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夏も本番に差し掛かり、強い日差しが照り付ける中、都市が管理する公園の近くにある繁華街を歩く一組の男女の姿があった。
人通りも多く、さして珍しい組み合わせでもないごく自然な二人だが想像するような恋仲の関係とは違う。
「結構歩いたね。欲しい物もゲットしたし、冷たい物でも飲みましょ」
「たまの休日の早朝からたたき起こされて、何かと思ったら荷物持ちとはね」
「あら、男が女性の荷物を持つのは当然でしょ?それに、持たせてあげてるのよ。うれしいでしょ」
「僕としては読みたいマンガが積んであるから、こんな殺人的な暑さの中を歩くなんて正気とは思えないんだ。どこに喜ぶ要素があるか説明がほしいよ」
「そんなこといってるから背だけあたしより高くなって、そのくせ体鍛えないし引き籠ってるからモヤシみたいな肌してるのよ。良い運動でしょ?感謝しなさいよね」
「僕が引き籠ってるのは家で仕事ができるからだよ。それが当たりまえの時代や職種の人達を否定する気はないけど、僕みたいに在宅勤務でまかり通る人間からすれば通勤なんてストレスでしかないし、そろそろ滅んで良い文化だと思うんだ。
付け加えて言うと、本日強制的に外を連れまわされているこの状況は拷問と言っても過言じゃないよ」
「じゃあ帰れば?そもそも朝の時点で断れば良かったじゃない」
「徹夜明けでまともに頭の働いていない人間に「大変!急いで急いで!理由は向こうで説明するから」って、切羽詰まった感じで言われたら何か大変な事があったのかと思うのが普通だと思うんだけど」
「だから通販もしてなくて、ここにしかお店がないジャム屋さんがそれも超人気で開店したら速攻で売り切れ、しかも今回は限定の味を出すとなったら一大事以外の何物でもないでしょ」
「限定って言う割にはごく普通のいつでも出せそうなマーマレードジャムにしか見えないんだけどね」
「わかったわかった。帰ったらお姉ちゃん美味しい魔法のレシピをお披露目するから。それともこの場で帰る?病み上がりのか弱い、あなたの大好きなお姉ちゃんを置いて?」
「病み上がりってところしかあってないよね?か弱い人間は記録的な猛暑の中、元気に跳ね回ってないし「もう来る必要ないんだから涼みにくるだけなら帰ってくれ」と、病院の先生に言われたりしないと思うよ」
「気ぃ狂ったフリして、顔にジャム塗りたくって歩くくらいやればいいのかしら。だってなんだかまだどこか悪い気がするのよね。ほらあたしって不思議がいっぱいじゃない?本当になんともないかわからないし」
「少なくとも現段階で調べられる限り、寝すぎただけで特に問題はないって見解だけどね」
「寝すぎにもほどがあるのよね、失ったものが大きすぎるわ。天使みたいに可愛くていつも「お姉ちゃん、お姉ちゃん」って、頼ってくれてたのに目覚めたら優しさを失ったインテリメガネになってるなんてさ」
「じゃあもうそのインテリメガネは退散してよろしいでしょうか?」
「ほんとに帰る?」
「せめてタダ働きでないよう、さっきの冷たい物っていう報酬があれば、……まぁ帰るまでは付き合うけど……」
「もう、素直にお姉ちゃんを一人にはできないくらい言っても良いのに」
「野放しにしたらって修正していいなら頷けるけど」
「あんたほんと可愛げなくなったよね。やっぱりあたしの天使はもうどっか飛んでっちゃったのかな。むしろ、こっちは傷だらけの天使状態なんだからね」
「筋骨隆々でも舞い降りてきたらアスファルトの熱で足の裏を火傷するよ。そのお姉ちゃんの天使が成長した姿が、今隣にいる弟なわけで。できれば早急に喫茶店にでも入りたいよ」
「まぁまぁ、そこの角曲がったら行きたいお店あるからもうちょっとよ。でもな~、あたしのことが嫌いな人とお茶しても楽しいのかな~」
「何のこと?」
「だって「病み上がり」しかあってないんでしょ?まぁ、百歩譲ってか弱いは我ながら言い過ぎたと不問にしてあげたとしても、あたしの事好きじゃないんでしょ?」
「え、いや、そういうことでは……」
「まぁまぁ、その辺の事情もゆっくり聞こうじゃないか安萄君よ」
「自分も安萄だろうに」
「ん~?まだ目覚めた時の事も詳しく聞けてないからね~。いやいや、感動的な場面さ。原因不明の寝たきりの姉を弟が頑張って救命したなんていうのは。それは冗談抜きに感謝している。けれどそれから数日して、あたしのアドレスに送られてきた怪文書はどうしても解せなくてね」
リイベは鞄から携帯端末を取り出すと話に上がった「怪文書」を開いて目の前でチラつかせる。
「だからそれは何かの間違いで……」
「おっと、勢いで奪って消そうったってダメよ。確かに所々文字化けしてるけど文脈からなんとなく想像できなくもないよね」
「お願いだからそれはもう蒸し返さないでくれよ。一応僕が原因を調べて助けたとはなってるけど当の本人もその方法をすっかり忘れているんだから」
「あたしとしては現在五体満足で食欲旺盛。可愛い弟をいびれるくらいだから多少寝すぎてたことの真相なんてどうだっていいんだけどさ、こっちの方は気になって夜しか寝れないから昼寝の時間が長くなるというか~」
「わかった、お茶代は僕が出すからこれ以上は勘弁してください」
「え、良いの?別にそういうつもり言ったんじゃないのに悪いわね~」
「全然悪そうに聞こえないんだけど」
「あら、ぶり返す?……ねぇねぇそこのギャル~、この文字化けしてるのってなんて書いてあると思う~?」
「ケーキも付けます!お姉様!」
「……なんか急にお腹が空いて来たな~」
「ランチでもディナーでもなんでもかまいません!だから……」
「なんでも?」
「はい!なんでも」
「家を出る資金と当面の生活費、そうね年金がもらえるくらいまでで良いかな」
「……それって……」
「いや、さすがに冗談よ。お茶代もあたしが連れまわしたんだから出すわよ。まぁこの流れで真面目な話するのもあれだけど、就職先が決まったら家は出なきゃとは思ってるわ。すぐにってわけじゃないけど何れはそうなるでしょ」
「まだ全然先の話だよね?」
「その辺も含めてお茶しながらいろいろ話そ」
間もなくして目的の喫茶店へと辿り着いた二人を出迎えたのは「本日臨時休業」という無常なる張り紙であった。
思いのほか深く肩を落としたリイベを宥め、どこでも良いからと適当なファストフードの店を見つけて歩いていると住宅地へつながる短い階段のところに一人の弾き語りの姿が目に止まった。
使い込んだアコースティックギターの弦を調整しているところで、蓋を開けたギターケースには「全国ツアー中!何か弾けますここの国のもOK」と、微妙に怪しい言葉を手書きで貼られていることから、どうやら外国から来たようである。
「ねぇねぇ、一曲、良いでしょ」
珍しさなのか、咄嗟に興味が湧いたリイベにせがまれて仕方なく足を止める。
しかし特に聞きたい曲などが無いのでおすすめや得意な曲をリクエストすると、弾き語りは少し癖のある言葉で応対してきた。
「それではワタシがこれを始めた歳がタイトルでシテ。お代は聞いてカラ……いえ、できれば聞く前に貰えると嬉しいのでシテ」
と、明るい喋り方でどこか抜けてる印象はあるが主張はしっかり伝える。
二人は財布から札を一枚づつギターケースに入れると、弾き語りは日差しに負けない程の笑顔になり、慣れた手つきで弦を数回鳴らす。
そしていくつかの弦を抑え、その音色が変わると、ざわめいた風が新緑の葉と共に彼女の歌声を都会の空へと舞い上げていった。




