11-03
「あぁ~美味しかったんだな~♪ロメオぉ、今度はトカゲの入ったテキーラを用意しとくんだな」
「あいにくご用意がなく申し訳ありません」
「楽しいことがいっぱいな今夜はズブロッカなんかじゃ記憶は消せないんだな。よーし主ぃ、リムジン探してくるの。火つけて踊るんだじょ」
「姫様お酒呑んでましたっけぇ?」
「いえ、料理の香り付けに使った程度でお飲み物は主にジュースとかですが。玉藻さんはおかわりをお持ちしますか?」
「あらぁではですねぇ……何かお勧めございますぅ?」
「玉藻さんは選んで呑んでいませんからね。それにしてもお強い」
「日本酒バーボンビールにアブサン、焼酎どぶろくテキーラなんでも来いですよぉ♪」
酔いではなく、楽しさで上機嫌な姫は習性からか食後の軽い睡眠に入ったスパイクにちょっかいを出そうと近づいていく。
花輪やお子達が片付け等で動いているためロメオが玉藻の相手をしている。
主も酒が飲めないわけではないが、玉藻ほど強くはないので早めに酔い覚ましのコーヒーを飲みながらお腹も心も満たされた満足感に浸っていた。
「まったく、どこでも冬眠できるトカゲが羨ましいんだな。主ぃ、妾お腹ポン助さんなの」
反応の薄いスパイクを早々に見切りをつけて主の足に抱き着く姫。どうやらこちらも睡魔に頭を撫でられているようだ。
玉藻の方はと目を移すがこちらはまだ、というより放っておけばいつまでも呑んでいそうである。
「あらぁ、そろそろおいとましますぅ?」
ふと主の視線を感じた玉藻が答える。
「お帰りですかな?」
『時間は問題ないのですが二名程就寝となってしまったので本日はこの辺で。玉藻さん、お会計がありますので姫をお願いしてもよろしいでしょうか』
「はいは~い♪ご馳走様ですぅ。ささ、姫様ぁお帰りですよぉ~」
「スパイクさんは私が外までお連れしましょう」
ロメオがそう言うと、二人は先程の話の続きをするように外へ出る。入れ替わるように厨房から花輪が出てくると伝票を見て会計を始めた。
「特に変わりはないか?」
『ええ。今回の出張で観測できた範囲では順調かと』
「記憶の方は?」
『思い出そうとすると頭痛がします。向こうで私の身に何かあったのは確かでしょう』
「相変わらず他人事のような口ぶりだな。少しの不安も感じられないのだが」
『その時期は既に過ぎたというところでしょうか、いえ、凡人からすれば強烈な事が日々起こり過ぎて理解が追い付かないので、解からないことは無理に考えないようにしていると言った方が正直ですね』
主は右の肩辺りを擦りながら続ける。
『花輪さん、この辺りを触っていただけますか』
視線だけを移した花輪は無言で指定された箇所へ手を伸ばす。
二本指とジャケットとの間の僅かな隙間に薄っすらとした光が灯る。
「治した痕跡があるな。恐らくそなたが感じている肩の違和感からしてもジャケットを貫通してボールペンよりは太い傷口、修復したのは間違いなく、同族なのだが唾液と血に加えてまた別の何かが混ざっている。すまない、詳細は解析できない」
『いえ、何かあったかだけでもわかれば充分です。それにしてもスパイクさんの鱗の粉末と髭を縫い込んだジャケットを貫通してるとは。それほどの相手と出会って、本当に私はよく生きて帰ってこれたものですね』
「まだ幼い眷属だ。少し厚めの鉄板程度の強度しかないのだから期待を寄せる方がおめでたい」
『拳銃の弾丸くらいなら弾くのだが』と、思った主だがそれを凌駕する威力が肩に加わったのだから、自身の基準を更新するしかないと口を噤んていると支払い金額の書かれた伝票が差し出される。
「まったく幸せなやつだ、いろんな意味でな。長話になった、こちらが会計だ」
『ご馳走様でした。ありがとうございます』
「最後は店側の台詞だろう。気をつけて帰ることだ」
花輪に軽くお辞儀をして扉を開けると、来たときと同じ小気味良いベルの音色が響いた。
本日は貸切にしていたが時間は21時を少し回ったところ、一応22時くらいには閉店するので開けておくこともできるのだが、
「この時間からお客さんが来ないわけでもないですが、今日は早めに締めましょうか」
「マスターがそういうのでしたら」
「あ、戸締り等は私がしておくので花輪さん達は先に上がってください」
「いえ、しかしまだ途中……わかりました。お言葉に甘えて本日は先に上がらせていただきます」
ロメオに一礼した花輪は厨房の二人と下げる食器をまとめているお子達に声を掛けた。
手早く帰りの支度を済ませて五分くらいすると皆、挨拶をして店を後にした。
花輪達が帰ったあと、お気に入りの藍染めのYシャツ、暗めのスラックスに着替えたロメオ。正直下は店のユニフォームとして着用している物とあまり変わらないのだが、公私の区別と身だしなみを整える意味も含めてに替えている。
花輪が途中と言っていた厨房を覗いたが自分が手を加える隙が無いほど綺麗に片付いている。
一通り冷蔵庫や食器棚を確認するがこれ以上は大掃除でもしない限りやることがないというくらいである。
「コーヒーを飲んで帰りましょうか」
先ほど主から受け取った品物で一服したい気持ちもあるのだが、明日の楽しみに取っておいても遅くは無いかと思い、棚から取り出した珈琲ミルをカウンターへと置く。
「……ふむ」
豆を挽き、本日はサイフォンではなく手軽な方にしようとフィルターをセットした銅製のドリッパーにお湯を注ぐ。香ばしい湯気が立ち昇ってくると目を閉じて軽く吸いこむ。一呼吸して棚からペアカップの一つを取り出した。
抽出され、ガラス容器に溜まってゆく珈琲の滴を眺めていると一人の女性の事を思い出した。
「いつもオムライスとパフェでしたね」
別段珍しくも無い組み合わせだが、月に2,3度ほどくらいの頻度で訪れていたその客は飲み物が替わる以外はいつもその二つを注文していた。
自分が都内に店を出して間も無くの頃、来店したその女性は来る度にそれを初めて口にしたのかと思うほど目を輝かせ、子供のような無邪気な笑顔で料理を食べていた。
とりわけそんなに美人という印象は無いが食べ終わった後、幸せそうな笑顔で満たしていた姿にロメオは正直可愛いと思い、こちらの心も暖かくなるのを感じていた。
その女性客は最初の来店から数年間はいつも一人だったが、ある時珍しく連れてきた友人は玉藻に似ていた。
「最近、といってももう二年くらいでしょうか、玉藻さんが来店した時は正直驚きました。瓜二つ、生き写しかと思ったくらいで思わず聞いてしまいましたし」
だが玉藻の方は「えぇ~玉藻ちゃんみたいみたいな可愛い子ちゃんが他にもいるんですかぁ~?」などとぼけた感じ。加えてそれこそ月日が経ちすぎているので本当に他人のそら似なのだろうと思った。
その後、しばらくしてその女性客が一人で来店した際、会計の時に言った。
「いつも変わらない味なのに初めてみたいな新鮮さ。毎回ドキドキさせてくれるこのお店が大好きです♪あ、今度結婚するんだ。今度はカッコイイ旦那と一緒に来いますからね!」
変わらない笑顔で言う彼女だったが、それを最後にその女性客が来店することはなかった。
引越しをして遠くに行ってしまったり、新しい環境で来れなくなることは珍しくもない。
移転し、月日が流れてロメオもその女性客のことをすっかり忘れていたある日。先ほど主との話の中に出てきた、花輪やお子達の前にいたロメオの”親戚”のお手伝いが片付けの為厨房に入ると同時に隣の店を閉めてブラッスリーに入ってきたロメオが会計をしていた。
オムライスとパフェが記された伝票を見て、顔を上げればそこには数十年前に訪れた時と変わらぬ容姿のその女性がいたのである。
「久しぶりに行ったらお店なくなってて焦ったけど移転したんですね。ご馳走様♪ 美味しかったけど、今日は別の人が作ったのかな?あの食器運んでいった若い子とか。次に来たときはロメオさんのお料理が食べたいな♪」
ロメオは驚きで声が出なかった。夢でも見ているのかと思った。
お釣の無い金額を払い、固まっているロメオに手を振る。あの幸せそうな笑顔でその女性客が店を出たあと、何かから解放されたかのよう、我に返ったロメオは後を追うように店の扉を開けたがその女性客の姿はなかった。
店に戻り、水を一杯飲み、一息つくと先程の言葉を思い出した。
「またロメオさんのお料理が食べたいな♪」
この頃ブラッスリーのことは親戚のお手伝いに任せる時間が多く、自分は隣にいることが殆どであった。
レシピ等をすべて教え、常連や馴染みの客からも指摘されることはなく、まして客足が遠のくこともなかった。問題なくこなしていたので余程忙しい時以外はお手伝い達がメインで動いていたのだが。
「なぜわかったのでしょう?隠し味なんて大それたものはなく、誰が作っても、誰が食べても差などはまずわからないと思っていましたが。いやそれもですがそれより気になるのは」
少なくとも20年前と全く容姿が変わっていないこと。
老けても若く見える人はいる。しかしそんなレベルではなかった。
もしかしたらあの人の娘だったのかもしれないが、それならなおさら当時の味を知っているはずがない。
いくら考えても答えがわかるはずもなく、花輪達に言う話でもないので伝えてはいないが、少なくともそれ以降は自分がいる時に彼女が来店することはなかった。
「世の中不思議なことはあるものです。おやおやすっかり珈琲の準備ができていますね」
時計を見ると、間もなく針は22時を指そうとしている。
カップに注ぎ、椅子に腰かけると向かいに見える棚の、今自分の目の前にあるカップの相方へと目を向けた。
ロメオが使う方は欠けや大きな傷は無いが装飾部分にも擦れ等が見られる。もう一方は使用はしていないが定期的に手入れをされて綺麗な状態で誰を待っているのか、そこが指定席であるように鎮座している。
ロメオは向かいのカップに何か思いを馳せるように見つめ、柔らかく目を細めた。
カランっ
突然店の扉が開き、ベルの音が響いた。
「あ、すいません。もう閉めようかと……ッ!」
別段慌てる素振りもなく、ゆっくりと店の入り口を向いたロメオは思わず言葉を詰まらせた。
「あ~、やっぱちょっと遅かったか~。でもさ、まだ看板がクローズになってかなったし……ダメかな?」
「あ、あなたは……」
「丁度コーヒー入れてるじゃん♪ あたしカフェオレがいい♪」
ロメオの言葉を聞いてないかのようにその女性は店内に入り、カウンターを挟み彼と向かい合って座りながら言葉を続ける。
「あっとぉ、贅沢言えるならお料理食べたいな~、久しぶりだし。それにね、すっごくお腹空いてるの」
驚きのあまり声が出せずにいるロメオ。しかし次に彼女が言う言葉はなぜかわかっていた。
「えっとね~、やっぱこれね。オムライスと……あとパフェ♪」
やはりそうだ。しかしありえない。この女性は、
「いつ見ても、その藍染のシャツ似合ってますね。ロメオさん♪」




