02-04
夕焼けの空も徐々にその明るさを落として来た頃、リイベは宿泊している自身の部屋へと戻ってくると図書館で借りてきた本を小さな丸テーブルに置き、ベッドに仰向けで倒れこんだ。
今日は変な事、というには些か大げさではあるが違和感に思うことに多々遭遇する。
昼間宿を出た後、図書館へ行くと寝ているか起きているかわからない目の空き具合の管理人はおらず、それ自体は珍しくないので借りていた本をカウンターへ置き、代わりの本を見つけて設置されている机と椅子でいつも通り午後の読書へとふけていた。
しかし食後だからか、気候のせいか気が付くとリイベは机にうつ伏せて眠ってしまっていた。
この季節にしては少し冷ややかに感じる風が頬を撫でるのを感じ、目覚めるとだいぶ良い時間寝てしまっていたのか、窓から差し込む光が角度を変えていた。
フォロムとの約束を思い出し、終始不在だった管理人のカウンターの本の貸し出し帳に記帳して少し足早に図書館をでると普段とは違った静けさを感じ、辺りを見回すが広場で遊んでいる子供達や道端で話している住人、リイベの視界の範囲には住人の姿が見当たらなかったのである。
「今日は町内の集まりでもあるのかな?」と、部外者のリイベは呼ばれることはないので軽く考えながらフォロムの住処へ行くと蜂の巣のように整列してあるフォロム達の集合住宅の前には食べかけのドーナッツ、その周りにスヤスヤと寝息を立てて横たわっている数名の妖精達の姿があった。
声を掛けたり揺さぶったりしても起きないので仕方なくフォロムの部屋をノックするが返事はなかった。
再び寝ている妖精たちの方に目を向けるとそこでも不思議な、いやそれ自体は不自然ではないが昼間リイベももらったお菓子の包みが数枚落ちていたのである。
「やっぱりあれって配って周ってるのかな?そう言えば帰り道でも……」
結局フォロムと会えなかったリイベはフォロムの家の前(玄関口?)に包んできたドーナッツを置いて宿へ戻ろうと足を進めたが、そこまで長い距離ではないとはいえやはり町の住人と出くわすことは無かった。
不躾とは思ったが、近くの家の窓を覗いてみるとどの家でもソファやベッド、机にうつ伏せたりして皆寝ていたのである。それを見たリイベはお菓子をもらった時から深く考えずに、ハロウイン的なお祭りが夜にあるからそのために住人達は昼間寝ているのではないかと思った。
「でもあたしは何も聞いてないし。あ、もしかしてお祭りってよりは教会とかでやる集まりみたいにちょっと畏まったイベントなのかな?」
そういうことなら自分には関係のないことだが、なんらかの集会の後に皆で会食などがあるならそれには参加したいと思い、宿に戻ると女主人の部屋を訪ねる。
扉を叩いても返事は無かったが開いている扉を開けて顔を覗かせると大きな体がベッドに横たわっているのが見えた。
おそらく声をかけても起きはしないと思ったので、自室に戻ろうと扉を閉めようとしたとき、ベッドの傍らにまたしてもお菓子の包みが落ちて入るのが目に入った。
「なんだろ、あのお菓子食べて寝床に着くのが仕来りなのかな?」
そうして現在自室のベッドに寝っ転がっているわけだが町の状況とは別にリイベには気にしていることがあった。
朝もらった紙に書いてあったお誘いのことである。
「ま、行くだけ行ってみようかしらね。あ、住人のお祭り?には参加できないけど見学くらいはできるからそれについての注意事項とかの説明かもしれないし。あたしもだいぶ警戒心なくなってるけどまさかいきなり攫われるとかじゃないでしょ……たぶん」
そう呟いて本人は軽く目を閉じたつもりだが、しばらくすると静かな寝息を立てていた。
どれくらい寝ていたかはわからないが、自身の腹からの空腹の訴えで目を覚ましたリイベは起きたばかりでまだ眠い目を擦りながら部屋を出た。
普段なら蝋燭の柔らかい光が灯る廊下や、階段だが今は一切の明かりが無く窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源である。
「なによ、女将さんまだ寝てるのかな?」
目はだいぶ慣れているが、手摺を頼りに階段を下って行くと食堂から漏れてくる明かりが目に入った。
「女将さ~ん、あたしもすっかり眠っちゃった。ご飯残って……っ!」
言葉を最後まで言えず、止まったリイベは自分がいま何を見ているのか理解できずにいた。
厨房の奥の食料を貯蔵してある甕の所で何かモゾモゾと動いている。
毛で覆われた存在、加えて軽い呻き声と重なり、嫌悪感のする咀嚼音が聞こえてくる。
言い表し様のない悪寒を感じたリイベは音を経てないように後ずさろうとしたが目の前のそれはピタリとその動作を止めてリイベの方へ顔を向けた。
「お、女将さん……?」
目を逸らせず、リイベが直視している存在は自分がここに迷い込んでから一番身近で世話をしてくれていた宿の女主人。だがその理性を感じられない目はリイベが知っている普段のそれではない。
ゆっくりと体もこちらに向け、明らかな警戒を前面に押し出した唸りと剥き出しでリイベを睨んでいる。
「これって絶対危険なやつよね」
自身が発した言葉でわかってはいるが足が竦み、慌てたリイベの体は思い通り動かずにその場で尻もちを着く形で座り込んだ。
それを合図に、目の前の存在は弾かれるようにリイベへと向かってくる。
何とか横へ転がり回避すると、リイベがいた場所へ着地した女主人は勢いが止まらずにそこから宿の出口へと数回転した。
「避けたけど出口塞がれたんじゃ状況変わってないわよね」
立ち上がり、横にある階段が目に入る。考えてる暇はないと一気に駆け上がる。
相手も態勢を立て直し、二階へと向かうリイベを見つけると軽く唸り声を上げ後を追った。
二階の自室へ駆け込んだリイベはクローゼットを倒し、できる限りの抵抗としてその上からベッドを押し付けると辺りを見回した。
「傷つけたくないなんていってる場合じゃないけど花瓶とか投げた所でどうにかなるとも思えない……こんなの一択しかないじゃない」
……間もなくして部屋の前に辿り着いた女主人。その怪力の前では薄い板程度の意味しかない扉を破壊して中に入ってくるがそこにリイベの姿は無く、鼻を鳴らして獲物の匂いを探していると開いた窓から吹き込んできた風に気づく。
そちらを見るとカーテンの部分には結び目があり、そこから布が外へ出ているのが見えた。
窓から下を覗くとシーツをつたい、手を離せば地上へ着地できる距離まで降りていたリイベと目が合う。
「お願いだからそこからジャンプとかしないでよね」
彼女の願い通り、飛び掛かってくる様子は無いが明らかに怒りに体を震わせて苛立ちを込めてリイベへ吠えている。
危機を脱したリイベはどこに逃げて良いかはわからないが、とりあえず宿から距離を取るべく走り出す。しかしそれはすぐに足を止めることとなった。
「……こんなの無理に決まってるじゃない……」
先ほどの緊張が解けた直後、恐怖を感じる暇もなく一気に絶望に覆われた彼女は十数メートル先を見てそう言った。
その目線の先には女主人同様、理性を感じさせず本能を剥き出しに、リイベを獲物としか見ていない町の住人達の姿が見えたからである。
その場で膝を着き、項垂れた彼女を見た街の住人達は一斉に駆け出した。
間もなく自分はいつかテレビで観た肉食動物に捕食される獲物のように強引に体を食いちぎられるのだ。痛いのは嫌なのでせめて最初の一撃で意識を刈り取ってほしい。
もはや抵抗の意思がうせたリイベは静かにその時を待つ。しかしこういう時は嫌に時間が長く感じる。……それにしても少し遅くはないか?
今は顔を上げるのが怖いが彼女は恐る恐る目線を上げていくと、夜には似つかわしくない輝きが煌々と辺りを照らし、住人達はその眩しさからリイベに近づけずにいた。
「リイベ、大丈夫でして?」
「フォロム!?ねぇ、一体どうなってるのよ?」
「フォロムにもさっぱりでして、リイベが遅いから図書館に行ったら入れ違いでして、戻って来たら真ん丸穴がお部屋の前に置いてあるし、皆はお行儀悪くその辺で寝てたかと思ったら夜になってこのありさまでして……」
「あなたはなんともないの?」
「皆の周りにはお菓子の包みが落ちていたのでして。あれはお祭りのときにしか食べれない特別なものでして、それも儀式もお供えもしないで食べたから皆おかしくなったのではないかと思いまして。フォロムは仕来りを大事にするのでして……」
「こういう世界だからないと言えなくもないけど、呪いってやつ?確かにあの甘さは病気になってもおかしくないけどさ」
「リイベはあれを食べてもなんともないのでして?」
「甘すぎて食べられたもんじゃないわよ、この人たち元に戻す方法とかしらない?」
「残念ながら知らないのでして、そして重ね重ね残念なことにフォロムの体力も限界が近いのでして……」
「え、ちょっとどうするのよ」
「リイベは逃げるのでして、どうやら標的はリイベだけのようでして」
それを聞き、住人達を抑えている光が弱まったのを見たリイベは町の外への出口を確認すると一気に走り出した。
その後を追うように目が慣れ、彼女が走って行く姿を捉えた数名が一斉に飛び出す。
中でも足の速いイヌ科の者達はぐんぐんと加速し、その距離を縮めていく。
リイベを射程圏内に捉え、最も勢いのついた状態で飛び掛かるのに間髪入れず、彼女も塁に向かって最後の力を込めた走者のよう力いっぱい地面を蹴って出口へと突っ込む。
しかし住人の方が僅かに手が早く、それに捉えられたリイベの勢いはあと少しというところで止まってしまった。
手だけが何とか町の外へ出ている状態で鋭く剥き出しの牙がリイベの脚へとまさに噛みつくその瞬間、
「は~い。よく頑張ったわね」
何者かに引っ張られるように住人達を振り払いながら、彼女は町の外へと出たのであった。




