06
「な~アンドリュー、そろそろ機嫌なおしてほしいんだな」
「……」
「確かに妾、食堂からお菓子をちょっと多目に持ってきちゃったのは反省してるんだじょ。食いしん坊キャラは人気な傾向にあるけど、卑しんぼと思われたくないからこうやって毒抜いたのをみんなで美味しくいただこうと思ってるの。あ、プンプンしてるとせっかくの美人が台無しなんだじょって一応の常套句は付け加えとくんだな」
「……」
「主ぃ、アンドリューが反抗期なの。腹ペコが過ぎて人の好意を素直に受け入れられない程の警戒心なんだな」
『私の方も状況が把握できていませんが、おそらく空腹等が原因ではないかと』
「腹ペコさんじゃないとするとお眠さんなんだな。昨日はバタバタしてからちゃんと寝れてないんだじょ。なるほど、それなら妾に非はないから特別な子だけがお爺ちゃんからもらえるこのキャンディは妾が食べて良いんだな」
そう言うと姫は自身の掌程の包みを勢いよく破り、軽快な音を立てキャンディを齧る。そこはまるで精密な機械で切り取ったかのよう、綺麗に半円を消し去っていた。
意識が戻った主は土埃まみれの自身の衣服と、僅かな身体の倦怠感。鍵がかかったように思い出せない記憶に違和感があったが異世界においてはこれが初めてというわけではない。冷静に周囲を確認すると、横たわって寝入っていたリイベが視界に入ったので声を掛け起こした。
目を覚ました彼女は悪夢の続きを見ているかのようにはっきりとわかる形で主達に嫌悪に近い警戒の意思を示したのである。
『私としては安萄さんが帰る決心をつけていただいたので、そこに至るまでの経緯はさして気に留めませんが、差支えない範囲でお聞かせいただければ報告書に記載し、今後の参考にさせていただきたいとは思う次第で……』
リイベは反応を見せず、自身のテリトリーを保持するようにある程度の距離を空けて主達の前を歩いていく。
「ふわぁ~……、やっぱりお菓子だけじゃお腹から不満が聞こえるから寝不足と空腹の最強タッグと戦わなきゃなんだな。食堂でグッモーさん(朝食)してちょっと寝て、あと蝶々をからかうんだな」
『本日の朝食はなんでしょうね?』
姫に問いかけるように見せてリイベが反応を示すが、僅かに期待を込めた主の言葉にも当の本人は相変わらずである。
「でっかいお肉とかだったら良いな!あ~ロメオのとこもしばらく行ってないの」
『戻ったら皆さんで行きたいですね。……申し訳ありません安萄さん、つい話が脱線してしまいまして……』
「いい気なもんよね、なんも覚えてないみたいで……」
前方を歩いていたリイベが立ち止まり、主達には聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「お、どうしたのアンドリュー、綺麗な首飾りでも落ちてたの?」
姫を肩に乗せている主が数歩進み、リイベの横に来ると彼女は腕を前に出し、その進行を止め、顔を主達の方に向けると憎しみとも取れる表情で睨みつけた。
しかし静止の為に伸ばした彼女の腕だが、それに気づく前に主達は町の方を直視していた。
「あ~主、時間切れなんだな」
『せめて出発前にお茶くらいはできると思ったのですが』
言葉を切った主がリイベの方に向き直る。
タイミングを外されたリイベは一転して、拍子抜けした顔でそのガスマスクの人物を見つめた。
『安萄さん、最初に説明させていただいたことをどこまで覚えているか、定かではないのでかいつまんでになりますが再度ご説明させていただきます。
あちらにある虹が見えますでしょうか?』
主が右手を向けた先を目で追うと、町の手前にこれ見よがしであまりにも不自然な虹が存在しているのが目に入る。
リイベの表情を見た主は本人に確認を取らず説明を続ける。
『あの虹を渡った先に安萄さんが元いた世界につながる扉がございます。帰る意思に変化がなければこのまま渡りながら説明を続けさせていただきたいのですが……』
虹の存在に驚いたリイベだが主の方を一瞥すると体の向きをかえる。晴れた日中にでも鬱陶しいほど自己主張の激しい、ヴィヴィッドなそれに足を乗せるとそこからはなにも感触を感じられなかった。
それは柔らかさや硬さといった単純な感覚すらなく、文字通りリイベは地に足がついていないという体験をしている。
「なによこれ……」
目障りなその色の道は確かに自分の目に見えていているが、足を踏み出しても着地している感覚が無い。 ふわりともせず、それでいて僅かな衝撃もない。
『慣れないでしょうが受け入れてお進みください。おそらく二度と経験することは無いので理解しようとするだけ徒労に終わりますので。さて、帰られてからの安萄さんの行動について。
元の世界に戻ると統計上こちらで過ごした記憶はほぼ忘れる傾向にありますが、覚えていることは全て安萄さんの獲得したものですのでご自由にお使いいただける権利があり、また管理局が何かしらの制限をかけるといったことはございません。例えば、図書館で見たかもしれませんが錬金術やその他魔法等々の類の知識、勝手は多少異なりますが、ご自身の世界でも充分通用するものですので、上手く活用していただければ一財産どころか世界すら変革することができます。
ただ、断っておきますと記憶以外のもの、身に着けている衣服等を含め、リイベさんの世界に存在しない物質全般は基本的に持ち帰ることはできません。これは私や管理局が判断しているものではなく、扉を通る時に元の世界に無いと判断されたものは強制的にはじかれる傾向にあるため、ご納得いただく以外にありませんのでご了承ください。しかしながら現在着用されいている衣服は部分的にこちらの物を使用されていることから扉を入り、しばらく歩くと出口手前に管理局の方で用意させていただきましたものがございますので着替えてからお帰りください。管理局からの服に関しては返却の義務はございませんので、こちらで処分させていただく安萄さんの衣服と交換ということでご納得ください』
「服はいくつかパターンがあるから何になるかはお楽しみなんだな。あ、因みにスポーツの年間記録とかを参考にして、ギャンブルで一儲けしようとしても微妙に数字が違うから街の悪徳長者にはなれないんだじょ」
『正確にはその法則がわかればできないことはないのですが成功例がありません。もしご興味があればお試しください。説明を続けます。
安萄さんが戻る年月や時間帯ですが、こちらは特に希望がない限り安萄さんがこちらに来たタイミングとほぼ同じとさせていただいております。と、言いましても今の安萄さんはご自身がいつ来たのかは思い出せないと思いますが。
さて、説明をすると言った手前申し上げるのもどうかと思いますが、これ以上は説明の義務がないので、安萄さんの方からご質問等あればお答えできる範囲でご説明させていただきますがいかがでしょうか?』
坦々とした説明を半ば聞き流していたリイベ。正直今は自分が帰った後のことなどどうでもいい。
ただ、もうこの世界にいたくない。それしか頭にない。
そう、逃げてしまいたい。早くこの冗談のような……、そう今のリイベには悪夢、それから目覚めたい。
リイベは言葉を発することなく、やがて扉の前へと辿りついた。
それは周りの風景に馴染む素振りすらみせないアラベスクのレリーフが施されている木製の扉。
それだけを見れば災害で家が吹き飛ばされ、扉だけ残ったとも言えなくはないが、その存在はあまりにも不自然であった。
リイベは無言で取っ手を握った。
『私の業務としてはここで終わりになります。最後に景色を振り返る程度の時間はございますが、特にその気が無ければそのまま扉を開けてお進みください』
逸る気持ちはあるが、リイベは扉が少し開いたところで手を止め振り返った。
「えっとさ、主さん。本当になんともないの?結構凄い音とかしてたけど体痛いとか……、やっぱり何も思い出せない?」
些か歯切れの悪い聞き方をするリイベ。本人も半ば放心状態であり、主に起こされたので自分が見ていたことが現実とも言い難いからだ。
目を覚まし、瞬間的に思い出される出来事に一応落ち着きながらではあるが、はっきりと恐怖と怒りで混濁した感情を姫にぶつけたが、首を傾げるばかりでその姿は演技とは思えなかったし、主に聞いてもリイベの納得する返答ではなかった
『お気遣いありがとうございます。基本的には安萄さんに関係あること以外はお応えし兼ねるのですが、見た通り私は目立った外傷もない状態です。近辺の調査を終え、朝方町に戻ろうとしたところ、草原でリイベさんを発見した次第でして、その話題に出てきたヴィザリィという方にも覚えがありません』
自分としても衝撃的な事が起こり過ぎて記憶が混乱しているのかもしれないので、全てにおいて正しいと自信がもてるかと言えば不安である。しかし、
「ん?なんなんだな。さっきからアンドリューは妾に対して素っ気ない気がするの」
何か言いたげに姫を見たがすぐに目を逸らす。
「やっぱり覚えてないのよね」
「む~、その言い方は明らかに含みがあるんだな。気になって夜しか寝れないからお昼寝の時間が長くなるんだじょ!」
『姫、無理強いはいけませんよ。こちらの業務としては安萄さんを保護し、無事扉の向こうへと送り帰すだけですので』
リイベは複雑な表情をすると背を向けて言った。
「あのさ、あたしは帰ったらしなきゃいけないこととかないのよね?誓約書みたいなの書くとか」
『はい。帰られましたらそれ以降、管理局と関わることはございませんのでご安心ください』
「そう。わかったわ……ありがとう」
そう言ってリイベは開いた扉の先を見て、僅かに躊躇いつつも真っ黒に塗りつぶしたような空間へ一歩踏み入れる。
数歩足を進めた時、自身の拳から僅かな熱が伝わってくるのを感じた。
今までずっと気づかず握っていた手をゆっくり開く。その中には瓢箪のような形をし、装飾が施されているプレートがあった。
「?……ねぇ、これって……!」
咄嗟に振り返ったがそこにはもう扉の姿は無い。
驚き、辺りを見回すがただただ真っ黒な空間。その一点にだけ小さく白い光が見えた。
おそらくあれが出口だろうと思い、いやそれ以外に自分の向かう場所は無いだろうと察して歩き始める。
基準となる物も無いので、光に向かって歩いてはいるが一向に近づいている感覚がない。
足音も鳴らず、風もなく、気温すら感じない。
安心感は無いが不思議と恐怖も感じない。
時間にすれば数分程度だろうか。次第にリイベは頭をゆっくりと揺らし、何かそう、酔いのような感覚に包まれていた。
思考が朧げになり、もうすぐ下車する電車の車内で必死に眠気と戦っているが八割方負けている、そんな状態だ。
そして、ガクっと頭を振るように下を見ると、爪先との僅かな距離に広がって来る光が視界に入った。
心臓の行動は早く、薄っすらと汗すらかいていることに気付く。
「出口……よね……」
入ってきた時とは逆に、今度はその出口と思われる光の先は真っ白で何も見えなかった。
不思議なのは眩しいのではなく、真っ黒な空間に真っ白な、人が通れる程度の楕円の穴がある違和感。
一応手を伸ばし、壁ではないことを確認する。一度深呼吸をして、目を瞑りながらその出口へと進んだ。
……
ゆっくりと目を開けたリイベの視界に入ってきたのは、白には違いないが人工物と見て取れるきっちりと等間隔に並べられたタイルの通路。
また、辺りを見渡すが味気も飾り気もないただ同じタイルと白い壁が続いているだけである。
「何かの施設みたいね」
後ろを見ると、先ほど同様出入口は無く、結局前方の50mくらい先にある扉まで歩くしかないようなので、代わり映えのしない壁ではあるが何の気なしに見渡しながら歩く。
すると先ほどまで何もない廊下だったはずだが、リイベの数歩先には病院にありそうな車輪付きの台車があった。
不思議ではあるのだが、今までのことから大して驚く素振りも見せず、それよりはようやく馴染みのある現代文明?らしい物体が現れたことにい思いのほか安堵すらしている自分に気付く。
台車の上にはカゴがあり、その中には布、それを見てリイベは扉に入る前に主が言っていた衣服の事だと思った。
両手に持ってそれを広げると、
「ジャージね」
ジャージだった。かろうじて赤ではあるがその色は暗く、一番近い物はと聞かれれば真っ先に「小豆」を連想させる絶妙な色彩に加え、左胸には金色で「安萄」と刺繍されていた。
そこまでファッションにこだわらず、ダンスをするリイベからすればこういった運動着の方が馴染みがあるとはいえ、それでも些か躊躇する。
「いや、まぁ元の世界戻った途端に素っ裸になるよりはましだけどさ……」
結局選択の余地はないので早々に袖を通すことを受け入れはしたが、この通路で着替えるのだろうかと横を見ると、またしても先ほどまでは明らかに存在していなかった、洋服店などにあるパーテーションで仕切られた簡易的な試着室がそこにあった。
「なんだろ、変なところプライバシーに気を使ってくれているというか……あ、姫さんが言ってたけど、これ何パターンかあるんだっけ?……これって」
自身に用意された物はアタリなのかハズレなのかが気になる所であったが聞きたくても誰もいないので飲み込んで着用していく。
見た目の個人的な好き嫌いを除けば肌触りは良く、適度なサイズ感と通気性、伸縮性も申し分ない。
ファスナーの滑りも良く、取っ手には普段気にすることは無いが、自分でも知っているメーカーのロゴが入っていた。
「それなりに良い物なのかな?まぁ学校指定のジャージとかって意外に高いって思うけど、あれも丈夫だし。卒業してからも寝巻に使えるから案外バカにできないのよね。……あ、下着は……脱がなくていいわよね。汚くないわけじゃないし、たぶん脱いでおけば処分してくれるとはいえちょっと抵抗あるし……」
着替えを終え、試着室から出ると台車の上のカゴの中に白い封筒が入っていた。
「請求書じゃないわよね……」
中には折られたA4サイズの用紙が一枚入っており開けてみると、
『お疲れさまでした。扉を出ますと安萄さんの元いた世界、生活が始まります。恐らくですが一瞬の内に凄まじい勢いで記憶のフラッシュバックが起きます。その中で向こうの世界にいた時は忘れていたことも思い出すかもしれません。それに混乱するかもしれませんが、迷わず自分のすべきことを信じておこなってください』
差出人の名前は無いが察しはついた。
何かを決意し、目の先に捉えている扉へと歩く。
自分が……するべき……こと……。
考えても今は思い出せないが、今度は躊躇うことなく扉を開け、その中へと入って行く。
その瞬間、リイベの意識は薄れていき、そして周囲全てが映画館のスクリーンのように様々な映像が映し出され始めた。
それは自分の生い立ちがダイジェスト映像のように映されているのだがmどれも同じ場所にノイズ、一定の人物の顔が筆で乱暴に塗り消したように隠されている。
ここも……これも……この場面も、そうよ、この子……みんな、全部、顔が見えない。誰?……わからない。けれど……そう、あたしの大事な……大切な……
やがて眠りに落ちるかのように再び意識が薄れていくリイベ。暖かく、それでいて柔らかな日差しを瞼に感じ、ぼやけた視界が徐々にその世界を映し出していく。
……
「……あれ?」
自分は今、近所の公園へと繋がる歩道に立っている。
脇には、青い葉をつけ始めた公孫樹がその道沿いに並んで生えている。
不自然なのは自分以外のものが全て止まっていること。風が無いから木々が揺れないとかでははく、あたかも時間が止まっているようだ。
木漏れ日が一瞬だけスポットライトのようにリイベの少し先を照らすと、背の低い男の子を照らす。自分がその存在に気づくと、男の子がこちらに向かって手を振った。
「お姉ちゃん、早く~!」
自分に向けられたその笑顔と言葉。その男の子はこちらに顔を向けながら走って公園に向かっている。
「……だ、ダメ!」
その言葉が合図かのように時間が動き始め、リイベは男の子へと向かって全速力で駆けだしていた。
その先で起こることを知っている。何故だかはわからない。
しかしあの時、自分はここに立って、あの子に手を振っていた。
でもそれではダメだ。走れ、走れ、走れ。もっと早く、もっと、もっと、もっと!……
リイベは地面を蹴って跳び、手を伸ばすが届かないその距離。
しかし、突然リイベは背中を何か強い力に押されるよう、まるで重力が消え飛んでいるかのように男の子に追いつくと抱きかかえながら転がった。
「ちゃんと、前、向かないと、危ないよ」
息を切らしながら話すリイベ。男の子はわけがわからずこちらを見ている。
「お姉ちゃんと、一緒に、行こうね……」
そのあどけない顔を見ると顔が綻ぶ。
随分と長いことこの顔を見ていなかった……違う、もう二度と見れないものだとい諦めていた。
しかしこうしてまた、何気なく、さも当たり前のようにこの大切な笑顔は自身の目の前にいる。
「さ、公園行こうね……」
慌てて走り出し、転がった一連の行動に追いついて来た羞恥心に辺りを見回すと、勢いのついたトラックがすぐそこまで迫ってきていた。
……何が自分のすべきことだ……
目を強く瞑ったリイベの記憶はそこで途切れた。




