11-02
主達の住まいからのんびりと歩いても三十分はかからない距離の所にあるブラッスリー「and」。
隣は酒と喫煙具を扱う「end」という名の店が併設され、どちらも同じオーナーが経営している。
先ほど玉藻のお子の一人であるイクツが出迎えたようにクノビ、タツメを除く他六名のお子達は主達の家の裏の社の番の他にこちらのブラッスリーでアルバイトをしている。
別段何百年という単位で生きている玉藻一家(主、姫、スパイクを除く)は人間社会において労働をして賃金を稼ぐという必要性は全くの皆無ではあるが、生活スタイルを一般的に働いている主としていることや、いくら玉藻の結界や術により秘匿性が確保されているとはいえ、姿を常に幼児の姿でそれを抑えておくのはあまりにも窮屈であり、様々な意味での成長を阻害すると言った観点からこちらで働いている。
社会経験の一貫として、基本は能力の使用を禁止。またオーナーと店長の言うことには従うのは勿論、一般人としてふるまうのが玉藻との約束である。
さてクノビ、タツメを除くと記したが、例にもれずこの二名も既に何百年と生きてはいるが人間とは成長の速度が異なり、独特な歳の取り方をしている玉藻一家。各々の姿を解放すれば、
アノミ(長男)、見た目:23歳程度
タリメ(長女)、見た目:20歳程度
アノヒ(次男)、アツネ(三男)、見た目:20歳手前程度
イクツ(四男)、イシメ(次女)、見た目:中学2年から高校1の間くらい
クノビ(五男)、タツメ(三女)、見た目:小学校低学年、味方によっては幼稚園の年長。
と、解放前の姿と大差ない下二名は結界の外では世間の目もあり、加えて百年単位で生きているとは言え、それでも上の兄弟姉妹たちと比べれば「お子様」に分類されるので労働は免除されている。
しかしタツメは「end」がお気に入りらしく、気分次第で店先に座ってることもしばしばである。
オーナーもタツメがいつの間にか煙草の銘柄などを覚え、差し支えなく店の常連と接していることから特には何も言わない。
さて、社会経験の一環として能力の使用を禁止しているのだが、傾国の美女とも呼ばれていた玉藻のお子達ということもあり、皆の顔面偏差値は高く、昼間はカフェとしても運営しているこの店。連日近所の女子大をはじめ、幅広い年齢層のお客を虜にしているとして大人気である。
それ自体は喜ばしい事なのだが、以前は今とは桁違いの大盛況であり、現在の度が過ぎる繁盛っぷりはオーナーの本来意図した目論見とはだいぶかけ離れたものであった。
「元々趣味に近い気持ちで始めた店なので自分一人が生活できる程度と考えていましたが……」
『花輪さんを雇ってから日増しに人気が上がり、ロメオさんと二人ではとても手が足りないということで玉藻さんの”親戚”を助っ人を頼んだところ、それが良い意味での裏目にでてしまいましたからね』
「今は当初のデタラメな行列ができることは無くなりましたので、それこそ花輪さんとアルバイトの皆さんに手放しでお任せできるようになりましたからね。だいぶ肩の荷は軽いですよ」
食後のデザートを済ませ、団欒タイムとなると主はブラッスリーの隣にある「end」の店内に入り、両店舗のオーナーであるロメオと話していた。
年齢で言えば六十歳程度の見た目、物腰柔らかな口調だが芯の通った声。全身満遍のない綺麗な白髪をオールバックに整え、普段店に立つときは白いワイシャツの上からベストを着用し、金具の部分に装飾をあしらった銀のアームバンドを付けた姿は、執事よりはベテランのバーテンダーといったところか。
なお、本人も言っていたが自分一人生活できる程度と思っていたので従業員を雇うつもりは無かった。
店は元々都内で経営していて、繁盛もしていたのだが身体を壊したことをきっかけに落ち着ける所をと考えて現在の場所へと移転した。
加えて、隣に自分の趣味の店も同時に開業したと主達は聞いていた。
躍起になって稼ぐ必要も無かったので、昼間は酒と煙草の店「end」、夕方からはブラッスリー「and」と、いった具合に自身の趣味嗜好を優先したなんとも贅沢で余裕を持った展開をしていたつもりなのだが、良い意味で現実は予想通りには進まなかったのである。
『そう言えば、花輪さんが来る前はロメオさんの親戚の方々が時折来店時にはいらっしゃいましたね』
「まだ幼かったことと、いつ帰るかもわからないので花輪さんのようには手放しで店を任せるわけにもいきませんでしたから」
『失礼ながら皆さん見た目よりだいぶしっかりしていた印象でしたので、こちらに滞在していれば今頃は何店舗か展開できていたのではと他人事ながら考えたりはします』
「ははは、そんなに褒めていただけると喜びますので今度会ったときに伝えておきますよ。まぁ、開店当時のまま可もなく不可もなく続いてくれていれば、あの子達でも充分だったのでしょうが……」
『やはり選ばれる方は何処にいても選ばれるものなのでしょうね』
「いつも通り駅とは方向が違うので、夜にはお客さんどころか店の前の通りすら人が歩くのも数える程ですから。隣は閉めてこっちで一杯やってから帰ろうと思ったところ、当時の私より少し年上の印象の男性が「なんでも良いからとにかく食べさせてくれ」と、牛丼屋か何かと勘違いした勢いで入ってきたのが事の始まり……」
その男性は名の知れた料理評論家であり、その評価は激辛を通り越して最早毒舌という、この世界で生きて行こうと思い店を出した人間にとってはできれば来てほしくない人種に分類される。
何も、目に触れた店全てを評価しようというわけではなく、雑誌の常連でいつもトップを飾るような五ツ星、三ツ星の評価を信じておらず、所謂「でっち上げ」などを暴いてしまったことから「孫拓無しの評価は間違いないが、敵にも客にもなってほしくない」と、いった具合であった。
彼は仕事のし過ぎによる過労で倒れ、病院に2,3日入院したあと、手っ取り早く何か食べたいという気持ちで目に止まったのがロメオの店であった。
「あれ以来どこからの取材にも同じことを言っていますが常に満員御礼、材料など余る程仕入れとけなんて店では無かったので、その日も残ったら閉店後飲む酒のアテにと思っていた僅かな食材しか残っていませんでした。その上できるだけ早くとの注文から、極端な話「賄い料理」でしたよ」
それを生まれて初めて食べた最高の料理と言わんばかりに夢中で口の中へと放り込み、食べ終えたところに掛かってきた電話に慌て、数枚の紙幣をカウンターの上に置くと、何とも慌しく出て行った。
「それから一週間と経たないうちの昼時、平日は夕方から数時間しか開けないのにも関わらず、買い出しから戻ってくると店の前には長蛇の列ができていましてね」
何かのイベントでもあるのかと聞けば皆手には同じ雑誌。そして同じページを開いており、そこには数日前店に駆け込んできた男の写真とロメオのいない、昼間に撮ったのか店の外観が掲載してある。改めて見た、曲がり角の先まで並んでいる人たち全員が自分の店の客だと知り唖然とした。
『そこで全員分の食事を用意できてしまうのもどうかと思いますが』
「遠方からの方もいらっしゃいましたもので、いや、私も若かった。ただ、その時は嬉しさも驚きも味わってる余裕はなく、ひたすら料理を作り続けていました。それもお恥ずかしいメニューは一品のみ、「賄い料理」です」
ロメオは懐かしむように柔らかく笑みを浮かべて話すが、それはその日だけでは終わらなかった。
次の日、いつもは早くても昼を過ぎてからでないと店には行かないのだが妙な胸騒ぎに駆られ、朝九時過ぎに店に行ってみれば既に何組か並んでいるではないか。
咄嗟に「これはいけない」と思い、並んでいるお客さんには開店は夕方からだと伝え、急ごしらえの立て看板に営業時間と開店前に並ぶことを遠慮するようお願いを書いて出した。
それから一週間しても客足は衰えず、何とか人手を増やそうと朝から従業員募集の張り紙を書いていたところに花輪が訪れたのである。
「まぁ私がドアの札を[CLOSE]に裏返すことを忘れていたのもありますが」
花輪も、明かりの少ない店内に入ってきて気づいたのだが、書き途中の張り紙を見て、「良ければ手伝わせてほしい」と、言ったのがきっかけ。
しかし、素の状態でも舞台でスポットライト当てられた某神戸の歌劇団の主役を数十倍にしたようなオーラを放つ花輪を加えたことにより、来店者の数は加速し、ついにはまともに営業することすら困難となったロメオは臨時休業を余儀なくされた。
従業員を確保し、なんとか営業を再開しようと思案するが人は集まらず。どうしたものかと考えあぐねいていたところに花輪が「心当たりがあるので掛け合ってみる」と言い、玉藻のお子達を連れてきたのである。
いくら人手が欲しいとはいえ、ロメオは不安であった。
アノミ、タリメは見た目からしてそつなくこなしそうだが、アノヒとアツネは現代っ子と言うべきか、自分が歳を取ったこともあるが、二人のノリの軽さはその時は受け入れがたく、イクツとイシメにおいては高校生かそれより幼く見えた。
だが、贅沢は言える状況ではないのでダメだと思ったらはっきりと区別し、営業時間やお客さんの制限をして自分の分相応の態勢を整えるしかあるまいと覚悟を決め、開店までに必要最低限の事だけは教えた。
結果から言えば、今の店の状態のようにとてもバランスが取れた状態へと立て直すことができた。
ロメオの誤算はお子達は皆物覚えが非常によく、それぞれ違う解釈だが物事のその先を考えて行動できるということである。
それもそのはず、術など使わずともお子達にとってみれば百年にも満たない人間の行動など読むのは朝飯前。また心を掌握することさえも容易いので個々に合わせた接客もお手のものである。
原則、玉藻から能力の使用禁止令は出ているが、元より人間界におけるアイドル性やカリスマ性を持って生まれてきたような存在にはその必要はなかった。
ちなみにロメオには主一家や花輪の正体を知らせてはいない。
当たり前と言えばそれまでだが、一応社会人として会社勤めの主ですら真面目にその業務内容の説明に困るのに、加えて神だのドラゴンだののお話の中でしかお目に掛かれない存在を理解させろという方が些か困難であろう。
一応禁止はされている能力の使用ではあるが、アノヒとアツネがふざけて小さな狐火を出したところをロメオに見られはしたものの、手品の一種と思われていることから、年の功かもとよりの性格なのか、あまり気にしている様子は無い。
人は自身の理解の超える事柄を素直に受け入れられる者は少なく、大抵は身近な事柄にあてはめようとするので、指先からライターで着火した程度の火を出したところで、さして大事にはならないのだろうが姫やスパイクはというと、外国に行っていたこともあるからかロメオは姫に関しては、そういう種族(実際動いている時は関節の継ぎ目等は見えないので)、スパイクにいたっても「自分が知らないだけでこういうトカゲの種類もいるのだろう」程度で落ち着いているようであり、そもそもが主の呪いで補正されていることもあるので、そのトカゲが人語を流暢に話していることが真っ先のビックリポイントだとは思うが、今のところはあまり疑問を感じていないようだ。
「もうあのようなことは無いと思いますが、今後もこのまま店を続けるとなるとまた別の問題がありましてね」
『お休みがとれないとかでしょうか?』
「店の方はアルバイトの方々もいますし、花輪さんと交代でお任せすることもできますが……いえ、みなさんに頼らなければならいのが現状でしてね」
『それは経営する上では必然のことに思えますが。流行る前のようにロメオさんの好きな時に開け閉め、休業するスタイルでない限り難しい、いえ、無理ではないでしょうか』
「はい。今から前の方針に戻す気はありません。それどころか皆さんの協力の元、土台が出来たこの状況を失いたくないとさえ思えている自分に驚いているほどです。だからこそこの先の問題……早い話が跡取り、ですね」
ロメオが歯切れ悪く、そして照れ臭そうに言った言葉に主は意外と思いながらも『なるほど』と軽く頷いた。
寿命で言えば現在の従業員たちは確実にロメオより長く生きるのだが問題はそこではない。
「咄嗟というか流れで働いてくれている花輪さんには店長を務めていただいていますが、人を雇うような経営を考えていなかったので、名前こそ肩書では店長をお願いしていますが、実の所まだ正社員ではなく他の方々同様にアルバイト扱いですし。いえ、勿論お給料は見合ったものをお支払いしていますし、契約内容等は如何様にでもできるのですが、ご本人に意思の確認をしていないのでいきなり社員どころか跡を継いでくれといった話はどう切り出せばいいかと考えていましてね。いえ、跡取りと言ってもなにも今日明日といった急なことでもないのですが……」
『確かにデリケートな問題ではありますね。お子……いえ玉藻さんの”親戚の方々”がいつまでいるとも限りませんし』
「アノミさんとタリメさんはどうやらフリーターのようですし、このまま社員としての可能性も高いですがアノヒさん、アツネさんは大学生。卒業するより先にここよりもっと良い場所があればいつでも他所へ行かれることでしょう。そして何よりイクツさん、イシメさんも含め、皆さんお若いので夢や目標などあると思いますのでいついなくなってもおかしくはないかと」
『経営者には常に付きまとう問題ですね。ですがまずは皆さんと話してみることではないでしょうか』
「そうですね、どう転ぶにしてもそこからですね」
『ロメオさんが認められた時のように、また相応しい道が用意されていますよ。この話の流れでどうかと思いますがこちらがご依頼いただいていた品物になります』
ロメオはその事をすっかり忘れていたといった感じだが、主の言葉を聞いて目を輝かせた。
「失礼、そうでした。自分で頼んでおいてついつい長話を」
主は鞄からいくつかの小箱を出し、その内の一つの蓋を開けてロメオへと差し出した。
『指定のサイズで製作しましたがどうやら煙草は銘柄によってサイズが異なるようですね。細かくご注文いただければご希望のサイズで制作することは可能ですが』
「いえ、これで大丈夫です。そもそも煙草や葉巻の方が柔らかいので、こちらを潰して作っていただいたシガレットフォルダーの方に合わせる形が一般的ですね」
ロメオはレジが置いてある棚からフィルター付きの紙巻煙草を一本取り出すと実際に詰めて見せた。
「ふむ、細工もですがこのサイズ感、ぴったりですよ」
『日常的な喫煙者ではないので、機能的なことがわからないため吸い口の所などはアドリブですが』
「基本、口に入れる物なので唇に触れた時に引っかかりが無ければ問題ありませんよ」
ロメオは吸い口を手でなぞると嬉しそうに少し口元を緩めた。
「あぁいえ失礼、一服したい気持ちはありますが店を閉めた後にしましょう」
名残惜しそうだがシガレットホルダーを箱に戻し、鍵付きのガラス張りの什器の中へとしまうと、自身用にと持っていた物はレジの横へと置いた。
「今回のお品代はこちらに。お客さんに装飾の具合や名入れ等のご意見いただいてまたご相談させていただきます」
レジから出した封筒を主に手渡しながらロメオは言う。
「しかしこちらの方はとんと素人ですが、これだけの物を作られるのでしたらお店を出してもやっていけるのでは?」
『ありがとうございます。姫の提案でイベント等へ出展はしていますが、私は仕事との予定が合わずに会場へ行ける事が稀ですので、大抵は姫と代理の方にお任せしています。なにぶん私は作るのが趣味、姫はお友達に会えるということで、販売に対して積極的に望めないのが正直なところです。代理の方にそつなくこなしていただいているので出展側としては成り立っていますが、果たして私が参加して上手くできるかは疑問ですし、元より接客には向いていないと思っているので、もしお店を出すのであれば退職した後や老後でしょうか』
ロメオは優し気な表情のまま聞き、手にしたロックグラスに口をつける。
「それも愉しみの一つですな。しかし思わぬところで、自分の意図しない所で事態が動くこともありますから」
『偶然や奇跡、運命といった自身の力の及ばないことに関して否定はできませんが』
「愉しんでいる人が誰より、何よりも逞しいものですよ。それに......」
グラスの中の氷を持て遊ぶロメオの笑顔は依然変わらないが、彼はこれから起こる何か楽しいことに胸を膨らませているような声で言った。
「選ばれる方は何処にいても選ばれるものなのでしょうから」




