03
住人達が見えない壁、結界に阻まれて忌々しそうに唸り声を上げ、睨みの視線を背中に感じながらリイベと手を引いたその者は出口から離れ、少し太めの木が一本だけ生えているところまで歩いて来た。
「この辺までくれば良いかな」
その者は被っていた布を頭の部分だけ捲ると、夜でも月と星でも充分明るく、目の慣れたリイベの前には自分と同じくらいかそれより少し若い印象を受けた女性の笑顔が現れた。
「えっと助けてくれてありがとう」
「ん、良いって良いって。なんかよくわかないけど大変みたいだったし」
「あの、あなたは?あたしがこういうのもなんだけどこっちの人って動物の顔してるのがほとんどだからあたしと同じ……ちゃんとした?人間の顔が珍しいというか……あ、あたしリイベって言います」
「アタシはヴィザール。ヴィザール・ストレンディールよ。長いからヴィザリィって呼んでね♪」
「はい。えっと見た感じあそこの住人ってよりは旅人って感じだけど、こんな遅くに(時刻わからないけど)になんで外にいたんですか?」
「ついさっき着いたのよ。そしたら入り口が騒がしくてあなたが襲われてるじゃない?怖いわよね~ああいったケダモノって。本当はこの町は獣臭いから来たくなかったんだけど路銀が尽きちゃってね。仕方なしに換金のために寄ったってわけ……」
リイベは何か違和感を感じるがヴィザリィは構わず続ける。
「今何時かな。今日は町に入れそうにないからここで野宿かしら。あ、お腹すいてる?お腹の足しになるかわからないけどお菓子ならもってるの」
そう言ってヴィザリィが差し出した掌には昼間リイベが町の子供からもらった包みのお菓子があった。
「これって……」
「あれ、甘いの苦手だった?……ってあら、どうしたのよ微妙に距離取って」
「ヴィザリィさん、聞きたいんだけどこのメモってあなたが書いたもの?」
リイベは朝子供からもらったメモをヴィザリィへと見せた。
「さん付けなんてしなくて良いわよ~♪それにそのメモ暗くて見えないよ。ほら、もっと近くにきてよ~、なんでそんなに離れてるの~?」
「路銀が尽きたって言ったけど少なくともあの町にお金っていう概念は無かったわ。それにあの町には時計とか無かったけど、この世界にも時刻って考え方はあるのかしら?」
「そういう時ってさ、共通の話題がある人間が現れたらわかり合えるもんじゃないかな~?女同士だしぃ手合わせてぴょんぴょんって感じでさ~」
「そうね、町の人達がおかしくなった原因かもしれない、死ぬほど甘いお菓子を私に勧めなければちょっとは心開いてたかもしれないわ」
その言葉を聞いてヴィザリィは自分の手に持っている包みを見て軽く舌を出した。
「窮地を救ってあげただけじゃすんなり信用してくれないか……その言い方、あんたもコレを食べたみたいだけど何か思い出さない?自分がここに来る前とかさ」
「ひたすら甘い以外には何も……まってよここに来る前ってことはあなたも」
リイベが言葉を言い切る前に、瞬きもした記憶もないがヴィザリィは彼女と鼻がぶつかりそうな距離にまで近づいていた。
「コレ食って覚醒しないなんて、よっぽど思い出したくないことなのかな~?」
慌てて後ずさるリイベだが頭をだしていた木の根に躓き、そのまま倒れこんだ。
危機感から顔を起こし、ヴィザリィを見ると彼女の方は動じずに悠々とお菓子の包みを開けると嬉しそうに自分の口へと放り込んだ。
「あぁ~やっぱりあっちのお菓子はしっかり味があって美味しいわ~♪こっちの世界だとさ味が雑~、自然のままっていえば聞こえはいいけど現代人としてはちゃんと精製されて~濃縮還元されて~食べたら太っちゃう?的な罪悪感とか考えつつもその誘惑に抗ったふりくらいして食べるくらい甘い方が良いと思わない?」
両頬を抑え、至福とでも言わんばかりの笑顔でリイベに問いかけるが依然として警戒を解く気はないようだ。
「あ~もしかしてダイエットとか?……そうよね二十歳を過ぎたら吹き出物ってかわいくない名前に変わっちゃうから気にしちゃうか。でもね人工甘味料に逃げるのはアタシとしては駄目だと思うの。あとコンビニ弁当とかに入ってる防腐剤とかの添加物ね。凄くない?腐らないのよ?ってことはさあれ食べ続けたら死んでも腐らない体になって綺麗な死体のまま……」
「まだ死んだ後も体を綺麗にしてたいとか悩む歳でもないわよ。どうでも良い話続けてないで目的は何よ?」
その場でクルクルと回りながら話していたところをすっぱり切られたヴィザリィだがさして気にする様子も見せずこちらを向きなおした。
「えぇ~っとね、これな~んだ?」
そう言ってヴィザリィが拳を軽く前に出すと突然、それでいて最初から彼女に握られているかのように武器の知識の乏しいリイベは名前がわからないが、柄の長い斧と鎌を合わせたような存在がそこにあった。
「やっぱりそうなるわよね。こういう場面で悪いとは思うんだけど、もう恐怖心が売り切れたみたいでね。散々脅えて逃げ回って助かったと思ったらあなたが私を殺しに来たって感じだからさ。そうね率直に言って疲れちゃったのかな」
リイベは視線を下に落とし、心底疲弊したようなため息を吐き出した。
「やるなら痛みを感じないくらい綺麗に切ってよね。死体になった後の心配してるわけじゃないけどやっぱり痛いのは御免だし」
「あぁ大丈夫痛くはないから、たぶん。ショック死とかしてもらっても困るし、意識刈り取って五体満足で痛覚もあるけど自分では指一本動かすこともできない廃人になるだけだから心配しないで~」
さらっと明るく言いのけたヴィザリィの言葉にとてつもなく大きな恐怖を感じ、リイベは勢いよく顔を上げた。
そこには冷徹で鋭さを潜ませたような鈍い銀光の刃が目の前にあった。
「ちょ……と……」
かろうじて言葉を紡いだリイベ。その意を知ってか知らずか、刃の向こう側から状況にそぐわない明るい声が聞こえてきた。
「ん~リクエストには極力応えられてると思うんだけどな~。痛くないしアタシの欲しい物くれたら後は自分で何一つしなくて良い至れり尽くせりの生活なんだよ?」
都合の良い解釈で恩まで着せに来ていると頭の中ではセリフとして出来上がっているのにそれは一向に言葉になって出せそうにない。そんなリイベに構わず話を続ける。
「アナタが管理局のお迎えに応じてくれなかったおかげでこっちは棚ぼた……、漁夫の利?まぁいいや大漁、大収穫、美味しく焼けましたってやつ。ほんと自分がこっちではどれだけレッドデータで希少価値でイレギュラーで貧弱な招かざる存在かわかってなくて助かったわ。あ~やったわよハモンド!これでアタシの評価急上昇でしょ、次の人事異動楽しみにしてなさいよ!
ってことで~、あなたの魂?いただくよ」
自らの得物を振り上げると月明かりを背に楽しみにしていたメインディッシュに涎を垂らしそうな程に開き、笑う口元。興奮を抑えきれず大きく見開いた目が現れた。
……しかしその目線の先にいるはずのお目当ての獲物は忽然といなくなっていた。
「あ……れ?」
間の抜けた声を出し、顔を上げるとそれほど遠くは無いが自分の話のどこから聞いてなかったのか、リイベはこちらを振り返る素振りを微塵も感じさせずに全力疾走で確実にヴィザリィとの距離を広げていた。
「恐怖は売り切れたけど絶望で店じまいはしてないってやつ?なんかタフってか元気よね~。ねぇ~この場合普通は諦めて淑やかに散ったりするもんじゃな~い!?」
ヴィザリィの呼びかけにも応じず、リイベは正に一心不乱。置いてけぼりの彼女と言えば特に慌てる様子もなく、一応の追う気を示すかのようにゆっくりと歩いてはいるが肩に得物を担ぎ空いている方の腕で自身の髪の毛の先端を指で回している。
「人の話はさ~……ま、聞こう……ね!」
言い終わり、軽いモーションで得物をリイベへと投げつける。それは高速に回転しながら低空飛行で彼女の足元目掛け跳んで行き、追い抜かすと操作されているかのようにヴィザリィの手元へと戻ってきた。
「……え!?なに!」
リイベはわけもわからないまま、自分の足に力が入らず上半身の勢いは止まらずに転倒し、数回転した後、満点の星空を見上げて寝転んでいた。
転倒の痛みはあるがそれ以上によぎった嫌な予感を確かめるように恐る恐る自分の足元を見たあとに顔を上げた。
「足…切…れ、ある」
「そりゃあるわよ~。安心させるためじゃないけど言っておくとさ、アタシらみたいに住む世界の違う存在がアンタみたいなのに目に見える形で危害加えると色々厄介なのよ。でもね目に見えなきゃ、そう一応バレなきゃOKみたいなのよね。だからさあんたと足の意識を切らせてもらったわ~」
肩に得物を乗せ、片手でお菓子の包みを弄びながらのんびりとした足取りでヴィザリィが歩いて来る。
彼女からすればリイベがどんな行動に出ても確実に捉える自信を含ませた余裕のある口ぶり、そしておそらくこれが冥途の土産と言うのだとばかりに饒舌に話していく。
「そもそもアンタって自分がこっちの世界にとってどんな存在か考えたこともないでしょ?『わぁ~猫ちゃんが二足歩行で歩いてる~可愛い~』って感じで他に自分と同じ容姿の住人がいないから『帰らなきゃまずいけど特に異変とか無いしぃもしかして、アタシって選ばれちゃった?特別?』みたいに腐った種開花させてガーデニングしちゃった?まぁ普通はそんな考えに至る前に管理局に見つかって送還されちゃうんだけど、アンタも何の影響もなくこっちの世界に滞在できてるし、管理局が強制的に連れて行かないって意味では確かに特別よね。
あ~付け加えると、アタシとあんたもまた違う世界の住人なのよ。こんな重そうな武器をアタシみたいな華奢♪な女の子が軽々扱えるのなんてあんたの世界じゃファンタジーでしょ、まぁアタシの世界でもアタシみたいなのは特別なんだけどさ。アタシの世界はあんたの世界とそっくりさんだけどちょっとだけ夢のある……うわっ自分で言っててちょっと恥いわ、でもまぁ奇跡も起きないような世界よりははるかにロマンチックかな」
痛覚はない。いや、それ以前に見た目が切れていないだけで自分と繋がっている感覚がない足を見ながらだがヴィザリィの声はしっかりと耳から入ってくる。
しかしその話自体がそれこそテレビの中での出来事のようで、リイベは今この状況こそ夢ではないかと疑いすら抱き始めた。
「そ、それで、私の意識ってのを取ってどうするのよ?別に頭がメルヘンってわけじゃないけど私があなたの世界で特別とか、この世界で普通に生きているだけでも厄介な存在とかなわけ?」
ヴィザリィはリイベの方を見ず、手に持っている包みの一つを剥がし口へ放り込むと中身はクッキーかキャンディーのように硬い物だったのか、それを気にせずに軽い咀嚼音を立てながら応える。
「あ~っとね~アンタが元の世界でどんなことをしようが誰を殺そうが殺されようが関係ないのよ。ただアンタみたいなのがこっちの世界で死んじゃったりするとさっきも言ったけどちょっと厄介っていうかさ。極端な言い方だとアタシの世界が滅んじゃうのよね~」
……
「……は?……滅ぶ?……ンフっ……」
ヴィザリィの言葉に一瞬の間を置きこんな状況だがリイベの口からは笑い声が突いて出てきた。
「ちょっと~なによ人が真面目に答えてるのにさ~」
「だって……あははっ……世界が滅びるって……確かにこの世界もだしあなたみたいな存在が居るんだから何か起きるんだろうけどさ……フフッ……寄りにもよって世界が滅びるって……あ~ダメ……ちょっとタイムタイム……」
体力と気力が尽きかけ、最後に張った緊張の糸も容易く切れたリイベはもはや自分が置かれている状況も忘れ笑い出した。
目の前には本気かどうかもわからないただ悠長に語るなんとも緊張感のない、これから自分を殺害?するであろう存在が言葉だけは自分の言うことを信じていないリイベを呆れ顔で見ている。
「あ~楽しそうにしてる今なら気軽に、ってか気にしないで受け入れてくれるかな~?」
「もうちょっと……ゴメン、もうちょっとだけ待って……もう、もう逃げられる状況じゃないからせめて心の準備だけはさせて……笑い死になんて.……ははっはは……」
ヴィザリィとしてはいつでも狩れるので特に急ぐことはなく、死刑囚の最後の頼みと解釈して手頃な高さの岩を見つけると腰掛け、また一つの包みを剥がしてそれを齧りながら呟いた。
「ほんと、実際それをやっている身からしても理解できないわよ。元より頭良い方じゃないけどさ、どこのどいつがこんなでたらめな世界を作ったんだかね」
何気なく夜空を見上げるヴィザリィ。
穏やかな風が吹く以外は静かな草原にリイベの笑い声が響いていたが、徐々に呼吸を整え、落ち着いて来たのを察し「流れ星でも見えたら声かけようかな~」と、相変わらずやる気なく上を見つめていると、彼女の願いが叶ったのか無数の青白い光が一瞬輝いたように見えた。
「お、今回の成功を祝うかのように輝く星がアタシに降り注ぐ……降ってくる?.……やっば!」
咄嗟に得物の広い部分に身を隠すように防御の態勢をとると、間髪入れずに乗用車程度の大きさをした氷の塊が容赦なく彼女の頭上目掛けて落ちてきた。




