第11話:短くなる鉛筆と、重なる四つの影
王立学園の裏庭、樹齢数百年の大樹が作る木陰。
そこは、騒がしい校舎から離れたリリアーナだけが知る、秘密のスケッチ場所でした。
(……今日は、少しだけ指先が動くわ)
リリアーナは膝の上にスケッチブックを広げ、慣れた手つきで鉛筆を走らせていました。
彼女にとって、絵を描くことは「起きている自分」をこの世界に刻み込む大切な儀式。ほんわかとした表情を浮かべながら、彼女が描いていたのは、自分を守るように寄り添う四人の男たちの姿でした。
「お姉様、あまり根を詰めないでください。視力が落ちれば、それだけお体に障ります」
隣で日傘を差し、彼女に冷たい飲み物を差し出すのはテオドールです。
彼の目は、リリアーナの描く絵よりも、彼女の額に滲む微かな汗や、刻一刻と迫る「眠りの時間」に注がれていました。
「ありがとう、テオ。でもね、今のうちに描いておきたいの。皆、とても素敵な顔をしているから」
ふにゃりと笑うリリアーナ。その碧い瞳は、木漏れ日を反射して宝石のように輝いています。
その時、草を踏む音がして、二人の影が重なりました。
「ほう……これは見事な描写だ。私をこれほどまでに美化して描いてくれるとは、光栄だよ」
プラチナブロンドを揺らし、優雅に歩み寄ってきたのは王太子エドワードです。彼は当然のようにリリアーナの反対側に座り、彼女の手元を覗き込みました。
「エドワード殿下。……美化だなんて。私は見たままを描いているだけですわ」
「ふっ。君の目には、世界がこれほど美しく映っているのだね。……レオナード、君もそう思わないか?」
エドワードの視線の先には、少し離れた場所で木に背を預け、腕を組んで周囲を警戒しているレオナードがいました。
「……私は、彼女が筆を動かすたびに、その命が削られているようで見ていられん」
レオナードの声は低く、冷徹な銀色の瞳には隠しようのない悲痛さが混じっています。彼は、リリアーナが絵を描くことに夢中になるあまり、呼吸が浅くなっていることに誰よりも早く気づいていました。
「相変わらず堅苦しいね、騎士殿は。……でも、確かにその通りだ。彼女の魔力は、今、この瞬間も『描く』という行為に浪費されている」
いつの間にか大樹の枝の上に座り、本を閉じたシリルがアンバーの瞳で見下ろしていました。彼は指先を動かし、微かな光の粒子をリリアーナの周りに降らせます。それは、彼女の体温を保つための保温魔術でした。
「シリル様まで。……皆さん、私を子供扱いしすぎですわ。私はただ、皆さんに恩返しがしたくて……」
リリアーナは少し頬を膨らませましたが、すぐにまたトロンとした眠気に襲われました。
時計の針は午後一時半。
昨日よりも、さらにリミットが早まっていました。
「……あ、れ。鉛筆が、重く、て……」
カタン、と鉛筆が手から零れ落ちます。
スケッチブックが滑り落ちる前に、四人の手が同時に伸びました。
結局、それを拾い上げたのは一番近くにいたテオでしたが、リリアーナの体は、すでに限界を迎えていました。
「お姉様……!」
「リリアーナ!」
テオの腕の中に、桃色の髪がふわりと沈み込みます。
彼女は、完成しかけたスケッチを見つめながら、最後に微かな声で呟きました。
「……ごめんなさい。続きは……また、明日……」
明日。
彼女が当たり前のように口にするその言葉が、残された四人の胸を、鋭いナイフのように抉ります。
彼女が眠りに落ちた瞬間、庭の空気は凍りついたように静まり返りました。
「……今日、彼女が起きていたのは五時間と四十分だ。昨日より二十分短い」
シリルの無機質な報告が、残酷に響きます。
エドワードは彼女の寝顔を愛おしそうに撫で、レオナードは拳を固く握りしめ、テオは彼女を抱きしめる腕に力を込めました。
「明日が来るのを、これほど恐ろしいと思う日が来るとはな……」
王太子が溢した本音が、四人の共通の想いでした。
彼女が目を覚まさない「永遠の明日」が、一歩ずつ、確実に近づいている。
その事実に抗う術を誰も持たないまま、男たちはただ、腕の中で安らかに眠る「世界の中心」を、守り続けることしかできなかったのです。




