナード様だった。
「……失礼する」
彼は無骨な手で私の手を包み込むと、私が一歩もステップを踏まなくていいように、私の体重のほとんどを自身の腕と胸板で支えてくれた。
「レオナード様、私、重くありませんか?」
「羽より軽い。……私は剣を振るうことしか知らん男だが、君を支えるための盾になら、生涯なれる」
彼の銀色の瞳には、揺るぎない忠誠と、隠しきれない熱情が宿っていた。彼の温かい体温に、不覚にも少しだけ眠気が誘われる。
三曲目は、シリル様だ。
彼は私の耳元に顔を寄せ、周囲に聞こえない声で囁いた。
「……薬の効き目はどう? 痛むところはない?」
「ええ、とても快適です。シリル様、無理なお願いを聞いてくださって、本当にありがとう」
「感謝なんていらないよ。俺はまだ諦めてないからね。君の時間を奪う術式を、絶対に俺が解体してみせる。……だから、君も諦めるな」
アンバーの瞳が、狂気じみた執念で私を捉えている。彼のその言葉が、どれほど私の心を救ってくれたかわからない。
そして――最後の曲。
「……お姉様」
待ちきれないとばかりに私を腕の中に引き寄せたのは、愛しい義弟のテオだった。
すでに私の魔法薬の効き目は切れかけていて、足には鉛のような重さが戻ってきていた。立っているのがやっとの私を、テオは誰にも気づかれないように、強く、強く抱きしめてステップを踏む。
「テオ……私、最後まで、ちゃんとアストレイアの娘として……笑えているかしら?」
「ええ。この会場の誰よりも、世界中の誰よりも、お姉様は美しくて気高いです」
テオの顔が近づき、彼の頬からこぼれ落ちた温かい涙が、私の首筋を濡らした。
「嫌だ……。お姉様、お願いですから、眠らないで。僕を一人にしないで……!」
音楽のクライマックスと共に、夜空に大きな花火が打ち上がった。
色とりどりの光が、ステンドグラスを通してホールを照らし出す。
その美しさに目を奪われながら、私の意識は、急速に、そして決定的に、深い泥の底へと引きずり込まれていった。
(ああ、綺麗……。みんなと一緒に、この景色を見られて、本当によかった……)
「……テ、オ……」
私の腕から力が抜け、そのままテオの胸の中に崩れ落ちる。
ホールに悲鳴にも似たざわめきが起こり、エドワード殿下たちが血相を変えて駆け寄ってくる気配がした。
「お姉様!! お姉様……っ!!」
テオの悲痛な叫び声が、ひどく遠くに聞こえる。
もう、指先一つ動かせない。まぶたを開けることもできない。
けれど、ちっとも怖くはなかった。なぜなら、私を包み込んでいる彼らの腕は、とても温かくて、優しかったから。
『……ありがとう、みんな。さようなら……』
声にならない言葉を最後に残し、桃色の髪の令嬢は、星降る夜の祭りの中心で、深く、永遠に続くようなまどろみの中へと落ちていった。
これが、アストレイア侯爵令嬢リリアーナが、学園の生徒として公の場に姿を見せた、最後の日となったのである。




