08-03
翌日、安萄は陽が上る前に叩き起こされ、眠気と頭痛を抱えながらジャングルを歩いていた。
「たぶんあのコップに火近づけたら燃えるんじゃないかな」
「そうね~、まぁあれくらい強くないと消毒用としては使えないからね」
「いやそういう事じゃなくてさ……」
「でもさ、どう?お金とか所持品なくなってた?」
昨晩倒れてしまった安萄を彼女が近くにいた男性陣に声をかけ、宿まで連れて行き事なきを得た。
朝、チェックアウトの時に確認したが特に所持金を含め、紛失している物はなかったことから一応彼女の話は信じて良いものだと思い、予定通りガイドをしてもらっている。
「お恥ずかしながら怪我の功名ってやつかな」
「でもごめんね。あなたを運ぶときに、その本が落ちたから中身見ちゃったわよ。と言っても言語がわからないから内容は理解できなかったけど」
「あぁ大丈夫だよ。ただのマンガだから」
「それで?そのマンガの地図を頼りにここまで来たってわけ?物好きというか暇人というか」
「自分でもそう思うけど今の所これが一番……と、言って良いのかな。僕が縋れる有力な手掛かりな気がするんだ。根拠があっての事じゃないよ。ただ……直感、あ、いや博打だよ」
それから目的地までの道中これまでの経緯を話した。
「不思議な出来事ね。そりゃあ、あたしの国はあなたの所と比べれば宗教の信仰の方が法よりも重んじられてる傾向はあるけどさ。それにしても……」
「馬鹿げてるのは百も承知さ。たしかに僕が経験したことは説明がつかないし、夢って言われちゃえばそれまでだけど、本当に体験したかもしれない現象を無視して、既存の知識だけで固めた理想論ではもはや僕自身を納得させることはできないんだよ」
「難しいことはわからないけど、博打でも可能性があるなら試してみて良いんじゃないかしら。さてさて、一応この辺りがその地図が示してる辺りなんだけど……」
何の障害もなくあっさりと到着してしまい、拍子の抜けた表情で辺りを見回す安萄。
コンディションのせいもあって見落としていたのかもしれないが、ここまで特に危険と感じる場所や気性の荒い住民等には出会わなかった、それどころか道その物が歩きやすく定期的に人が往来しているようであった。
「言った通り何も無いでしょ?」
「ほんとだね。いやはや全くの無駄骨だったってことか」
頭を軽く掻きながらバツが悪そうに言った。
「ま、気を落さないで。すぐに帰るのもなんだからその辺でランチにしましょ」
そう言われてみれば朝食は軽く摘まんだ程度だったので、幾分か期待はしていたが空振りに終わり、気が抜けた安萄も彼女の意見に同意して適当な高さの石に腰掛けた。
「遺跡を案内するでもないし、ガイド役としてはちょっと物足りないから少しおとぎ話でもしてあげようか?」
「ま、帰って話のネタくらいにはするよ」
それを聞くと彼女は話始めた。
村に伝わる他愛のない童話、おそらくは子供たちがあまり遠くに行かないよう脅しをかけて怪物を登場させたのだろうが安萄は驚きを隠せなかった。
「ちょっと待って。君、このマンガの内容がわからないんじゃ?」
「えぇ、あなたの国の言葉はわからないわ……」
「君の話しているその怪物、このマンガに出てくるものにそっくりなんだ。いや、それだけならこの作者がここにきて君の村やこの地方の話を描いただけなのかもしれないけど……それでその怪物はどうしたんだい?」
マンガの作者の傾向と違うところがあるかもしれない。そう思い話の続きを急かした。
「えっと、怪物がドラゴンを呼び出して、その妖精を食べさせた後に女の子の心臓に爪を突き立てるの。そこで女の子は気を失って目を覚ますと、自分の村の入り口に座っていて手には妖精の羽を一枚持っていて……」
マンガではこの怪物だけで他にドラゴンなんて出て来なかった。それにその妖精の羽も……。
「ねぇ、その妖精の羽、それに似たような物が君の家の家宝とか、そんなような物に心当たりないかな?」
「宝……ってほどのものじゃないけど、ここら辺の人達の目印というか親しまれてる樹なら……あ、そこの大きな樹よ」
彼女の指先を目で追うと、ジャングルの高い木々の中でも一際目を引く大木が、見た目の大きさとは裏腹に、控えめな雰囲気をまといながら生えていた。
「今はもう枯れてるけど、その木の葉は一枚一枚が大きくて、他の葉より薄いから太陽の光が虹色に透けるの。私が子供の頃だったらお昼過ぎ、もう一時間もすれば陽が綺麗に見える箇所まで来てね、それが妖精の羽みたいに見えるから村人の間では妖精の木とか導きの羽とかって呼んでたけど……」
「確かに今の見た目じゃ宝って感じではないな」
樹に近寄りながら安萄は言った。
「この樹の葉とかに特別な力とかがあるなら別だけど……」
おそらく樹齢何百年と言われそうなその樹からはほとんど生命力を感じられなかった。
広く伸びた枝の末端は枯れ、葉の一枚もつける力もなさそうである。
「何か手掛かりでもと思ったけど……ごめんね、お姉ちゃん……リイベお姉ちゃん……」
怒るでも悲しむでもなく、そっと樹を撫でる。すると朽ちたその樹から微かに脈打つ小さな振動が伝わった。そんな気がした。
「……ねぇ、今、あなたのお姉さん。……名前、……なんていうの?」
声を掛けられ、ドキッとした安萄だが振り向きながら、
「え?……リイベだよ……」
そう答えると、信じられないといった表情で彼女は目を丸くしていた。
「どう……したの?」
「「……やっと……会えた……やっと繋がったのでして……」」
彼女の口の動きに合わせるように安萄の後方、その大木から声が聞こえた気がして、再び振り向こうとした瞬間、彼を酷い頭痛が襲った。
「なん……だ、頭が……」
耐えきれず膝を着き、地面に頭を抱えてその場に倒れる。
「「……ずっと……待っていたのでして……」」
彼女は痛みに抗い、呻き声を上げる安萄の懐に手を伸ばすとマンガを取り出した。
それを睨みつけるように見上げると優しく、懐かしむような笑顔で本を読んでいる彼女がそこにいた。
そして、
「「……ありがとう……」」
柔らかな眼差しを向け、にこりと笑う。光に覆われるように視界が白くフェードアウトしていく。それと同期し彼の意識も薄れていった。




